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狂人ダイアリー ~大正浪漫幻想活劇~  作者: アザミユメコ@書籍発売中
第十一幕【かはたれ時の追悼歌】
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十三 闇に沈む瞳

 黒菊(クロギク)四天王の天津風(あまつかぜ)(しのぶ)と交戦している最中、突如現れた来訪者。


 齢五十ほどの寡黙そうな男だ。黒い紋付羽織を着込み、いかにも重苦しい雰囲気を放っている。校門のすぐ前に停まった馬車に乗ってやって来たらしい。


 文学の世界に身を置いて、知らぬ者はない。

 文壇を統べる大作家・本郷(ほんごう)真虎(まさとら)──。



「……親父」



 拓海に水をぶっかけられて放心していた虎丸が振り返る。男の顔を見上げ、小さく声を漏らした。

 それを聞いた仲間たちは、同時に反応する。


「えっ」

「あっ」


 十里(じゅうり)が驚愕、拓海は焦りだ。


「なんだって? パパン!? 本郷真虎が? 虎丸くんの?? え、拓海、ほんとに?」

「そうです」


 虎丸は大作家を上目遣いに睨みつけたまま動かない。

 十里はまだ事情を受け止めきれていないらしく、ふたたび拓海に尋ねた。

 

「ええっと、ちょっと頭を整理するね。僕や他の部員は本郷真虎が敵だって知ってたけど、虎丸くんと親子だったのは初耳だよ。逆に虎丸くんは、自分の父親が僕たちの件と関わりがあるのを知らなかった。でも拓海は幼馴染だから、全部わかってたはずだよね?」

「はい、黙っていてすみません。あえて話題を遠ざけてたんです。十里先輩たちにも、虎丸にも。あいつ、昔から父親と仲が良くないので」


 十里はいかにも異人らしいジェスチャーで眉間を押さえ、左右に首を振っている。


「オゥララ、なんてことだ……。たしかに姓が同じだけれど、全然似てないから気づかなかったよ~。虎丸くんも父親が有名人だって話はしなかったしさ」


 と、今度は虎丸に向かって言ったのだが──。


「……」


 眉をしかめ、歯を食いしばって固まっている。

 本郷真虎は座り込んでいる虎丸に一瞥すらせず、静かに真横を通り抜けた。


「ええ、無視するの!? パパンなのに!?」


 そして大作家は、驚いている十里の前で足を止める。


永鷲見(ながずみ)十里君」

「僕!? ……なんでしょうか?」


 突然の指名に十里は困惑していたが、無理やり普段の微笑みを作って聞き返した。

 こんなときこそ自分が落ち着かねばならない、と思い直したのだ。


「茨を退けてもらおう。(それがし)に闘うつもりはない。門下生を迎えに来ただけだ」


 仕掛けてきたのはあちらだというのに勝手な言い分だが、十里もこれ以上続ける気はなかった。

 本郷真虎は危険だ。下手に反抗して、吉原で見せつけられた闇に沈める能力を使われれば全滅しかねない。あのときは(あい)がいたから助かっただけだ。

 底の知れない、しかし圧倒的な強さを持つ男。その本郷が闘う気はないと言ったなら、もう戦闘は完全に終了したのだ。


 手をさっと振り、棘にまみれた茨の『形容化』を解除する。拓海に目線で合図すると、美青年も黙って頷き、薬物の効果を解いた。


(しのぶ)様!! お怪我を……!!」


 茨の障害がなくなると、すぐさま(ふじ)がしのぶのところへ走っていった。

 男装の麗人が自ら棘で貫いた手のひらは、まだかなりの量の血が流れている。


「拓海」

「わかってます」


 短く返事をすると、拓海は迷いなくしのぶのところまで歩いていき、傷ついた左手を取った。



 洗浄 止血 殺菌 縫合 保護



 愛用のガラスペンでさらさらと文字を浮かべる。『治療』の固有能力によりしのぶの傷口はあっという間に処置され、繃帯(ほうたい)が巻かれた。


「俺の『治療』が保てる時間は、距離が離れていれば三日程度。その間に悪化することはない。過ぎれば繃帯も縫合も消えるから医者に行け」

「ありがとう。こうして間近で見ても、きみは本物の美男子だな」


 意味ありげに笑ったしのぶの隣で、藤が悔しそうにギリッと歯を鳴らしている。威圧は発していたが、しのぶを治療してもらった手前何も言えないらしく黙って耐えていた。



「……()くぞ」



 羽織をひるがえし、本郷真虎は馬車へと戻っていく。

 本郷門下の作家たち、しのぶと藤も後に続いた。



「……それだけですか? 虎丸くんは? 父親なんでしょう?」


 

 十里の口から息子の名を聞いて、本郷は一瞬歩みを止めかけたように見えた。しかし、振り返ることなくそのまま去っていった。結局、虎丸の顔を一度も見ることはなかった。


「十里先輩」


 治療を終えて傍に戻ってきた拓海が、十里の肩に手を置いて首を横に振る。

 そして、虎丸に届かないくらいの小声でささやいた。


「皆に黙っていたのは、虎丸に伝わるのが嫌だったんです。本郷真虎はあいつと母親……自分の家族を捨てたのに、裏では遊廓の孤児を引き取って作家に育てていると。子供の頃、小説家になりたいと言っていた虎丸を拒否して切り捨てたのも、俺は知っているので」

「そっか……」


 虎丸の背中に、十里はそっと声をかける。


「虎丸くん、大丈夫かい?」

「あ、あ、あ、」

「あああ?」

「あ、あ、あんの、クソ親父!! フッツーに、しれっと、当たり前に、平然と、生きとるやんけ! くそう、不意打ちで一太刀くらい浴びせればよかった!! 絶対返り討ちやけど!!」

「おっと、わりに元気。よかった~☆」


 ああもう、とぶつくさ悪態をつきながら虎丸は立ちあがり、濡れたコートを脱いで水を飛ばしている。

 その様子を見守りながら、今度は十里のほうから虎丸には聞こえないよう拓海に耳打ちした。


「あのさ、拓海、他にも何か隠してるでしょ。ひとりだけ事情を知ってたにしては、かなり動揺してる。気になることでもあった?」

「虎丸に、言うべきかわかりませんが……。というより、誰にも話すべきではないのかもしれません」

「抱え込まないで、相談してくれるかい?」


 こめかみに付与された『診察』の文字をしばらく指で押さえてから、拓海は重い口を開いた。


「本郷真虎は、肺を……病んでいます。かなり進行していて、もう手遅れに近い状態です。それに目もほとんど視えていません。俺が最後にあの男の姿を見たのは大阪で、まだ子供の頃でした。なのでいつから病に冒されていたかは不明ですが」

「盲目……。吉原で少し交戦したときは、まったくわからなかったな。歩き方も自然だったね」


 虎丸に伝えるべきか──。

 言葉に出さずとも、ふたりは同じことを考えていた。やがて、十里が言った。


「今すぐはやめておこう。新世界派の問題に本郷真虎が関わっているのを知っただけでも、衝撃を受けてるみたいだから。いきなり鉢合わせちゃって困惑してると思う」

「そうですね……。同意見です」


 意見が一致して、ひとまず息を吐いたのも束の間。

 門の外に出ていったはずのしのぶが、ひょっこりと戻ってきて顔を覗かせた。そして置土産とばかりに、虎丸たちを疑心暗鬼にさせるような罠を残していった。


「そうそう、ひとつ言い忘れてたよ」

「なんやぁ、しのぶ様」

「うちの常連客の彼女によろしく伝えておいてくれるかな? 小さくて可愛い、赤髪のお姫様」

「赤髪……(コウ)ちゃんのこと? 常連って歌劇の公演とか?」


 ミーハーな紅も世間の婦女子と同じように、しのぶ様の追っかけをしているらしい。先ほど十里がそう言っていたのを思い出し、虎丸が聞き返す。


「舞台もだが、私も他の四天王と同じく吉原で楼主をまかされていてね。うちの妓楼(ぎろう)は、客取りに疲れた遊女たちを癒やす桃源郷。彼女のような一般客も密かに受け入れているんだ。男姿の麗人たちがお相手をする、淑女(レディ)のための裏妓楼なのさ」


 しのぶの過激な発言に虎丸の思考はポスンと爆発し、さまざまな想像図が頭を駆けめぐっていった。


「えっ、えっ!? つまり、女同士のいかがわしい店……? 紅ちゃんがそんな場所に……!?」

「では、また会おう」


 最後に真っ赤な薔薇を一輪空に投げ、男装の麗人は今度こそ去っていった。


「ジュ、ジュリィさん大変ですよ。紅ちゃんが……」

「う~ん、わざと意味深に言っただけだと思うけれどね。敵は今までもこっちを動揺させようとしてきてたじゃない。ずっと八雲部長一筋で操を立て続けてる紅に限って、まさかそんなことは……ないかな……。ないと思う、たぶん……」

「あまりに報われへんから、禁断の道に走った可能性も……? もしほんまやったとしたら……どうしよう……ちょっと垣間見たい世界……」

「えっ、見たいんだ。嫉妬とかでなく。虎丸くん、そういうの興味あるの? 女の子同士か~、まあ禁断のエロスだよね。僕も覗きたいかも」


 話が斜めに逸れていくのに耐えかねた拓海が、呆れ声で口を挟んだ。


「バカ丸、呑気に言っている場合か。事実がどうであれ、敵が知らずうちに仲間に接触している可能性があるんだ。もっと危機感を持て」

「紅、最近様子おかしいしね~。八雲部長が伊志川(いしかわ)化鳥(かちょう)に入れ替わった影響かと思ってたけれど、そのちょっと前から変な気がする。まあ気をつけて見とこう。とりあえずさ、『黒菊』は帰ったし今回の目的を果たそうよ」

「あっ、せや! 見つけたんです、おみつちゃんを憶えてそうな人!」


 本来の目的はそちらだ。

 虎丸は十里たちを連れて、生け垣の手入れをしていた老人のもとへ話を聞きに向かった。

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