二 貴方の紡いだ言葉を、忘れられずに希う
謎の少女たちに案内され、十里と獏は離れ屋へと続く見事な庭を歩いていた。
仏蘭西育ちの十里にとって、西洋風はめずらしいものではない。しかし、絶妙に和の混じった風景にはどこか浮世離れした情緒がある。
立ち止まり、見慣れているはずの天地開の花びらに触れた。何度訪れても人の気配をほとんど感じない洋館だが、専属の庭師でもいるのだろうかと疑問がよぎる。薄紅色の薔薇は手入れが完璧に行き届いていた。
振り返って、庭にも花にもまったく興味なさそうにしている従兄弟・獏に声をかけた。
「日本に来たときはどうなるかと思ったけれど、親戚に獏がいてくれてよかったな。欧州はいつ開戦してもおかしくないくらいぴりぴりしてたからね。両親は駆け落ち同然の渡欧だったし、極東の混血だって仏蘭西の家では好かれてなかったしさ。歳も一つ違いで、一緒に学校通えるから嬉しいよ~」
物怖じしないきらきらとした笑顔を向けられ、獏は慌てて視線を逸らす。
「そうかよォ!? だからなんだァ!?」
「なんで怒るの。あ、照れてるのか。僕は日本好きだよ。この国の景色も、言葉も、文学も。ねえ、あんなに東洋風で幻想的な小説を書く八来町八雲って、いったいどんな人だろうねぇ」
「知らねェ、本人に興味ねえァ!! でも、小説がスゲェイイ!! 伊志川化鳥がスゲェのは当然! なんか似てるっぽいがコイツもスゲェ!!」
話し始めたせいで歩みが遅れているふたりに、紅が叫ぶ。
「おーい、案内してほしいんじゃなかったのかよ?」
「ごめんごめん、すぐ行くよ」
「基本、だれにも会いたがらない人だから。機会逃すと一生遭遇できねーぞ」
「希少鳥獣か何かかい?」
十里たちが速歩きで追いつくと、紅が「そういやオマエら、名前は?」と聞いてきた。
男児用の着物を着ているその少女は、よく見ると傷だらけだ。日常的に、しかも一方的に殴られているような痕がいくつも覗いている。
同時に、もうひとつ気づいたことがある。おみつと呼ばれた黒髪の少女には影がない。
季節は夏。日の高い時間帯で、庭に並ぶ木々の下にはくっきりと濃い陰影がついているというのに。
十里はあえて何も尋ねなかったが、どうやらこの館は少々訳ありらしい。
「僕はジュリ・ジュウル・ナガズミ・ジェロウム。こっちの目つきが悪い彼は永鷲見獏」
「じゅ、じゅじぇ?? 長え! どれが名前でどれが苗字だよ」
「ジュリが日本名、ジュウルが仏蘭西名、ナガズミが父方の姓、ジェロウムが母方の姓。ジュリでいいよ」
「じゅ、じゅりぃ?」
「うん、それでいいよ~。でも筆名をつけるとしたら、パパンの姓を使ってジャポネ風の名前にしようかな」
「じゃあ小生は苗字を変えるぞォ!? ジュリと同じなんざ勘弁也ィ」
「筆名……。っつーことは、オマエらも小説書いてんの?」
常時しかめ面を崩さなかった獏が、年相応の表情で瞳を輝かせた。
「自信ならあるぞォ!? 伊志川化鳥とどんな関係なのか知らねェが、小生らも八来町八雲のそばで小説を書きてェ! だからここに来たんだ! 小生とジュリが参加すれば最強だァ! 名づけて『新世界派』!! 爆・誕・也ィ!!」
「新世界派……。や、そういう文学の派閥みたいなのって、自称するもんじゃないだろ。勝手につけんじゃねーよ」
呆れ半分だったが、傷だらけの少女は初めて青年たちに笑顔を見せた。
──ここで舞台は終わる。
「あ、八来町八雲に出会う前に切れた……。ただの再生とはいえ、他人の能力に干渉するの疲れるんだよねぇ。まあいいや、そろそろ飽きたし……」
獏を羽交い締めにして『過去の演目』を鑑賞していた金木憂が、片手ですっと空中を撫でる。舞台装置が消え、部屋は明るさを取り戻した。
ようやく獏を解放したかと思うと、今度は両肩に手を置き、真剣な顔で言った。
「獏……いっしょに高校通えて嬉しいよ……。ほら、照れなくていいよ……」
「気色の悪ィ物真似すんなァ!! 一回り上のテメェと学校通う日なんか、一生涯来ねェからなァ!?」
「ぐっ、墓穴を掘って自ら心に傷を負ってしまった……。しかたないから八つ当たりしよう……。そうだなぁ、次は『新世界派の真実を知って泣く獏少年編』で──」
「やめろァ!!」
騒がしい憂たちに対して、花魁女装男の声は完全に冷えきっている。
「もーいいわよ。伊志川某の顔なんて見たくないもの」
心底嫌そうな顔をしているのは、生前の八雲──つまり伊志川化鳥と大層仲が悪いことで有名だった古城周だ。
化鳥は幻想寄り、周は怪奇色の濃い作風だったが、世間の扱いでは幻想怪奇文学で一緒くたにされることが多かった。比較され続けるうちに不仲となり、雑誌上で批評の形をとってバチバチと罵りあっていたのである。
「周ちゃん、昔からほんと伊志川化鳥嫌いだよね……」
フン、と高飛車に鼻を鳴らして周は言った。
「嫌いよ。恵まれてるくせに、悲劇の主人公ぶってて。アイツが不幸ならアタシたちは何なのよ。遊廓の私生児なんて産まれる前に殺されるか、産まれたら産まれたで狭い置屋に捨て置かれて、飢えと赤痢でほとんどが死んでいく。七つにもなれば養育費の名目で途方もない借金を背負わされ、そのまま色街の住人になるしかないのよ。アタシたちだって、本郷先生らがいなければ同じ運命をたどってたわ」
普段あまり本心を見せない男なのだが、よほど八雲の存在が気に障るのか、いつになく怒りのこもった口調だ。
「でも、周ちゃんの好きな若い美男子じゃん……。ねえ、ばくすけ」
「小生は男の美醜なんか知らん! 女みてェな顔してるだけだろォ」
「それが余計にむかつくのよ。アタシたちは少しでも醜く成長すれば、簡単に口減らしされるような環境だったのよ。偶々美しく生まれてきましたみたいな気取りが文章から滲み出てるのよ! キィィ!」
そのとき、窓の外から人力車夫のかけ声が聞こえてきた。
周はぱたっと怒りを収め、音も立てず襖を開けて、無言で別室に去っていく。
唐突な行動に憂も獏も疑問符を浮かべていたのだが、反対側の襖から現れた人物を見て合点がいった。
「やあ。文字の力を使った気配があるが、私の劇を見ていたのかい?」
上下真っ白のスーツ、濃い色の入った眼鏡、首元にネッカチーフ、手には白手袋。周囲に正体をばれないようにしているらしいその姿は、一見して一般人ではないことがわかる。
四天王最後のひとり──金沢にて虎丸、八雲と自動車ですれ違った人物である。
「あ~、しのっち。おつかれ~……。相変わらずすごい恰好してんね……。日活の男優でもしないよ、それ」
「憂兄こそ、相変わらず腑抜けだな。ところで周姉は?」
「しのっちの気配を察して逃げた」
兄、姉という呼称は血縁だからではない。ともに育った兄弟子たちへ親しみを込めたものだ。
その人物は「ふむ」と小首をかしげ、布で隠れされた細い指を顎にあてた。色眼鏡で表情はわからないが、声色は真面目そのものだ。
「なぜだろうか。私はいつでも周姉を慕ってやまないというのに。孤児院にいた誰よりも美しく優秀な弟のつもりだが」
「さあねぇ……。それよりさぁ、新しい劇作ってよ。俺と獏が一緒に高校通う感じでお願い。青春時代なんてロクなことなかったから、正直やり直したい」
「現実見ろォ!? テメェはそろそろ三十も半ば──ぐはッ!」
獏の口が憂に塞がれる。
色眼鏡の人物は、ふっと上品に笑って言った。
「無理な相談だね。私の固有能力『演目』はなかなか調整が難しいんだ。下手に過去を捏造すると、今私たちが生きている現実までもが歪に曲がってしまう。『未来の予言』は得意だがね。ああ、そうだ。本郷先生が到着される前に、敵の情報収集に行ってくるよ」
「あー、なんだっけ……。敵の未確認戦力?」
「そう。私の脚本に敵を組み込むには、この目で見る必要があるのでね。対象をよく観察しておかないと、役者が演技できない」
「ふーん……。演劇の仕事回してくれるなら、俺がついてってあげてもいいけど……? 稼げてキャアキャア言われるやつでお願い」
「いいや、弟子の藤だけでいい。偵察で終わらせるつもりだ」
文芸雑誌『黒菊』には合わせて八名の作家が在籍しており、四天王がそれぞれひとりずつ若手作家を自分の弟子として面倒見ている。
周の弟子が大阪でも連れていた海石榴、そしてこの最後の四天王の弟子が藤だ。
後ろに控えていた藤が、冷ややかな口調で憂に言った。
「周様ならともかく。憂様に任せるくらいならば、自分ひとりで十分です」
「なんでうちの若手たちはそんなに俺のこと嫌いなの……? 俺、自分の弟子にすら嫌われてるんだけど、どういうこと……?」
「日頃の言動のせいに決まってだろォ──ぐふッ!!」
ふたたび獏の口が塞がれる。
「標的は大阪から来た編集者・本郷虎丸。それから洋館のメイド・千代田茜。あと、可能ならばこれまで近づけなかったタカオ活版所所長・九社花藍もだな。全員、かなり腕が立つらしい。私の舞台でどんな演技をしてくれるか楽しみだ」
と、色眼鏡を指で押し上げて、彼は優美な笑みを浮かべた。




