五 黒菊の置き土産
「よくわからないな。結局あんたたちが何をしにきたのか」
「あれまぁ、男前がしゃべらはった」
黙ってやり取りを見ていた拓海がついに口を開いた。
しかも──喋りだすやいなや、怒涛の切り込みである。
「さっき自分らで言ったじゃないか? 厳正たる文学賞、と。新世界派がどんな姿勢で文学に関わっていようとも、勝負は同じ土俵の上だった。あんたたちは揃って八来町八雲に負けたんだ。それだけの話だろう。こんな場所まで恨みごとを言うためにのこのこやって来るなんざ、無様でご苦労なことだな。高尚な志があるなら勝手に貫いて実力で勝ち取れ。俺たちには関係ない」
「うわぁ」
十里はごまかす方法をとっさに考えたが、ここまで毒を吐いてはとても無理だ。自分も相手と火花を散らしていたことに間違いはないが、一応何事もなく帰ってもらう予定だったのだ。
拓海本人に、相手を挑発しているつもりなどない。
「当然のことを言ったまで」と、むしろ堂々としている。
この圧倒的な美青年は優等生ゆえか、完璧主義で自分にも他人にも厳しい。辛辣であり、あまり融通もきかない。
紅が喋らせるなと念押ししていたように、仲間たちは彼の性格を理解している。しかし、外部の人間と接触すればトラブルに発展することも多い。フォローに回るのは大体いつも十里の役割である。
「拓海ぃ~。もうちょっとさ、穏便にいこうよ~」
「なんでですか? 向こうからわざわざ喧嘩を売りにやって来たのに、丸く収めてやる必要があります? 穏便にしたってこいつらの敵意と悪感情は変わらないじゃないですか。敗北したあとで尤もらしく四の五の言う人間は嫌いなんです。十里先輩が新世界派の『罪』に負い目を感じてるの、わかりやすすぎて付け入られるだけですよ」
「迷いがないねぇ、きみは~」
海石榴と名乗った狸顔の女が、にっこりと笑った。十里もお愛想で微笑んだが、どう見ても向こうは怒り心頭だ。
いけずで言い返してくるのかと思いきや、海石榴は敵意に満ちた笑顔で予想外の話を切り出した。
「あんたはんとこの所長で、藍鳥いう名前のお坊さんがいてはりますやろ。あの方、うっとこで預かってますえ」
「……なんだって?」
釋藍鳥はタカオ活版所の所長、通称藍ちゃんと呼ばれている男の法名だ。
不在が多い館の主人の代わりに、まだ若い新世界派五人の世話係を担っている──はずなのだが、なにせ本人が不品行のためあまり敬われていない不良坊主である。
「身柄を拘束してるってことかい? きみたちに何の権限があってそんなことを……」
「我々『黒菊』の後見人に、関東の遊廓を牛耳る元締めがいる。権限もあれば、証文もある」
藤と名乗った狐顔の男が一枚の紙をテーブルに置いた。
十里は無言で手に取ってさっと目を通すと、短く感想を言った。
「あちゃー」
「十里先輩、何の証文ですか?」
返答代わりに拓海にも紙を手渡す。
美青年は文書を読み、冷淡な声で要約した。
「つまり、遊廓で揚げ代が払えなくなってチンチロリンで稼ごうとするも大敗、そのうえ同じ店で遊女をとっかえたため修羅場を起こし部屋の修理代を請求され、多額の借金と引き換えに連行されたんですね。先輩、うちの所長は阿呆ですか?」
「悲しいことだよねぇ……」
綺麗なままで証文を藤に返すと、十里と拓海は棒読みで口々に言った。
「ちょっとは良いところもあったんだけれどねぇ」
「そうですね。安らかに眠ってくれると助かります」
「曲がりなりにも本職の僧侶だからさ。きっちり成仏してほしいね~」
「化けて出る性格じゃありませんよ。どんな死に方をしても、心残りなんかないと言い放つでしょう」
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏~☆」
ついにはお経を唱え始めるハーフの青年。
「な、見捨てるのか!?」
信じられないものを見るような目つきで、藤が椅子から立ち上がった。
***
隣の歓談室では虎丸、紅、八雲の三人が引き続き会話を盗み聞きしている最中だった。
「拓海のやつ、めっちゃ言うやん。ええぞぉー。あいつの性格の悪さが今だけは頼もしく見えるわ。てか、『らんてう』って誰や。新しい登場人物?」
「タカオ活版所の所長だよ。八雲ぶちょー、先週くらいに迎えに行ってなかったっけ?」
「すみません、まさかこのような事態になるとは。私が最後に無事な姿で会っていたのですが、つい置いて帰ってしまいました。すっきりしました」
「まあしょうがねーよ。五人のうち誰が行っても置いてきてたって。あ、あいつらやっと諦めたみたいだぜ」
招かざる客が、ようやく席を立った。
玄関まで見張りを兼ねて見送りにきた十里と拓海に向かって、藤は言った。
「……伝言だ。我ら『黒菊』の代表からのな。釋藍鳥と引き換えに『幻想写本』の原本を引き渡せ、だそうだ。確かに伝えたぞ」
鋭い目で睨み、藤と海石榴は黒い菊の装飾が施された馬車に乗って去っていった。ふたりの後ろ姿、首筋にはそれぞれの名前についた花を模した黒い入れ墨が刻まれていた。
蹄の音が遠くなった頃、歓談室から出てきた虎丸たちが廊下をばたばたと走ってきた。
「ジュリィさーん、大丈夫でした?」
「ああ、虎丸くん。見てたとおりさ。問題ないよ」
「覗いとったの、わかるんです?」
「僕たちもよくやるから。あ、普段から覗いてるわけじゃないよ。問題が起こったときは互いにね。それに、誰かが近くで文字の力を使うとなんとなく気配を感じるんだ」
閉ざされた玄関の扉の、見えるはずない向こう側を見据えながら拓海が言った。
「そう。肌を針で刺されたみたいに、気配を感じる。かなりでかいですよ」
「はぁ、やっと帰ったと思ったのにな~。拓海が怒らせるから~」
二人のやり取りに虎丸は首をかしげるが、どうやらまだ終わってないということらしい。
「これほど大がかりな力、最初から用意してないと出せません。俺は関係ないです」
「彼らはついでに胸の内をぶちまけただけで、真の目的は上に命じられ罠を置いていくことだった、ってところかな。ずいぶんな置き土産だねぇ。さーて鬼が出るか蛇が出るか」
十里が萬年筆を取り出し、走らせる。
白鬼子の記憶を浮かび上がらせたときと同じだ。タカオ邸の外の景色が、映写機で投影した活動写真のように虚空に現れた。
「おお、なんやこれ!?」
「タカオ邸の周りを映してるだけ~。数年前に帝大が超能力の公開実験をやって話題になったの知ってる? それと似たもの、専門用語で千里眼と念写ってやつさ」
「ああ、あれは結局イカサマってことで終わったんでしたっけ。十里さんやのに千里眼~名付けて十里眼ってか。うわ、なんか集まってきた!」
「敵がどこから来るかわからないからぐるっと映したのに、まさか全方位から来るとはねぇ……」
見るからにごろつきといった風貌の男たちが暗闇からわらわらと這い出てきて、タカオ邸を取り囲み始めた。それぞれドスや日本刀を携え、怒号をあげている。
「コワモテがいっぱい! 薙ぎ倒しがいありそー!」
嬉しそうな紅に向かって、十里が言った。
「紅だけで倒すのは無理だよ。刃物を持った敵が百はいる」
「なんでだよ、大丈夫だって。ただの人間相手なら、文字の力を使えば百人斬りくらいよゆーだよ」
「ただの人間じゃない。彼らは潜んでいたんじゃなくて、たった今突然現れた。文字の気配に一番敏感な拓海ならわかっただろう?」
「はい。館を囲んでいる塊のような気配は、さっきいきなり出現しました。全員に何らかの力を付与したか、あるいは全員が形容化された文字そのものです」
館内になだれ込んでくるものかと思っていたが、そうではないようだ。ごろつきの群れの中で、次々と火がともり始めた。弓を構え、館に向かって引いている。
「火矢かよ!!」
「油の樽を持ってる奴もいる。引き渡せなんて言ってたのに、乱暴なことするねぇ。うちの盾役だった藍ちゃんを捕らえたからって、いきなりの実力行使なんて」
「生臭坊主、一応役に立ってたんだな。しょうがねーから助けに行ってやるか」
「その前に、僕らが焼け死にそうだけどね~」
十里と紅の会話に、ずっと黙っていた八雲が口を挟んだ。
「紅と虎丸君頼りで申し訳ありませんが、包囲のどこかを一点突破して脱出しましょう。無理そうなら私が囮になります」
「でも、あいつらの目的は『幻想写本』……つまり文字の力の源なんだろ。狙いは八雲ぶちょーってことだぜ?」
「だからですよ。そもそもの元凶が私とはいえ、あなたたちまで死なせるわけにはいきませんから」
紅の頭に手を置いて、八雲は言った。横で十里がしゃれにならない冗談を飛ばしている。
「じゃあ僕たちも生き返ってさ、作家が全員死んだはずなのに刊行され続ける同人雑誌っていうのも、面白くない~?」
「面白くねー! つーかさ、茜と白玉を連れてかなきゃなんねーじゃん。離れは大丈夫っぽいけど、地下の棺も回収しないと」
「それもそうだね、じゃあまずは茜を探しに──」
ぽつりと、拓海が言った。
「……虎丸がいない」
「はあ!? 今の今まで十里眼とかくだらねーこと言ってただろ!?」
紅は慌てて廊下を見渡したが、虎丸の姿はどこにもなかった。




