一 新世界派・始動
東京市浅草区・吉原遊廓。
「は? なんで闘ってんの……? 修行……?」
退廃的かつ背徳的な作風で大衆に人気の作家・金木憂は、襖の向こう側から半分顔を出し、ジトッとした目で仲間を凝視していた。
寂しさを持て余して自分の見世を放り出し、黒菊四天王の本拠地である巨大妓楼に遊びに来たところだったが──
なぜか、四天王同士で闘っている。
柔術家の古城周が、最年少の名刃里獏を襲っていたのである。
「ばくちんの獣耳と尻尾が見たくて喧嘩売ってるの。ねえ、あの合体やって頂戴よ、アタシがいちばん好きな白兎神のやつ。ウサギ耳!」
「絶対・嫌・也ィ!! ざっけんなァ!?」
獏の固有能力は使い魔との合体であり、人と幻獣が混じった肉体に変化する。
凶暴な性格に耳や尻尾が生える姿は非常に不釣り合いなのだが、可愛いものと若い男が大好きな花魁女装男・周に気に入られ、格好の餌食となっているのだ。
武道の心得がない獏が周に勝てるはずもなく、対抗するためには能力を使うしかない。
そのようなわけで、無意味にも喧嘩をしかけられていたのだった。
「わぁ……。獏も大変だなぁ……」
「憂、見てないで助けやがれェ!? テメェが四天王の筆頭だろうがァ!?」
「残念だったね、獏……。きみが弄られてるうちは俺に矛先がこないから、喜んで見守ろうと思ってるよ……」
「ぐっ、クソヤロォ! 最年長ダメ人間! 若作り!」
「あ……そんなこと言っちゃう……? 一回り年上で干支が同じで兄弟子で作家の先輩である俺にそういうこと言うんだ……。しのっちの能力で保存してたあれ、出しちゃおうかな……」
憂がペンを虚空で回す。
室内は暗くなり、豪華な和室の中心に黒い箱型の装置が現れた。大きさは一畳分ほどで、まるで人形劇の舞台のようだ。
『八雲……八雲先輩。小生は、小生はテメェに憧れてました。だから……どうしても許せねェです』
舞台の上に映しだされたのは、今よりも少し年若い獏。
新世界派の十里が持つ映像喚起能力によく似ているが、再現はすべて舞台の上で行われる。
「ばくちん、カワイイ~。情熱的ねぇ」
「やめろォ!! 人の恥ずかしい過去を晒すんじゃねァ!?」
「よし、じゃあさかのぼって『獏少年・憧れの八来町八雲との出会い』の幕から上演しよう」
「きゃー、ぱちぱち。でも八来町は映さなくていいわよ、ばくちんだけで」
「テメェら、調子乗ってっと鞣すぞォ!?」
世間的な知名度や人気に格差があり、年代も離れているので、黒菊四天王と新世界派は本来ほとんど繋がりがない。どちらとも接点を持っているのは獏だけだ。
四天王末席の名刃里獏は、もともと同人雑誌『新世界』に所属する部員であり、永鷲見十里の血縁者だからである。
***
爽やかな紺色の学生服と制帽を身に着けたふたりが、洋館の庭をうろついている。
「ねぇ、獏。やっぱり住所はここで合ってるよね~。この雑誌を刊行してるはずのタカオ活版所」
「知るかァ!! 間違ってたとしても・今日こそ・突撃ィ!!」
「いや、間違ってたら突撃しちゃダメでしょ~」
およそ四年前、まだ高校生だった頃の十里と獏である。
かたや異人とのハーフ、かたや純日本人なので顔立ちこそまったく似ていないが、彼らは従兄弟同士だ。
手に『新世界』と書かれた冊子を持ち、庭先から洋館の様子を窺っていると──
十三、四歳くらいに見える赤髪の少年がふたりの前に立ちはだかった。
「あ、またあの子……」
「出たなァ、ガキィ! 一丁前に番犬のつもりかァ!?」
活版所を訪ねるのも、赤髪の少年に追い払われるのもこれが初めてではない。
もう数度目の訪問だ。
「うるせー! ここの主に誰も入れるなって言われてんだ。とっとと帰りやがれ!」
後ろで雑に束ねただけの髪型に、男児用の着物。
この少年──少女は、弟と入れ替わり、まだ男の恰好をしていた頃の紅である。
背丈よりも長い薙刀を器用に扱って、洋館に近づく者を排除しようと身構えている。
「う~ん??」
「なァに唸ってんだよォ、ジュリ」
紅の威嚇にさほど動じていない十里は、ずいっと顔を近づけて言った。
「こないだ来たときも思ったんだけれど……。きみさ、女の子だよね?」
「ハァ!? この色気も淑やかさもないガキがァ?」
正体を見破られて、紅は少したじろぐ。
「……だったらなんだよ? オマエらには関係ねーだろ」
「なにってこともないんだけれどね。せっかく髪長いんだから、綺麗に梳いたらきっと可愛いよ。二つ結びにしていい? あとリボンもつけたいな~」
「ジュリ、テメェ、何しにきたんだァ!?」
いきなり髪をいじり始めた十里に、紅は固まりつつも困惑していた。
「んな、まじで何しに来たんだよ、オマエら……」
「ちゃんと説明したら、話聞いてくれる~?」
「まぁ、話だけなら……」
完全にペースを奪われ、赤髪の少女はおとなしく頷いた。
「さすがホニャララ野郎。猿回し也ィ」
「だれが猿だ、オマエは入れねえからな!!」
獏の暴言に娘が噛みついたところで──
洋館のほうから、さらに少女がふたり出てきた。
「紅ちゃん、ケンカしないで」
「庭先で何を騒いでいるのかしら? 紅、はしたなくてよ」
小学生くらいの女児が茜。手を引いているのは、今の姿とまったく変わりのないおみつだ。
「きみがいちばん年上のお姉さんかな?」
「こいつとおれは十六の同い年だっつの!」
十里がおみつに問いかけるが、すかさず紅が怒る。
そして、今度は獏の様子がおかしい。おみつをじっと見つめて固まっている。
「ぐぅ……」
「あれれ、もしかしてこっちの子はちょっと好みなの? 獏は古風で日本的な感じの女の子好きだもんね」
「小生と交際前提に文通をォ!!」
勢いだけで発せられた獏の申し出を、おみつはあっさりと拒んだ。
「あたしはぜんっぜん好みじゃないからお引取りなすって? こんな乱暴な人じゃなくて、もっと雅な殿方が理想なの」
「獏は文章だけなら雅だから、会う前に文通してたら可能性があったかもしれないのにね。残念~☆」
わずか数秒で失恋した獏は、がくっと地面に崩れ落ちている。
「お、いいぞ、おみつ。もっと言え。ブスに振られて屈辱だろ」
「だれがブスですって? 男の恰好したあなたに言われたくなくってよ?」
かしましくケンカを始めた娘たちを見上げ、獏が悔し紛れに叫んだ。
「くそォ。女子供ばっかりで、なんなんだァ、この洋館は!」
「きみたち、急にごめんね。獏は惚れっぽいしすぐ立ち直るからあまり気にしないで。ちょっと話が逸れてきたから戻すけれど……」
不思議に透き通った色の髪と瞳をした青年は、穏やかな笑みを浮かべて言った。
「僕たちは東京府内の高等科に通う学生だよ。故人・伊志川化鳥が帝大の文芸部で作った『新世界』という冊子について聞きにきたんだ。昨年彼は亡くなって、一冊の和綴じされた本が部室に残されていた。でも最近、ひそかに続きが発行されてるのを知ってね」
亡き天才作家の名を聞いても、紅は顔色を変えなかった。唇を結んだまま冷たい視線を向けて次の言葉を待っている。
肝の据わった子だ、と十里はふたたび微笑む。
忠誠を誓った誰かを──おそらく自分たちが探しているその人を、絶対に守ろうという強い意志が感じられる。
「作家の名は違う。文体も違う。それなのに、強烈にあの天才の筆遣いを感じる。まるで、まだ彼が生きているみたいに。僕たち、どうしても八来町八雲という作家に会いたいんだ。仲介してくれないかな?」




