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狂人ダイアリー ~大正浪漫幻想活劇~  作者: アザミユメコ@書籍発売中
第七幕【編集者と作家の別離】
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八 花めく街の子どもたち

「うげげげ、死ぬ~」

「道端に吐くのは構わないが、こちらに飛ばすなよ」

「そんな潔癖症で医者になれんのか、おまえー」


 結局、夜半近くまで飲んでいた。

 足元のおぼつかない虎丸に冷たい台詞を投げながらも、拓海は肩を貸している。ガス燈の明かりの下、ふたりはよろよろと夜道を歩いていた。


「重い……」

「あーなんや、これ。手紙?」


 拓海の胸衣嚢(ポケット)からはみ出した紙を、酔った虎丸が勝手に取り出す。

 美青年は顔をしかめて一応取り返すと、表書きを見て首をかしげた。


「まるっきり覚えがない。いつの間にか入っていた。女の字のようだが」


 封筒には筆書きで『入舟辰忌(いりふねたっき)様』と宛名が書かれていた。

 いかにも艶めかしい女の筆跡に気づいた虎丸は、借りていた肩を離して叫ぶ。


「あーあーあーあー、ありましたーこれ! 中学んとき、なんっかいもあった! 鞄とか制服にいつの間にやら恋文はいっとるやつ。なんならオレ経由で渡されるやつ。通学路で待ち伏せされて渡される手紙全部拓海宛! きいぃ、むかつく!!」

「落ち着け。恋文と決まったわけでもない。宛名が筆名という時点で怪しさしかないだろう」

「でもやっぱり他人の恋文って気になるから見して」

「話を聞いていないうえに野次馬か、お前は」


 呆れてため息を吐きながら、拓海は封を開けて手紙を読んだ。


「──背の君。(ひかる)の君へ」

「閉じるな、閉じるな」


 出だしが気に入らなかったらしく、拓海はすぐさま閉じようとする。

 要は「わたしの光源氏へ」といった意味なのである。


「このセンスはあまり好きじゃない」

「えーから続きを読まんかい。大正の光源氏め」


 しかたないといった顔で開き直し、目を通す。

 読み終わると鼻先で笑って、虎丸に言った。


「文芸雑誌『黒菊(クロギク)』の海石榴(つばき)から、丑三つ時、曽根崎の神社で待つ──と。虎丸さんも是非一緒にと書かれた恋文だ。よかったな」

「嬉しくなーい」


 どう受け取っても果たし状である。

 興奮したせいでまたもや酔いが回り、虎丸はその場にしゃがみ込んで吐き始めたのだった。



 ***



 大阪・曽根崎の歓楽街近くにある露天(つゆのてん)神社。

 江戸時代に大流行した人形浄瑠璃『曽根崎心中』の舞台であり、遊女と商家の手代が激しい愛の末に情死した事件で一躍有名となった村社である。


 思い出の中よりずっと目線に近くなった鳥居を見上げて、拓海がつぶやく。


「懐かしいな。子供の頃以来だ。歓楽街には近づくなと親に言われていたが、神社で仔犬を見つけて、どうしても気になって何度も来た。結局、虎丸と交代で自転車を漕いで、連れて帰って……」

「ウチも自転車を漕いでみたいわぁ。そないなもん女が乗るんはあかしまへんて卑しまれてまうさかい。女学校のお嬢様方には流行してはるみたいやけど」


 草木も眠る丑三つ時。

 鳥居の奥から夜闇に紛れ、しっとりとした声が届く。

 月の明かりを受けて現れたのは、先日タカオ邸を訪ねてきた狸顔の女。


「──光の君。こないな場所まで来てもろて、お手間どしたなぁ。ご友人と仲が良うて羨ましいどす。おふたり、お故郷(くに)はどちら?」

「もっと下って、住吉の帝塚山中だ」

「あらまぁ、大阪屈指の高級宅地やな。お上品な生まれでよろしおす」


 タカオ邸にやって来た二人組の片割れ、海石榴(つばき)である。


八来町(やらいちょう)といい、永鷲見(ながずみ)といい、新世界派はボンボンばっかしおすな。苦労知らずの坊っちゃんらにお巫山戯(ふざけ)で小説書かれたらたまらんわぁ。うっとこはみんな色街生まれの家なし子やさかいに」


 目尻を下げ、柔らかく微笑む。小柄で派手な顔立ちではないのに、妙に男好きのしそうな妖しさがある。


「うちの連中も訳ありばかりなんだが、まあどうでもいい。他人に恨み言を漏らす趣味はない」

「……で。そちらが評判の編集者はんやんな? 大層な武道家やって聞き及んでますえ。うまいことばらけてくれはったんで、後ろつけさしてもらいました。今ええとこや、東京戻って邪魔されたら困るさかい。ここで潰さしてもらいます」

「心配しなくとも、こいつは今のところ戻る気がないようだ。なぁ、虎──」


 拓海は冷たく笑って、すぐ後ろにいる虎丸のほうを振り返る。

 が、当の本人はそれどころではなさそうであった。


「ちょ、まって。まだアルコホル抜けてへんねん。き、気持ちわるう。げろげろ」

「境内では吐くな。ここまで半刻以上は歩いたぞ。まだ治らないのか……」


 海石榴と火花を散らしていた空気も台無しである。

 虎丸の嘔吐のせいで、夜深い神社がさらに静まりかえったそのとき──。



「ヤダァ、どうせ噂のひとり歩きでたいしたことないと思ってたのよ。でも本当にスゴイ男前じゃない。ハンサム!」



 低い声を無理やり高くだしたような、奇妙な声が響いた。


(あね)はん!」

「じゃーん、来たわよ! なんちゃって、さっきからずっと奥にいたわよ。縁結びのお参りしてきたわ」


 海石榴の声に応えて闇の中から騒がしく登場したのは、大きな前結びの帯に朱色の打掛(うちかけ)と、典型的な花魁の晴れ着を身につけた──男だった。


「や、いろいろキツイ」

「今アタシのこと見てさらに吐かなかった? 失礼極まりないわねぇ」

「ちょっと、ちょっとだけ待っといてくれへんかな。仕切り直す」


 虎丸は息を整えたあと、近くにあった手水舎から水をもらって一息ついた。

 ようやく回復して立ち上がり、改めて敵の顔を見る。

 華やかな衣装を着ているが、やはり男である。右目の下に泣きぼくろ、そして左目の下には黒い蝶の入れ墨が入っていた。


 白粉をはたいてきちんと化粧をしているので醜いわけではない。顔立ち自体は、まともな恰好をしていれば女が寄ってきそうな気もする。

 しかし、同じように女装をしているタカオ邸メイドの茜と違い、背丈も骨格も男らしいせいでとんでもなく不審なのだった。


「オレよりたくましいな……。ええ筋肉しとるわー。強そー」


 そうつぶやいてから、虎丸ははっと気づいて拓海の顔を覗き込む。

 表情を確認して「あー、やっぱり……」と頭を振った。


 この幼馴染に、花魁姿の男をさらっと流せるほどの柔軟性はない。完全にドン引きしている。石畳の地面を少しずつ後ずさっているくらいだ。


 言葉を失っている拓海に構わず、男は花簪(はなかんざし)をしゃらしゃらと鳴らし、堂々とポーズをつけて名乗った。


「はじめまして、可愛い坊やたち。アタシは黒菊四天王の一人、古城(こじょう)(あまね)


 名を聞いて、虎丸が反応する。


「古城……。げ、結構大物やん。異色の怪奇幻想文学で確固たる地位を築いた人気作家……。まさか作風通りの不審人物やったとは……」

「ふふふ、世間にどう見られようと、アタシはアタシの幻想世界を突き通すわよ。ヤダァ素敵」


 嬉しそうに頬を赤らめる男を見て、虎丸は「うーん」と唸った。

 同分野の伊志川化鳥(いしかわかちょう)と犬猿の仲だったのは有名な話だ。なんでも、お互い面識はないのに雑誌の随筆(エセー)上でバチバチやっていたらしい。

 変人奇人同士、話せば気が合ったかもしれないのに。

 と、思わないでもなかった。


「黒菊四天王っていうダサイのはなんなん?」

「ダサイはよけいよ。文芸雑誌『黒菊』専属の、今をときめく人気作家四人のこと。文壇でそう呼ばれてるの。海石榴たち新人をひとりずつ自分の下につけて、ちゃんと次世代も面倒見てんのよ」

「ふーん、悪の組織かと思ったら意外と優しいんやな。あ、悪者はこっちか。そういや」

「色街の私生児は全員兄弟みたいなものだもの。身内にだけ甘いのは、アナタたちも同じでしょ」


 呑気に会話をしているように見えたのか、海石榴が間に入ってきてそっと耳打ちする。


(あまね)の姐はん。その男、とぼけとるようでえらい腕立つて報告にあがっとりますえ。きぃつけよし」

「わかってるわよぉ。この坊や、フツーに喋ってくるからついこっちもフツーに話しちゃうのよ。海石榴、アナタはなにもできないんだから下がってなさいな」


 男が(たすき)で袖をまくると、鍛えられた腕が露出した。拳を使う武道独特の手をしていることに、虎丸は気づく。


「拓海。あの花魁男、作家やし『操觚者(そうこしゃ)』やんな?」

「ああ、かすかだが体に文字の気配を感じる。(コウ)さんと同じで闘者(とうしゃ)を兼ねているんだろう。他に闘えそうな者を連れていないしな。余程腕に自信があるらしい」


 (あまね)は虎丸に向かって、上に向けた指でちょいちょいと合図をした。

 そちらから来い、ということらしい。

 拓海の言ったように自信もあるのだろうが、虎丸は相手にも正統な流派で学んだ武道家の雰囲気を感じ取った。

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