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三 男の妄執は呪縛となって

 咲き乱れる桜の枝のようにいくつもの櫛と(かんざし)を挿した髪形は、江戸末期に流行した横兵庫(まげ)。朱に金糸、藍に銀糸の交錯した華美な打掛(うちかけ)と帯、足は高下駄。


 『形容化』した文字が形づくったのは、人々の思い描く最高位の遊女・花魁そのものであった。

 相次ぐ火災や時代の流れで衰退してしまったが、色街の天下として江戸の街に華々しく君臨していた吉原遊廓の象徴のような存在である。


「おお、なんちゅう美しさや……って、いつの間にか周りにも若い娘がたくさんおる!?」


 振袖姿の若い娘たち、それから少女と呼ぶにも幼すぎる箱提灯を持った稚児たち。花魁を取り囲むように現れた彼女たちは虎丸の周囲を歩き回っているが、その体はぼんやりと透けて木々を貫通している。


「後ろからついてきているのが下級遊女の新造(しんぞ)、先導しているのが禿(かむろ)と呼ばれる見習いの少女たちです。提灯を持っているので、花魁道中なのでしょうね」

「花魁道中……。遊廓を歩くパレェドみたいなやつやな。なんでいきなり始まったんです?」

「彼女らはただの情景描写ですよ。花魁のついでに出てきただけで、触れることも触れられることもありませんから気にしないでください」

「情景描写!?」


 八雲は当然のような口調で言うが、虎丸は驚くばかりである。


 昨晩初めて体験した怪奇現象は、目の前にいる幻想作家・八来町八雲(やらいちょうやくも)の『狂人ダイアリイ』から出てきたものだった。では、この花魁や娘たちも誰かの書いた小説から現れたのではないか──と虎丸はわけもわからないなりに予想してみる。


「ただし、『形容化』されれば架空とはいえ実体を持ちますから、背景でしかない少女たちと違って花魁は襲ってくる可能性があります。注意してください」

「うえっ」


 触れられないと聞いて安心していたのも束の間、虎丸は一歩後ずさって身構えた。だが、花魁に動く気配はなく、同じ姿勢でうつむいて絶えず何かを囁いていた。



 恋しい、愛しい、苦しい



 繰り返される言葉を聞いて、虎丸はふーむと考える。


「うーん、この感情はもしかして……。そのぅ……こ、恋心?」

「なんでちょっと顔赤くしてんだよ。気持ち悪ぃな」


 女学生のように頬を染める虎丸を見て、すぐ隣で薙刀を構えていた(コウ)は眉間に皺を寄せた。



 恋しい、愛しい、苦しい、恋しい、愛しい、苦しい



 花魁から押し寄せる感情の波は、『憎悪』とはまったくの別物だった。

 募りに募って、どうしようもないほど誰かを想う気持ちだ。


「でも、この女の人、なんでこんなにつらそうなんやろなぁ……。恋って、もっとハッピィなもんとちゃう? 好きなのに苦しくなるんかなぁ」

「オマエみてーに女と縁のなさそうなヤツにゃ、わかんねーだろうよ」


 紅に鼻で笑われ、虎丸は少々むきになる。


「失礼やな! こここここ恋くらいめっちゃ知っとるわ。中学高校とずーっと男子しかおらへんかったんや、しゃあないやんけ!」

「どっちだよ。いや、どっちにしてもオマエの色恋沙汰には興味ねーし、いいから暴れだす前に倒すぞ」

「た、倒すって言われてもぉ」

「八雲部長、トドメに備えて温存したいから、コイツの武器と付与頼んでいい?」


 虎丸が助けを乞うように八雲のほうを見ると、青年作家はすでにそのつもりだったようだ。準備万端でペンを構え、インクの滲んだペン先で弧を描きながら悩んでいる。落書きのマルとペケがふよふよと空中を漂っていた。


「昨夜の刀は、出来があまりよくなかったですね。さて、どうしましょう。今度は名匠の威を借りるとしますか」


 そう言って虚空に書いたのは、



 妖刀村正 



 の字。


 ぼんやり光る文字は『形容化』され、滑らかな刃を描く刀が発現した。

 浮かんだ刀を握りしめると、またしても本物の柄を持ったときの感触と重みが手に伝わってきた。


「前回よりはいい形になりました。どんな按配(あんばい)でしょうか」

「うーん、なんちゅうか、『妖刀村正』っていたずら書きされた安物の刀みたいな……?」

「斬れればいいのです」

「うわ。諦めたで、このひと」


 虎丸は伊達に長年剣術を習ってきたわけではない。

 名の知れた銘の刻まれた刀か、ただのがらくたか、というくらいならば触ればわかる。


「だいたい、村正は自分で妖刀なんて言ってませんて。呪われた刀っちゅうのは、徳川家康が禁じたって噂が広まってできた伝説の類ですやん」

「武具の知識にはどうにも疎くて。刀剣を形容化するのは不得手なのです。私はこの手で一度も持ったことがありませんから」

「……八雲せんせ、ペンより重いもんは持てへんて感じやもんなぁ」

「紅の得意分野ですから次からは任せましょう。あと、目を閉じてください」



 見集(みあつむ) 見隠(みかくす)



「……どおいう意味??」


 閉じた瞼の付近に片方ずつ文字が書かれた。うっすら視界に入っている言葉はどちらも聞き慣れなれず、虎丸は首をかしげる。


「昨夜はあなたが進んで闘ってくれるか不明でしたので、断られても強制的に立ち向かうような命令の語を書いたのですが」

「えっ」

「今回は補助の言葉です。役に立つかもしれません」


 とんでもないことを白状された気がするが、さておき。


 いざ、と偽銘(ぎめい)の妖刀村正を中段に構え、紅と並んで立った。

 美しき花魁は先ほどと変わらない姿勢で、うわ言を漏らしながら座りこんでいる。正気を保っていないのか、形容化されても文字とは会話が成立しないのか、虎丸には判断がつかない。


「なんにもしてこーへん相手をぶった斬るんは、やっぱり抵抗あるわぁ。心痛む~」

「安心しろ。今は自分の殻にこもって大人しいけど、オマエが心を痛める必要はねーぞ。どうせすぐに暴れ出すからな!」


 地面を蹴って、先に紅が跳び出した。

 小柄なだけあって身のこなしがとんでもなく軽い。真剣の薙刀であればかなりの重量があるはずだというのに、まるで竹箒(たけぼうき)でも振り回すように軽々と扱っている。


 よくよく目を凝らすと、薙刀が(まと)っているいくつもの『炎』の字の他に、手の甲に『軽量』、脚に『跳躍』など、体中に様々な文字が浮いているのが見えた。そのおかげで、重さが軽減されているらしい。

 村にたどり着くまでの人間離れした走りや、出会った日に燃やされた帽子もこの不思議な文字の力の効果だとしたら合点がいく。


「おお、そんなこともできんのや! 便利~! それよりオレ、こんなに細かくて動いとる字やのに、ひとつひとつがめっちゃはっきり見えんねんけど……もしかしてすごい?」

「そりゃオマエがすごいんじゃなくて、八雲ぶちょーが瞼に書いた『見集(みあつむ)』のおかげ! いろんな物事を広く見るって意味の言葉な」

「あ、やっぱり。そんな気ぃしとりました~っと」


 妙に鮮明な視界をパチパチと瞬きして、便利な力だが本来の素質を超えて体を強化するのはなかなか疲労が溜まりそうだ、と虎丸は目をこする。


「慣れてないと文字の付与はつらいだろ。さっさと仕留めるぞ。おれより先にアレの首落としたら、八王子名物の黄身餡饅頭(きみあんまんじゅう)おごってやるよ」

「いややわ、紅ちゃん怖い。首と引き換えにおまんじゅうって感覚、理解できへんわぁ……」


 炎に包まれた紅の薙刀が、今度は花魁の細く白い首を()ねようと真横に走った。

 落としきれず途中で止まってしまった刃が艶めかしい首に食いこむ。血が噴きだす場面を想像して虎丸は思わず目を背けそうになるが、裂けた傷口から出てきたのは鮮血ではなく黒い文字だった。

 こぼれた文字は集まって、動きはじめる。



「危ない!」



 大量の小さな文字が薙刀に巻きつきながら紅のほうへ向かっていくのを見て、虎丸は村正で一気になぎ払った。広範囲に散らばった字は、半分落ちかけた花魁の首の断面に戻ろうとしてぞわぞわと空中を舞っている。

 どこからどう見ても虎丸の嫌いな怪談話そのものである。


「うげげげげ、きっつぅ! めちゃんここっわぁ!」


 なるべく直視しないよう視線を外していたのだが、八雲に施された『見集(みあつむ)』の効果で小さなものや動くものに対する視力が異常に冴えている。

 そのうえ、虎丸の声を聞いた花魁はぴくりと何かに反応し、飛ぶように真正面に移動してきたのだ。


 いきなり至近距離に首の取れかけた女の顔が現れ、虎丸は叫び声をあげた。


「ひええええええええ!!」


 相手が近すぎるため刀を構え直すこともできず、慌てふためいて情けない声を出すばかりである。

 しかし、花魁は攻撃してくる気配もなく、じっと虎丸の顔を見つめていた。



 善右衛門(ぜんえもん)さん……?



 女は、たしかにそう言った。

 ごく最近その名を耳にしたような、はて、どこだったか……と、記憶をめぐらせているうちに虎丸ははっと思い当たる。


 同人雑誌『新世界』に載っている、千代田紅が書いた恋愛小説だ。

 『あかねさす』のヒロインである遊女・朝雲(あさぐも)の慕う男の名が善右衛門だった。彼女の父の元臣下であり、彼が裏切ったせいで朝雲は遊廓へ売られる運命となった。だが、互いに正体を知らず再会して惹かれ合うのだ。



 善右衛門さん、なぜ、あなたは

 わたしを置いて

 死んでしまったの



 朝雲は目の前にいる虎丸のことを善右衛門と思っているらしく、名を呼びながら首に手を伸ばしてきた。生身の女ではありえない、ものすごい力で絞めあげられそうになり、虎丸はもがいた。


「ちょ、ちゃう、人違いやて。ていうか、善右衛門死ぬんかいな! オレまだ途中までしか読んでへんねん、朝雲は花魁に出世すらしてへんのに! ネタバレはやめてえ!!」


 白く華奢な手に、完全に捕らわれる。



──こらあかん、死んだわ。

 来世では金持ちになれますように……。



 走馬灯のようなものが通り過ぎて、あっさりと諦めかけたそのとき。


 真っ白になっていた視界を、たぎる炎が駆けた。



「善右衛門死なねーし! 誰だぁ? 勝手に他人(ひと)の作品いじくり回しやがって」



 紅の刃が、花魁の両腕を落とす。


 斬られた衝撃で、花魁の髪に挿さっていた高価そうな(かんざし)がぽろぽろと地面に落ちては消える。露出した肉と骨があるべき手首の断面には、やはり文字が詰まっていた。


 解放された虎丸は勢いよく放りだされ、尻もちをついた。


「いたた。ありがとぉ、紅ちゃん。なぁ、朝雲は『あかねさす』のヒロインやろ? 紅ちゃんの小説から出てきたんとちゃうのん?」

「ちげー、いろんな箇所が微妙に違ってる。展開やら、朝雲の描写やら。要はパクリだよ。自然発生した野生の文字かと思ってたけど、誰かがわざわざ似せて作ったみてーだな。そこに隠れてるヤツ、とっとと出てきやがれ!」


 紅に咎められて木の陰から現れたのは、いかにも好青年然とした佇まいの男。

 彼女が通っている、薙刀道場の師範代だ。


「いるのはさっきから気配で気づいてたけど……。ほんとに、七高(しちたか)師範代が朝雲を形容化した犯人なのか?」


 真実を確認した紅は、あからさまに顔をしかめる。あまり信じたくはない事実のようだ。


「ほれきたあああ! それきたぁ! あいつは悪者やて言うたやろぉ!!」

「うるせー! 嬉しそうにすんな!」


 男前は全員悪いやつに違いない──が、信条の虎丸は予想どおりの展開についはしゃいでしまう。


「紅、どうだい。()()()朝雲は。とても美しいだろう?」


 虎丸のことなど意に介していない男は、先ほど顔を合わせたときのように爽やかな笑顔で言った。手には紅のものより大振りの薙刀を携え、涼しげな表情にも関わらず全身が殺意で満ちている。


 剥きだしの殺気を浴びて、赤髪娘は私情を振り払うためにふうっとため息を吐いた。


莫迦(ばか)いってんじゃねーよ。何が目的か知らねーけどな、『あかねさす』はおれの小説だ。()()()朝雲が本物なんだよ。公式作家自らダメ出ししてやるぜぇ!」


 表情には早くも元の勇ましさが戻っている。

 紅と師範代の男は、互いに薙刀を構えて正面から対峙した。

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