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狂人ダイアリー ~大正浪漫幻想活劇~  作者: アザミユメコ@書籍発売中
第九幕【絡繰り人形のはつ恋】
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七 かつての仲間は此処を去り

 その頃、タカオ邸では十里(じゅうり)に呼ばれた仲間たちが集まっていた。

 

「十里君、どうしたのですか。館の中で」

「あ、八雲部長。ごめんね~呼び立てちゃって。見てよ、この机」

 

 仏蘭西(ふらんす)人ハーフの青年の部屋は、他の部員たちの何倍も広い。天蓋付きのベッドがあり、アンティークのテーブルセットがあり、天井からシャンデリアが下がっている。優遇されているというわけではなく、本人の趣味によるものだ。

 

 仲間たちが揃うと、十里は新しい燃え跡の残る書き物机を見せた。


「あわわ、真っ黒ですねー」

「ボヤ? 洋燈(らんぷ)でも倒したんですか?」

 

 何故か、机の上が全面黒く焦げている。

 火事というほどではないが机上の惨状を見下ろして、白玉と拓海が声をあげた。


 紅は書道教室のアルバイトに行っており不在なので、部屋に呼ばれた新世界派の部員は八雲、拓海、白玉の三人である。

 

「違うんだよ。これ、原稿用紙が勝手に燃えて灰になったみたい」

「新作がうまくいきませんでしたか。気持ちはわかりますが、危険なのでせめて暖炉の焚きつけに留めておいたほうがよかったのでは」

「八雲部長、話聞いてた〜? 勝手に燃えたんだってば。机の上に何があったかって、こないだタカオ邸を襲いにきた百人分の原稿用紙だよ。僕と拓海で調べてたやつ」

 

 十里の話を察し、八雲が言った。

 

「十里君が聞いた敵の発言によると、『造兵(ぞうひょう)』は原稿用紙を燃やせば死ぬ、と」

「うん。『別の紙に書き写す前に燃やせば死ぬ』って言ってた。別の紙にってくだりは、原稿を奪われても操觚者(そうこしゃ)が同じ内容を書き写せば、兵は何度でも蘇って支配下に戻るという意味じゃないかな。七高(しちたか)って男がそうだったみたいに」

 

 以前の闘いで七高が消滅したときに落ちていた原稿用紙は、まだ八雲が持っている。それなのに、首を矢で刺されたはずの男は無傷の姿で吉原遊廓に現れたのだ。


「『逆形容化』の操觚者が、何らかのアクションを起こしたのは間違いなさそうです。ですが、兵を取り戻すためという感じではありませんね」

「まったくないねぇ。燃やせば死ぬってことは、燃やさない限り造兵は不死身だったんだろうし。つまり、蘇らせたのではなくて……」

 

 ふう、と浅い息を吐いて、十里が続けた。

 

「処分したんだろうね。理由は僕らへの脅し、あるいは警告かな。七高の原稿用紙、部長の部屋にあるよね? 何にせよ、そっちも灰になってると思うよ」

「敵は、思った以上に手段を選ばない相手ですね」

「あっちはね~軍も警察も掌中なわけで、やりたい放題なんだよね。最近頻発してる政治家の神隠し事件もかなり怪しいよ。フェイクも混ざってるけれど、調べてみたら消えてるのは大蔵大臣・菊小路(きくこうじ)鷹山(ようざん)の邪魔になりそうな者が多かった。敵組織『黒菊(クロギク)』について、判明してる情報はこんな感じ」

 

 十里が萬年筆(まんねんひつ)で虚空に名を書くと、字とともに写真が浮かび上がった。

 自らの記憶を写真や映像として投影できるのは、彼の固有能力だ。戦闘には向かないが、仲間への伝達や情報収集に特化した力である。

 

「思っていたより構成は小規模だね。造兵をいくらでも捨て駒にできるわけだから当然か。まず敵の黒幕(ボス)──蔵相の菊小路鷹山(きくこうじようざん)。元作家で『造兵』の能力を持つ操觚者(そうこしゃ)。話しぶりから推測すると、目的は僕たちと直接関係ない。軍事利用のため、単純にもっと大きな文字の力をほしがってる」

 

 空中に描かれたのは、誰もが新聞紙面で目にしたことのある紳士然とした老人だ。切れ者で世間の評価は高く、華族出身のため政界での権力も非常に強い、と十里が説明を補足した。


「黒い菊の入れ墨と七高が言っていたのは、この男だろうね。彼らの黒い刻印は、僕たちの白い刻印と同じものだと思う。あっちは複製だけれど、『幻想写本』を持つ者……つまりうちでは八雲部長が文字を刻むことで、僕たちは()()()()()()()。彼らには桜や蛇の文様がそれぞれ刻まれてるんだ」


 解説しながら、襟を少し開いて自身の鎖骨の下にある『悲哀』の白い文字に目をやった。

 

「そして菊小路のすぐ下に二人の幹部がいる。一人目は『文壇を統べる者』──本郷真虎(ほんごうまさとら)。この人についての説明はいらないね。僕たちを床に沈めた闇が固有能力だと思う。効果が広範囲で大人数を相手にできる力だから、今のところ一番要注意」

「本郷……」

「ん、どうかした? 拓海」

 

 作家というより武士のように厳格な佇まいの男の顔を見て、拓海は戸惑いの声を漏らした。

 

「いや、関わっていたんですね。本郷真虎」

「文芸雑誌『黒菊』の創刊者だしね。文壇でもっとも発言力を持つ人だけれど、本郷真虎主催の文学賞に八雲部長の作品が選出されたくらいだから、文学に対しては公平なんだろうね。見た目通りの堅物~」

 

 拓海がその名に反応したのはもっと別の理由だったが、今は一番関係のある本人がいない。それ以上追及せず、十里の言葉にただ頷いた。

 

「幹部のもう片方は『花柳の女帝』──胡蝶太夫(こちょうたゆう)。元吉原の遊女で、東と西の三大遊廓を牛耳るまでに成り上がった女親分。この上層部三人で遊廓の孤児から多数の文学関係者を輩出してるんだ」

「人気作家の金木憂(かなぎうれい)、彼は吉原生まれだと言っていましたが」

 

 八雲が名を挙げた(うれい)は自称・黒菊四天王の一人で、銀色の長い髪をした陰鬱な蛇使いだった。

 十里はボスと幹部二人の下に線を繋ぎ、四つの名前を書いた。

 

「そう、黒菊四天王っていうのは敵の主力で、実戦部隊の作家四人のこと──『金木憂(かなぎうれい)』『古城周(こじょうあまね)』『元新世界派の彼』『あとひとりはまだ絞れてない』。金木と古城は吉原生まれの私生児で、胡蝶太夫の孤児院で育ち、本郷真虎に弟子入りして作家になったらしい。それらの金銭的な支援者が蔵相の菊小路というわけ。利用目的はともかく、彼らにとって菊小路たちは親代わりさ。向こうは向こうで結束が固そうだ」

 

 ()の名を言いかけて十里は一瞬言葉に詰まる。虚空に浮いた組織図には『(くろまる)』と記号で書かれていた。


「……彼についてはみんな知ってるし、全員現役の売れっ子作家ばかりだから残りのひとりもそのうち判明すると思う。四天王の下にも、以前タカオ邸にやって来た(ふじ)海石榴(つばき)を含む四人の新人がいる。つまり敵の内訳は幹部三名、現役作家八名だね」


 すべらせるように万年筆を横に振ると、敵組織の名と写真が一瞬で消えた。


「少数精鋭といってもうちよりは多いね。基本的に、文字の力を使う僕ら『操觚者』は自分たちだけじゃ闘えない。力の付与に耐えられる肉体的に強い相方──つまり『闘者(とうしゃ)』が必要となる。古城周だけは柔術家だっけ。部外者の七高を使ってたくらいだから、強い闘者が少なそうのはあちらの弱味かな。造兵なんて藍ちゃんの相手にもならないし」


 黙って聞いていた拓海が、ふと思い出して言った。


「十里先輩。昔、ちょっと耳にしただけですが……本郷真虎は剣術の師範でもあったはずです」

「うわー、嫌な情報だねぇ。初めて聞いたな。武士っぽいのは見た目だけにしてほしいよ。本人も身動きの取れないあの能力は剣術と相性が悪そうに見えるけれど、油断はしないでおこう」

 

 パンッと手を叩いて、十里は説明中とはうって変わった明るい声で言った。


「とにかくだね、『操觚者』と『闘者』はペアで闘うのが基本。どちらが欠けても敵の文字の力には対抗できない。あちらが動き出した今、なるべく仲間と離れないようにしないとね!」

 

 満面の笑みでまとめた十里に向かって、八雲がすかさず口を挟む。

 

「十里君。うちの『闘者』は(あい)、紅、茜、そして虎丸君ということになりますが」

「そうだね。紅だけ両方いけるけど」

「今、タカオ邸には私たち『操觚者』しかいません。紅はアルバイト中ですし、神田へ遊びに行った面子は『闘者』のみです。完全に分離しています」

「あちゃー。このタイミングで敵が襲ってこないといいよね~☆」

「伏線、もとい言霊は怖いのですよ、十里君」


 オーバーな仕草で笑う十里、涼しい顔の八雲、何かを考え込んでいる拓海。

 状況をどこまで理解しているのか、一度も発言していない白玉は両肘をテーブルにつき、きょとんと三人の青年たちを眺めていた。



 ***



「あれ、あいつらバスに乗ってねえじゃん。愛の逃避行でもしたのか?」


 男は道端にぽつんと立り、煙をあげて八王子駅方面に戻っていくバスを眺めていた。


 タカオ邸に一番近い浅川駅から歩いてきた藍は、途中にあるこのバス停で茜とおみつを出迎えて一緒に洋館へと帰るつもりだったのだ。

 しかし、一日一往復しかないはずの乗合バスにふたりは乗っていなかった。


「中学生の不純異性交遊反対! せめてオレが男女交際を経験するまで待ってほしい。ぐええ」

「吐くか喋るかどっちかにしろ。まさか、日本麦酒(ビヤザケ)のグラス半分で潰れるとはなぁ」


 路傍でうつむいているのは虎丸。

 ビヤホールで藍に酒を飲まされ、早々に撃沈したのである。


「そういやうちの親父、下戸やったな……。あと十年もしたら渋い感じで髭を生やしてワインを飲む予定のはずが、もう家系からしてあかんやつやん。あ~、顔とかぜんっぜん似てへんのにたまに血を感じて腹立つ~。げほげほ」

 

 むせながらぶつぶつと文句を言っている虎丸を無視して、藍は腕を組み悩んでいる。

  

「んーどうすっかな。マジで不純異性交遊だったら邪魔すんのも悪ぃし」

「世話役なら、ちゃんと邪魔せな!」

「えぇ、そんなもん本人らの自由だろ……。校則があろうが法律があろうが(つがい)は勝手にできるんだよ。ところで虎坊、それ真剣か?」

 

 虎丸が一日中背負っていた長細い布袋を指差して尋ねる。

 

「んや、木刀やで。真剣は警官に見つかったらめんどいから、念のため紅ちゃんに借りてきてん」

「ちょっと出しとけ」

「んん?」

 

 何故だろうと思いながらも、半分朦朧としている虎丸は素直に藍の言葉に従った。

 高尾山に登ったときと同じ黒光りする長物を取り出すと、一緒に入っていたらしい紙が一枚はらりと落ちた。

 

「手紙……?」

 

 二つ折りの紙を開くと、中心に大きく『呪』と書かれている。

 

「こりゃ、紅の字だな」

 

 藍が背中越しに覗き込む。赤髪娘は乱暴な気質に似合わず、書道を人に教えられるほどの達筆なのだ。一字だけでも見間違いようのない紅の筆文字である。

 

「恋文!!」

「お前、字読めないの? こんな不穏な恋文ねえよ」


 力強くもどこか儚い『呪』の字は、水が染み込むようにすうっと消えてただの白紙となった。

 

「消えた!? いや待てよ。紙をあぶり出したら、(ラヴ)って文字が浮かんでくる可能性も……」

「可能性は希望だが、(すが)る男になるな」

「そんなかっこよく説教される場面やったかな? で、これなんなん?」

「さあな」

 

 煙管(キセル)で煙をくゆらせながら、藍は気だるそうに答える。

 

「え~知らんの」

「うちじゃ強襲娘が一番ストイックに文字で闘うための研究してるからなぁ。効果はわからんが、字が消えた時点で何か発動したんだろ。味方の力なんだから悪いことは起こらねえよ、多分」

「ふーん。木刀出したら手紙に気づくようにしたってことやな。紅ちゃんがこんなこっそり気ィ遣うなんて、よっぽど弟が心配なんやろか」

「あと、みつもな。娘ら二人、前はもっと……」

「仲良かったん?」

「もっと仲が悪かった」

「今より!?」

 

 そのときだ。

 懐から、藍が何かを取り出した。

 民家一軒さえ見えない山々の連なる景色に、乾いた音が響く。

 その手に握られていたのは、木製のグリップに装飾が施された赤銅色の回転式拳銃(リボルバー)である。

 

「うわ、真剣よりもっと怒られそうなもん出てきた!!」

「外したか。こっちが移動するまで様子見するかと思ったんだが。遮るものがねえ田舎道のど真ん中で襲ってくるなんざ、命知らずか馬鹿のどっちだ?」

 

 敵襲、と虎丸はようやく理解した。

 藍は木刀を出させたときから気づいていたのだ。

 

「虎坊、構えろ。殺気だだ漏れで向かってきやがる。どうやら馬鹿のほうだ。俺はあと弾二発しかねえからよろしく!」

 

 高く広がる空。山の境界線が橙色に滲みはじめていた。

 遮るもののない、開けた景色。


 だが、虎丸には敵がどこにいるのかまったくわからなかった。

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