二 禁忌でつながれた仲間
いつものように豪華な夕食を終えたあと、食堂にはふたり分の人影が残っていた。
無表情な幻想文学作家・八来町八雲。
そしてもうひとりは新世界派の部員であり、先ほどタカオ邸に帰ってきたハーフの青年・永鷲見十里である。
縦長のテーブルで向かい合わせに座り、八雲は使用人が用意した煙草盆を手前に置いて煙管を吸っている。十里は頬杖をついてにこにこと話を聞いていた。
「──と、ここまでが七高という男について判明した全てです」
「ふうん、なるほどね。生身の人間が、文字になるんだ」
「少し足を伸ばして戸籍を調べましたが、彼が東京で生まれ育ったことに間違いはありません。丸ごとすげ替わっている可能性もありますが、ゼロから作られた架空にしては人格が確立しすぎていますのでまぁあれが本人でしょう。十里君、事件の真相に心当たりはありませんか」
「心当たりね、あるよ~」
十里は笑顔を崩さず言った。
「おや、是非見解を聞きたいです」
「え~、僕らの悪行を止めたくてたまらない人たちが文壇にいるじゃない。僕らの元を去った彼と、その関係者だよ。黒菊の入れ墨をした男とかいうのは知らないけどさ。確証を探してるだけで、部長ももうわかってるんでしょ?」
笑みを崩さない十里に、煙を吐きながら八雲は無機質な視線を投げる。
「本当に、あなたはいつも明快でストレエトですね。裏も表もなくただただシンプルです」
「褒められてるのかなぁ。言葉はいくらでもシンプルにできるけれど、人間の感情や行動はそうもいかないんだ。だから複雑な立場になっちゃって、僕も困ってるんだよ~」
「はい。苦労かけます」
「まったくだよ~。いうなれば僕の気持ちは新世界派の敵側、彼らと同じだからね。僕はここにいるけれど、絶対に貴方を止めたいんだ。貴方のやろうとしていることを。でも裏切らないよ、仲間だから。もう誰も失いたくないんだよね」
十里の笑顔は固まったまま、薄い色の瞳が射ぬくように八雲を見つめている。
「有難うございます。あなたのような人が身内にいてくれたほうが、安心できます。目的という名の悪行が達成され、私が完全に人の道を外れたとき──。そのときはあなたが、私を消してください」
「うん、わかった~☆」
「お願いしますね」
「……うそだよ、紅が泣くじゃん。なんなら僕も泣くし」
今度は八雲が微笑み返した。
***
「ボンジュウル! 外はいい天気だね~☆☆☆」
「ジュリさん、おはようございます。朝から元気にぎょうさん星飛ばしてますねぇ」
長身で伊達男、仏蘭西人ハーフ、天真爛漫でハイテンション。絶好調で登場したのは同人雑誌『新世界』で小説を発表している部員の一人、永鷲見十里だ。
「♡♡♡も出るよ~」
「うわ、ほんまに出た! 無駄なことに力使わんといてくださいよぉ」
虎丸が星と表現しているのは、十里がウィンクするたび飛んでいる気がするイメージ上の話だ。しかし十里は胸のポケットから萬年筆を取り出してハートマークを書き、本当に空中でふわふわと浮かせ始めた。
彼らの扱う不思議な文字は虚空に描かれ、現実に具現化したり、対象に言葉の持つ意味を付与したりできるのである。
「ハァトといえば与謝野晶子『みだれ髪』の表紙ですかね。これ、どういう効果を発揮するんです? まさか男しかおらへんこの部屋でラヴが発生したりしませんよね?」
「その記号は、ただの無です。情念がこもっていない文字に何の効果もありません」
浮遊するハートの群れからじりじりと遠ざかる虎丸に、めずらしく朝食の席にいる八雲が言った。
「ジュリさんの、情念がこもっていないラヴ……」
「あはは、人聞きの悪い言い方やめて」
「仏蘭西っぽいノリで軽率に情熱的なロマンスしてそぉ」
「まぁ、きみよりはね」
「痛い痛い、攻撃が跳ね返ってきた~」
言葉そのままの意味を付与できる、と虎丸は理解していたのだが、十里の説明によるとどうやらそう単純なものでもないらしい。
「思いをこめる必要があるってことはさ、嘘をつくこともできるんだよね。簡単に例えると文字で『嫌い』って書いていたとしても、そこにこめられた想いは『好き』かもしれないってことさ」
「嘘って……この力で、ってこと?」
「そう。僕なんかはどうやっても文字につられて本音漏れちゃうから苦手。でも、前に新世界派の部員五人で空中将棋大会したときさ~」
「アンタら何しとるん?」
「八雲部長は『文字とこめた意味を逆転させる』の大得意だから、もうめちゃくちゃだったよね~。歩って書いてるのに実は銀なんだよ。持ち駒を書き換えられたらわけわかんないよ。ていうかふつうにずるくない?」
文字と逆に意味を込める。なんだか複雑だが、まさにそういった小説を書く作家がいたなぁと虎丸が思いを馳せていると、八雲がしれっとした態度で言い放った。
「そもそも文字の力自体が虚構なのですから、虚構に虚構を重ねても大会規則の範囲内ですよ」
「うわ、詭弁~。でも結局は決勝で絡繰り人形マニヤの坊やに負けたよね」
「小細工などしても頭脳戦で彼には勝てません。表面的な情報に惑わされず、私が駒をどう動かすか完璧に読んでいましたから」
突然、十里が両手をぱんっと合わせた。
「あっ、そうだ。虎丸くん、今日暇?」
「昼過ぎまでは仕事ありますけど、そのあとやったら早めに切り上げられると思います。どうかしました?」
「じゃあさ、午後は三人で銀座行かない?」
「銀座!! あの、銀座!!」
そう、あの銀座。
流行の最先端、ファッショナブルの象徴。モダン・ボーイとモダン・ガール──通称モボとモガが闊歩する、めくるめく大人の街、あの銀座である。
粋と流行りものが大好きな虎丸の行ってみたい場所ナンバーワン。横浜や浅草を抑えて堂々の一位に輝くのが銀座なのだ。
「私の予定は聞かないのですか」
「部長は自室で原稿か、自室で読書か、自室で調べものでしょ?」
「残念ながらどれもはずれです。自室でアンナと遊ぶ予定があります」
「虎丸くんはこれから東京市内まで出るんだよね。終わる頃に銀座で待ち合わせしようよ」
八雲の主張をすっと無視した十里を見てちょっと真似してみたいと思う虎丸だったが、自分ではあっさりと反撃されそうなので実行に移す勇気はない。
「やったぁ、憧れの銀ブラや!! 何しにいくんです!? カフヱですか、買い物ですか!?」
「使い魔を入手しに、だよ~」
「……」
「あはははは、目に見えてテンション落ちた」
なんとなく予感はあったものの。
期待を裏切らないというか、まったく怪奇現象と仲良しな作家たちである。
「使い魔? ということは、私のですか」
と、八雲が意外そうに尋ねる。
「そうだよ、アンナがただのタヌキになっちゃって不便でしょ。僕らは武道の心得がないんだしさ、紅や藍ちゃんがいないときに野生の文字と遭遇したら危なくない? 滅多に帰らない藍ちゃんを数に入れるのは微妙だけど」
「あれは素行不良なので、もううちの子じゃないです。確かに、これほど早く高尾姫がいなくなると思っていませんでした。彼女は千年近く存在した物の怪だけあって大抵のものは食べられましたし。十里君がわざわざ言いだすということは、当てがあるんですね」
「うん、そう~。じつはちょっと厄介な物の怪とトラブっちゃってさ、部長の使い魔にしちゃえば問題も解決、一石二鳥だよね~☆」
十里は「ものすごい名案を言った」という顔をしているが──要するに、だ。
「うわ、自分のトラブル押しつけようとしとるで! でも銀ブラしたいから行きます!」
「お礼にランチくらいはご馳走するよ。だから今度は僕の『闘者』になってくれるかい? 荒事はよろしく頼むね、虎丸くん☆」
「やっぱり戦闘要員ですかぁ~☆」
「うんうん、いい星出てるね~☆」
頭の中で天秤にかけた結果、銀座でランチにひれ伏した虎丸だった。




