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狂人ダイアリー ~大正浪漫幻想活劇~  作者: アザミユメコ@書籍発売中
第十幕【感情仕掛けの生き人形】
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十四 君、死にたまふこと

 厳粛と秀麗を備えた、堂々たる赤レンガ造りの学び舎。


 化鳥(かちょう)は三角形に急傾斜のついた屋根の頂上から、虎丸を見下ろしていた。

 笑みを浮かべたまま、ゆっくりと後ずさっていき──次の瞬間には向こう側へと消えて見えなくなった。



「うそやろ……!?」


 

 虎丸は本校舎に入り、階段を駆け上がった。二階の窓から出て、並ぶ(ひさし)を利用し、外壁を伝って無理やり屋根にあがる。



──大丈夫、絶対、間に合う。



 必死に言い聞かせながら、屋根をよじ登った。

 共に過ごした時間はたったの一日だが、騙されたのと引き換えに化鳥の気質は理解したつもりだ。



──化鳥(あいつ)の性格やったら、オレが間に合うか間に合わへんかのぎりぎりになるよう調整して落ちるはず。

 「そのほうが助けられなかったときの絶望が深い」とかなんとか、いかにも悪趣味なこと考えてんのやろ、どうせ!



 推測は間違っていない。そう確信があった。



「絶対間に合う……。ちゅうか、間に合え!!」



 屋根の頂上にたどり着いて向こう側を覗き込むと、予想通り化鳥はまだ無事だった。

 ちょうど足場が途切れる場所にいて、夜の空に吸い込まれるように背中から倒れていく。白い手が、何かを掴もうと虎丸のほうへと伸びていた。


 視界がいやに鮮明で、まるで時間がゆっくりと流れているようだ。

 必死で走るが、傾斜が急すぎる。駆け下りたら勢いで自分まで落ちかねない。



『所詮は死人、自分の命とどちらが大事か考えろ』



 また、同じ台詞が頭をよぎる。だが今度は迷わなかった。



「八雲さん!!」


 

 今にも目の前ですり抜けていきそうだった手を捕まえる。

 虎丸の腕の先で、足場をなくした青年の体が大きく揺れた。はるか下は地面だ。人ひとり分の体重が一気に肩と腕にかかるが、どうにか繋ぎとめた。


 青年作家は驚いて目を大きく開き、虎丸を見上げている。



「虎丸君? これはいったい──」


 

 名を呼ばれるより先に、視線を交じえた時点でわかっていた。

 化鳥ではない、これは八雲だ。

 


「八雲さん、戻ったんですか!?」

「ここは、どこでしょうか。アンナが庭球(テニス)用のゴム球を気に入っていたので、芝生で投げて遊んでやっていたのです。そこから記憶がありません。何故このような事態に?」

「深夜の庭でそんなことを……」


 目を覚ました途端、空中にぶら下がっていたというのに。

 絶体絶命の危機にこの呑気な口調。

 あまりに八雲らしくて、虎丸はさっきまでの焦燥も忘れて噴き出してしまった。


「あかん、わろてる場合とちゃう。あの、八雲さん。ずっと聞きたかったことがあるんですけど、質問してもええですか?」

「今ですか。なかなかの窮地に陥っている最中だという気がしますが、まあどうぞ」

「すんません。今やなって思ったんで、今聞きたいんです」

「はい。なんでしょうか?」


 深く息を吸って、高所の風に負けないよう声を張り上げた。



「八雲さん、今でもまだ、死にたいですか!?」



 似たような質問を投げたことは以前にもある。

 一度東京を去ったとき、「自死したことを後悔しているか」と聞いた。あの日返ってきた言葉は、虎丸が勝手に期待していたものとは違っていた。


 だが、今は信頼している。

 化鳥よりもずっと長い時間を共に過ごしてきた。

 答えがわかっていたから、ようやく聞けたのだ。


 虎丸の問いに八雲は目を丸くして、めずらしく困惑していた。しかし、はっきりと口にした。



「いいえ。遺作を完成させる目的は別としても──。仲間と、あなたたちといるのは楽しいです。生きたいですよ」



 言い終わってから、作家は薄く微笑んだ。



「聞けて、よかったです。でもいっこ残念なお知らせがあるんですけどね?」

「はい、なんでしょう」

「ここの屋根、角度きっつくて。腹筋と腰がそろそろ限界ですわ。背中のアンナは重いし。八雲さんを引き上げるどころかあと十秒くらいで落ちそうなんで、何とかなりませんかね?」

「ふむ、では何とかしてみましょうか。生きたいと申告した直後ですが、何ともならなかったらすみません。落ちる前に念のため謝っておきます」

「わぁ、洒落にならん~」


 八雲は空いたほうの手で、懐のペンを探り出した。


「二文字くらいならば、ペン先に残ったインクで書けそうです。非常時に備えて(はじめ)だとか(おつ)だとか、一画で書ける名前にしておけばよかったですかね。──さあ、おいで」


 ほのかに輝く文字が闇に散る。その使い魔の名は、



 銀雪(ぎんせつ)



 雪の結晶をまとった鬼の少年が、夜空に現れた。


「おや、少しご機嫌斜めですね。呼びかけてもずっと無視されていた? それはそれは、記憶がないとはいえ申し訳ないことをしました。あと、一画は嫌ですか、そうですか。無事に帰れたら林檎をあげますので、許してくださいね」

「や、八雲さん。ご歓談中えらいすんませんけど……。腹筋限界……。お、落ちる……」

「銀雪。ええと、助けてくれませんか?」

「指示が曖昧!! あ、もう無理やこれ!!」


 前のめりの体勢だった虎丸は、ついに限界を迎えて八雲ごと屋根から落下した。


 上空で吹いていた強風に体がまぎれていく感覚。

 落ちていくとき、音らしい音は何も聴こえなかった。

 夜空の月と、真っ白に透きとおった氷だけが目に焼きついた。



 ***



 一瞬意識が飛んだが、気がつくと正門の前に倒れていた。

 つまり、生きている。無事に地面へと着地していた。


「何秒かわからへんけど、凍った気ィする……」

「はい、何秒だか凍りついていました。銀雪のおかげで命拾いしましたね」


 主人に褒められて、使い魔は機嫌を直したようだ。表情は布に隠れて見えないが、どことなく嬉しそうに空中を舞っている。


 虎丸には何が起こったのかまったくわからなかった。

 八雲の説明によると──銀雪が地面から空に向けて、ふたりに届くあたりまで一気に凍らせ巨大な氷山を作ったらしい。

 下の方から溶かしていき、少しずつ虎丸たちを地面に下ろすことで、地面に叩きつけられる事態は免れたのだ。


「いやぁ、思いきったことするわぁ」

「一難去ってまた一難。私では情景描写で作られたこの空間を保てません。早く逃げないと崩壊します」

「うげげ」


 幸いなことに空間の境目はすぐ近くの正門だ。

 酷使したせいで悲鳴をあげる腹筋を押さえて立ち上がり、アンナを抱えてまた走った。


 どうにか脱出すると、学校は元どおりになり生徒たちの姿も見えるようになった。

 疲労を引きずりながら、虎丸と八雲は城下町のほうへと戻るために歩きだす。


「……はぁ~。就職して運動不足やったし、今日は堪えましたわ。もう歳なんかなぁ」

「未成年が何を言っているのです。ところで、私がたまに意識を失うことは虎丸君も知っていたのですか?」

「二回居合わせてます。みんな、八雲さん本人には隠しとったみたいですね」

「その間に問題を起こしていたのだとしたら、仲間たちは気を遣って黙っていてくれたのでしょう。まさか知らぬ間に、こうも頻繁に乗っ取られていたとは。油断しました」

「あれ、なんなんです? 伊志川(いしかわ)化鳥(かちょう)なんはわかるけど」


 大通りが近づくにつれ、ぽつぽつと人が増えてくる。

 髪も長いままで姿形は変わっていないというのに、八雲を避ける住民はいない。

 放っている雰囲気が化鳥とまったく違うからだろう。近くにいるだけで針で刺されているような威圧感がすっかり抜け落ちていた。


「あれは私の小説『狂人ダイアリイ』から出てきたのです。小説に封じ込められた私の黒歴史を──いえ、人格を模したモノです。なので、過去の私で間違っていません」

「黒歴史ってゆうたな……」

「まあともかく、そういった意味では私自身です」

「え、でも。そっくり真似しとるってだけで、結局八雲さんとは別モンですよね?」

「何故、そう思うのです?」

「だって、筆跡ちゃいましたもん。外国語のときは気づかへんかったけど、日本語やったら八雲さんの字は似せてても見分けつきますよ。まして同じ言葉を書いたんで一目瞭然でした。ほんまの同一人物なら、性格が変わっても筆跡はそうそう変わりませんよね」


 隣を歩いていた八雲が足を止める。


「そういうところに気がつきますか、そうですか」


 喜んでいるのか、かすかに含み笑いをしていた。


化鳥(あれ)は究極に構って欲しがりなんです。虎丸君に執着したのは、あなたなら絶対に構ってくれるからです。昔は標的が(あい)だったのもだいたい同じ理由ですし、善良とは損な性分ですね」

「ぐぬぬ、嬉しくない」


 さあ、と気を取り直して八雲が言った。


「もう時間も遅いです。今晩は宿をとって明日東京に帰りましょうか」

「えー、寝台の汽車に乗って帰りたいなぁ。金沢はちょっとトラウマになりましたわぁ」

「虎丸君、あなた、私の担当編集なのでしょう? ならばとことん付き合ってもらえますか。私は早く風呂に入りたいのです」

「うーん……。性格が違うだけで、化鳥の頃と本質はあんまり変わってへん気がしてきた」


 どれだけ気質が大人しくなろうと、根はわがままな男なのである。

 川の流れがガス燈に照らされ、きらきらと反射している。立ち止まったまま水面を見つめていた八雲が、静かに言った。


「それに、あなたを連れて行きたい場所があるのです。せっかくの故郷ですから、五年前の話でもしましょうか」

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