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四 歯車はゆっくりと廻り始めた

「あ、(コウ)ちゃん起きた?」

 

 鉄道に揺られているような心地よい感覚の中で、紅は目を覚ました。

 一瞬どこにいるのかわからず、慌てて頭を起こす。

 

「ちょっと、暴れちゃだめだよ」

「茜……!」

 

 弟の茜に背負われてるのだと気づき、乗り出しそうになっていた体勢を戻した。蛇毒のせいか頭はまだくらくらとして全身の筋肉にうまく力が入らない。

 七高(しちたか)に襲われそうなところを駆けつけた茜と十里(じゅうり)に助けられたのだと、意識を失う前のことをようやく思い出した。


「あれは……八雲部長の使い魔?」

「そう。銀雪(ぎんせつ)って呼んであげて。姿は見えなくても、いつも八雲さんの傍にいるんだって。強いんだよ、あの子のおかげでぼくは闘う必要がないくらい」

 

 前で闘っているのは八雲が使役していた白鬼だ。両手に持った扇を優雅に翻して、次々と敵を凍りつかせている。

 銀雪がいるということは、八雲も無事なはず。安堵した途端に体から一気に力が抜け、紅は茜の背中に体重を預けた。

 

「今、銀雪が八雲さんのところに案内してくれてるから。もう少しそこで休んでてよ」

「……なんつーか、でかくなったな、茜。ガキの頃はおれがおぶってやる側だったのに」

 

 身長こそ早々に追い抜かれたが、少し前まで茜のほうが本物の女子のようだったのだ。

 後ろから掴んだ肩が知らずうちに広くなっていることに驚いた。

 

「同級生の中じゃ、チビだけどね」

「背だけじゃなくて色々と。ひさびさに妹じゃなくて弟って感じ」

「妹も楽しいけど、たまには弟も悪くないよ、おねーちゃん」 

  

 壁や天井などの造りは紅が先ほどまで闘っていた二階と同じだが、遊女や客は立ち入らないらしく殺風景で飾り気がない。


 おそらくここが、通常の妓楼には存在しない三階。

 下の客室の何倍もの『文字に書き換えられた造兵(ぞうひょう)』が、次から次へと出てくる。

 

「きりがないな。いくらでも湧いてくるから、通り道にいるやつ以外はなるべく無視して突破しよう。あとは全部(あい)ちゃんに任せればいいや。部長と一緒にいたよね? 藍ちゃん」

 

 十里が問いかけると、白鬼の少年は数秒考えてから聞き返した。

 

『無頼髭僧侶?』

「そう、それ。ちなみに僕のことはどう思ってるの?」

『仏蘭西伊達男』

「後ろのふたりは?」

『強襲番犬娘。可憐羆男子』

 

 笑いを堪えて肩を震わせている十里を、後方の姉弟が不思議そうに眺めていた。

 


「──ここだ。三階の行灯(あんどん)部屋。牢屋みたいに厳重な鍵がかかってる」


 

 十里が触れたその扉は一見木製だが、叩くと分厚い鉄板の音が響いた。大きな南京錠も簡単に壊れそうにはない。

 紅が茜の肩越しから覗き込んで言った。

 

「鉄って刃物で斬れねーの?」

「このぶ厚さじゃ、炎を付与しても難しいかな。理論上は低温で冷やせば脆くなるはずだよねぇ。マイナス二百度くらい……。うーん、でも、さすがに銀雪にも無理だね。塩でもかけてみる?」

 

 凍らせてから塩をかければ溶解熱で温度は下がるが、どう考えても焼け石に水である。

 そうだ、と茜が提案する。

 

「十里さん、熱してから冷やすのは? 日本刀を造るときの焼戻し前みたいに。冷やすだけより温度差が大きいから、鍵の周りくらいなら壊せるかも」

「高温にしても文字の力でそこまで出せるかわからないけれど、このままじゃ敵に追いつかれるし……。ちょっとやってみようか」

 

 南京錠をまず熱しようと十里は炎の文字を書いてみるが、日常生活で使用する程度の火しか出ない。

 紅はじれったそうに茜の背から降りて、手のひらを差し出した。

 

「ジュリィ、代わって」

「えっ? ダメだよ。ほんとは早く医者に診せたいくらいなのに」

「そんな焚火みたいな勢いじゃ無理だろ。暖でも取る気か? 炎はおれの得意分野だからまかせとけ」

 

 愛用の毛筆は七高に奪われたらしく、洋服とともに失くなっていた。

 十里の萬年筆(まんねんひつ)を受け取り、草書体に近い筆跡で言葉を綴る。

 

 

「地獄の大火よ、罪人を滅せし灼熱を(おこ)せ!」



 怒りに満ちた口伝えとともに虚空に浮かぶは、



 業火



 の、文字。

 

 

 文字通り、地獄に落ちたかのような熱が強風とともに舞いあがる。紅の手のひらに炎の凝縮した球体が浮かんでいた。

 

「オゥララ、まさかの全力!」

「あの変態男に自分でトドメさせなかったからなー。鬱憤溜まってんだよ」

「やっぱりきみたちは姉弟だねぇ……」

 

 茜は争いごとを嫌うが、いざとなれば容赦がない。紅はそもそも好戦的だ。要するに、どちらも血の気は多いのだ。

 

「よっし、銀雪! いくぞ!」

 

 娘に名を呼ばれた白鬼が頷く。

 燃え広がらないよう事前に水で濡らした扉に炎の塊をぶつけ、赤く発光したところを銀雪の氷で一気に冷やす。

 

「八雲さん、藍さん! 扉から離れてて!」

 

 そう叫び、茜が思いきり扉を蹴る。

 南京錠が吹き飛んで、蝶番ごと扉が向こう側に倒れた。

 

「やった、成功! めずらしく頭使って突破した気がする!」

「紅は一切使ってないし、じつは全然効果なくて茜の怪力だけで壊した可能性もあるよね〜☆」

「水差すなよ!」

 

 噛みつきそうな勢いの紅を適当になだめ、十里が先頭となって物置の中へと入る。

 室内は意外なほど明るく、いくつもの光がふわふわと漂っていた。

 

「八雲部長、無事〜?」

「はい、ここにおります」

 

 広い物置の奥で、聞き慣れた声が十里の呼びかけに答えた。

 

「ぶちょー!」

 

 紅が嬉しそうに駆け寄っていく。

 八雲は怪我こそしていたが、普段と変わらない様子でそこに立っていた。

 

「思ったより元気そうでよかった!」

「ええ、おかげさまで。あなたは大丈夫でしたか?」

「全然へーき」

「ならいいのですが、なぜそのようなあられもない衣装に?」

「これは不可抗力! 変態の趣味!」

 

 床の近くで、ガタガタと音が響く。

 紅が覗き込むと、やさぐれた表情をした藍が鉄の檻を揺らしていた。

 

「おい、若人たち。俺を無視してほんわかすんな!」

「よっ、藍ちゃん。元気そうじゃん」

「あからさまに軽くなるなよ。もっと所長さんのことも心配しろ。八雲の番犬娘め」

「犬じゃねーし!」

 

 檻をぐるっと確認して、十里がうなった。

 

「うーん……頑丈な檻だね。どうやって出そうか」

「さっきの熱して冷やすやつで壊せねーの?」

「人のすぐ傍でやるには危なすぎるでしょ。藍ちゃん黒焦げになるよ? 少なくともこの伸ばし放題の髪は燃えて無くなるね」

「本職なんだからちょうどいいじゃん。法事に呼ばれるようになるぜ」

「こらこらこらこら。紅、なんてこと言うんだ」

 

 藍が頭を押さえる。僧侶だというのにどうしても坊主にはなりたくないらしい。

 

 そのとき──。

 入り口から陰鬱な男の消え入りそうな声が響いた。

 

「なんで……なんできみたちはさぁ、おとなしく待てないわけ? せめて建物壊すのやめてよね……。扉の修繕費用、『九社花(くしゃげ)』家の女主人に請求書送っていい……?」

 

 破壊された扉を、憂鬱な表情で見下ろしているのは金木(かなぎ)(うれい)だ。諦めたように長いため息を吐くと、胸のポケットから鍵を取り出して二本の指に挟んだ。

 

「檻の鍵……俺が持ってるよ。これ以上闘ったら妓楼を完全に破壊されそうだし、交換条件を提示しよう。鍵が欲しければ──」

「よし、今なら四対一だ。全員でこのヘビ男ぶっ倒そうぜ」

 

 憂の台詞をさえぎって紅が言う。言葉は不穏だが、本気ではないので棒読みである。

  

「待って、なんてこと言うの……。ほんとこわい、若い女の子こわい。三十を超えてからというもの、もはや若い子がこわい」

「オマエ、その派手なナリで三十過ぎてんの? 若作りだなー」

「うっ……。どうせ俺なんて四天王最年少からもタメ口使われるしさぁ。一回り下で同じ干支の。つらぁ……」

「で、交換条件ってなに?」

 

 さめざめと泣いていた憂が、気を取り直して話を戻す。

 

「そこのおじさんを檻から出してあげるから……」

「おい、同年代にまでオッサン扱いされる謂れはねーぞ! 若作り野郎!」

「……ええっと、なんだっけ。そう、出してあげるから代わりにうちのボスと会ってくれない? 最初からそうすればよかった……。結局きみたちの戦力は潰せなかったし、闘わずに……というか残業せずに済んだかもしれないのに……」

 

 仲間たちが八雲を見る。青年作家は、静かに答えた。

 

「あなたたちのボスが──人間を文字にする『逆形容化』の能力の持ち主であるのならば、会いましょう」

 

 新世界派に囲まれる中、憂はしかたないという風に頭を左右に振った。

 

「……そうだよ。『造兵』はボスの力さ。さっきも聞いてたけど、いやにこだわるね」

「いえ、べつに。このような言い方をすれば、敵の情報が手に入るかと思っただけです。どのみち、会うつもりはあります」

「えー……なにそれ。俺答えちゃったじゃん……。まあ減給されなきゃなんでもいいや……。ついてきて」

 

 

 ***


 

 憂に案内されたのは、一階の隠し階段を下りた先にある地下だった。


 上の階のように部屋で分かれておらず、がらんとした空間が広がっている。何も置かれていないため用途不明だが、未使用という雰囲気ではなかった。

 天井には等間隔で吊るされた電気灯。明かりの届かない部屋の奥で、荷車を引くような重く軋んだ音がこだましていた。

 

 八雲たちの前に現れたのは、まずふたり。

 左側が男、右側が女。どちらも五十絡みで高価な和服を身に着けた、貫禄のある佇まいだ。

 口は開かなかった。真ん中を空けるようにして、黙ったまま左右に位置どった。

 

 その両人の顔を見た十里が、そっと仲間たちに耳打ちする。

 

「ねえ、僕はてっきりボスってあの人のことかと思ってたよ。左側の男性」

「おれも。あのオッサンが横に控えるって、これ以上どんな大物が出てくるっていうんだよ」

 

 ひとりだけよくわからないという表情をしていた茜が、仲間に尋ねた。

 

「ぼくは全然わかんないんだけど、文壇関係のえらい人?」

 

 十里と紅にかわって、八雲が答えた。

 

「あの方は作家であり、そして編集者です。文芸雑誌『黒菊(クロギク)』の創刊者でもありますね。『文壇を統べる者』──本郷真虎(ほんごうまさとら)

 

 紅が横から説明を追加する。

 

「右側のババ……女は、茜も名前だけなら知ってると思うぜ。遊廓育ちで知らないやつはいない。東と西の三大遊廓……つまり帝国の色事すべてを取り仕切る大親分。『花柳の女帝』──胡蝶太夫(こちょうだゆう)

 

 さて、と十里が言った。

 

「こんな超大物を従えてやってくるあちらのボスは、いったい誰だろうねぇ」

 

 部屋の奥からはゆっくりと、軋んだ車輪の音が近づいてきていた。

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