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狂人ダイアリー ~大正浪漫幻想活劇~  作者: アザミユメコ@書籍発売中
第十幕【感情仕掛けの生き人形】
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八 宿命の旅は突然に

 消毒薬の刺激臭が充満する廊下で、少年が(さけ)ぶ。



──……


 お願いします。なんでもします。



──……


 あなたのためになんでもしますから、お願いです。家族を生き返らせるための援助をしてください。両親と姉に、もう一度会いたいんです。ぼくにはなにもないけれど、もう一度家族に会えるなら、ぼくの人生の残りすべてをあなたに差し出してもかまわない。



 コツ、と細く尖った西洋靴のかかとが鳴った。

 その女は床に額をつけて伏せている少年の頭を上げさせ、自らも膝を折って顔を至近距離まで近づけた。


 人工的な花の芳香が手の動きとともに舞う。


 本気にしているのか、疑惑を抱いているのかさえわからない。涙で濡れた少年の頬に片手を添えて、感情を殺した声で、女は言った。



──貴方の話に乗れば、わたくしの息子も生き返るのかしら。



 その瞳は、恐怖を感じるほどに冷たかった。

 悪魔に魂を売り、倫理を破る覚悟を決めた瞬間の冷酷さ。

 少年が彼女と運命共同体となった日。



 ……そこで、少年の目は覚める。いつも見る過去の夢。


 瞼をこすって、嗚咽の跡を拭いた。

 起きあがって室内を眺めてみると、地下の自室ではなく主人の寝室にいることに気づく。晩酌に付き合わされてそのまま眠ってしまったらしい。


 寝椅子から体を起こし、眼鏡を探す。

 ずびっと鼻をすすってから、まだベッドで寝息を立てている主人を起こさないよう、そっと部屋を出た。



 ***



 翌朝、虎丸が食堂に入ると、朝食の席はまるで通夜のようだった。


 女主人と世話役の姿はまだないが、新世界派の部員は全員揃っている。

 それぞれ姿勢を正してテーブルに座り、使用人がスープの皿を置いてまわっているのをじっと待機していた。


 誰もが無言で、異様に大人しい。

 動揺しているのと、若干引いているような空気。


 その中に──ひとりだけ挙動のおかしい人物がいる。

 間違いなく、この状況の元凶である。


「あのー、八雲さん? いつもは隅っこで存在消しとるのに。どないしたんです?」

 

 阿比(あび)のかわりに上座に着席している八雲に、虎丸はおそるおそる声をかけた。



「何だ、貴様、騒騒(さうざう)しい。俺の愛読者(フアン)か? 署名(サヰン)の要望ならば(ことは)る。さう()莫迦莫迦(ばかばか)しい風習は、三文小説家共に任せておけば()いのだ」



 八雲といえば食事する姿をなかなか目撃できない男のはずが、櫛切りの林檎を素手でつまんで次から次へと食べている。

 普段と違ったのはそれだけではない。組まれた足、はだけた着物、刃物のような眼つき、肌を突き刺さしてくる威圧感。


 まさかとは思ったが、朝になっても伊志川(いしかわ)化鳥(かちょう)のままであった。



──か、からみづらぁ……。



 他の皆も虎丸と同じ気持ちを共有しているようで、うつむいて思考停止している。

 あまりの変化に状況を飲み込めていない。


 昨晩、虎丸は(コウ)を部屋まで送ったあとで一応離れに戻った。だが、すでに戸は閉じられ、洋燈(らんぷ)の灯りも消えていた。起こしては悪いし、藍に任せていたので大丈夫だろうと思い、八雲と会わず自分の部屋に戻ったのだ。


 まさか、こんな事態になっているとは。


「とくに紅ちゃんが借りてきた猫みたいになっとるなー。いつもよりお行儀良い……。目ぇ死んどるけど……。だ、大丈夫かいな?」


 離れた席にいる紅を盗み見ると、足を揃え、両手をきちんと膝に置いて硬直していた。

 ただならぬ様子を心配していると、近くで給仕中だったメイドのおみつが腰に手を当て言った。


「戸惑って当然だわ。好きな人がまったくの別人になってしまったのよ。でも八雲さんは八雲さんだから、受け入れなきゃって葛藤してるのよ、あれは」

「めっちゃわかりやすい説明ありがとうございます……」


 今、一番平静を保っているのはおみつかもしれない。

 それほど、十里(じゅうり)も拓海も、白玉さえも困惑していた。普段近しい分、衝撃も大きいのだ。


 八雲の膝が定位置のはずのアンナ・カレヱニナがテーブルの下で唸り声をあげている。獣の勘で飼い主の異変がわかるらしい。

 虎丸はアンナを抱きあげ、空いていた席についた。


「なぁ、白玉、これはどういうこっちゃ?」


 隣にいた白玉にこそっと話しかけると、少年はあわあわと口元に手を当てた。


「えっと、ぼくにもわかりませーん! なんでこんなことになっちゃったんです??」

「わからへんのかいー!」

「意味不明ですよー! ぜんっぜん予測してなかった事態です! キノコでも拾い食いしたんじゃないでしょうか!?」

「どっちかゆうたら、オレらがキノコで集団幻覚見とるみたいな状況やな……」


 と、そのとき。

 内緒話の途中で突然、鋭い音が室内に響き渡った。


 何かがガシャンと壊れる音だ。

 全員、はっとして上座に注目する。



「二度と()れを近づけるな。煙草の(にほ)ひは嫌いだ。(いと)はしい」



 使用人はいつも食後に煙草を嗜む八雲のために、入力された命令どおり煙草盆を用意しただけだ。

 しかし、伊志川化鳥はすごい剣幕で声を荒げ、八雲愛用のペンとインクを懐から取り出した。



 Gottes(存在)beweis(証明)



 虚空にその言葉を書かれた途端──使用人は一瞬で人形に戻り、床に崩れた。


「はわー、ぼくの人形……」


 割れた煙草盆とともに、手足のばらばらになった使用人が床に散らばっている。

 その光景を見下ろして白玉はあたふたしていた。


「えっ、何、今の言葉」

「『存在証明』……神が存在するか否かの議論に使われる哲学用語です。実在を問うことによって、それを証明できない白玉の傀儡を破壊させたんでしょう。逆説的で、とても伊志川化鳥らしい言葉の使い方だと思いますね」


 驚きの声をあげたのは十里。解説しているのは拓海だ。


「え~、そんなのずるくない? 大抵の『形容化』は架空なんだから、実在の証明なんかできないよ~」

「双方の文字の強さによりますから、この言葉だけでは簡単に消されません。ですが、自動人形くらいであれば壊せるとわかったうえで使っているのだと思います」

「元の八雲部長の百倍強いねぇ~……。ていうか、なんで文字の力が使えるの? 力の源である『幻想写本』の封印が解かれたのは伊志川化鳥が自死したのがきっかけだから、生前は存在も知らないはずなのに」

「それは俺にもわかりま──」


 今度は突然、大きな音を立てて食堂の両扉が開かれた。

 ものすごい勢いで入ってきたのは新世界派の世話役・(あい)である。


「おい、起きたら外に転がされてたぞ!? 殺す気か!!」


 黒い着物は土だらけだった。

 その状況の犯人であろう伊志川化鳥は一人で食事を始めており、スープを飲みながら平然と言う。


「面倒だから野外に(はふ)つた。()だ十二月だらう、うぢうぢ()ふな」


 昨日の夜、虎丸は確認せず本館に戻ってしまったのだ。

 なんだか申し訳なくなり、藍に尋ねた。


「えーと、あの後、何があったん?」

「どうもこうもねえ、こいつが起きたら昔に戻ってたから、とりあえず掴みかかったんだよ。生前はさんざん振り回されたからな。一発くらい殴らないと気が済まねえと思って。気がついたら庭で寝てた」


 ああ、それはつまり眠らされて転がされたんやな、と同情を禁じえない虎丸である。


操觚者(さうこしゃ)()ふやつは、力をこんな風に(つか)ふのか。なかなか面白いな」

「勘弁してくれ……。文字の力が使える化鳥なんざ、凶悪な生き物でしかないぞ」


 けらけらと笑う化鳥に対し、藍は絶望している。


「なあ、八雲さんと伊志川化鳥って同一人物なんよな? 現在と過去の違いってだけで」


 虎丸は正面にいる拓海に聞いてみたが、幼馴染もよくわからないようだ。凛々しい眉をひそめて考え込んでいた。


「おみつのように、記憶が混濁したと考えるのが一番自然だが……。完全に伊志川化鳥で、一晩経っても戻らない。言葉の選び方もまさしく化鳥だ。八雲先輩は文章中で外国語を使わないが、化鳥は独逸(どいつ)語をそのまま表記することがよくあったからな」

「しかもさ、八雲部長より力を使いこなしてるよね~。ニトログリセリン、意識失っても数時間残ってたもん。操觚者としてはかなり強いよ。なんで?」


 十里もだいぶ落ち着いてきたようだが、絶えず首をかしげている。


「まあそれは、あの天才・伊志川化鳥やし」

「神格化するな、ただのクソガキだから。実際に見てわかったろ」


 一番げんなりしているのは、なんといっても藍である。



 そして──。

 自分だけさっさと食事を終えると、伊志川化鳥はこんなことを言いだした。



「さうだ、良い事を考へた。十日ほど(いゑ)を空けるぞ。俺は旅に出る」



 善は急げとばかりに颯爽と立ち去ろうとする青年の襟を、藍が後ろから鷲掴みにする。



「いや、意味わからん。待て、クソガキ」

「何故止める? 俺が勝手に何処(いづこ)かへ()くのは何時(いつ)もの事だらう?」

「や、昔はそうだったが、お前の『いつも』から五年経ってんだよ。もうちょっと現状を確認させろ」

「貴様の事情を考慮してゐる時間が勿体(もつたひ)ない。ぢゃあな」

「待てって、化鳥。着の身着のままで行く気かよ」


 はん、と化鳥は嘲るように鼻で笑った。


()く先々で其処(そこ)いらの(をんな)に声をかけて、一宿一飯にあづかるのは得意だ。謝礼に蒲團(ふとん)で多少(よろこ)ばせてやれば何も問題な──」


 ガシャーンと食器を落とす音が響く。本日三度目の大音量である。

 化鳥の発言のせいで、顔面蒼白となった紅が水差しを落としたのだった。


 虎丸は、思わず叫んだ。



「ちょ、待ってや! いろいろ待って! みんなまだその感じについていけてへんから、一旦落ち着こ? 八雲さん!」



 が、どうやら逆鱗に触れたようだ。

 つかつかと虎丸の前まで歩いてくると、襟首をつかんできた。


()の名で呼ぶな、俺は化鳥だ」

 

 かと思えば、すぐに怒りを収めて今度は笑い出す。


「ハッ。俺が折角自死を遂げたと()ふのに、無理やり呼び戻された挙句(あげく)、死んだ事を貴様らに責め立てられ──。八雲と呼ばれる俺も(あは)れよな」

「せっかくってアンタ」


 まさに、噂どおりの激情。

 藍がなぜ八雲をあれほど問題児のように扱うのか不思議だったが、この生前を知っているならばしかたない、と納得である。


「うーん、八雲さん部分の記憶はあるのか……。それなのに、人格だけ過去に? 変なの……」


 白玉がなにやらつぶやいている横で、化鳥はまた思いつきを言いだした。


「ふむ、貴様、剣術の腕が立つさうだな。(やかまし)い叔父貴の代はりに同伴しろ。旅に出るぞ」

「へっ、オレ!? 旅ってどこに!? ちゅうか何しに!?」


 助けを求めて周囲を見渡したが、なんと全員が賛成し始めたのである。


「こういうときはやっぱり虎丸くんだよね! 任せたよ~! さすが無人島系男子!」

「虎丸、館にいられても今は混乱を招くだけだ。お前の対応力でなんとかしろ」

「すまん、虎坊。俺は疲れた……。止めてもどうせ聞かねえし、頼んだ」

「えっと、なんでこんなことになっちゃったか調べておくので、その間だけお願いします!」


 どこに何をしに行くのかもわからない謎の旅のお供を、いきなり押しつけられている。



──この人ら、丸投げする気満々や!



 不安しかないが、確かに何を言っても無駄そうな相手だ。

 藍の声には完全に疲れが滲んでいた。


「……へーい、わかりましたよっと」


 あきらめて、承諾とうなだれの混ざった動きで首を縦に振った。


「さうかさうか。貴様が新しい玩具(おもちや)か。旅は道連れだ。しつかり励めよ」


 玩具と聞こえた気がするが、この際無視だ。

 気を良くしたらしい伊志川化鳥は、まるで幼い子供のようににんまりと悪戯っぽく笑った。


 初めて会ったならまだしも。

 この感情過多は、八雲とのギャップでよけいに衝撃が大きい。


「なんやねん、これ……。伊志川化鳥、個性強い……超情緒不安定……」


 突然登場した憧れの作家は、前以上に一筋縄ではいかなそうである。


 旅は道連れ世は情け──

 連れがいたほうが頼もしいという意味のはずだが、「道連れ」という言葉が不穏にしか受け取れず、虎丸はがっくりと肩を落としたのだった。

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