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狂人ダイアリー ~大正浪漫幻想活劇~  作者: アザミユメコ@書籍発売中
第九幕【絡繰り人形のはつ恋】
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五 なほ長き夜の夢にぞ

 露草(つゆくさ)色の着物が動く──。

 しんみりとしていた空気が、一息に爽やかな風へと変わったようだった。


「バスが来る時間だから、そろそろ出なきゃ。(あるじ)、日曜なのにお休みをいただいてすみません」


 立ちあがったのは茜だった。

 先ほどからずっとこの場にいたので視界に入っていたはずなのだが、赤髪の少年の雰囲気が普段とは違うと虎丸はようやく気づく。


「事前に申請をもらっていたから構わないわ。仕事のことは忘れて、たまには楽しんでらっしゃいな」


 女主人・阿比(あび)が薄く微笑んだ。

 どこが違うのかと思えば、茜が学生服以外で男物を身に着けているのをはじめて見たのである。

 明るい色の着物と羽織姿が瑞々しく、十六の少年によく似合っていた。



──おお、おみつちゃん、うまいこと誘えたんやな。


 

 と、虎丸はひとりでにやける。

 あたふたと阿比にお辞儀するおみつもメイド服ではなく、花柄の娘らしい着物を着ていた。うら若き乙女定番の水色、そして横の一部を結った髪には青い染めのリボンが揺れている。


「デエトかい? 微笑ましいね。どこに行くの?」


 少し元気を取り戻した十里(じゅうり)が、いつもどおりの笑顔でふたりに尋ねた。


「神田の錦輝館(きんきかん)伊太利亜(いたりあ)活動写真(キネマ)を観ようと思って」

「ああ、いいね。近頃は陽が落ちるのが早いから、ちゃんと乗合バスの時間までに帰るんだよ」

「うん、わかった」


 茜は素直に返事をして、最後に姉へと告げた。


「じゃあ、(コウ)ちゃん。今日はおみつちゃんと出かけてくるから──」

「……えっ!? はっ!?」


 長いあいだ静かだったのは固まっていたからだ。声をかけられて我に返った紅は、完全に動揺していた。


「な、な、なななんでわざわざ男の恰好で!?」

「だって、繁華街って治安悪いじゃない。若い娘だけに見えると変な輩に絡まれるよ」

「そ、そ、そうかもしんないけどど」

「紅ちゃん、ぼくが男の服を着るのいやだ?」

「いやじゃない。オマエが着たいのを着たらいい。いやじゃないけど!」


 姉弟の会話を眺め、仲間たちは口こそ出さないがだいたい同じ気持ちである。



──おー、葛藤しとる葛藤しとる。



 茜はスイッチのように服装で言葉遣いを入れ替えているが、中身は少年だ。女の恰好をしていたからといって、彼の場合は女子になりたかったわけではないのだ。それは一度ふたりきりで話をした虎丸も知っている。

 姉と男女入れ替わって育ち、紅は何かをきっかけに娘に戻った。茜もずっと男に戻るタイミングを探しているようだった。

 紅はちゃんとわかっていて、急な弟の成長に戸惑っているだけだ。


「お紅」


 おみつが犬猿の仲である紅に向かって両手を合わせる。しおらしいというよりは、懇願の表情だ。


「……オマエ、ブスだから絡まれねーと思うけど、あまり遅くなんなよ」

「わかっててよ。貴女よりは可愛いわよ」


 茜の一歩後ろをおみつがついていくようにして、若い男女は出かけていった。


 なんとか喧嘩は起こらずに済み、使用人が場を片付け始める。

 陽差しが強くなってきたと言って女主人はいち早く館内へと戻っていった。


「紅、えらかったね~。きみたち姉弟はいつもべったりだから、どうなることかと思ったよ。心配しなくても茜の歳頃なら、仏蘭西(ふらんす)じゃ女の子三、四人とデエトくらいしてるって」

「ジュリィさん。それ、ほんまですか? ほんまやったらオレがショックで死にますよ?」


 ああだこうだと話す十里と虎丸を無視して紅は立ちあがり、仁王立ちで堂々宣言した。


「よし、尾行してくる」

「えっ!? そんな無粋な!!」

「茜はまだ中学生だぞ。保護者として監視すんだよ」

「紅ちゃんのはヤキモチってゆうねんで!? もう第四学年なんやし、帝大目指して進学するなら高校は全寮制やで。そろそろ弟離れせな。なー、白玉はどうなん?」


 おみつの兄である白玉に話を振ると、眼鏡の少年はへらっと笑って言った。


「楽しそうでいいじゃないですか。ぼくはなかなか遊びに連れてってやれないし、茜がいっしょなら安心です」

「ほらぁ、大人! 茜ちゃんもおみつちゃんも十六やで。紅ちゃんは二十なんやから、年上の余裕で見守らんと……」


 虎丸の発言はどうやらまずかったようで、ひさびさに胸元へと紅の編上げブーツが落ちてくる。


「あん? 歳がなんだって?」

「え~そんなに年齢の話あかんかった!? 気にしとるん? 二十歳もまだまだ若いで!?」


 文学談義をするかたわら、騒ぎを傍観していた八雲と拓海が口々に言う。


「踏まれて嬉しそうですね、虎丸君」

「アイツはもう戻ってこれませんね」

「……」


 白玉だけが、少しだけ寂しそうに虎丸たちのやり取りを聞いていた。


「あ、せや」


 名案を思いつき、虎丸は上に乗っている紅に向かって言った。


「ほんなら、オレも神田についてくわ。ふたりの邪魔をせえへんように監視を……じゃなかった、紅ちゃんもオレとデデデデエト! どどどどう!?」


 編集者の青年は、一見積極的なようでいつも決定的な押しが弱い。



『こんなときだからこそ、いつまで近くにいられるかわからないと思うの』



 昨晩おみつが漏らした本音の影響を少なからず受けて、初めて外出に誘ったのだ。

 思わぬ進展に十里や拓海は「おっ」と驚いて眺めていたが、すぐに邪魔が入った。


「じゃ、俺も行こうかねぇ。八王子にこもりっぱなしもそろそろ飽きてきたからなー」


 と、口を挟んできたのは若者たちの世話役・(あい)である。


「……オッサン付きデエト」

「そりゃもうデエトじゃねーだろ」


 あからさまにがっかりしている虎丸に、紅のつっこみが飛んだ。


「ていうかさ、紅は午後から書道教室じゃないの?」

「あ、そうだった。んじゃ解散!」


 十里に言われてアルバイトがあったことを思い出し、紅はあっさりと本館へ戻って行った。


「東京市内に出れば敵の本拠地と近いので、心配なのはたしかです。相手方に茜が『闘者(とうしゃ)』として闘えると知られてしまいましたから。監視とまでは言いませんが、すぐ駆けつけられる場所に誰かいてやったほうがいいでしょう」


 アンナを抱いた八雲が、それとなく藍に伝える。


「しょうがねえな。引き受けてやるよ」


 タカオ邸の世話役兼ボディーガードは遊びに行きたかったらしく、ほがらかに答えた。


「よーし、虎坊。大人の活動写真会に連れてってやろうか」

「……紅ちゃんのいないオッサン付きデエトになってもーた」

「そいつはもはやオッサンとデエトだって言うんだ。いや誰がオッサンだ」


 気になる女子から一気に中年男へと転落。

 肩にまわされた藍の腕の中で、虎丸はさめざめ泣きたくなるのであった。

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