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六 銀世界に降るは絶望と、救いと

 二本の(なた)が交互に、次から次へと降ってくる。

 刃渡りは人間の背丈を超えるのだ。こうも振り回されては先ほどのように止めることはできず、受け流すか避けるしかない。

 防御で精一杯というわけではなかった。広い場所に移った分、黒鬼より身軽な虎丸は隙さえ見つければ踏み込んでいける。だが、積極的に攻撃に転じることのできない思いがあった。



──このまま闘って、ええんか?

 母親の『黒鬼女(くろきじょ)』に受け入れてもらえな、『白鬼子(しろきし)』はいつまでも救われへん。



 白鬼子は竹林の隅で積もりゆく雪を眺め、ぼうっと立っている。虎丸と黒鬼女の闘いに無関心というよりは、完全に心を閉ざしているように見えた。


「くそぅ、どうしよ。白鬼子、おまえはオレにどうしてほしいねん! 倒してほしいなら倒すし、嫌なんやったら倒さへんし! 実際に倒せるかは置いといて!」

「話しかけちゃダメだってば」

「あ……」


 後ろから虎丸の肩を叩いたのは、金に透ける髪を揺らした十里(じゅうり)だった。数歩先に八雲の姿もある。


「きみは気づかない……いや、気づきたくないだろうから、はっきり言うよ。白鬼子は救えない」

「ジュリィさん……」

「違った結末で記憶を上塗りして、死霊や物の怪を鎮める方法はもちろんあるよ。でも、この鬼の物語の結末はどうしたって変わらないんだ。何故だかわかる?」

「わかりません!」


 黒鬼女の鉈が地面を割る。

 すんでのところで虎丸は十里を突き飛ばし、攻撃から逃れた。


 左手に傘の本体、右手に抜いた刃を持って、駆けだす。

 振り下ろされた鉈は汽車がぶつかってきたような重さで、鉄の芯が入った番傘はぐにゃりと曲がって破壊された。


 それでも怯まず、叫んだ。


「黒鬼女! オレの言葉じゃ、届かへんのや。オレじゃあいつの悲しみと絶望は癒せへん。角生やして産まれてきたって自分の子供やろ、一度くらいちゃんと呼びかけてやれや!」


 虎丸が声をかけたのは白鬼子だったが、鬼同士で連動するように黒鬼女の肉体が変化しはじめた。めりめりと音を立てて、黒い腕が新たに生える。合計六本の腕すべてに、巨大な鉈を持っていた。


「あ、あれぇ!? また強くなった!?」

「ダメだよ、虎丸くーん。さらなる絶望を突きつけちゃ。きみが自分で言ったとおり、他人がどんなに優しくしても、声は届かないよ。この鬼が求めているのは母親だからね、悲しみを加速させるだけだ」


 六つの鉈が、同時に攻撃してくる。こうなってはさすがの虎丸も逃げの一択だ。


「感情が募ってどんどん力を増してる。もう、人間が相手をできる強さを超えてるよ。この感情は僕の『担当』だし、利用するのは得意分野なんだ。始末をつけるから、部長は補助をお願い。とりあえず白鬼の心を無理やりこじ開けられるかい?」

「はい」


 八雲がインクの滲んだペンを走らせる。

 吹雪く竹林を背景とした空中に描きだしたのは、


 慈愛


 の文字。


 六本の腕を持った恐ろしい黒鬼女の姿が、一瞬にしてまやかしに包まれた。

 江戸時代の裕福層に流行った柄の着物を身につけ、長い黒髪を下ろした女性。綺麗な笑顔で、白鬼に向けて両手を開いていた。



 かあさま……?



 白鬼の子が雪を踏み、母親に縋りつく。



虚構(うそ)だよ……』



 冷たい風が、そう囁いた気がした。

 誰の声でもない、しいていうなら八雲のものだ。


 『慈愛』の字がくるりとひっくり返り、『憎悪』に変化した。



──オセロみたいに裏返しの、嘘の文体……。

 この感じ、もしかして……。



 虎丸の頭にある作家の文体がよぎった瞬間、子を抱き寄せた母親の形相が再び鬼へと変貌する。

 白い雪に落ちた真っ黒な影が音を立てて肥大化し、悪鬼を映していた。

 抱かれた白鬼子はまだ、母親の変化に気づいていない。


「殻から出て、反応しましたね。十里君、交代です」

「了解だよ~」


 八雲に返事をして、十里はさらさらと萬年筆(まんねんひつ)で虚空に文字を書いた。



──『悲哀』の操觚者(そうこしゃ)永鷲見十里(ながずみじゅうり)の名において命ずる。時間の源流よ、文字に現れし鬼の記憶を映し、より深い絶望を与えよう。



 十里の文字とともに出現したのは、絵巻物のように連なった記憶の映像だ。

 白い子供が虐げられた、詳細の記憶。母親に殴られたときの音、感触。外に捨て置かれたときの外気の冷たさ。求めても求めても呼んでもらえない名前、()()と冷たく指差される声。母親の呪詛の言葉。

 白鬼の持つ記憶がほとんど無理やりに、この場にいる全員の目と耳に入り込んできた。


 黒鬼女を見上げ、魂が抜けたようだった白鬼子の表情が変化する。

 絶望の、顔。



 ああ、やっぱり……かあさまを、殺さないと……



 鬼の子は悲鳴をあげ、動きだした。

 両手に持った扇で黒鬼女の六つの腕をそぎ落とし、細い腕から信じられないような力でなぎ倒した。


 地面に放り出された鉈を手に取って、何度も何度も地面を叩く。刃で黒い髪と、肉を断つ。



 かあさま、かあさま、かあさま、ごめんなさい、さようなら、ごめんなさい、ごめんなさい、さようなら、ごめんなさい、ごめんなさい、さようなら、ごめんなさい、産まれてきてごめんなさい、ごめんなさい、さようなら、ごめんなさい、さようなら



 さっきも見た光景だが、悲惨さに慣れるはずもない。

 白鬼子の装束が赤く染まる。黒鬼女はやがて動かぬ肉片となり、白い雪が積もっていく。


 虎丸は地面に手と膝をついて子どものように泣きだした。


「わー、号泣してる」

「なっ、なんでこんなひどいことするんですかぁ。わざわざ白鬼子をもっかい絶望に突き落として、母ちゃんを殺させんでもええやないですかぁ」


 十里は少し困った顔をすると、膝をついて虎丸の肩に手を置き、諭すように言った。


「駄目なんだよ、虎丸くん。終わりを迎えるため、もう、こうするしかなかったんだ」


 黒鬼は消え、ゆらりと立ち尽していた白鬼も、赤く染まった自身の装束を握りしめてうつむき、やがて消えた。

 雪の上に残っていたのは、血で『白鬼子』と書かれた木片だ。彼が育った二階の床板の一部を剥がしたもの。一度も直接呼ばれることのなかった、でも彼が唯一持っていた名前。


「これが『白鬼子』という物の怪の、物語の結末です。終わりを迎えるには黒鬼女を殺して解放させるか、終わらないまま永遠にこの屋敷に縛られているか、どちらかしかありませんでした」

「……八雲さん、高尾姫のときは何回失敗してもあきらめなかったじゃないですか。なんで、今回もそうしてくれへんのですか」

「何度やり直したとしても母親は彼を受け入れず、彼は母親を殺すでしょう。黒鬼女は母親本人ではなく、彼の『絶望』の記憶の投影でしかないからです。白鬼と黒鬼のたどる道筋は変わりません」


 いつものように淡々としていたが、口調に冷たさは感じられなかった。

 柔らかな低い声で、十里が言った。


「どうしようもないんだ。これ以外の展開が見当たらない。白鬼子と黒鬼女は、決して共に生きることはできない。『絶望』という感情はそういうものなんだ。その字の通り、一縷の希望さえない。この感情に囚われてしまった物語の結末は、誰にも変えられないんだよ」



 雪景色が消えていく。



 銀色の世界が広がっていた竹林は狭く、みすぼらしい、ただの朽ち果てた廃屋敷の一部でしかなかった。



──悲しいね。でも、しょうがない。

 しかたがないということが、どうしようもなく悲しい……。



 雪が消える直前に十里の囁いた言葉が、虎丸の頭の片隅に残った。



 ***



 十里がひらひらとしたシャツの前を開けると、左の鎖骨の下に『悲哀』と白い文字が刻まれているのが見えた。

 きらきらと輝く感情の結晶が刻印に吸い込まれていく。


 感情の回収を終えると黙ってボタンを閉め、八雲に向かって頷いた。

 さて、と八雲が話を切り出す。


「黒鬼女をどう引き離すかが一番の悩みの種だったのですが、うまいこといなくなりました。十里君のお手柄ですね。では、白鬼子を呼びましょうか」

「そうだね~☆」

「……はっ??」


 あれほど深刻な空気が流れていたのに、突然の切り替えである。当然、虎丸だけがついていけていない。


「虎丸君、以前私に説教をしたくせに自分の言ったことを忘れましたか。過去は変えられなくても、これから楽しい思い出を作ることはできると、あなたが言ったんでしょう。ほとんどの物の怪は憎しみや悲しみから生まれる存在です。いつでも完璧な形で救うことはできませんがね。私の力で、できることをするだけですよ」

「え、でも、白鬼子消えた……」

「もう部長が物語を書き終えてるから大丈夫。消えたんじゃなくて原稿用紙に封印したんだよ~。目的は使い魔を得ることだって説明したじゃない」

「は? え?」


 まだ状況を理解しておらず呆けている虎丸に、十里はにこにこして説明を続けた。


「でも、あのままじゃ黒鬼までついてきちゃうからさ。映像を喚起する僕の力を利用して母親から解放させたんだよ。荒療治だけれど、とても人に倒せる強さじゃなかったからね。きみはやろうとしてたけどさ〜」


 八雲が袂からがさがさと取り出した原稿用紙には、たしかに『白鬼子』と題のついた物語が書かれている。


「いでよ、白鬼子」

「ちょっと呼びだし方が大雑把すぎやしないかい? 簡略化しすぎ~」

「なにかを命じるわけでもないので、出てくればいいのです」


 きらめく文字と雪に包まれ、白鬼子が姿を現した。

 先ほどまでと少し雰囲気が違う。雪をまとった体や立派になった衣装もそうだが、なにより虎丸は赤い瞳と初めてちゃんと目が合って驚いた。


「し、白鬼子ぃ! 生きとったんか!」

「もとより生きてはいないですね」

「水差さんでください! ちょっとだけ、なんか変わりました?」

「彼の『絶望』という感情の発生源は黒鬼女の存在だったので、消滅したことで理性が戻っています。そのぶん、感情全開状態より闘う力も多少は落ちるでしょうが」


 

──そうか、使い魔ってやつになれば()()()()があんのや。

 一緒に過ごして、悲しい過去を吹っ飛ばすくらい、楽しい思い出を作ることだってできる。



 手放しで喜ぶ虎丸をよそに、八雲は抑揚のない口調で白い鬼にふたつの選択肢を提示した。


「白鬼子、あなたの所有権は私に移りました。ですが、無理に使い魔になってほしいとは言いません。使い魔は自由を奪われ、私の命令には逆らえないのですから。このまま、あなたを消すこともできます。──どうしますか?」


 静かに、雪が降るような声で。

 白鬼は答えた。


 人の言葉として聞こえたわけではない。

 だが、なだれ込んできた感情によって、虎丸には声の意味することを理解した。



『自分がここにいることを知って、名を呼んでくれるだれかが欲しい』



 幻想文学作家は微笑んで、言った。


「では、ともに行きましょう。新たな名は『銀雪(ぎんせつ)』。あなたがここにいることを、私たちが知っています」


 白い鬼が八雲の手を取り、吸い込まれて消える。


 まだ、秋の終わりだというのに。

 虎丸が東京の晴れた明るい空を見上げると、祝福のような初雪がぽつぽつと落ちた。

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