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狂人ダイアリー ~大正浪漫幻想活劇~  作者: アザミユメコ@書籍発売中
第九幕【絡繰り人形のはつ恋】
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一 ヒトを象る乙女

 灰色混じりの煙を噴きながら、蒸気機関車が走る。

 トンネルへ差しかかる手前で合図の汽笛が高く鳴り渡った。


「なんだ、辞めてこなかったのか?」


 辞表を握りしめてぼうっとしている虎丸に、隣の拓海が声をかけた。


 ここは三等車の二人用座席だ。豪華なタカオ邸で過ごしていたせいで、多少感覚が麻痺しているものの──当然、二十歳前の青年たちに上客用の一等寝台車に乗るような予算はない。東京まで十四時間座りっぱなしの旅である。


「嫌いやった親父の知名度を駆使して入社したのに、そう簡単に辞めてたまるかい! 気楽な大学生にはわからへんかもしれんけどな、社会人は大変やねんで……」


 口ではそう言ったが、本当は辞めることになってもしかたないという覚悟で辞表を携え、編集長に会いに行ったのだ。

 虎丸が「もう一度東京に行きたい」と伝えると、拍子抜けするほどすんなりと許可が下りた。


「小説家が問題起こして迎えにいったり、逃亡して北国まで探しにいったり、愛人宅で何日も待ち伏せしたり、過去にいくらでもあったわ。ぜんぶ編集の仕事や。さっさと行ってこい。また向こうで他の仕事も割り振るさかい」


 新人の虎丸が初めて命じられた原稿依頼である。心残りがあることを、編集長は察してくれたらしい。

 小さな会社だが理解のある上司に恵まれたと、感謝を抱きつつ辞表を革の鞄にしまって頭を下げた。


 新橋で汽車を降り、鉄道を乗り換えて八王子に移動する。数週間前、意気揚々と帝都に降り立った日と同じ経路だ。

 胸に抱えた気持ちだけが、まるきり違っていた。


 すでに夜──。

 乗合バスはもう走っていない。駅前に馬車がいるなら、多少金はかかるが利用しようと拓海に持ちかけた矢先だった。



「虎丸ーー!! コノヤローー!!」



 八王子駅を出た途端、両手に綿飴(わたあめ)を持った(コウ)がすごい剣幕で走ってきたのである。


「紅ちゃん……!? まさかオレの出迎えに……来たわけちゃうな。めっちゃ観光帰りやん?」

 

 赤髪娘は虎丸の目の前で止まり、ふさがった自分の両手を交互に眺めてから、おもむろに片方の綿飴を渡してきた。

 くれるのかと思いきや、襟首を掴むのに邪魔だったらしい。反射的に受け取ると、すぐさまコートの首元をぐいぐいと引っ張られる羽目になった。


「戻ってくんの遅せーし!」

「ですよねー! すんません! でも大阪の滞在時間、半日もなかったで? 夜に着いて翌朝の汽車乗ったんやで!」

 

 揺さぶられながら言い訳を口にするが、当然のことながら問答無用だ。


「知らね~、二秒で帰ってこいよ! はあ~あ、こっちは肩と脚が丸出しの莫迦(ばか)みてーな恰好させられて変態野郎に襲われてたってのに、オマエ来ねーし、まじで空気読めねーし」

「肩と脚が!?!?」

「そこはどーでもいいから鼻血をだすな」


 思いきり睨まれているのだが、虎丸より頭ひとつ分以上背丈が低いのでつい上目遣いにどぎまぎしてしまう。

 紅は至近距離でころころと表情を変えて怒ったり呆れたりしたあと、少しだけ視線を横に逸らし、ばつが悪そうに言った。


「ああ、ちくしょー。もう馴染みすぎて仲間内にオマエがいねーと調子狂うんだよ!」

「うっ! ううう……」

「いきなり泣くな!」

「だって、紅ちゃんがこんな可愛いこと言うなんて……感動した……」


 一歩後ろでふたりの会話を眺めていた拓海は、理解できないものを見るような目をしている。


「可愛い? 今のが? 恫喝されていただけじゃないのか」

「マゾヒストにしかわからない快感じゃないかな~。やあ、ふたりともおかえり! 自動車でたまたま駅前を通りかかったら、きみたちを見つけたんだよ~」


 と、紅が走ってきたのと同じ方角からにこやかに現れたのは十里(じゅうり)だ。

 何も告げず東京を去ったというのに、前とあまりに変わらない態度にむしろ虎丸のほうが混乱するくらいである。


「ジュリィさん、和服や。めずらしいですね。着物に丸眼鏡とストオルと山高帽! 何着ても伊達男やなぁ……」

「一泊して浅草らへんで遊んでたからねぇ。僕の着物は丈の合う既製品がお店になくて、茜に仕立ててもらったんだ。いいでしょ?」


 ちらっと後ろを見る目線の先に、茜もいる。


「お直し程度よ。急ごしらえでね。虎丸さん、おかえりなさい」


 赤髪によく合う紺色の銘仙着物で、女姿の少年は微笑む。

 皆揃って真新しい着物を着て、お土産の入った紙袋を持っていた。


「茜ちゃん、みんなが危ないって聞いたから飛んで帰ってきてんけど……。びっくりするくらい遊んでましたって空気やな?」

「一応、ちゃんと危なかったのよ? とくに紅ちゃんと八雲さんが重傷だったかしら。ふたりとも毒蛇に咬まれちゃって」

「紅ちゃん両手に綿飴やし、ばりばりにはしゃいで見えたわ。そんで、八雲さんは?」


 決まりが悪そうに尋ねる虎丸に、茜は笑った顔のまま後ろを手のひらで示した。


 八雲は静かに、そこに立っていた。

 いつも黒地に濃い紫の羽織という暗い色合わせなのに、他の誰かが選んだのかライトグレーの着物を着ている。

 そのせいで一瞬で違う人のように映ったのだが、虎丸が去る前とまったく同じ淡々とした喋り方で、無表情に首をかしげて言った。


「おかえりなさい?」

「ちょこっと疑問形でしたね。心配やったんでとりあえず戻りました。とりあえず」


 照れ隠しに「とりあえず」を強調しながら、虎丸はを中折帽を脱いで自身の猫っ毛の後頭部をぽりぽりと掻いた。


「ああ、すげえ危なかったよ。俺のへそくりが消滅しそうで危なかった。浅草六区は基本ぼったくりだよな。で、お前だれだ?」

「……お坊さん、だれ? くやしいけどちょっと渋くてかっこええな」


 突然話に参入してきたのは、煙管(キセル)を咥えた謎の僧侶であった。

 初対面のふたりがなんとなく見つめ合う。中身はいざ知らず、雰囲気は虎丸の憧れる髭を生やした大人の男だ。


「俺は(しゃく)藍鳥(らんてう)。タカオ活版所の所長。本業は僧侶」

「あ~、所長ってあれや。妓楼と博打でカモられた人や」

「人聞き悪いな。藍鳥おにいさんでいいぞ」

「らんてうおじさん……」

「おい」


 横から、八雲が口を挟んだ。


「藍鳥は僧侶としての法名。髭中年のくせに本名は(あい)ですから、藍でいいですよ」

「じゃあお前も本名で呼んでいいのか? 八雲でも化鳥でもない本名」

「呼んだら非行に走ります」

「なんなんだよ」


 藍、といえば。

 聞き覚えがあるどころか、虎丸が何度も夢想を重ねた名である。


「藍って、まさか、藍さん……!? 田町遊郭の……?」

「あ、わかった。その明るい茶髪、あのとき屋根にいたガキか。なんで妓楼なんか覗いてたんだ? 童貞なの?」

「藍さん……。美人遊女の藍さんは、おらへんかった……」


 もはや話は聞いておらず、虎丸は魂が抜けたような愕然とした表情でうなだれていた。

 傍にいた十里に、八雲が言う。


「十里君、先日絶望した人間はどんな顔をするかと議論しましたが、こういう顔でしたね」

「そうだね~。キェルケゴオルが『絶望とは死に至る病だ』と書いていたけれど、まさにそんな感じの顔だねぇ」

「しかし、かの哲学者はこうも言いました。『可能性のみが唯一の救いだ』と。可能性が残されている限り、人は息を吹き返すのです」

「日本のどこかに美人遊女の藍さんはいるかもしれない。可能性を信じて、頑張って生きてってほしいね!」


 なにやら真剣に話し合っているが、存外適当な会話である。


「いやー虎坊! お前、なかなか話がわかる奴じゃねえか」

「藍ちゃんこそ! 今度活版所の内部見せてなぁ~!」


 そしてこちらはいつの間にか復活した虎丸と藍が、早くも肩を組んで愛称で呼び合っている。


「あれはなに? どうしていきなり仲良くなってるの? この三十秒くらいの間に」

「はて。ふたりは似ている部分があるので、気の合いそうな予感はありましたが」


 いぶかしげに見守る十里と八雲であった。



 ***



 七人でルノーに乗り、タカオ邸への帰路につく。

 あきらかに人数オーバーだが、人里離れた山の麓なので整備もされていなければ、公道ですらないのである。

 高尾山の背景には、何も遮るもののない満天の星が広がっていた。


「みなさん、おかえりなさい!」


 洋館の正面玄関で眼鏡をかけた寝癖頭の少年・白玉が仲間を待っていた。


 腕に抱かれたアンナ・カレヱニナが小さな手足で激しく少年を蹴っている。

 このタヌキは何故か白玉にだけ懐かないのだ。飼い主の八雲に引き渡され、ようやくおとなしくなって眠りはじめた。


「あら、拓海。思ったより早かったですわね。虎丸も」


 八雲のことを頼むと言われた翌朝に去ったのだ。

 さすがにきまりが悪く、神妙な顔で挨拶をしに行ったのだが──。

 女主人は何も聞いていないのか、少し留守にでもしたかのような対応であった。


 虎丸は客室で二日前にまとめたばかりの荷物をふたたび解き、夕食の準備が整うまで館内をブラブラすることにした。

 すると、ちょうど玄関を出ようとしていた白玉と鉢合った。


「白玉、どこ行くん?」

「あ、虎丸さん! 絡繰(からく)り人形のメンテナンスですよー」

「もしかして、八雲さんの部屋にあるでかいやつ?」

「ええ。ちゃんと整備しないと部品に埃とか詰まっちゃうので」


 白玉は使用人をひとり連れていた。タカオ邸にいる使用人の正体はすべて、白玉が作って文字の力で動かしている人形なのだ。

 十本の指に繃帯(ほうたい)が巻かれた少年の手は、握力があまりないらしい。人形を操って様々な作業をすると前に話していたので、そのために連れて行くのだろう。


「面白そうやな。オレも見ていい?」

「もちろんです!」


 道具箱とタイプライターを乗せた台車を代わりに引いてやり、虎丸は白玉とふたりで離れの和室に向かった。



「うーん、これは……」



 改めてじっくり観察すると、人形と台座の内部には非常に緻密な仕掛けが施されている。


「ぜんっぜんわからん。でもすごい。めっちゃ細かい」


 虎丸はもっと機械らしい金属製を想像していたのだが、歯車など部品のほとんどは木でできていた。鯨の髭がほどける力を利用して絡繰りが動くのである。


 白玉は代々続く江戸からくり人形師の跡継ぎだという。

 まだ十七の少年とはいえ、さすがはプロの職人だ。タイプライターで使用人に命令を出しながら、人形浄瑠璃のように操って細かな整備をしている。

 この様子だけで見世物として人を呼べそうな鮮やかな手つきだった。


 部屋の住人である八雲は光景に慣れているのか、興味津々で瞳を輝かせている虎丸の後ろで正座をして本を読んでいた。


「お、なんや。『餡蜜(あんみつ)』……? 人形の名前かな?」


 内側の板に、字が彫られているのを見つける。


「そうです!」


 と、人形師の少年が嬉しそうに答えた。


 白玉と、餡蜜とは。

 思わず「美味しそう」と言いそうになって、虎丸はあわてて口をつぐんだ。記憶を消されて覚えていないが、最低五回は口にしたらしい感想である。


 やがてメンテナンスが終わり、フリルのエプロンがふたたび人形に着せられる。

 茜がメイド仕事をしているときに着用しているのと同じ、着物の上につける洋風の白いエプロンだ。和洋折衷のハイカラなデザインは女主人の趣味らしい。


「お、ネジ発見! これ回したら動くん!?」


 台座の横から突き出していた木製のネジを、虎丸が思いきり回した。


「あっ」

「あ」


 道具を片付けていた白玉と本を読んでいた八雲は、同時に声を発して顔を上げた。


「へっ?」


 めいっぱい巻いたネジから、虎丸が手を離した瞬間である。

 白く眩い光が、二間続きの和室に満ちた。



──あ、これ。絶対あかんことしたヤツやん。



 瞼も開けられない光の中で、猛烈に「やってしまった」と後悔する虎丸である。

 タカオ邸が怪奇現象盛りだくさんの館だと、二日いなかっただけですっかり忘れていたのだ。


 数十秒経って、ようやく視界がまともに戻る。庭からは鹿威(ししおど)しの音がかすかに聴こえていた。


「うう、まぶし……。いったい何が起こったんや……」


 先ほどまでと同じ、静かな夜だ。

 ただ、一点を除いては。


 さっきまであったはずのものが消えて、なかったはずのものがある。

 突然現れた()()を指差して、虎丸は叫んだ。



「う、うぎゃあああ、絶対物の怪ー!!」


「失礼ね。あたし、物の怪なんかじゃなくってよ。ところで貴方、初めて見るお顔だけれど、どちら様なのかしら?」



 等身大の絡繰り人形があった場所には、今風の女学生言葉を喋る黒髪の少女が立っていたのだった。

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