ニ 少年は怒りを知り、そして
憂が虚空にペンを走らせ、『巴形』の文字を書いた。
平安時代の女武者・巴御前にちなんで名付けられたと言い伝えられる、幅広で反りの深い刀身だ。
女性向けに作られた型のはずだが、出現したのは男でも容易に扱えないほどの重量感を放つ大薙刀だった。全長は優に三尺を超え、切っ先が天に伸びて鈍く光っている。
七高は『形容化』された薙刀を受け取ると、茜の前に立ちはだかった。
学生服を着た赤髪の少年は、冷えた瞳で言う。
「強欲だね。そんなに刃渡りの長い得物、室内で振り回すには向いてない。あなたはとにかく自分を大きく見せたくて、相手の恐怖心を脅かしたくてしかたないんだ」
「まさか素人に忠告されるとは。きみだって薙刀なんだから、狭い場所に不向きなのは同条件じゃないか?」
茜を馬鹿にするように、七高は鼻で笑った。
「うん。でも、ぼくは元々、たいした手並みも見せられないから。関係ないんだよね」
対峙したふたりが同時に動きだす──。
しかし、茜より重量のある刀を使用しているはずの七高の剣速のほうが速い。武器の扱い方、つまり技量の差だ。
刃と刃がぶつかる。
スピードの差で迎え撃つ恰好になった茜は、微動だにもせずあっさり敵の攻撃を止めると、押し返してねじ伏せた。
七高が後方に下がる。足元の畳が削れ、焦げついたような黒い跡が残っていた。
「お~……すごいすごい。武道のことはわかんないけどさ……。まさか新世界派に他にも『闘者』がいたなんて、把握してなかった俺が怒られるのかなぁ、これ……」
と、憂が気の抜けた声をあげている。
そのとき、襖が開いて十里が部屋へと飛び込んできた。
「紅、大丈夫!?」
屏風に背をあずけていた紅に駆け寄り、拘束していた縄を解いた。
「ごめんよ、遅くなって。茜の足が速すぎて追いつけなかったんだ」
「ジュリィ……」
紅は今にも気を失いそうな顔色をしている。
「毒かい? 困ったな、拓海がいたら彼の能力で簡単に解毒できたのに」
「マムシくらいへーきだよ。それより、茜の手助けをしてやって」
「手助け……いるかな~?」
十里の視線が、茜へと注がれた。
師範代を名乗っていただけあり、七高の実力はたしかだ。それなのに、幼少時道場通いをしていただけの小柄な少年に圧倒されている。
狭い個室では優れた剣技も足さばきも生かせない。敵の動きが少ないのをいいことに、茜は力技で押しきっていた。
「ジュリィは茜が闘えるって知ってたのか? あいつは争いごとが好きじゃないし、昔習ってたことも隠してたのに」
「偶然だよ。一緒に買い物へ行ったとき町中で不届き者にからまれてね。茜を庇おうとして逆に助けられたのさ。でも、なんだってあの子はあんなに強いんだい」
「んー、薙刀の試合をやれば十中八九はおれが勝つけど、茜は実戦となるとめちゃつえーんだよ。なぜかっつーと」
下から突きあげる茜の刃を受けて、防御したにも関わらず七高の体は飛ばされた。
男は周囲の物を散乱させながら壁で背を打ち、うずくまった。
赤髪の少年は迷うことなく歩いていき、上からまた刀を振り下ろす。
まだ武器を手放していなかった七高が片手でなんとか止めるが、押し返すほどの力は残っていなかった。
「──ああ見えて、茜は腕力が羆並みなんだよな。力だけなら虎丸より上なんじゃね?」
「さすがはタカオ邸のハイパァメイド……。いつも運んでる食器の量がおかしいなって、薄々感じてたよ~」
これ以上やり合えば負けると悟ったのか、七高は反対側の壁際に座っている憂に向かって叫んだ。
「憂、何をぼうっとしている! 早く追加の文字を出すなり、手伝え!」
長い銀髪を後頭部で結った男は、つまらなさそうに指で毛先を弄んでいる。
「やだよ……」
「なんだと?」
「武器なら出した。これ以上は助けない。おまえ、さっき廓生まれを下賤だって言ったろ。あの御方……ボスの配下にいる俺たち『黒菊四天王』は全員そうだよ。四人ともこの吉原遊廓で生まれ、母親の顔さえ知らない。拾われて、ボスたちが親代わりになってくれたんだ」
「こんなときに何を言ってる? ぼくがやられれば、きみの身も危ないだろう!?」
憂はパチンと指を鳴らし、援軍を呼んだ。
『逆形容化』された男たちが部屋になだれ込んでくる。
さっきまでの陰鬱な喋り方からは想像もできないほど冷たい声で、七高に向かって言った。
「自惚れるな。おまえごときの代替なんていくらでも量産できる。ボスの力によって書き換えられた、ただの造兵のくせにさ……」
「ぼくは、死ぬことのない永遠の肉体を得たはずだ。きみたちのボス──黒菊の男に従っていれば、欲しい玩具も、すべて思い通りになると」
「ああ、周に言われたの? あいつ、優しいんだか残酷なんだか。そんなの、口車に決まってるじゃないか……。他のゴロツキたちと同じさ、おまえは使い捨ての兵隊にされただけ……。個別の刻印を持つ俺たちとは違う。ねぇ、ジョセフ?」
黒菊四天王・金木憂は七高を見捨てることに決めたらしい。
腕に巻いたペットの白蛇を撫でながら立ち上がり、もう二度と彼のほうを見なかった。
「赤髪の姉弟、その男を殺したいなら好きにするがいい。量産型でしかない彼らの命を繋ぐのはただの原稿用紙……。別の紙に書き写す前に、原稿用紙を燃やせば死ぬよ」
そう言い残し、援軍の隙間を通り抜けて部屋から去っていった。
***
『造兵』と呼ばれた男たちは途切れることなく現れ、一斉に襲いかかってくる。
茜が七高の相手をしながらも薙ぎ払っているが、きりがない。
「次々に湧いてくる。大人数の敵を倒せる方法を考えなきゃ」
「ジュリィ、あの男の発言だから嘘かもしんないけど、ぶちょーがすぐ上に捕まってるって……」
毒の回っていた紅はすでに限界だった。天井を指差してから、意識を失った。
「真上の部屋か……。八雲部長が今どんな状況かわからないけれど、確認と援助要請を兼ねて合図を送ってみよう」
ふわふわとアルファベットが舞い、オルガンの旋律に似た美しい曲が流れる。
十里が萬年筆で綴ったのは、仲間にだけ通じる暗号だ。一見意味の通らない記号たちは、まるで虚空に浮かぶ譜面のようだった。
「……来た。ということは、部長もまだ無事なんだ。よかった」
延々と部屋に入ってくる造兵たちをひとりで倒していた茜が、音に気づいてふと手をとめた。
──きれいな音楽。それと、冷たい空気?
天井からきらめく雪とともに舞い降りたのは、白い鬼。
音もなく、両手の扇をあおぐ。
七高、そして意思を持たない文字の兵隊たちは全身氷漬けとなった。
怒号で満ちていた部屋は一瞬にして静寂に包まれた。
「銀雪、来てくれてありがとう! 助かったよ。八雲部長は上にいるんだね?」
紅を凍っていない場所に寝かせ、十里が白鬼のもとへ駆け寄る。
銀雪の顔は四角い布で覆われており、表情が読めない。黙りこくっている鬼に向かって十里は問いかけ直した。
「部長は無事かい?」
『八雲、滋養強壮』
銀雪は身振りとカタコトの言葉で懸命に説明している。
『然れど、進退両難。如何ともし難い』
「うんうん、無事だけど動けない状況なんだね。滋養強壮はちょっとズレてるけれど理解したよ。じゃあ助けに行かなきゃ」
紅が起きていたら、なんでわかるんだと怒りだしそうな会話である。
「よし、銀雪は案内をお願い。行き先も決まったし急ごう」
声をかけたが、茜はさっきから何も言わずに立ち尽くしている。
十里はすぐ傍まで行って肩に手を置いた。
「茜、大丈夫かい? ここは終わったよ」
少年の見下ろす先には──透きとおった氷で閉ざされた七高がいた。
他の造兵と変わらない、あまりにあっさりとした幕切れだ。
「紅ちゃん、気失っちゃった?」
「うん。呼吸は正常だし命に別状はないと思うよ。全員救出して早く医者に診せよう」
「……そう。見られてないなら、この男にトドメ刺していい? 原稿用紙に戻して燃やせばいいんでしょ。自分の手でやらないと気が済みそうにない」
怒りのおさまらない瞳が、静かに揺らいでいる。
「見てなくても、知れば紅は悲しむよ。誰よりもきみに手を汚してほしくないはず。紅は無事だったんだから、よけいな憎しみを抱えるものじゃない。ひとりの人間の死はとても重くて、周囲にあらゆる影響を及ぼす。新世界派を一番近くで見ているきみなら知っているだろう?」
数秒考えたあと、茜は腕をおろして薙刀の切っ先を床につけた。
「……ごめん。はじめてだったんだ、こんなに腹が立ったの。酔って殴る父さんは嫌いだったけど、あの頃は怒りよりも、罪悪感でいっぱいだったから」
「謝らなくていい。きみは怒りを知り、そのうえで抑えた。まだ十六なのにいつも落ち着いていて、前みたいに自分がわからなくなっているんじゃないかって心配だったからさ。危うい面が見れてむしろ安心したくらいだよ。さあ、早く八雲部長と藍ちゃんを探してここから脱出しよう」
意識のない紅、そして八雲の使い魔である銀雪を連れ、十里と茜は三階へと向かった。




