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狂人ダイアリー ~大正浪漫幻想活劇~  作者: アザミユメコ@書籍発売中
第九幕【絡繰り人形のはつ恋】
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十四 世界を推し量るための秤

──餡蜜(あんみつ)は妹ではなく、五年前に鉄道事故で死んだ姉なんです。


 ぶ厚い眼鏡の奥に隠れた少年の瞳は、(わら)っていた。

 楽しいわけではない。悲しいわけではない。どんな表情をしていいかわからない。だから、しかたなくそこに張りつけている歓喜(よろこび)の顔。


「妹でも姉でも、人形でもなんでも、おみつちゃんはおみつちゃんやろ?」


 気休めにもならない発言だとわかっていたが、言わずにいられなかった。虎丸自身もそう思いたかったのだ。

 しかし、間髪入れず白玉は否定した。


「いいえ、彼女は本来の姿とまるっきりの別人です。前に言ったでしょう、人は自分にさえ嘘をつくと。八雲さんと餡蜜……今のふたりの姿は虚構であり、偽物です。綺麗な言い方をするなら、形容化されたときに『理想の自分』が投影されたというところでしょうか」


 思わず、木の棺に目線がいく。

 虎丸の思考によぎったことが伝わったようで、白玉は説明を付け足した。


「八雲さんの場合、容姿は変わっていません。かわりに自身を苦しめていた感情の大部分が抜け落ちました。あの人は激情をずっと持て余していて……消したかったんでしょうね。己の、あらゆる心の在り様を」


 カチリと小さく音が鳴ったのは、(あい)が咥えていた煙管(キセル)の吸い口を噛んだからだ。火がついていないので拓海はもう注意しなかった。

 虎丸以外の者はすでに知っている話なのだろうが、全員黙って少年の言葉の続きを待っている。


「餡蜜は……美への執着というほどではないですが、憧れていたんでしょう。女学校の華やかなクラスメヱトと同じ、流行りのリボンや喋り方。まっすぐの髪にいつもなりたがってた。ぼくのことも、男なのに瞳が大きくて羨ましいなんてよく言ってましたよ」


 話しながら、床に流れて広がる人形の黒髪にそっと触れる。


「虎丸さんの知る姿からは想像できないでしょう? 姉は引っ込み思案でおとなしい女の子だったんです。眼鏡をかけて、癖っ毛の髪をいつもおさげに結ってごまかして、教室の隅で本を読んでいるような、地味な女の子」


 敷布の上に横たわる等身大の人形は、あまりに精巧で身震いするほどだった。

 頬に青紫の血管さえ透けているのが見えて、刃物で切れば本物の血が流れてきそうだ。可愛らしい顔立ちと、豊かな黒髪。それなのに、右腕には亀裂が入り、表面の顔料は泥で黒ずんで生気が感じられない。


 今はただの『物』にしか見えない。

 朝はあれほど瑞々しく映った若い娘らしい花柄の着物も、急に色あせてしまったようだった。


「家族が死んで、もうぼく以外に……あの頃の姉さまを憶えている人は、いなくなっちゃいました」


 茜は白玉の隣に座って、じっと人形を見下ろしている。拓海は腕を組んだまま、少年たちの背中を見守っていた。

 藍が口を開きかけたが、先に動いたのは虎丸だった。冷たい石の床に座っている白玉にかけ寄り、真正面に腰を落とした。


「……わ」


「わ?」


 虎丸の発した言葉を繰り返し、少年が小首を傾ける。眼鏡の片側がずれ落ちた。


「笑わんでも、ええんやで」


 両手を伸ばし、少年の焦げ茶色をした癖っ毛をわしゃわしゃと乱す。行動に反して虎丸の表情は真剣だ。

 

「あはは、くすぐったい!」


 ますます楽しそうに、眼鏡の少年は笑った。 


「えと、これから餡蜜の腕を修理するので! そろそろ夕食の時間ですし、みなさんは上に戻っていてください。ぼくもすぐ行きますから」


 その笑顔を見た虎丸は、自身の猫っ毛も掻き回したい気分になった。

 自分がいつでも心から笑ったり泣いたりと自由に振る舞えるのは、ほとんど偶然だ。母子家庭だが家族と死に別れたこともなければ、大切な人を失った経験もない。

 たまたまそうだっただけなのに、年下の少年がどれほど笑いを張りつけて耐えてきたのだろうと思うとやりきれない。


 だから、今まで立ち入れなかったことに踏み込みたくなったのだ。


「……とりあえず、上戻ろか」


 白玉と茜を残し、安置部屋をあとにする。

 車庫へと繋がる階段の途中、虎丸は突如立ち止まった。

 振り返って、後ろにいた藍に問いかける。拓海はすぐ上の段で黙って成り行きを見ていた。


「なあ、藍ちゃん」

「んー?」

「白玉は、なんで笑うんやろ?」

「どうかな。同じじゃねえかな、八雲……化鳥(かちょう)がいなくなった理由と」

「じゃあ、伊志川化鳥(いしかわかちょう)は、なんで死んだん?」


 新世界派に属する作家たちの目的は、八雲を蘇らせること。

 つまり、彼らのすべては伊志川化鳥の入水自殺から始まっている。

 虎丸はずっとこの話題を避けていた。すでに過去のことだというのに、八雲が死を選んだ結果にひとりで勝手に憤り、東京に戻ってきてからも目を逸らしていた。


 だが、知ろうと思った。

 八雲のこと、白玉のこと、おみつのこと、新世界派のこと、すべてだ。


「又聞きは良くないぞー」

「せやねん、そう思う。聞き方変えるわ。なんで死んだんやと思う?」


 藍は数秒黙った。

 適切な言葉を探しているようだったが、迷いそのものは感じられない。彼の中ではもう幾度も考えて、問答してきた。そんな空気が漂っていた。


 少しの間を置いて、静かに口を開く。


「……感情っつーのは世界を推し量るための(はかり)なんだ。つまりは、あらゆる物事が自分にとってどのくらいの重さかを量るための機能だ」

「自分にとって何がどんだけ大切なんか、指標になるって意味?」

「そうだ。良い感情、悪い感情含めてな。だから、壊れれば何もかもを見失う。人として生きて喋っていたとしてもだ。欠如するやつもいれば、過剰になるやつもいる。どれかが極端になるやつも。直接的な原因よりも、機能が壊れたせいであいつは死んだ」


 一段下にいる藍と、同じ高さで視線がぶつかる。

 伸びた頭髪に鍛えられた肉体。およそ僧侶に似つかわしくない外見だが、虎丸をまっすぐに見据えたその瞳だけは、不純物のない、優しい光を湛えている。


「感情は……なんで、なんで壊れるんやろ」

「まあ、(ろく)な子供時代は送ってねえからな。簡単に言うと、閉じ込められて育ったんだよ。引っ張りだしたときにはもうだいぶ壊れてた」



 閉じ込められて──。

 どこかで、聞いた話のような。


 思いあたって、虎丸は眉間に皺をよせる。



──高尾姫(たかおのひめ)……。それから、銀雪もや。



 普段は淡々としている八雲がなぜあれほど使い魔たちを溺愛するのか、理由が垣間見えた気がした。


「……ずっと引っかかってたんや。死を選んだ結果だけ見て、勝手に怒って、結局気になって戻ってきて。でも、このままでええんかなってやっぱり迷いがあった。八雲さんにちゃんと聞かなあかんことがあんねん」

「そーそー、又聞きじゃなくて本人に聞いてこい。まっ、昔の危うさを知ってる分、今のあいつはそれほど心配してねえんだけど。俺が今一番気がかりなのは白玉だよ。おみつにも念押しされたしな」


 ぽん、と虎丸の肩を叩いて、藍は先に階段をあがった。



『お願い、誰か、わたしの弟のこと、気にかけてあげて』



 あのとき聞いた人形の少女の叫びが、耳にこだまする。

 白玉が笑うのも、感情の天秤が壊れかけて傾いているからなのだろうか。



 ***



 夕食の前に、虎丸は藍たちと別れて暖炉のある部屋に向かった。

 揺り椅子で(コウ)がぐっすり眠っている。さっき連れてきたときと姿勢は変わっていない。


「うん、顔色は大丈夫っぽいな」


 健康的な色つやに染まった頬を指でつつくと、弾力がぴんと跳ね返ってきた。

 人形がどれほど精巧でも、本物の人間は随分存在感が違うものだ。

 この重みを、生命力というのだろうか。


「……お肌すべすべ」


 触れれば壊れそうな『物』ではない、脈を打つ生命。

 それをもっと感じていたくなって、椅子のすぐ横に腰を下ろし、娘の顔をまじまじと見つめた。



──なんで女子の肌は薄く桃色がかっとるんやろ。


 それこそ果実みたいにすべすべで。


 長い睫毛はつるっと雨を弾く花弁かな。


 唇ちいさいな。


 血が通ってて、真っ赤や。


 ここから息が漏れるんやな、桃色の……。


 桃色吐息……。


 ……。



「──や、あの、ちょっと! 勝手にオレの心の声を想像して空中にポエム浮かべんのやめてもらえます!? 桃色吐息ってどんなセンスやねん!!」


 必死に笑いを堪えながら、扉の陰から現れたのは背丈の高い洋装の青年。

 だいたいわかってはいたが、十里(じゅうり)だ。


 作家の不思議な力で書かれた恥ずかしい文字列がふよふよと室内を漂っている。

 この中で間違いなく虎丸が言ったのは、すべすべだけである。


「だ、だってさぁ、眠ってる女の子の顔をじーっと覗き込んじゃって。ああ、すごい面白かった。このあとも本文が続くはずだったのに、残念~」

「下手な官能小説みたいな文章書かないでくださいよぉ。耽美派の称号が泣きますよ!」

「虎丸くんの素朴な語彙力に合わせたんだよ~」

「失礼か! 桃色吐息は言わへんから!」


 よほど笑いの琴線に触れたようで下を向いて震えている十里と、怒る虎丸。

 あまりの騒がしさに赤髪の娘が目を覚ましてしまった。


「うーん、なんだよ、うるせー……」

「あ。紅、起きた? 体調はどうだい?」

「全然へーき。腹へった。つか、桃色吐息ってなに?」

「虎丸くんの心の声でーす!」

「オマエ、いつもこんなこと考えてんの?」


 頭上に浮かぶ文字を眺め、まさにドン引きといった様子で紅は体を後ろに引く。


「ちゃうねん!! 誤解や!!」

「一部はほんとに言ったよね~?」

「四文字です! わざと誤解を誘導すんのやめてください! しかも、あれは体調良さそうやなとかそういう健全な意味ですから! たぶん!」


 慌てふためきながら文字を手で掻き混ぜる虎丸を見て、紅は一瞬きょとんとしたあと噴き出した。


「ふ、あはは! オマエはほんとーに、いつも莫迦(バカ)やってんな」


 ふと虎丸の脳裏に蘇る、夕方の景色。

 初めてタカオ邸にやってきた翌日、七高(しちたか)という男と出会い、彼の作り上げた架空の花魁と闘った日だ。

 帰路で互いの顔に書かれた文字を見たときの笑顔。

 紅が、まるであの日みたいに笑った。


「ん、腹へった! ハンバーグステーキ(ハンブルクステキヰ)の匂いがする!」


 ひとしきり笑ったあと、娘は肉の焼ける匂いにつられて部屋を出て行った。

 見とれてぼうっとしていた虎丸に、十里が言った。


「紅をあんなふうに笑わせられるのってさ、きみだけなんだよね。紅だけじゃなくて、他の子たちも虎丸くんがいるといい顔するよ。みんな色々あるからさ〜、心から笑うのって、案外難しいんだよ。人はね、素直に感情を見せられる相手がいるだけで、救いになることもあるから。すごく貴重なきみの長所なんじゃないかな~」


 白玉のためにできることはないか。

 地下を出てからずっと考えていたことを当てられたようで、虎丸は驚いた。


「……ジュリィさんって、超能力者みたいですね。千里眼と念写使えるし。もしかしてオレの心読めます?」

「読めるよ~。さっき書いたじゃない。桃色吐……」

「あれはちゃいますから!」

「ほらほら、僕らも早く行こう。夕食(ディネ)の時間だよ~」


 背を押され、二人で食堂へと向かう。

 ステンドグラスのはまった両扉を開いた、その瞬間。


「そろそろ、八雲部長完全復活のために集めた五つの感情が満ちる。あと足りないのは『恋慕』と『悲哀』が少しだったかな。あの人は自分を死に追いやった感情を、どうしてまた取り戻そうとするんだろうねぇ。未完の小説を完成させる、ただそのためだけに。さて、僕はどうやって邪魔しようかな」


 いつものふわふわした口調で言うものだから、思わず聞き流しそうになった。


「えっ?」


 驚いて問い返すと、すでに青年は仲間たちの待つテーブルのほうへ歩いて行ったあとだった。

第九幕【絡繰り人形のはつ恋】 了

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