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一 まぎれもない、特別な人

「僕はジュリ・ジュウル・ナガズミ・ジェロウム。ママンが仏蘭西(ふらんす)人なんだ」

「ジュ、ジュ、ジェ!?」

「小説は永鷲見(ながずみ)十里(じゅうり)って筆名で書いてるよ。帝大の二年、二十一歳。よろしくね~」


 髪の色、瞳の色、服装、名前、ゆるい喋り方に天真爛漫な笑顔。

 全体的にきらきらでふわふわした男、というのが虎丸の抱いた第一印象である。


 ひらひらとフリルのついたシャツ。その上には新聞連載で大人気だった翻案探偵小説『ホルムスシリーズ』に登場する、本間(ホルムス)和田(ワトスン)が挿絵で着ていそうなベストつきのスーツを着ている。

 さすがはファッショナブルの本場・欧羅巴(えうろっぱ)仕込みだ。派手なことでは多少自信があったのに、並んで立つと完全にかすんでしまい虎丸は無性に悔しいのだった。



──永鷲見(ながずみ)十里(じゅうり)


 その筆名には覚えがあった。同人雑誌『新世界』の部員一覧に載っていた作家だ。軽く目を通した感じでは、西欧の耽美主義的な小説という印象だった。


 少なからず対抗意識を持って、虎丸は握手をしてきた十里(じゅうり)の手を握り返し、低い声で囁いた。


「ランボオ……」

「ん、ランボオの詩が好きなの?」

「いえ……知っとる仏蘭西語が他になかったんでなんとなく言いました」

「あはは、僕、めちゃくちゃ日本語喋ってるのにね~。編集くんの話も聞きたいな。座ってお話しようよ」

「うーん、これは」


 これは、驚いたことにまともだ。まともな人だ。小説家なのに。

 テーブルの椅子にかけながら、虎丸は感動していた。


「初対面で踏んづけてきたり、座って寝たりせえへんのや……」

「え~? もしかすると座って寝てるかもよ?」

「タカオ邸は忍者屋敷ですかね!」

「うそうそ、ふかふかのベッドじゃないと無理~」


 しかし、というか。

 ベッドがふかふかなのは構わないが、なんともふわふわした喋り方の青年だ。

 

「ジュリィの部屋だけ、どこぞの王子様みたいな布が垂れた馬鹿でかいベッドがあるんだよな。どっから持ってきたんだよあれ」


 (コウ)は夕食前だというのにジャムのかかったワッフルを間食しており、銀色のフォークの先端で不躾にハーフの青年を指した。


「ないしょ~☆ ヒントは地下だよ~」

「ウィンクに星が飛んどる……」


 やっぱりちょっと変わっているかもしれない。

 と、経験上つい疑ってしまうが、ウィンクと星くらいなら許容範囲である。


 十里(じゅうり)は「あ、そうだ」と言って胸の前で手のひらを合わせると、椅子に置いていた自分の鞄をごそごそと探り始めた。


「脱稿後、横浜に行ってたんだ。お土産買ってきたよ~。ほら、紅、つけてあげるからこっちおいで」


 取り出したのはいかにも女子が好みそうな、綺麗な包装紙だった。

 

 その光景をぼうっと眺めながら、虎丸は頭の中だけでうーんと唸った。

 朗らかで、人当たりのいい青年であることに間違いはない。でも、七高(しちたか)のときとは種類が別だがどこかもやもやする。自分の気持ちが、何故かこの青年を信用したくないと言っている。

 飲み込めない感情を抱いたまま、隣に座っていた八雲にこそっと耳打ちをした。


「ねえ、八雲さん。ああいうホニャララした人ほど、じつは悪役やったって勧懲(かんちょう)小説の定番とちゃいます? にこやかすぎて絶対うさんくさ……」


 そこまで言って、虎丸は自身の言葉を切る。


「……いや、ええ奴やな、たぶんあれは」


 感情を抑えて言い直した虎丸に、八雲は穏やかな口調で答えた。


「少しお花畑ですが、彼は善人ですよ。皆に等しく優しい。あなたとも良い友人になれるでしょう」


 対抗してみたり、無理にでも敵視したかったのは、おそらくさっき裏庭で八雲から聞いた話のせいだ。

 自分たちは文字の力を悪用していると、幻想文学作家は言った。悪事の内容はわからないが、きっとどこかに後ろで糸を引く人物がいて、八雲や紅は利用されているだけなのではないかと思いたかったのだ。


 虎丸は人を見る目がないわけではない。

 向かい側の席にいる人物の明るい笑顔に、裏があるようには思えなかった。


「はい、口が過ぎました。皆さんの仲間やのに。すんません」

「謝れるのは良い子です」

「よいこて」


 頭を切り替えて、彼とも親しくなろうと虎丸が決意したそのときだ。

 まったく予想していなかった悩みごとが、突然持ち上がることとなった。


「ねっ、八雲部長と虎丸くんも見てよ~、舶来品のお店に売ってたんだ。可愛いでしょ?」


 十里が買ってきたという土産は、天鵞絨(びろうど)の細いリボンだった。光沢は艶やかで細かい毛が立っており、あたたかみのある生地が秋冬に合いそうだ。


 左右で結われた紅の長い髪にひとつずつ、十里が器用に蝶結びをしている。

 黒一色なのがシックでとてもいい。と、虎丸はさっきまでの葛藤も忘れ、何度も首を縦に振りながら賛同した。

 

「かっ、かわいいですう。紅ちゃん最高!」

「ちやほやすんな、うざい」


 かなり本気で褒めたというのに、暴言が返ってくる。だが、想定内だ。虎丸は気にもせず鼻の下を伸ばして称賛を続けた。


「えーほんまやのに。黙ってればちゃんと似合いますよねぇ、八雲さん」

「ええ、赤い髪によく映えます」


 話を振られた八雲は無表情で感想を述べる。表情が変わらないだけで嘘ではない。

 虎丸が添えたよけいな一言は完全に無視して、紅が八雲に聞き返した。


「ほっ、ほんと!? 可愛い?」

「可愛いですよ」



──あれ?



 虎丸は一瞬、違和感を抱いた。



──あっ、これはこれは……。なんちゅうか、あれですか。



「ちょ、ちょっとオレ、(かわや)に行ってきますわぁ」


 適当な言い訳をして、一人で廊下に出ていった。



 ***



 食堂から見えない場所まで来ると、壁に背をついて顎に手を添え、うーんと唸る。


「あーあー、これはあれや。ていうか、なんで今の今まで気づかへんかったんや。考えてみたら当然っちゅうか、ちゃんと見てたら絶対にすぐ気づくはずやん。洞察力に定評のある虎丸君が情けないなぁ」


 思わず目を奪われた、今までに見たことのない紅の表情。

 虎丸に辛辣なのはいつものことだが、八雲に褒められたときだけは乱暴でも粗野でもない普通の女の子の顔をしていた。



『紅ちゃんは、本当に好きな人に好きって気持ちを伝えることもなく』



 田町遊郭で聞いた茜の言葉が、ずっと気になってはいたのだ。

 そうかぁ、そういうことやったんや。と、知ったあとでは納得しかなく、事実よりもまったくわかっていなかった自分にこそ驚いた。


「なになに、失恋した?」


 曲がり角から長身の青年が顔を出し、虎丸を覗き込む。様子がおかしなことに気づいて追ってきたのは先に知り合った二人ではなく、なんともふわっとしたハーフの青年、十里だった。


「べつに。まだ本格的に惚れとったわけちゃいますしー」


 初対面の十里にすぐ見抜かれてはばつが悪いので、虎丸は思わず否定して横を向いた。少し反抗的な虎丸の態度も意に介さず、十里は言った。


「でもさ、今、自覚しちゃったんだと思うよ~。紅の気持ちに気づくと同時に、自分の恋の始まりにもね。三人の表情を順番に見てると面白かったなぁ。いやぁ、現実も小説みたいに皮肉だね~☆」

「ぐっ、この人、腹黒とはちょっとちゃうけど天然の辛辣や。星飛ばすし」


 口調は柔らかいのに遠慮のない十里に、虎丸は声を詰まらせる。


「でも、八雲さんは紅ちゃんが女の子やて知らんはずですよね。あ、ジュリィさんにばらしてもうた」

「僕は知ってるに決まってるじゃない。初めて会ったとき男の格好してたけどさ、『きみ、女の子だよね?』ってすぐさま聞いたよ~」

「わあ、ストレエトさがすっごい外国の人っぽいわぁ……」

「普通はわかるよ。知らないというか、考えようともしないのは部長くらいのものさ。鈍い人じゃないし、気づいてないというより深く追求しないって感じだけれど、異性として無関心なのは可哀想だよね~」


 ふわふわとした喋り方で、ずばずばと言う。


「ん〜とにかく、今はまだ紅ちゃんの一方的な片想いなんですね。八雲さんが無関心ならつけいる隙はあると思うんやけど〜」


 うーんどうかな、と、十里は困った顔をして笑った。


「八雲部長は、恋敵としては圧倒的に強敵だよ~。うちの部員に歌舞伎役者も顔負けの超美丈夫がいるんだけれどね、その子よりずっと嫌な相手だよ。だって、誰もあの人にはなれないからね」

「誰も、あの人には……」

「うん。文壇から見た僕たち新世界派の評価は所詮ただの若手、せいぜい期待の新人程度。でも、あの人だけはまぎれもない天才だから」


 虎丸はそれ以上何も言い返せなかった。


 間違いなく、そうなのだろう。相違ない事実だ。

 紅の好きな相手を知っても、気づくのが遅かったと思っただけで焦りは感じていない。張り合う気にも嫉妬する気にもなれないのは、八雲が特別な人だから──と、虎丸もわかっているからだった。


 本人に改めて伝えたことはないが、虎丸は八雲の才能にかなり惚れ込んでいるのだ。

 『狂人ダイアリイ』を初めて読んだ日の衝撃を、忘れるはずはない。


 これまでも度々口にしているように、虎丸には敬愛する作家が()()


「あの、オレ、すごい好きな作家がおったんです」

「ん~?」

「ずっと小説家に憧れとって、中学の頃その人の小説を読んで、これを超えるなんて自分には絶対無理やと諦めました。まあそれでも書く奴が、作家になるんでしょうけど」

「未練はない?」


 顔を見たこともないその人は、もういない。

 十代で文壇に登場し、天才、鬼才の称賛をほしいままにした若き作家は、何作かの小説を発表したあとわずか数年であっけなくこの世を去った。


「ないです。でも、その作家の訃報を聞いたとき、かわりに自分が心底惚れ込んだ作家を世に出したいって思いました。オレは編集者にどうしてもなりたいんです」


 すでに亡き作家の小説に出会ったときと同じ高揚を、東京に向かう汽車の中でたしかに感じたのだ。


「せやから、八雲さんには絶対に敵わへんのはわかってます。でも……」


 考えてもしかたのないことは、考えないのが虎丸の信条である。頭に湧いた雑念を振り払い、開き直ることにした。



「……よう考えてみたら、オレはべつにアバンチュウルしに来たわけちゃうし、そもそも仕事中やし。来月には大阪戻るし〜。つまり、悩んでもしゃーないから、この話は置いときます!!」



 話の着地点が意外だったらしく、十里は口元に手を添えて笑いだした。


「ふっ、あはは。さっぱりした性格してるね。僕はその感じ、好きだよ~」

「ほんなら、ジュリィさんとアバンチュウルしますわぁ」

「ぜったいやだな~☆」


 じりじりと迫る虎丸を、十里が(かわ)す。

 じゃれている二人の横を、メイド姿の茜が通りかかった。


 仕事中なので女子バージョンで、着物の上に白いフリルのエプロンをつけていた。切り落とされた自身の髪をつけ毛として使っているらしく、後頭部の高いところでうまいこと結っている。

 夕食の準備で、おしとやかな外見に似つかわしくない量の食器を運んでいる最中だった。


「あら、十里さん帰ってたのね。おかえりなさい。今、源氏と小君的な展開が起こってたかしら?」

「茜、しばらくぶりだね! ううん、きみの趣味嗜好的な展開はなにも起こってないよ~。茜にもお土産があるからさ、食堂においでよ」

「まあ、嬉しい。なにかしら」

「舶来品の髪飾りだよ。茜は柄の入った大きめのやつにしたんだ」

 

 食堂のテーブルに戻って茜を椅子に座らせると、十里は結び目の上にバレッタ型のリボンを留めた。


「すごく綺麗。レェスがあしらわれているのね。八雲さん、どうかしら」

「よく似合いますよ。可愛いです」

「……!」

「あとね、アンナ・カレヱニナのぶんもあるよ~。こっちは臙脂(えんじ)色の薔薇がついたデザイン。八雲部長、どう?」

「よいですね。ものすごく可愛いです」

「……!!」


 先ほど褒められたばかりで喜んでいたのも束の間。

 弟やタヌキと同じ調子、むしろアンナへの語調がもっとも強い気のする賛辞を聞いて、紅がショックを受けているのが手に取るようにわかる。



──人のこと言われへんけど、八雲さんの「可愛い」は案外軽いなぁ……。



 複雑な心境ではあるが、紅に対してなんだか同情的になってしまった虎丸であった。

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