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狂人ダイアリー ~大正浪漫幻想活劇~  作者: アザミユメコ@書籍発売中
第十幕【感情仕掛けの生き人形】
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九 帰郷には悪意を添えて

 虎丸の隣ですやすや眠っているのは、まるで本物の人形のように端正な顔立ちをした男。

 眉目秀麗は幼馴染で見慣れているとはいえ、タイプが違う。

 八雲──もとい伊志川(いしかわ)化鳥(かちょう)はもっと優形(やさがた)で中性的である。ただし、見た目だけの話だが。


 汽車に乗ってすぐ駅弁がどうだ蜜柑(みかん)がどうだと騒いでいた天才作家は、ひとしきりはしゃいだあとで満足したらしく寝てしまった。


 十代で華々しく文壇に登場した伊志川化鳥の著作を読んで感銘を受け、自分も小説家になりたいと夢見たのは虎丸が中学生のときだ。

 同時に「こんな壮絶なものが自分に書けるはずがない」と打ちのめされ、それでも文学が好きだった。結局、出版社に入社して今に至るのだが、あれほど憧れた作家がまさかこんな男だとは思ってもみなかった。


 気性難であることは噂で知っていた。

 しかし、なんというか……想像していた孤高の人物像よりも、ずっと子供っぽい。ころころと感情が入れ替わって、非常に扱いづらい性格だ。


 と、ぼんやり考えながら、虎丸は二人席の隣にいる化鳥をまじまじ見つめる。



──精神年齢的には享年の十九歳ってことになるんかな?

 同い年の八雲さんかー、変な感じ。変なんは年齢の問題でもないけど。



 移り変わる窓の景色を背に、化鳥の長い髪が透きとおっている。

 髪型が変わったことで、八雲とは別人格としての化鳥を少しだけ受け入れやすくなった。


 なぜ髪が伸びたかというと、出発前にこの作家がわがままを言ったからである。


 藍の制止も聞かず強引にタカオ邸を飛び出そうとしたというのに、扉のステンドグラスに映った自身の姿を見るなり、一旦引き返してきた。


()髪容(かみかたち)は気に入らない」

「お前が自分で切ったんじゃねえか。邪魔だしどうでもいいって」

其方(そつち)の俺の好みは知らないな。長い(はう)が似合ふだらうが」


 言いたいことだけ言って藍をはねつけると、その足で白玉の席へ向かった。


其処(そこ)の、瓶底(びんぞこ)眼鏡」

「はいっ! 瓶底眼鏡です!」


 いきなり話しかけられ、気弱な少年はびくびくと体をこわばらせている。


「俺を『形容化(けいやうか)』したのは貴様か。ならば髪の一つや二つ、(いく)らでも書き換えられるだらう。元の長さに戻せ」

「髪の単位が一つ二つっておかしくありませ──」

「あと着物も替へろ。黒一色など喪服ぢゃあるまいに」

「服は自分で着替えたら──」

「面倒だ。黙つてやれ」

「はいぃ」


 反論をすべて切られ、あわあわとタイプライターを高速打ちしている白玉に、仲間たちは同情の目を向けるのであった。


 というわけで。

 うなじで短く揃っていた髪型から、腰まで流れる長さに伸びたのだ。


 前髪は後ろで結っており、今まで隠れていた額が出ている。上のほうを一部まとめた後頭部に濃紺の組み紐が飾られていた。光の加減で紫色を帯びる黒髪。着物は白地。

 地下の棺に横たわっていた伊志川化鳥の屍、そのままの姿だ。


 外見については、どう変わろうと虎丸は構わないのだが──。

 タカオ邸を発つ際、藍に言われたことが気になる。


「虎坊、いいか。絶対にあいつを信用するなよ。八雲になってからも特段性格が良くなったわけじゃないが、化鳥は根底の邪悪さが違う。捻くれかたは悪魔だぞ」


 吐いたため息には、長年の苦労が滲んでいた。



 ***


 

 悪魔と呼ばれた本人は、安らかに居眠り中である。

 寝ていればなんということはない──わけでもなく。瞼を閉じていても、八雲にはなかった威圧と凄味を感じる。


 藍は「神格化するな」と言っていたが、やはり虎丸にとっては崇拝に近い感情を抱く作家だ。

 なのに、口を開けば反抗期の子供みたいで、どうにもギャップが大きい。

 

 やがて汽車が北陸に入った頃、伊志川化鳥は目を覚ました。


「あ、起きた。蜜柑(みかん)食べます?」

「──貴様。編輯者(へんしうしや)だかなんだか知らないが、俺に媚びるな。貴様のやうな媚びへつらつた(をとこ)を見ると腹が立つ」

「え~、食べたいって言うたから買ったのに。ほい」


 小ぶりで宝石のように艶のある蜜柑を手の中に落とす。結局食べたかったらしく、憮然としながらも皮を剥き始めた。


「叔父貴みたいな奴だな。世話燒(せわや)きめ」

「さっきも思ったんですけど、叔父貴って誰のこと?」

「あの生臭坊主以外に誰がゐる」

「へ、親戚やったん!? え~初めて聞いたわ……。叔父と甥ってことは、藍ちゃんは化鳥サンの親父さんかお袋さんときょうだいで──」


 突如、視界が橙色に染まる。

 目に入った果汁が強烈に滲みた。


「母親の話はするな」

「蜜柑の汁飛ばすなぁあ! なんやねん、子供? 子供か!?」

「西の早生温州(わせうんしう)蜜柑だ。()く熟れて食べ頃よな」


 一応敬語を混じえていたものの、どうでもよくなってきてしまった。八雲には年上の落ち着きがあったが、化鳥は全然違う。

 実質、同い年なのだ。天才作家だろうがなんだろうが対等に話してやる、虎丸はそう決心した。


 ハンケチで顔を拭き、気を取り直して会話を戻す。


「ふうん、甥かぁ、そうやったんや。顔立ちはあんまり似てへんのやなー。藍ちゃんはどっちかゆうたら彫りが深いけど、化鳥はあっさり系やし」

「あの(をんな)と叔父貴は姉弟でも腹違ひだからな。俺から見れば幾分血は薄い」

「あ、自分でするなって言うたけど話すんや。まあええわ。お袋さんとは似とるん? 美人そうやな」

「何を云ってゐる? 貴様も毎日顔を突き合はせてゐるぢゃないか。厚化粧が過ぎて素顔は判別出來(でき)ないだらうが」

「え……毎日……?」


 タカオ邸の住人で、この青年作家の母となり得る人物といえば──。

 消去法で、ひとりしかいない。


「え、え、え、まさか阿比(あび)さん!? うわ、いまだに若い愛人(ツバメ)やって信じて疑ってへんかったわ! 八雲さんと親子!? え、ほんまに??」

(やかま)しい。騒ぐな。知らないのは貴様だけだ。化鳥と呼べ」

「だって阿比さん、化鳥のお袋さんにしては若いやん。独身やて聞いたしー」

庶子(しょし)だ。めづらしくもない。世間とは多少異なるが」


 化鳥は何でもなさそうに言った。


 庶子とは要するに妾の子であったり、外で作られたり、本妻以外の産んだ子のことだ。法的には父親に認知された婚外子と分類されている。たしかに、跡継ぎ問題の多い資産家や華族ではありがちな話である。幼馴染の拓海も生まれは庶子だ。

 九社花(くしゃげ)家の場合は当主が女性でしかも未婚なので、世間と少し事情は違うが庶子には違いないという意味なのだろう。


「いや待てよ。ちゅうことは、あの九社花財閥のお坊ちゃんなんかい……この人……」


 と、ここで気づく。


「生まれながらの超金持ち……美男子……天才作家……。勝ち組すぎる……! それでこのわがままさ……。いや、むしろ恵まれとるせいでこれなんやろか。なんか腹立ってきた!」

「ハッ、俗物發言(はつげん)だな」

「俗物でええからいっこほしいわ! 贅沢者!」


 なんやかんやと会話を交わしながら、汽車は進む。

 経由地点で乗り換えたとき、さして感慨深そうでもなく化鳥が言った。


「北陸本線か。俺が生きてゐた頃は無かつた」

「全部開通したんが二年前やからなぁ。こっから上りの汽車で金沢駅まで直行やで」


 目的地は、そう──金沢である。

 九社花家が呉服屋から豪商まで成りあがった土地で、本家があるという阿比の故郷だ。

 ということは、八雲・化鳥にとっても生まれ故郷になるのだろう。


 そういえば伊志川化鳥は金沢出身と当時の文芸雑誌にも書かれていたような、と思い出す。



「つまり、里帰りかー。意外とまともな理由やなぁ」



 午後を少し過ぎた時刻、目的の土地に到着した。

 虎丸は初めて訪れた金沢の街を眺め、そのモダンさに驚いた。


 地方とはいえ、明治の頃は日本五大都市に数えられていた街だ。百貨店にカフヱ、映画館(じょうせつかん)と新しい建物が立ち並んでいる。国内でも精鋭と名高い陸軍師団があるため軍人が多く、美術、工芸、文学も盛んだ。

 華やかな軍事と芸術の都市なのである。


「アンナー、狭かったやろ。もう出てきてええで」

「何だ、()の狸は。()く肥えてゐる。非常食か?」

「ヴゥ!!」


 革の鞄からタヌキのアンナ・カレヱニナを出すと、化鳥は食物を見る目で値踏みした。

 当然、アンナは威嚇する。


「食べへんわ! ずっと八雲さん……化鳥のこと気にしてんねん。飼い主から離すん可哀想やし、こそっと入れて連れてきた」

「ぢゃあ興味は無い。狸なんぞ護謨(ごむ)のやうに硬くて不味(まづ)いと()ふしな」


 ぷいっと羽織を翻し、先を歩いて行ってしまった。

 本当に何もかも八雲と正反対で、やたらと食いしんぼうである。


 アンナを肩に乗せ、虎丸は後を追う。



──最初はどうなるかと思ったけど、ここまでちゃんと会話成立しとるやん! 何の問題もなく里帰りを終えて東京に帰れるんちゃう?

 あんなに問題児で有名やった作家を半日で懐柔できるとか、オレの編集者としての才能やばない?



 気難しさゆえ、何人もの編集者を担当から下ろさせた伝説のある作家だ。

 わりとうまくやっているように思えて、ついつい調子に乗る。


 しかし、数時間後。



「そんなわけなかった……」



 と、つぶやくことになるのであった。

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