一 女子風呂覗き小咄
シリアスな本編の合間に突如現れたこの幕は、キャラたちの日常を書いたゆるめの番外編です。飛ばしても本編を読むのに支障はありません。ヤマとかオチとかイミもありません。
タカオ邸・大浴場。
広さは銭湯と同じくらいだ。
内装はタイルではなく板張りだが、数年前から東京の銭湯で流行し始めている壁のペンキ絵もある。
男女は特に分かれていない。
なにしろ女主人と絡繰り人形少女はいないことのほうが多く、男女比でいえば男ばかり。
新世界派で唯一の女子である紅は、酒を飲んで暴力を振るう父親から弟を守るためにずっと男の恰好をしていた。
性別を隠していた過去の事情|(なお、女子だと気づいていなかったのは八雲だけである)と、いつも男たちで渋滞することもあって、大浴場はほとんど利用していなかった。
その日はたまたま、夜遅くまで薙刀の稽古に励んでいた。
五右衛門風呂を焚くのも時間がかかるため、紅は深夜にひとり残り湯を使っていたのだ。
湯椅子に座り、汗を流すために手桶で湯を頭からかぶる。
少しぬるくなった湯が、おろしたまっすぐの赤髪にするすると伝った。
と、そこで浴場の戸が引かれる。
立っていたのは、腰に手拭いを巻いた明るい茶髪の青年──虎丸であった。
「あ」
浴槽の位置は正面ではなく、入り口から見て左横にある。
赤髪娘は浴槽に向かって座り、湯を使っていた。
虎丸の視点でいえば、紅は横向きである。つまり、後ろからよりも結構いろいろと見える。
濡れた髪が白い肌に張りついている様子などがばっちり見えた。
「うっうぎゃああああああああ」
慌てて戸を閉め、悲鳴をあげて裸で逃げていく虎丸。
「……いや、なんであいつが叫ぶんだよ」
見られた側の紅は、なにか言うタイミングを完全に逃して呆然とするのであった。
***
虎丸は脱衣所で壁に額をつけて、ぶつぶつと念仏らしきものを唱えていた。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、心頭滅却……」
悲鳴を聞いてやって来たのは、こういった分野のことでは誰よりも事をややこしくしそうなハーフの青年。
「ボンジュウル! あれ、虎丸くん? どうしたの、すごい叫び声だったよ。様子見に来たら念仏唱えてるし。藍ちゃんを目指して僧侶にでもなるのかい?」
「十里さん、ちょっと話しかけないでもらえますか。今しがた目撃した場面を忘れようとしとるんで。うぐぐ、もういっそのこと出家して悟りを開いたほうが……!」
「えーと、なんだかよくわからないけれど、取り込み中なんだね~☆」
物事を深く気にしない十里は、虎丸をそっとしておくことにした。
それよりも、こんな時間だというのに浴場でカコーンと桶の音が響いている。
誰かいるのだろうかと、戸を引く。
「あ」
「あ……」
中にいたのは予想外にも赤髪娘。
紅からすると、二度目の闖入者である。
「あぁ、うん、僕は全然大丈夫だからさ〜。気にしないで☆」
「そりゃオマエは大丈夫だろーよ。どっちも見られた側のセリフなんだよ。星飛ばしてないで、いいから早く去れ」
「いつにもまして、流れるように鮮やかなつっこみだねぇ~」
愛想笑いを振りまきながら、ウィンクを残して戸を閉める。
背後で虎丸がこのような事態になっている理由をようやく理解した十里だった。
裸で念仏を唱えている青年の肩にポンと手を置き、十里は穏やかな声で諭した。
「虎丸くん、忘れなくてもいいじゃない。ラッキィ助平はラッキィだと思って喜ばないと、むしろ女の子には失礼にあたると僕は思うよ!」
「それ、仏蘭西的価値観とちゃいます!? 知らんけどー!」
「助平と女心は世界共通だから~。よかったらさっきの映像、僕の能力で形容化しようか? 虎丸くんの部屋に一晩浮かべてあげるよ~」
「や、さすがに命の危険を感じる! てか、そんな部屋で眠れるかい!」
脱衣所にしゃがみ込んでいつまでも騒いでいる青年たちの背後に、殺気が迫る。
浴場から出てきた紅が、蔑んだ目でふたりを見下ろしていた。
めずらしく標的は虎丸ではなく十里だが、どう考えても発言が悪い。
「あん? 一晩なんだって?」
「ご、ごめん。もちろん冗談だよ~。だから踏むのやめて?? 僕は虎丸くんと違ってマゾヒストじゃないし! どっちかというと攻めるほうが」
「んなこと知るか!!」
壁に頭を打ちつけていた虎丸は、つい振り返ってしまった。
紅は縦長い手拭いで一応前を隠しているものの、あまりに心もとない姿である。
「紅ちゃん、ゆか、ゆかっ、浴衣着て!?」
「オマエらがいるせいだろーが! 着替えるんだから早く出ろ、莫迦やろーどもめ!」
娘の言うことはもっともであり、体を拭いて浴衣を着るには脱衣所にいる虎丸と十里が完全に邪魔なのだ。
「すんません!!」
流れる鼻血を手で押さえて、虎丸は裸のまま外に出ようとする。
これでようやく終わりかと思えば、またいろんな意味で厄介な人物が新たに現れた。
「先ほどから、何を騒いでいるのです?」
声を聞きつけてやって来たのは、八雲であった。
「こんな時間に皆で風呂ですか。仲が良いですね。おや、紅も一緒とはめずらしい。せっかくなので私ももう一度夜風呂に──」
「ひ、ひ、ひゃああああああああ!」
赤髪娘は真っ赤になって叫び、濡れた体のまま浴衣を羽織って走り去ってしまった。
「はて。もう湯上がりでしたか。紅は足が速いですね」
普段あまり恥じらうことのない紅だが、想い人が相手となると話は変わるらしい。
当人の八雲は何も考えていないようで首をかしげている。
「虎丸君、裸では風邪を引きますよ。入らないのですか」
「あっ、はい……。なんか、疲れていろいろ記憶吹っ飛びましたわ。お風呂、入りましょか……」
「えっと、気を取り直して、僕ももう一回入ろうかな~?」
というわけで、次回──。
男風呂編に続くのであった。




