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狂人ダイアリー ~大正浪漫幻想活劇~  作者: アザミユメコ@書籍発売中
第九幕【絡繰り人形のはつ恋】
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九 鳴いて血を吐くほととぎす

 恐怖(ホラー)小説の名手・名刃里(なはり)(ばく)

 若手の中では飛び抜けて大衆に人気のある作家だ。


 八雲の幻想文学も怪奇や超自然現象を扱っているが、獏は英吉利(いぎりす)のゴシックホラーを純日本風に落とし込み、恐怖・猟奇・醜悪を主題に据えた作風である。


 ただ衝撃的なだけではない、醜怪(グロテスク)への偏愛のような情熱。

 題材に相反する文体の美しさも相まって、虎丸としてはなかなか好きな作家だったのだが──


「まさか、こんなわけのわからん男やったとは……。恐怖小説の書き手って逆にまともな人ら多いって印象あったんやけどなぁ」

「だァれの著作が恐怖小説だって!? 小生が書いているのは本格・推理・小説だァ!」

「えっ、それは……えらいすんません」


 なんと、本人はホラーとして書いていなかったらしい。無自覚であの作風なのであれば、奇人でもしかたがないと虎丸は妙に納得するのだった。


 男は狼の聖獣と合体し、耳と尻尾のついた半妖の姿に変容した。人のものではない鋭い牙と爪が、月明かりを反射して光っている。肉体の一部に獣の毛が生え、書生服の隙間からところどころ覗いていた。



──たしか(あい)ちゃんは、防御が堅くて攻撃が通じへんから気ィつけろて言うてたな。

 堅いってことは、さっきの物の怪と違って当たることは当たるんや。

 どっか一箇所くらい、脆いとこあるはず……。



 (ばく)が長く尖った爪を剥き、飛びかかってきた。

 肉体は効きそうもないので、細い爪を狙って木刀を振り下ろす。だが、接触した瞬間、痺れるほどの振動が柄を握った両手に伝った。


 虎丸が想定していた獣の爪より何倍も硬く、びくともしない。

 跳ね返りによって腕が後ろ側に持っていかれると錯覚したほどだ。

 

 生身には違いないが、動きはもはや人間ではない。速さも、反射速度も、その鋭い目つきと同じで野生の獣のようだ。



──かったいし、身体能力がバケモン! しかも、殴りながら書けんの!?



 一撃目の爪がはじかれると、獏は背の特大筆を片手に持ってぶん回し、攻撃と同時に文字を書き始めた。

 薄暗闇にぼんやり光って浮かんだ文字は、



 翌檜(あすなろ) 翌檜(あすなろ) 翌檜(あすなろ)



 同じ言葉を三つである。

 

 筆で打撃を必死に避ける虎丸の足下で、地面が不気味な音を立てて盛り上がる。

 巨大な樹木が、凄まじい勢いで生えてきた。夜空に向かってまっすぐ伸びた、見事なあすなろの木である。


 一本目はなんとかかわす。続いて二本、三本目が地面を割って現れた。

 虎丸は一瞬高いところから落ちたような感覚に襲われたが、自分の状況を把握してみれば真逆であった。

 下から急速に伸びた木の枝に脚を取られ、月明かりの輝く天へと連れていかれたのだ。


 落ちれば、死ぬ。

 

 思考というよりは、本能が危機を感知した。ほとんど反射のような動きで、脚が引っかかりぶら下がっていた体を腹筋の要領で持ち上げ、枝にしがみついた。


 これほど空を近くに感じるのは初めての経験だ。強い月の光に突然晒され、思わず目を細めた。

 子供の頃、幼馴染の拓海とともに、鉱石の精錬工場で煙突の半ばまでよじ登って怒られた思い出が頭をよぎる。だが、あのときでさえもっと低かったと記憶している。

 高さは虎丸の目算で大阪の眺望閣くらい。ゆうに十六間(約三十メートル)を超えていた。

 

 さらに信じられないことに、遥か下の地面にいたはずの獏が四足歩行で木を駆けあがってきたのだ。

 

「げっ、まじかいな。落ちたら自分もやばいんちゃう!?」

「ヤバくねェ、から! 狩場にしてんだよォ! ボスの邪魔者を消すのは小生の役目だからなァ。衆議院だか貴族院だか知らねェが、帝都の偉いヤツらが何人もォ! 枝にぶら下がってなすすべもなく! 使い魔に食われていったぜェ!!」

 

 地面と違って、ここでは下手に動けない。

 切羽詰まって何か策はないかと反射的に風景を見渡すと、森は途中で途切れ、向こう側は真っ黒だった。


 まるで、絵画の中に入ったような──不自然で美しい、虚構の森。

 おそらくここは獏という男が作り上げた、彼の世界なのだ。並び立った翌檜(あすなろ)の木々はこれまで行ってきた狩りの数、ということなのだろう。


「小生の森には操觚者(そうこしゃ)以外入れねェ、クソ坊主の助けは期待すんなよォ!?」

「しゃあないな……。普通の相手なら危なくて狙わへんけど、遠慮なくやらせてもらうで!!」


 虎丸のいる枝に、獏が跳躍してかかってきた。相手の体が足場を離れた隙を狙って、眉間を木刀で思いきり突く。

 

「いだっ。テメェ、調子乗ってっと(ほふ)るぞォ!?」

「あっ、効いた。でもちょっと痛いってレヴェルかい!」


 体が宙に浮いていた相手に、距離感の掴みにくい突きを不意打ちで喰らわせたのだ。

 虎丸の突く速度と獏の移動速度が乗って、常人の頭骨であれば貫いてもおかしくない打撃だった。それなのに男はあっさり体勢を立て直し、ものともせずまた突っ込んでくる。


 避ける足場がないので木刀を構えて防御すると、黒檀でできた刀身は獣の爪であっさりと折られてしまった。


「げっ、(コウ)ちゃんに怒られる!!」


 黒檀素材といえば、木刀では最高級品だ。登山のとき八雲が杖がわりにしたせいで汚れてしまい、借りた虎丸が叱られたのだ。これは大目玉である。


「悠長なことォ云ってんじゃねェ! 上に来い、眷属ども!」


 虎丸の反応が癇に障ったのか、獏は青筋を立てて折った刀身を握りつぶした。

 音もなく、狼たちがやってくる。あちこちの木の枝に使い魔が十匹、光る眼でいっせいに虎丸を睨みつけていた。


 虎丸の武器は、文字の付与がされていない折れた木刀のみ。異常に頑丈な敵に深手は与えられず、狼には触れることすらできない。足を踏み外せば真っ逆さま。


 どう考えても、最悪の状況だった。


「せっかく東京戻ってきたのに……。まだ、八雲さんに聞かなあかんことがあんねん。こんなとこで諦めるわけにいくかい!」

「テメェなんか名前も知らねェが、敵を倒せば、ボスも、本郷先生も喜ぶ。だからァ、死ねァ!」


 防ぐのは無理だと知りつつ、他の方法を考えるほどの時間もなく、残った柄で獏の爪を受けようと構えた瞬間。


 どこからか、数え歌が聴こえてきた。



『一番はじめは一の宮、二また日光中禅寺

 三また佐倉の惣五郎、四はまた信濃の善光寺

 五つは出雲の大社、六つ村々鎮守様

 七つは成田の不動様、八つ八幡の八幡宮

 九つ高野の弘法さん、十で東京心願寺』



 男でさえ魅了されそうな、色香を含んだ低い声。

 姿が見えず暗闇でさえずるものだから、よけいに優しく柔らかく届く。


 数が進むごとに、一匹。

 (とお)で歌が終わると、十匹いた獣はすべて撃ち抜かれていた。


 使い魔が倒されていくのを目の当たりにした獏は、動きを止めた。悔しさと怒りを露わにした表情でぎりっと歯を食いしばっている。

 歌い手の影はまだどこにもないが、虎丸も獏も、その声の主を知っていた。



「……藍ちゃん!? どうやって入って来てん!?」

「よぉ、お待たせ」



 虎丸に名を呼ばれ、数本先の木の上に藍が姿を現した。

 手に持った回転式拳銃(リボルバー)の周りには、文字の力で書かれた弾丸が浮かんでいた。



「『これほど心願かけたのに、浪子の病は治らない、ごうごうごうと鳴る汽車は、武男と浪子の別れ汽車、二度と逢えない汽車の窓、鳴いて血を吐くほととぎす』ってな」



 藍が数え歌の続きを歌う。

 明治の文豪・徳冨蘆花の小説『不如帰(ほととぎす)』が世間で爆発的人気となり、ストーリーにちなんで後から付け足されるようになった詞である。


 獏の背後の木の上に、もうひとりの気配。

 甲高いが、芯の強さを感じるよく通る声がこだました。



『あああ、人間はなぜ死ぬのでしょう! 

 生きたいわ!

 千年も万年も生きたいわ!』



 同小説の有名な台詞を(そら)んじるは、夜風に長い赤髪を揺らした娘。


「こ、紅ちゃんきたー!!」

「オイ、虎丸。貸した木刀折れてんじゃん」

「はい! すんません!」

「詫びに駅前の喫茶店でミルクセヱキと羊羹かすてら(シベリア)、三回おごれよ」

「三回!? 喜んでー!」


 操觚者(そうこしゃ)である紅が駆けつけたため、藍も森に入ることができたのである。

 しかも、文字を付与できる闘者(とうしゃ)はふたりもいる。


 藍、紅、虎丸の三角形で獏を囲う。

 形勢は一気に逆転──したかのように見えた。



「……聯合(れんごう)・弐の獣神!」



 三白眼の男は、特大の筆を振り回し、叫んだ。

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