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狂人ダイアリー ~大正浪漫幻想活劇~  作者: アザミユメコ@書籍発売中
第十幕【感情仕掛けの生き人形】
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十二 化鳥の人體實驗(じんたいじつけん)・其の参

 美しかった吉利支丹(きりしたん)の花嫁は、どざえもんに早変わり。


 壮絶な変貌に、虎丸は愕然とする。

 対して、化鳥(かちょう)はお腹を押さえ子供のように笑っていた。


「あとは花婿である貴様を道連れに出來(でき)れば、満足して成仏する。憎いぞ、色男」

「み、道連れ……!?」

「亡霊や物の怪に要らぬことをすればつけ入れられる。奴等(きやつら)には『不見(みざる)不聞(きかざる)不云(いはざる)』、古來(こらい)からの鉄則だ」

「そんな鉄則は知らん!!」


 と、反発してみたものの、白鬼の銀雪(ぎんせつ)を使い魔にしたとき十里(じゅうり)も似たようなことを言っていた。

 同情するな、話しかけるな。感情から生まれた彼らは、構われると呼応する。


 ぐぬぬ、と歯を食いしばっていると──。

 化鳥が虎丸に持たせた刀に、一つ文字を付与した。



 有涯(うがい)



 これまた、虎丸にとっては懐かしい。

 高尾姫(たかおのひめ)が恐怖の感情によって作り出した百体の武士。その亡霊たちを蹴散らすために、八雲が綴ったのだ。

 人生には限りがあるという意味を持つ。すでに死の概念を失くした『無限』の存在に、『有限』を与えて終わらせる言葉だ。


「道連れに()るか、返り討ちにするか。選ぶが()い。何方(どちら)にせよ()の亡霊は消滅する。俺の采配は素晴らしいだらう。貴様に泣いてゐるだけの(をんな)を斬る根性なぞ無い事を(おもんぱか)つての二択だ。氣張(きば)れよ」


 虎丸を道連れにすれば花嫁は満足して消える。

 返り討ちにして叩き斬れば、それはそれで解決する。

 すでに儀式は終わってしまった。だから強制的にどっちかを選べと言いたいらしい。


「化鳥……。おまえはほんっまに……ひねくれ者か!!」

「俺を誰だと思つてゐる。人呼んで『編輯者(へんしうしや)泣かせの化鳥』だ」

「その異名は微妙にかっこよくない! ただの問題児! くそーー!!」

「俺に文句を()つてゐる暇があるのか? そら、貴様の花嫁がお待ちかねだ」


 土留(どどめ)色の腕が虎丸のほうへ伸びてくる。

 指先からぽたりと落ちる水滴。ドレス、髪、肌からも水が滴り落ちている。


「ひえええ」


 直視できず、思わず亡霊から目をそむけたそのときだ。

 波に襲われるように、花嫁の感情が虎丸へと押し寄せてきた。



『棄教はしない、洗礼名は捨てない

 心に神を、胸に十字架を、夢の中で聖歌を奏でていれば、

 いつかあの方と真紅の路を歩くことができると信じているから

 どれほどの責め苦を受けようとも、屈することはない』



 この亡霊を形作っているのは悲哀と恋慕。そして揺るがない強い信仰だ。

 基督(きりすと)教信仰が自由化したあとに生まれた虎丸は、当時の迫害がどれほど酷いものであったか話でしか聞いたことがない。


 真っ黒の空洞となった瞳に向かって、虎丸は言った。


「ごめんな。そんな大事な儀式やったのに、フリなんかして」


 花嫁は伸ばした腕でそのまま、虎丸の喉を掴んだ。

 女人とは思えない凄まじい力だ。


「ぐっ……」


 振りほどこうにも、こちらから触れようとすると通りぬけてしまう。

 文字の力が宿った刀を使うしか方法はないが──



 ためらってしまった。



「ハッ、莫迦(ばか)の一つ覚えめ。話しかけるなと()ふに」


 かわりに化鳥が虎丸の刀を奪い、亡霊の片腕を斬り落とした。

 断面からは小さな文字が溢れ、(うごめ)いていた。


「亡霊なぞ、人格を持たない感情の端切れのやうなものだ。相手をすればするほど、生きてゐる人間の感情に呼応する」


 楽しそうに笑っていた先ほどとは一転、不機嫌だ。

 水の滴る手から解放されて床に崩れ落ちた虎丸を見下ろし、吐き捨てるように言った。


「やる()を出せ。貴様、俺の『闘者(とうしや)』なのだらう? もつと面白い事をしてみせろ」

「闘者は武術の心得があるだけで、犬って意味ちゃうねんで! 化鳥専属でもないし!」

「俺は他人と所有物を共有する趣味は無い」

「物でもないわ!」

(つま)らん。ならば可哀想な亡霊に同情し、勝手に死ぬが()い」

 

 花嫁のもう片方の腕が伸びてくる。

 床に転がされた刀を拾って、虎丸は出口へと走り出した。


何方(どちら)を選ぶ? 何方(どちら)を棄てる? 如何(いか)に可哀想だらうと所詮は死人。自分の命と比較に()るものか、よく考へろ」


 背後で青年作家の軽やかな声がする。

 所詮は死人。まるで化鳥自身や八雲のことを言われているようで、胸に刺さった。



 ***



 講堂の外には、誰もいなかった。

 校舎から校門に向かう生徒も見当たらず、運動部の声も聴こえない。


 まだ放課後になってからそれほど時間は経っていないはずだ。

 それなのに、空が墨で塗りつぶしたように黒い。



──この感覚、前にもあったな。



 絵画の中に閉じ込められたような違和感。

 さほど昔のことではないので、すぐに思い当たった。


 黒菊(クロギク)四天王のひとり、名刃里(なはり)(ばく)が襲撃してきた際に閉じ込められた虚構の森とそっくりなのだ。

 あの森は大規模な情景描写で、獏の小説世界に入ったようなものだと(コウ)が言っていた。


 つまりここは、伊志川(いしかわ)化鳥(かちょう)の世界だ。


 学校の外に出ようと校門のほうへ向かうと、あちら側は暗く塗られて何もない。

 門を境に、風景はすっぱりと途切れていた。



 地面は這いずる厭な音。

 空気中に充満する感情の波。


 吉利支丹(きりしたん)の花嫁が、虎丸を追ってきている。

 


 亡霊相手に隠れて意味があるかはわからないが、このまま見渡しのいい場所で逃げていても体力を消耗するだけだ。

 解決策を練るためにも、とりあえず手近な校舎の中へと入ることにした。


 そして選んだ建物は、実験室、地震計室などが並んだ物理化学教室であった。

 

「よりによって一番苦手なとこやん! オレは文科クラスやったんや、理科クラスの教室は高校に通っとったときから苦手やねん。ホルマリン漬けとか標本とかあって怖いし、テストは赤点ばっかりやったし!」


 身を潜めた実験室には、やはり標本が並んでいる。

 ぜーぜーと乱れた息を整えながら、なるべく周囲の物を見ないように頭を抱える。


「くそう、どないしたらええねん……。もう亡霊なんやし、満足して成仏するのも刀でぶった斬られて消えるのも、たいした違いないんちゃうか……。でも結婚式のフリなんて思わせぶりなことしといて斬り捨てるとか、オレめっちゃ最低な男やんけ。あああ、この苦悩もぜんぶ化鳥の狙いどおりと思ったら腹立ってきた!」


 どこまでが狙いなのか。どこまでが計算だったのか。

 計算ではなく、即興で遊んでいるだけのようにも思える。


 絶対に信用するなといった(あい)の言葉が、初めて実感できた。さすがは被害の集中砲火を浴びていたらしい先人というべきか。


 何かいい方法はないものかと、虎丸は座り込んで親指を噛んだ。

 教室の戸に、気配が近づいている。


 カタ、と背後で物音が鳴った。

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