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狂人ダイアリー ~大正浪漫幻想活劇~  作者: アザミユメコ@書籍発売中
第九幕【絡繰り人形のはつ恋】
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三 夢の時間はつづかない

「こ、これはまさかの百合(エス)展開……!」

 

 おみつが熱いまなざしを向ける先には、赤髪の少女がいた。

 エスとはシスターズの略で、女学生が使う隠語だ。要は、少女同士の禁断の関係のことをいうのだ。

 近頃少女雑誌ではエスを扱った小説が人気を博している。現実の女学校でも少女たちの精神的な恋愛が大流行している、という胸の熱くなる風説は虎丸も聞いたことがあった。

 

「木陰から上級生のお姉様を盗み見て恋い焦がれる女生徒……。海老茶色の袴にリボン、握りしめた恋文……。なんちゅう耽美の世界……。いやいやいや、ちょっと待った。絵面に騙されて夢想が飛躍したけど、どう見ても茜ちゃんやな、あれ」

 

 曲がり角の向こうには、茜が掃除道具を片付けている姿があった。

  

 少女が少女を熱っぽく見つめる光景は完全にエスだが──。

 茜は表情が柔らかく立ち振る舞いも女らしいため、そっくりな姉よりずっと可憐だ。しかし、メイド服を着ていてもまごうことなき男子なのである。

 

「おみつちゃん、それで最後? じゃあ手伝うから置きに行きましょ」

「え、ええ。ありがとう」

 

 おみつと茜は角で鉢合い、ともに階段へと向かった。

 洗濯物を回収したワゴンは、細腕の少女が持ち上げるには少し重そうだ。段に差しかかると、茜はごく自然に代わって持ってやっていた。

 

「おっ、優しい。しかもさりげない。これにはおみつちゃんもときめかざるを得ないですね~! おーおー、顔赤らめとる。そういやふたりとも十六で同い年か。若いってええのう、甘酸っぱい……」

 

 こそこそとメイドたちの後をつける虎丸は、完全に不審人物だ。

 

「この時間になるとね、拓様が井戸端で洗濯してるの」

「まあ、拓様はあいかわらず潔癖だこと」

「女の恰好で近づいたら嫌がられるから、こっそり鑑賞しに行きましょ」

 

 明日分の洗濯物を集めて本日の仕事を終えたメイドたちは、茜の提案で裏庭の井戸を覗きに行くらしい。

 さらに後ろから、虎丸がふたりを尾行する。

 

「うーん、ますますようわからん図になっとるな……」


 乙女の恋模様が気になって後をつけたはずなのだが。

 目の前に広がるのは井戸で洗濯中の潔癖症美青年と、その様子を陰から見守るメイドの少女たちという謎の構図だ。

 

「拓様は下着を洗ってる姿も凛々しいわね」

「そうね……。はたしてそうなのかしら……」

 

 茜は笑顔だが、おみつは少し引きつっている。

 

「あ、さすがに迷いがでたな。茜ちゃんと違って本物の女の子やもんなぁ。しかも年頃の。本物の人間かはともかく。いくら拓様のでも男の(ふんどし)なんか見たくないやろ」

 

 尾行と実況が板についてきた虎丸である。

 

 

 ***


 

 仕事を終えて茜は自分の部屋に戻って行ったが、おみつは裏庭に残っていた。

 花も芽もついていない桜の木の下で、赤い布の敷かれた縁台に座り、ぼうっと物思いにふけっているようだ。

 

「おみつちゃん、風邪ひくで。風邪ひくん?」


 と、ずっと尾行をしていた虎丸が声をかけた。


 心配と疑問がつい混ざる。顔をあげたおみつは、肌寒さよりも別のことで頭がいっぱいという表情だった。虎丸に気づくとコホンと咳払いをし、取り澄ました表情を作って返事をした。

 

「あら。えーと、虎丸さんだったかしら。さっき茜が言ってたのを聞いたのだけど、拓様の幼馴染なんですってね」

「そう、腐れ縁やねん」

「拓様のことだから、きっと昔から素敵だったのではなくて?」

「あんまり拓様拓様ってゆうてると、このまま親衛隊仲間扱いで気持ちが伝わらへんで?」

 

 先ほどまでの晴れ渡った星空に、薄白い雲がかかり始めていた。

 虎丸は隣に座って夜空を見上げ、率直に言った。よけいなお世話かもしれないと思ったが、誰かの恋の話を聞いてみたかったのと、おみつが悩んでいるように見えたからである。

 

 図星をつかれたとばかりに、おみつはぐっと息を詰まらせる。

 

「貴方、まさか気づいて……」

「うん。ほんまは茜ちゃんが好きなんやろ?」

 

 頬を赤らめてうつむき、それから少し寂しそうな瞳をして、少女はつぶやく。

 

「……わからないの」

「ん? 自分の気持ちが?」

「そう、前は女友達みたいだったから全然意識してなかったのに。近頃いきなり男子らしく見えてきて……ちょっと気になるだけなの。これが恋をしてるってことなのか、わからないわ」

「初めてなんや。男の子好きになったの」

 

 髪と同じ黒い睫毛を揺らして、娘は小さく頷いた。

 

「でもあたしのは、お紅が八雲さんに抱いてるような激しい感情じゃなくて。ただ、彼が一番理想に近かったの。恋愛小説を読んで憧れていたような男の子。優しくて、誰にでも穏やかで、人の気持ちに繊細で、でもよく見ると目元は凛々しくて、いざというとき頼りになるの」

 

 乙女の甘酸っぱい告白に、虎丸はうんうんと首を縦に振る。

 

「あと、さりげなく将来有望なのよ。中学では勉学も運動も優秀で、学生服姿はちゃんと男子で素敵だし。家事全般得意なうえに長男だけど姑はいないし。あ、うるさい小姑がいたわね」

「しっかり計算高いな……」

「いつかお嫁に行くなら、ああいう男の子のところがいいなぁって夢を見てただけ。この恋は本物? それとも偽物?」

 

 真剣な眼差しで聞かれ、虎丸は顎に手をやり悩んだ。

 

「うーん。じつはオレも、恋心ってようわかってへんねん」

「でも貴方、お紅のこと好きなんでしょ」

「ぐっ! オレ、そんなに態度に出とる?」

「話してるときの目が違うもの。あたしのほうが可愛いのに」

 

 腕を前で組み、虎丸はさらに悩む。

 

「好き、なんかなぁ。たぶん好きなんやろなー。強いのに放っておきたくないし、キレとるときも可愛く見えるし、最近罵倒されると快感やし」

「……」

「うそです、冗談です。引かんといて。あっぶな、ジュリィさんと話すノリで年頃の娘と会話してもうた。猥褻罪で捕まるわ」

 

 三人掛けの縁台でおみつにやや距離を取られて、慌てて弁解する。

 

「なによ。貴方、ただのマゾヒストじゃなくって?」

「ちゃいます、さっきのは忘れて。なんちゅうか、もっと普通に……そう、たとえば散歩中の道端とか、甘味屋とか、本屋の書棚の前とか、バスの隣の席とか……。そういう場所で出会っとったら、もっとまっすぐに好きって伝えられたかもしれへんなぁって思うねん」

 

 おみつに語っているのは、虎丸自身もはっきり言葉にしたことのなかった──。

 今まで、自分でも自覚していなかった気持ちだ。

 

「せやけど八雲さんを生き返らせたいって、紅ちゃんが必死になっとる今の状況で……オレのほうを見ろなんて本気では言われへん。それに、オレだって今は八雲さんがどうなるか心配やねん。みんな緊迫しとるから、この感情はまだどっかに追いやるしかないなぁ」

 

 女の立場から聞けばいくじなしなのだろうか、と虎丸は思う。

 しかし、おみつはその想いを否定しなかった。

 

「わかるわ。そんな場合じゃないっていうのは、たぶんあたしも同じ」

 

 おみつ自身は新世界派のいざこざと直接関わっていないようだが、普通の娘ではないと虎丸も知っている。

 恋する乙女にしてはどこか寂しそうなことに、理由があるのかもしれない。


「でもね、こんなときだからこそ、いつまで近くにいられるかわからないとも思うの。この人里から離れた幻想みたいな洋館で、夢の時間はきっといつまでも続かない」


 少女の漏らしたその言葉は──。

 おそらくタカオ邸で暮らす、すべての住人に共通する現実なのだ。


 今日みたいに皆でわいわいと過ごしていると忘れそうになるが、夢の時間はいつまでも続かない。間違いなく、今とは違った未来が全員に迫っている。

 この時間を壊そうとしているのが敵なのか、八雲その人なのか、虎丸にはわからない。



「よーし! 茜ちゃんをデエトに誘おう!」



 青年が急に膝を打ったかと思えば、唐突な提案である。


「えっ? 貴方が?」

「なんでやねん、この流れでおかしいやろ。おみつちゃんやで?」

「デエトだなんて、女のあたしから、そんなこと……」


 と、おみつは恥じらっている。

 なぜか無理して今風の蓮っぱな喋り方をしているが、やはり古風な娘のようである。


「ええもんあげるわ。活動写真(キネマ)のペアチケット!」

「貴方、新聞屋さんだったの?」

「ちゃう、編集者でーす。客先への挨拶回りでたまに貰うねん。きっかけがあったら誘いやすいやん? 次の日曜日に行っておいでや!」

「えっと、ありがとう。じゃ、じゃあ、誘ってみようかしら……」


 虎丸の渡した二枚のチケットを握りしめて、おみつはどきどきと胸を高鳴らせていた。

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