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五 黒の刻印(シンボル)を持つ男

 五人の屈強な男たちと、無理やりさらわれてきた|(ように見える)茜。


「そこの、見た感じゴロツキどもぉ! 悪い奴らっぽいから成敗したる!」

「虎丸さん!?」


 曖昧な口上を並べ立て、はりきって彼らの目の前に飛び出したはいいものの──

 虎丸は、自分が丸腰であることに気づいた。


「なんだぁ、このガキ!」

「邪魔するならタダじゃおかねぇ!」


 男たちはいかにもゴロツキらしい台詞を返してきたが、襲いかかってはこなかった。

 すぐに茜が止めたからだ。


「まって! 落ち着いて、虎丸さん。この人たちは知り合いだから」

「へっ? オトモダチ??」


 勢いよく登場したのが恥ずかしくなると同時に、助かったと胸を撫で下ろす。

 虎丸は剣術が専門なので、武器もなく五人を相手取るのは無理だ。無理なのだが、ただならぬ空気を感じてノリで出てきてしまったのである。


 男のうちのひとりが、嘲り笑った。


「そうそう、俺らはずっと昔からの知り合いだ。こいつら姉弟の父親が遺した借金を取り立てる、仲の良いオトモダチだからよぉ。関係ない奴が余計な口を挟みやがったら、もっと不味いことになるのはこいつらだぜ」


 なるほどそういう事情か、と虎丸はようやく腑に落ちる。

 だが、たちの悪い相手であることは変わらなそうだ。


「今月の返済は今日までなんだがなぁ。(コウ)が現れねえから、仕方なくおまえを連れてきたんだよ」

「父親はろくでもないアル中、母親は遊女ときて、弟はオカマ。おまえの姉ちゃんも苦労するなぁ。嫌気が差して逃げたんじゃねえか?」


 好き放題に言われても、茜は表情を変えず黙っている。

 我慢するのは慣れている、そういう顔だ。


 しかし、後ろで結った長い髪に手をかけられたとき、血の気が引いたように怯えた目をした。


「赤毛はめずらしいからな。不吉だが、物好きが高く買う」


 ゴロツキがナイフで結び目の下を、ばっさりと切り落とした。


「あ……」


 首に触れる短い毛先を指で確認して、茜はため息に似た声をあげた。

 高値で売れるのは本当のようで、借金取りは髪を拾ってナイフとともに懐にしまうと満足げに立ち去ろうとする。


 髪で済んだならよかったと虎丸はほっとしていたのだが──茜の様子を見ると、どうやらそういう問題ではないらしい。

 うつむいてしまった茜を前に、小声でこそこそと八雲に尋ねた。


「あ、あのー、八雲さん。オレにはわからへんのやけど、髪を切られるってショックなんですかね? 昔から女の命やて言いますし。あ、でも男子か」

「さあ。私は頓着していないので、わかりかねます」


 そのときだ。

 バキ、という人を鈍器で殴る音と、もはや聞き慣れた罵倒が響いた。


「オマエら、なにしてんだよ! 今日までなんだから夜まで待てよ、ボケ!!」


 どこからか現れた紅は、鞘のついた薙刀で男たちのひとりを殴り倒した。


「紅、てめえ! 踏み倒す気か!?」

「うるせー! 金は返すがオマエらも殴る! 茜に手を出すなら別問題だ!」


 屈強な男がまだ四人いるといっても、真剣を持った有段者が力任せに暴れるとなれば無事では済まない。


「次の返済日も忘れるんじゃねえぞ!」


 本当に踏み倒すとは思っていないようで、男たちは紅が投げつけた金を受け取ると、倒れた仲間を引きずって帰っていった。


「茜、大丈夫か? 悪ぃ、間に合わなくて……」


 紅は座り込んでいた茜の前に片膝をつき、心配そうに顔を覗きこんだ。



「──この長い髪の毛がなきゃ、解放してあげられないのに」



 茜はそう呟いて、下を向いたまま遊廓の奥のほうへと走り去った。紅は遠ざかる背中を見つめて立ち尽くしている。

 赤髪娘の登場に圧倒されていた虎丸は、はっと我に返った。

 ここには八雲がいる。そう判断し、茜の後を追った。


「茜のことは虎丸君に任せましょう。彼には不思議と人を説得する力があります」


 その場に残されて茫然としている紅の頭をくしゃっと撫で、八雲が言った。


「それにしても、借金は(あるじ)に相談すればなんとかなったのでは?」

「……これ以上、甘えるのも迷惑をかけるのも嫌だ。住むところと食べる物があって、茜も学校に行かせてもらってて、好きな小説を書かせてもらってるのに」

「その返答はあなたらしくて、予想通りですね、まったく。近頃は大手出版社からも新世界派への問い合わせが来ていますし、原稿料をもっとふっかけましょうか」


 悪戯っぽく微笑んだ八雲に、紅は眉尻を下げたまま、泣きそうな顔で笑い返した。



 ***



「どこまで行ったんやろ。さすが紅ちゃんのおと、いや、妹や。足速いわぁ」


 見失った茜を追いかけて、虎丸は妓楼(ぎろう)に囲まれた細い路地に入った。

 きょろきょろとあたりを見渡すと、遊廓の隅にある小さな庭先でぼんやりと木を見上げている姿を見つけた。 

 そっと近寄って、声をかける。


「……茜ちゃん、大丈夫?」

「これ、紅梅の木。お正月が過ぎると、むせかえるくらい庭に花の香りが充満するのよ。紅いのは実が小さくて食べるには苦いから、あまり好きじゃなかったのに……。母さんと紅ちゃんとこの置屋で暮らしてた頃を思い出すと、記憶はいつもその香りでいっぱいなの」


 茜は敷地内に建っている古びた平屋にちらりと視線をやって言う。話し方が昨晩と同じ女言葉に戻っていた。


「ここは母さんが働いてた妓楼の裏庭。幼かったからよくわからなかったけど、たぶんそんなに高級な遊女じゃなかったと思う。背は低かったし、でも優しくて。そろそろ年季明けってときに花柳病で死んじゃった」


 虎丸は話を聞くため、浮いた木の幹に黙って座った。茜も背中合わせで腰を落とす。


「父は妓楼の下男で、まとめて追い出されたのね。遊廓で産まれた子供なんて母親にも見捨てられて飢えか赤痢で死んでいく子ばっかりだから、わたしたちはまだましだったのよ」

「そんで、あの村に?」

「うん。紅ちゃんはね、ちょっと前まで男の子の恰好をしてたの。父さんが死ぬまで。今でも性別の話は嫌がるでしょ。ほんとうは可愛い着物も、長い髪もリボンも好きなのに。だってそれは──」


 ためらいがちに詰まった声が、少し震えた。


「それはわたしが、卑怯で臆病だったから。わたしがずるいって言ったから。だってね、父さんと暮らしてすぐの頃は、わたしばっかり殴られてたの。紅ちゃんは女の子だから、殴られなくてずるいって、わたしが言ったの」


 虎丸に向けて話しているというより、まるで自責の告白のようだ。本人は無意識のようだが男と女、二つの口調が混ざり始めた。


「だから紅ちゃんは髪を切って男の子の恰好をして、ぼくに女の子の恰好をさせて、かわりに殴られてたんだ。歳は四つ違うけどぼくより小柄だしね。父さんはお酒の飲みすぎで、着物と髪型さえ取り替えたらどっちがどっちかなんてわからなかったから。せめてぼくもいっしょに伸ばしたら、紅ちゃんは気にいってた長い髪をもう切らなくて済むと思って……」


 小さな庭は日当たりが悪く、肌寒かった。

 茜が赤くなった指を握りしめていたので、虎丸は自分のコートを脱いでその肩にかけた。男子にしては細いが、こうして見ると間違いなく紅よりは広い背中だ。


「紅ちゃんは、ぼくの身代わりになるために女の子であることをやめた。本当に好きな人に好きって気持ちを伝えることもなく、ぼくのために犠牲になることに慣れて、自分のことを大切にしなくなった。もういいよって言ってあげたいのに」


 息はきれぎれだが、涙は流さない。

 なんとなくだが、姉弟揃ってこういう泣き方をするのだろうという気がした。


「──解放してあげたいのに。父さんが死んで、紅ちゃんは女の子の恰好に戻って、それでもまだぼくは……。髪を切られてもあきらめがつくどころか、ぼくはまだ男に戻るのが怖い。紅ちゃんの後ろに隠れてた卑怯者が正体を現すみたいで。服装だけ戻したって、全部は取り戻せないんだ」


 虎丸が何かを言おうとしたとき、路地の向こうから複数の男の声が近づいてくるのが聞こえた。

 ふたりは目を見合わせ、息を潜めて木の陰に隠れた。


 すぐ横を通過していったのは借金取りたちと、先ほどはいなかった男がひとり。


「千代田紅だけじゃなくて、八来町八雲(やらいちょうやくも)も釣れた……? お手柄だねぇ……、お手柄だけどさ……。八王子なんて田舎の遊廓に呼び出された挙げ句、こんなに朝早くから仕事しなきゃいけないなんて……。はぁ、吉原に帰りたい……。ジョセフに会いたい……、ちゃんと餌もらってるかな……」


 先頭を歩いているのは、妙に派手な身なりのうえ、無気力な喋り方の男だ。

 後ろのゴロツキたちが媚びるように機嫌伺いをしている。



──なんや、あいつ。若く見えるけど借金取りのお偉いさんかな。

 黒い蛇の入れ墨……?



 男はぼやきながら、色が抜けてほとんど銀に近い長髪を掻きあげている。

 その左手首には蛇のシルエットの形をした、黒い入れ墨が巻きついていた。

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