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狂人ダイアリー ~大正浪漫幻想活劇~  作者: アザミユメコ@書籍発売中
第十幕【感情仕掛けの生き人形】
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十六 もう一度「あなた」に会いたかった

 記憶を映していた感情の澱みがふっと晴れ、薄暗い夜の廃病院が戻ってくる。

 さまざまな想いが自身の胸に溢れる中、虎丸はなんとか言葉を選んだ。


「タカオ邸での阿比(あび)さんは、八雲さんを可愛がってるように見えましたけど……」

「そのあたりの心境の変化は、尋ねたことがないのでわかりません。母とまともに会話をしたのは仮の肉体を得て生き返ってからです。私が一度死んだことで、ようやく心に区切りをつけられたのだと(あい)は言っていましたが」


 と、八雲は淡白に答えた。


 特別広く作られた病室に入っていき、青年作家はかつて自分が息を引き取ったベッドの前に立つ。

 今より少し若かった頃の阿比が座っていた椅子もあったが、木が腐ってぼろぼろになっていた。


「なにも私は、母が悪いとは思っていないのですよ。感情というのは厄介ですね。頭ではわかっていても、それが邪魔して制御がきかなくなる。本人にもどうにもならなかったのでしょう。閉鎖された場所でほとんど誰とも会わず育ったのはたしかですが、私は、望んでいない子だったようなので。外出先で馬車が野盗に襲われて、暴行を受け──その結果、まだ十五、六だった令嬢から産まれたのが私です」


 八雲が使い魔の高尾姫(たかおのひめ)銀雪(ぎんせつ)と同じように閉じ込められていたというのは、地下で藍と話したときに聞いていた。

 母と子どちらにとっても酷な話だと思いながら聞いていた虎丸は、ふと大阪から帰ってきた日のことを思い出した。夕食後に女主人と(コウ)が交わしていた会話だ。



『あなたが酷い目に遭わなくてよかったわ。女の子だからといって、そういう思いを絶対にしてほしくないの』



 敵に捕まって襲われかけた紅に向けたのは、女同士だからというだけではなく、自身の経験があっての言葉だったのだ。

 たった今目撃した記憶では身勝手な母親のように見えたのだが、新世界派の作家たちに対する態度に嘘があるとは思えない。本当の息子、娘のように可愛がっている。まったく感情というのは難しい、と虎丸は下唇を噛んだ。


 八雲が話を続ける。やはり、口調は淡々としている。


「先代の九社花(くしゃげ)家当主だった私の祖父には、二人の妻がいました。正妻の子が阿比(あび)、妾の子が(あい)。二つの血族に分かれて財閥の跡取り争いをしていたのです。妾腹とはいえ男である藍のほうが優位だったので、母の血族はどこのならず者とも知れない野盗の暴行によってできた子でも、軟禁してまで無理やり産ませたそうです。正妻の血を継ぐ男児がいれば、権力がまた逆転しますから。結局、その子供によって家は滅茶苦茶になったのですが」


 化鳥(かちょう)が生家を潰したと言っていた理由もわかった。そこには明確な憎しみがある。

 一度死んで区切りがついたのは、化鳥──八雲にとっても同じなのだろう。


 現女当主の手腕で財閥の権威はまだ健在だが、跡継ぎもなく血族も散り散りになってしまっているらしい現状では、いずれ終焉を迎えるしかない。


「争いが過ぎ去ったあとは、何も残らへんってやつですかねぇ……」

「そんなものですよ。もっと詳しく幼少時や藍との関係を聞きたければ、またそのうち話します。だいたいわかりましたか。私の出生について」

「はい、だいたいわかりました」


 虎丸は次に何を言おうかと迷っていたのだが、八雲は「そんなことより」とあっさり話を変えた。


「私のことはともかく、白玉をどう思いました?」

「え?」

「あの子は家族を生き返らせようとして、何度も失敗したんです。最初は両親、そして姉のおみつも少しずつ人の形を保てなくなっている。賢い子ですし、いつも平気そうにするのであまり気遣ってやれなくて」


 あの日の、おみつの懇願は何度でも虎丸の脳裏に浮かぶ。



『お願い、誰か、わたしの弟のこと、気にかけてあげて』



 仲間たちがみな白玉を心配しているのは間違いないが、このままでは良くない予感がする。なんというか、非常に危うい。


 大事なものが目の前で失われたとしても、なお強くいられるか──。

 これは化鳥に言われた言葉だが、白玉も、阿比も、そして化鳥本人も多くを失ってきたのだ。


「オレは何かを失くした経験もなくて、お気楽に生きてきたんやなぁ……。でも、だからこそ、やれることはあるかもしれへん。白玉も、こないだ様子がおかしかった紅ちゃんも気になるし」

「あなたがすべて背負う必要はありませんが、うちは危なっかしい子ばかりですからね」

「八雲さんが筆頭なんですけどね?」

「はい、故郷(ここ)まで来てくれて、助けてくれて有難(ありがと)うございます」


 あらためて礼を言われたことに少し驚いて隣を向くと、八雲はすでに出口のほうへとすたすた歩いている。


 虎丸は慌てて後を追い、隣に並んだ。

 金沢城下へ続く通りには提灯が連なり、それだけで心が躍るほど賑やかで明るい。


「ちょっとちょっと、置いていかんといてくださいよ。宿探す前に、茶屋町で旨いもの食っていきません!? 川魚が名物なんですよね? あと酒も!」

「私はあまり呑めませんよ。若い頃、それはもうやらかしましたし」

「うーん、容易に想像できる。化鳥(あいつ)、弱いくせにあんな張りきって呑もうとしてたんかい」

「あなたもたしか、人のことを言えないくらい弱いはずでは? 何故呑みたがるのです」

「酒と煙草と髭が似合う男になりたいからです!」


 このとき──。

 灯りの下、がやがやと話しながら歩いている虎丸たちを、自動車の中からじっと見つめている影があった。


(ふじ)、どうした?」


 名を呼ばれた二十代前半くらいの若い男は、キツネ面のように鋭い目をしていた。


「いえ、少々目立つ容姿の男がいて、まさかと思ったのですが……。報告で聞いている髪型と異なりますし、思い違いのようです」


 以前、タカオ邸に『黒菊(クロギク)』から男女二人組の刺客がやってきた。

 片方は海柘榴(つばき)という名の、虎丸と拓海が曽根崎の神社で再会したタヌキ顔の女。


 そしてもうひとりがこの男、藤だった。

 いずれも文芸雑誌『黒菊』に所属しており、四天王が面倒を見ている弟分・妹分のような若手作家たちである。

 

 後部座席の奥に座っている人物は、高くも低くもない、よく通る声で藤に尋ねた。


「目立つ? 私よりか?」

「いえ、とんでもない! (しのぶ)様より目を引く男など、この世におりませぬゆえ」


 藤はタカオ邸で十里や拓海と口論していたときも、いかにも真面目一徹という雰囲気の男だったが、今も目が本気だ。


「金沢公演も大変に素晴らしかったです。(しのぶ)様が婦人らに熱狂的な様子で囲まれる御姿を見るだけで、自分は生きていてよかったと……うう……」

「藤、おまえ、まともそうに見えて私のことになるとちょっと変態になるね。まあ元よりうちは変なのばかりだが。彼らに会うのも久しぶりだ」


 くすくす、という綺麗な笑い声が車内にこだまする。


「先月伝令で一度東京に戻ったときは、他の四天王の皆さまにお変わりはございませんでした。(あまね)様は関西に行かれて不在でしたが、(うれい)様も、(ばく)のクソガキ……失礼、獏様も相変わらずです。今回は本郷(ほんごう)先生らも招集されているそうで」

伊志川(いしかわ)化鳥(かちょう)復活の機を見計らって、新世界派を完全に潰すか。私の役目はいつも裏方だがね」


 座席の後ろには、花束や包装された贈り物が大量に積まれている。

 その人物は薔薇を一輪抜いて満足げに眺め、一枚ずつ花びらをちぎりとった。



「この世界は私の舞台、私の脚本──。ひとり、またひとりと消えていく、私の予言」



 ***



 東京市・八王子──。

 翌日の汽車で、虎丸と八雲はタカオ邸に戻った。


「ハッ、五年でさらに老けたな。叔父貴」

「いや、お前八雲だろ。下手な悪戯(いたずら)やめろ」


 玄関でふたりを出迎えたのは、藍だ。


「チッ、見破られますか。面白くないですね」

「舌打ちするな。……くそ、あいつまた勝手に消えやがって」


 化鳥が現れたときこそげんなりとしていたが、これほど早くいなくなると思っていなかったのだろう。どこか納得のいかなそうな表情をしている。

 それ以上は何も言うことなく、八雲の顔も見ず、藍は去っていった。


 本館に入ると、今度は女主人が走り寄ってきた。


「……化鳥?」


 髪の長さが昔と同じなので、すでに中身が八雲であることに気づいていないようだ。

 息子の首に手を回して抱きしめると、阿比は涙を流しながら訴えた。


「ねえ、八雲(あの子)じゃなくて……もう一度、化鳥(あなた)に会いたかったの。わたくしは化鳥(あなた)に謝りたかった」


 そっと母親の手をほどいて離れたのは、化鳥のふりをしたのか、八雲の気持ちそのままだったのか虎丸にはわからない。


 黙って廊下を歩いていく八雲を、虎丸も追いかける。

 すると、死角からいきなり現れた背丈の低い赤髪の娘が、八雲の背中に抱きついた──というより、ほとんど体当たりである。


「うぐ」

「ぶちょー、おかえり! 元に戻った!? 無事でよかった!」


 うめき声を漏らしながら振り返った八雲を、紅が花開くような笑顔で見上げている。

 その後ろには、十里、拓海、白玉、新世界派の部員たちが揃って立っていた。


「おかえり、帰ってきてくれるのを待ってたよ。僕たちはもう一度、八雲部長(あなた)に会いたかったんだ」

「はい、ただいま」


 青年作家は仲間たちに、いつもと同じ物静かな微笑みを向けた。

第十幕【感情仕掛けの生き人形】 了

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