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狂人ダイアリー ~大正浪漫幻想活劇~  作者: アザミユメコ@書籍発売中
第十幕【感情仕掛けの生き人形】
76/143

七 煙管の音が闇に鳴る時

 タカオ邸の女主人・九社花(くしゃげ)阿比(あび)の私室。


 人里から離れた洋館は電気が通っていない。天井に吊られているのは十八世紀の欧羅巴(えうろっぱ)製クラシックシャンデリアで、何重にも連なった蝋燭(ろうそく)が室内を照らしている。


 淡く、薄暗い灯火の下に、三人分の影が落ちていた。


 漆黒の衣をまとった無精髭の僧侶──法名を(しゃく)藍鳥(らんてう)。タカオ活版所の所長でもあり、新世界派の部員から(あい)と呼ばれている三十代後半の男である。

 僧衣だというのに雑に着崩し、衿の合わせが乱れて素肌が大きく露出している。ソファに片足をあげて座っているのでよけいに行儀が悪い。

 片手に舶来のグラス、テーブルには半分以上減っている洋酒。もちろん煙草も手の届くところにあった。


 若者たちであればすぐさま直されているところだが、ファッションにうるさい女主人が藍には滅多に口を出さない。

 が、この日はめずらしくまじまじと僧侶を眺め、苦笑いで釘を刺した。


「きちんとしていれば、いい男なのに。もったいないこと」

「おっと、そんな言葉をいただけるんですか。もう若くないですし、興味を失くされたと思ってましたよ」

「そうね。三十を超えてから、服を着替えさせる対象としての興味はなくなりましたわね。大体、貴方は洋服をあまり着てくれませんもの」

「手厳しいですねぇ。窮屈な()り物は苦手なんで申し訳ない。まあ、今は綺麗めの若い連中が館に揃ってるから、楽しめるでしょう」

「ええ、とても楽しいわ。とてたまですわ」

「そりゃよかった……」


 藍は一応敬語だが、かなりくだけている。

 なにしろ財界でさえ意見できる者のほとんどいない九社花(くしゃげ)財閥の現当主だ。阿比を相手に軽口を叩けるのはこの男くらいのものである。


 そして、最後の影。

 主人の膝を枕にして眠っている少年・白玉。年齢は十七だが、寝顔にはあどけなさが残っている。

 一歳違いの茜と比べても随分子供っぽい印象なのは、容姿の問題ではなく天真爛漫な言動ゆえだった。


「この子もまた、天才のはずなのよね」


 焦げ茶色をした少年の癖毛を指先で弄びながら、阿比はどこか無感情に言った。


「人形師としても、あと単純に頭の出来でもそうでしょうね。尋常小学校もまともに通ってないのに、帝大の卒業試験問題をすらすら解いてたらしいですから。あと、十桁まで暗算できるんですよ、こいつ。自働算盤(じどうそろばん)じゃああるまいし、いつもおどおどしてるくせに変わったやつです」

「こんなところにいて、いいのかしら」

「まだ十七歳です。これからですよ。本人が前さえ見ようとすればですが」

「でも、あるはずの未来はわたくしが奪っている。この子の視界を覆っているのはわたくしだという自覚はあるのよ」


 阿比は少年のぶ厚い眼鏡をはずし、物珍しいものでも見るように蝋燭の灯に透かした。地下での読書や手作業に日夜没頭して視力を落とした少年のために、彼女が買ってやったものである。

 さほど興味なさげにテーブルの上へ置くと、かわりにあまり中身の減っていないグラスを手に取った。


「可哀想な子供を集めて悦に入っている、本郷真虎(ほんごうまさとら)と同じですわね。養育費の対価が未来なのも一緒。非現実な洋館に若者たちを閉じ込めて、世間と触れさせることもなく……。あなたは、わたくしを軽蔑するかしら。あの子……化鳥(かちょう)のときと結局何も変わっていないと」


 藍は「さあ?」ととぼけて、また追加で酒を(あお)る。


「だとしても、俺はあなたを見放したりしませんよ。何があろうと一生。九社花財閥を背負うのはちょっと遠慮したいですけど。それさえ押しつけられなきゃ、問題ありません。若造らの世話をするのは嫌いじゃないんでね」


 阿比はかすかに笑った。

 普段は濃い化粧に隠れているが、素顔の涼しげな目元は少し八雲に似ていると藍は思う。


「あなたのような放蕩(ほうとう)者に家を任せるわけないでしょう、まったく。……今日は、飲みすぎましたわ。寝室まで運んでちょうだいな」

「へいへい。白玉は?」

「白玉も」



 ***


 

 酒には強いが、洋酒は合わないのか宿酔(ふつかよ)いを抱えることが多い。

 体の芯にこもった熱を冷ますため、藍は庭に出てしばらく空を見あげていた。


 月と星の輝きが異様に思えるほど眩しい夜半。


 藍の自室は、八雲の部屋と繋がった離れの奥側だ。本館には洋室しかない。床は畳でなければ落ち着かないというふたりのために、離れ屋はあとから増築されたのである。

 もっとも、この不良僧侶は部屋に帰らない日のほうが多いのだが。


 玄関前の置き石を踏む直前、縁側あたりで誰かが揉めている声が響いているのに気づいた。



「おっ、若い男女の痴情がもつれてんじゃねえか」



 覗いてみると、池の前で口論していたのは虎丸と(コウ)であった。

 揉め事というよりは紅が一方的に怒っているだけのようだが、意外といえば意外な組み合わせである。


 仲裁半分、野次馬半分のつもりで、藍は両者の前に歩み出た。


「痴話喧嘩とは虎坊もやるねぇ。色恋沙汰に関してはへなちょこだと思ってたから、もつれるほど進展しただけ褒めてやるよ。あれか、三角関係か? こういうときゃ人生の先輩……つまり俺の出番だな」

「ややこしいから藍ちゃんはあっちいけ」


 悠々と登場した中年男に向かって、紅がにべもない言葉を投げつける。

 この口の悪い娘の扱いにも慣れている。藍は気にもせず、小柄な頭のてっぺんをぺしぺしとはたいた。


「まあまあまあ、聞け、若人たち。俺がありがたい説法をしてやろう」


 白い歯を輝かせ、満面の笑みで言ってのける。


「そんな坊さんみたいな……」

「いや、坊さんなんだが」


 本気で「そういえばそうだった」といった反応をする虎丸。まだ紅との会話を引きずっており、めずらしく気落ちしている。

 しかし──。


「髪長いせいですぐ忘れるわ。仕事しとるとこ見たことあらへんし。でも、説教くさいとこだけは坊さんっぽいよなー」


 眉を下げて、頼りなく笑った。虎丸にしては気弱な表情だが、藍が現れたおかげで張り詰めていた空気が変わって、少しほっとしたようだった。


「清少納言だって、坊主が男前のほうが話を聞く気になるって書いてただろ? 髪は長いかもしれんが、見目の点では世間の坊主より俺が正義だ。そうだな、まず紅──」


 娘をまっすぐ指差して、得意顔で言い切った。


「八雲はなぁ、小説を書く以外、ほんっとに何もできねえぞ。もっと生命力のありそうな男にしとけ」

「なんだそれ!! そんだけかよ!!」


 僧侶らしい小難しげな教訓ではなく、実にシンプルである。


「だが、真理だぞ。生命力は大事だ。男には体力と精神力がないといかん。あんなすぐに野垂れ死にしそうな奴は全然ダメだ」

「ふーん、じゃあ、藍ちゃんは誰ならいいと思うんだよ?」

「そうだなぁ、お父さん的には」

「お父さんじゃねーし」

「十里は結構遊び人だろ。拓海は堅物だが架空しか愛せない性癖が危ねえ。白玉は常人に理解不能だしなぁ。そもそも、小説家なんかに(ロク)な男はいねえよ」

「本人らいないからって、好き放題言ってんな……」


 ふと、藍は指を立て何か思いついたような仕草をした。

 紅の肩に手を置き、なぜか申し訳なさそうに首を振る。


「あっ、俺か? 憧れるのはわかるが俺はダメだぞ。小娘は趣味じゃないからな。お前は実の娘みてえなもんだし。どうしてもってんなら色っぽいのかしっとりしたのになって五年以上経ってから出直してこい」

「なんもいってね~、しらね~」


 はああ、と紅は頭を抱えた。


「というわけで判定の結果、俺のおすすめは虎坊だ。天変地異が起きてもすぐ馴染んで熊とか狩りそうなところがいいよな」

「褒めてんのかそれ」


 薦められたことに気をよくした虎丸が、みるみる笑顔に変わる。


「紅ちゃん、お父さん公認!!」

「お父さんじゃねーから」

「ボク頑張って熊狩ります! お義父さん!」

「お父さんじゃねーっつってんのに」


 くくく、と藍は可笑しそうに口の中で笑った。


「いやぁ、虎坊は新鮮でいいなー。作家連中は理屈っぽいやつばっかりだからな。定職にもついてるしイチオシだぞ。どうだ?」

「天変地異が起きたときに考えてやるよ……。ああ、すげーバカバカしくなってきた。もー寝る!」


 紅はくるっと背を向けて、本館のほうへ帰っていく。

 藍の登場で空気はなごんだが、八雲が倒れたことを知っていて様子を確認しようとしないのは紅らしくない。自爆事件はよほどショックだったようだ。

 虎丸があわてて後を追った。


「ちょ、まって、なんか心配やから部屋の前まで送る! 藍ちゃん、ちょっと八雲さんお願い! ジュリィさんが布団取りに行ったし、すぐ来るから!」

「なんだなんだ、慌ただしいな」


 あっという間にばたばたと去っていったふたりを見送って、藍は縁側から直接和室に上がった。


「はー、若人たちは不器用で見てらんないねぇ」


 独り言を漏らしながら、煙草盆を勝手に押入れから出して使い始める。

 結構うるさくしていたというのに、八雲に起きる気配はなかった。


 いつも座ったままなので、畳で寝ているのも、眠りが深いのも八雲にしては非常にめずらしいことだ。


「お前の()()()も、めずらしく酒飲んで寝ちまったぞ。今日は虎坊の話ばっかりしてたなぁ。魚のつかみ捕りがどうとか。えらく気に入ったみたいで、楽しそうだったよ。久しぶりに見たな、ああいう面は」


 横に腰を下ろして、煙草をのみながら藍はぽつりぽつりと話す。

 八雲は眠っているが、昔からこうして話を聞かせていたのが習慣というような、ごく自然な語り口だった。



 背後にそびえる山が醸し出す、つんざくほどの静寂の中。


 煙管(キセル)の雁首を叩く甲高い音が、室内に響いたとき──。

 いつの間にか、青年作家の瞳が開いていた。



「起きたか、日本一人騒がせな坊主(ガキ)め。何をしたか知らねえけど、騒ぎはだいたいいつもお前のせいだよなぁ」



 上半身を起こして畳に後ろ手をついた八雲は、どことなくぼうっとしている。

 しばらく沈黙していたかと思うと、急に藍のほうを向いて、唇の端だけでふっと笑った。


 やがて口を開いたが、八雲に似つかわしくない大げさな身振りと表情だ。

 声までもが違って聞こえるのは、おそらく発声のしかたの問題だろう。



『──嗚呼(あゝ)、厭だ厭だ。寒気がするぞ。()い年をした女寡(をんなやもめ)の人形遊びなんざ、悪趣味にしても度が過ぎてゐる。()のやうな(たはむ)れに付き合つて、貴様は相も変はらず人が良いんだな。──なあ、叔父貴?』


 

 五年前に失われたはずの、耳馴染みのある口調。

 思わず、藍の手から煙管が落ちる。



「……お前、化鳥か?」



 目を見開いて、驚きを隠せない掠れた声で、聞き返した。

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