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四 少女は滅ぼすために

 木陰から現れた男は花魁の乱れた髪を一房手に取り、口をつけた。手の甲に淡く光る『呪縛』の文字が浮かんでいる。

 不気味に震える書体から、所持者の妄執が伝わってくるようだ。


 対峙するのは、『炎』の薙刀を操る娘・(コウ)。なびかせた真っ赤な髪と、いくつもの炎の文字が(はげ)しい恋心のように燃え盛る。


「ただの門下生でしかないきみじゃ、師範代のぼくを止められないよ。稽古で一度でも勝ったことがあったかな」

「はっ、どうだか。真剣でやり合ったことねーだろ。つーかオマエ、ほんとにうちの流派から派遣されてきた正規の師範代なのかよ? こんな辺境の道場にいきなり現れやがって、怪しいと思ってたぜ」

「男前がきたってはしゃいどったのは誰やった──」


 正当なツッコミだ、と虎丸は思うのだが。

 横に振られた紅の一閃によって遮られてしまった。鼻の先で指一本の隙間もなくぴたっと止まった薙刀の切っ先を間近に見下ろして、背筋に冷たい汗が流れていくのを感じる。


七高(しちたか)師範代、何が目的だ? おれたち新世界派の邪魔をするつもりならぶっ(コロ)すけど、返答によってはちょっと(コロ)すくらいで許してやるよ」

「きみたちの文学活動に興味はない。ぼくが欲しいのは実体を持つ朝雲(あさぐも)だけだ」

「キモイ。──よって、ぶっ(コロ)す!」


 駆けだした紅は一瞬で相手の間合いに入った。

 金属の合わさる音が弾ける。一撃目を男は容易く受け止め、一歩踏み込んで跳ね返した。小柄な紅は後ろに飛ばされたが、受け身をとってすぐに体勢を立て直した。


 激しい打ち合いが始まる。


 本物か確かではないが、男も師範代を名乗るだけあって相当の実力者だ。

 虎丸は助太刀に入ろうと機をうかがっていたが、腕の立つ者同士の勝負にそうそう水を差せるものではない。


「紅ちゃん、素敵~! いてまえ~!」


 ならば声援に回ろうと、無駄に大声を出してみる。

 やりすぎると怒られそうだと思ったが、紅は集中しているらしく虎丸のほうを気にする様子もない。


 やがて、紅があきらかに押し始めた。剣速がとてつもなく早く、手数が多い。七高と呼ばれた男はスピードに押されて防戦が主体となっている。


「ええぞ~! そのままぶっ倒せ~! ……いけいけ~……あれぇ……? うーん?」


 一人で盛り上がっていた虎丸が、徐々に声を詰まらせていく。

 味方が完全に優勢だというのに。

 否応なしに湧いてくる不安と違和感。その正体に気づくのに、時間はかからなかった。



──こら、あかん。あの子の闘い方……。


 こんなん、あかんわ。



 紅は攻めるばかりで、自分の身を一切守ろうとしない。

 敵の防御が堅いので、よけいに目立った。

 七高の剣先が伸びてきても怯まないどころか、受けようとも、避けようともしないのだ。 


「ちょ、紅ちゃーん、なんで守らんの!」

「守ってる暇があったら攻めたほうが強いだろ。結局は相手ぶっ倒さねーと勝てねーんだから」


 そらそうやけど、と言いかけた虎丸を無視して、紅は攻撃を続ける。

 敵の刃が顔や手足を掠めて、血を流しても着物が破れても構うことなく攻め続け、ついに切り立った山の岩壁まで相手を追い詰めた。

 七高は座り込む形で倒れて両手を地面につき、薙刀を手放している。


「どーよ、ただの門下生に一方的にやられる気分は」

「真剣を突きつけられて、身を守らない姿勢はたしかに強い。武道として美しくはないけどね」

「うるせー、変態師範代! とりあえず一発入れさせろ! 話はそのあとで聞く!」


 一応峰打ちするつもりはあるらしく、刃を裏返して振り下ろした。


「でも、隙がありすぎて真に強いとは言えないよ、紅」


 七高が転がっていた薙刀を下段から蹴り上げる。刃先が下から紅の顔に向けて勢いよく上がった。

 しかし、やはり紅は脇目も振らずそのまま攻撃を続けようとする。



「とまれ!!」



 突然の大声に、場の空気が凍る。


 誰にも触れることのなかった敵の薙刀は宙を舞い、再び放り出された。紅は後ろから片腕を引っ張られた恰好で、驚いた顔をして止まっている。


「……なにすんだよ」


 その腕を引いたのは虎丸だ。

 紅は怒りも戸惑いもしていなかったが、不満そうな視線を向けて静かに睨んだ。


「あかん。そういうのはあかんて。自分は大切にせなあかんのや」

「……母親か、オマエは。おれがどんだけ怪我しようがべつに関係ねーじゃん、ほっとけよ」


 紅を自分のほうに向かせて、両肩を掴んだ。


「嫌や。オレは基本的にええかげんやけど、それは嫌や。守るために闘うことはあっても、投げやりってなったらそれはちゃうねん。自分を平気で傷つける奴は絶対どっか傷ついとるから、見てると心が痛いんや」

「わかった、わかったって。防御は苦手だから、じゃあオマエが入って助けろよ」


 ばつが悪そうに、紅は目を逸らして乱暴に虎丸の手を払いのけた。


「あのー、もういいかな? 茶番は終わった? ていうかぼくも彼女にやられて怪我してるんだけど、心痛くならない?」


 七高は笑いながら、余裕のある動作で起き上がって着物についた土を手で落としている。


「変態師範代は黙っとれ! 男前は同情に値せんのやボケェ」

「正体はわかりませんが、どうせろくでもない男です。気持ちよく殴りましょう」


 離れたところで見ていた八雲が茶々をいれる。わずか二日の付き合いに過ぎないが、虎丸には少しずつわかってきた。この一見偏屈そうな雰囲気の漂う幻想作家の発言は存外いい加減だ。表情がなく真顔で言うものだから、よけいにとらえどころがない。


「アンタ見てるだけですやん!?」

「声援でも送りましょうか」

「そんな消え入りそうな声で応援されてもやる気削がれるんで遠慮します~」

「フレー、フレー」

「あああ、なってへん! もっと腹から声出してください! ボクゥ応援にはちょっとうるさいんですよ!」


 八雲と遊んでいる間に、敵はすっかり再戦の準備が整っていた。

 手の甲に書かれた『呪縛』の文字がゆらりと揺れ、虚空に大きく映った。



「──おいで。ぼくの(・・・)朝雲」



 首が取れかけ、断面から黒い文字が溢れたまま人形のように固まっていた朝雲は、男の声を聞いて奇声を発した。人ではないものの鋭い声が山中に満ち、気がつけば花魁は一瞬で七高の隣に移動していた。


「あそこにいるのが善右衛門(ぜんえもん)だ。きみを独り置いて死んでしまった、憎むべき男だよ」


 紅と虎丸のほうを指差して、七高は朝雲の耳に囁く。


「いや、オレは虎丸やし!」

「だーかーらー、勝手に他人の小説の展開変えんなって。善右衛門生きてっから。最新巻で晴れて自由の身になった朝雲とは離れるけど、心はちゃんと結ばれっから。恋人を奪うんじゃねーよ」

「いやぁぁぁ、ネタバレが目白押しぃぃぃ」


 一切の前知識ナシで読みたい派の虎丸は悲鳴をあげるが、紅と七高はお構いなしで話を続ける。


「善右衛門は死んだ。ぼくの朝雲は遊廓から出られず、永久に花魁のまま。永久に孤独で、美しいまま。ぼくはずっとその姿を見ていたい。それが朝雲という美の物語だ」

「あのなぁ……、おれの『あかねさす』は儚い恋の話だから美しいわけ。ひたすら美しい女がいるだけじゃ物語になんねーし、説得力ねーだろ」

「架空に説得力が必要か?」

「そりゃそうだ、ただ言葉だけで美しいと形容したからといって美しいわけでもなし。つまり、オマエの朝雲は駄作、残念!」


 そう吐き捨てた紅に、男はもう何も言い返さなかった。ただにやりと笑って、持っていた薙刀で朝雲の首と手足を落とした。


「んなっ!?」


 虎丸が叫んだ次の瞬間、朝雲の斬られた断面から文字がぞわぞわと這い出てきて、ばらばらになった女体を包み込む。

 (うごめ)く文字の集合体は、人間からかけ離れた形に変わっていった。


「蜘蛛……!?」


 紅が口にしたとおり、朝雲は人の姿を半端に残した巨大な蜘蛛の化け物へと変容していた。


「ギャアアアアア!! 今度こそ正真正銘の物の怪ェ!!」

「朝雲の『雲』と蜘蛛、女郎(じょろう)絡新婦(じょろうぐも)をかけたのでしょうか。なかなかやりますね」

「それ褒めるとこなんや!」


 八雲はなにやらひとりで納得しているが、どこまでもマイペースなこの作家に付き合ってはいられない。

 おそらく例の情景描写というやつだろうか、透けた子蜘蛛が現れて地面を埋める。


「おい、朝雲。オマエはおれの書いた朝雲とは別人みてーだけど、こんな奴の言うことなんか聞くこたねーぞ。形容化されたからって、オマエは作者の奴隷じゃねーんだ」



 ……善右衛門さん、善右衛門さん……よくも、

 わたしを、置いて



 痛々しく変容した朝雲に、紅の声は届かなかった。


「恋と憎しみは表裏一体、というところですか。愛情を逆手に取った憎悪の呪縛で操っているのですね。やはりろくでもない男でした。しかし、あの男が朝雲を形容化した操觚者(そうこしゃ)本人なのであれば、そんな命令の文字がなくとも思い通りにできるはず。背後に別の真犯人がいそうです」

「……八雲部長、あれ、完全に消滅させていいか? 変態師範代は一応生かしとくし、あとの話はヤツに聞いて」

「はい、あなたの気の済むように」


 紅がぐいっと虎丸のコートの裾を引っ張る。



──ぶっ倒すから手伝え。



 声には出さなくとも、睨む目線で伝わってくる。

 さっき、約束したのだ。守りはまかされた。蜘蛛に怯えている場合ではない。

 虎丸は震える手で、偽の村正を握りしめた。


「パクリだかオマアジュだか知らねーが、書かれた以上、オマエはオマエでちゃんと感情を持って存在するんだよな。恋人を失くして独りになった朝雲。だから、おれが消してやる」


 飛び出した紅の後ろに付き添うように、虎丸は走った。

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