第66話 河童
湖のほとりにいきなり現れたのは、なにやら汚らしい緑色の人間型の生き物だった!痩せてて、そんなに身長は大きくなく、顔には黄色いくちばしがあり、目つきが悪く、頭はてっぺんがハゲているようになっている。もしかして河童?わたしたちは後ずさりして、河童と距離を取って対峙する。その河童と思わしき生き物は、いきなり相撲取りがするように、大股開きで座って両手を広げた。
「なんやお前は!?河童か!?」
緒方さんが言った。
「おっさん!河童とわかっとるやったら、さっさと相撲取らんかい!河童と言えば相撲と決まっとるやろが!そんな一般常識も知らんのか!この非常識アホ男が!」
河童は前かがみになって両手を地面について、相撲の立ち合いのポーズを取った。げ、この河童も随分と口が悪いじゃないのさ――。
「なんやと!誰が非常識のアホじゃボケ!お前みたいなもん、あっさり地面にひっくり返したるわ!」
緒方さんは河童の前に行き、同じく立ち合いのポーズを取った。
「緒方さん!早まったらあきませんで!」
旦那さんが、すっかりやる気になっている緒方さんに声をかけた。
「山中さん、心配せんでもこんなへなちょこ河童、簡単にひっくり返してやりまっさ」
緒方さんが右斜め後ろを見て言った。よほど自信があると見えて、口元にはうっすら笑みが浮かんでいる。確かに、体格差で言えば、大人と中学生くらいの差はあるし、緒方さんが装備している鎧には、まわしみたいに持つとこなんかなさそうだから、簡単に勝てそうだもんね――。
「おい!後ろでアホみたいに突っ立っとるアホみたいな服来たオッサン!見てわからんのか!?相撲取るんやから行司が必要やろが!さっさと行司せえや!そんな一般常識も知らんのか!この非常識アホ男が!」
河童が、立ち合いスタイルのまま旦那さんに言った。ホント口悪いね――。
「ワイが行司?なんでそんなもんせなアカンねんな?緒方さん、こんなアホ河童無視してさっさと向こう岸に行きまっせ」
旦那さんが言った。旦那さんは河童なんて相手にする気がないらしい。そりゃそうだよ、河童なんてどうでもいいもんね――。
「いや、山中さん、すぐ終わらすさかい、行司やってくれまへんか?こんな好き勝手言われて黙っとく必要ありまへんで」
緒方さんが、また右斜め後ろを見て言った。
「そうじゃアホ、せっかく非常識なアホ仲間が相撲取る言うてやる気になっとるんやから、さっさと行司したったらええやないかい。お前は非常識な上に、仲間を思いやる気持ちもないんか?人でなしか?頭も心もない、ないないシックスティーンか?」
河童が言った。ないないシックスティーン?なにそれ?
「わかったわ。ほなら、緒方さん頼みまっせ」
旦那さんはそう言って、2人の元に向かった。
「まかしといてえな!」
緒方さんが言った。体を前後に動かしすっかりやる気満々になっている。
「はっけよい!」
旦那さんは2人の間に立って、中腰になって右手を差し出した。2人はより低い姿勢になって睨み合う。
「緒方さん~!頑張ってや~!」
「頑張れ~!」
「ファイト~!」
わたしたちは緒方さんに声援を送る。そうだよ。そんな口の悪い、細くってちっちゃい河童なんてさ、さっさと湖に突き飛ばしちゃえばいいんだよ!
「残った!」
旦那さんが右手を上げて言うと、2人はぶつかった。頑張れ!緒方さん!
しかし、低い体勢から素早く緒方さんの後ろについた河童は、軽々と緒方さんを持ち上げてしまった!げ!ヤバいんじゃないの!
「頑張れ~!」
みんなで必死に応援する。緒方さんは、手と足をジタバタさせて、もがいている。しかし河童は抜群の安定感でもって、緒方さんを抱えて湖の方に歩いている。ヤバいよ!湖に放り投げられちゃうよ!
そしたら湖1歩手前のところで、松永さんがこちらに背を向けている河童めがけて突進して行った!お!
すると河童は、くるりと180度向きを変えた!
「ゲフッ!」
松永さんは、見事右肩から緒方さんに激突してしまった!うわ~!!ヤバいってば~!!河童は、松永さんにタックルを食らったにも関わらず微動だにしない。そして、苦悶の表情を浮かべている緒方さんを右の方に放り投げた!すると緒方さんと一緒に松永さんも一緒に、地面に倒れてしまった!大丈夫!2人共!
「二丁あがり~!」
河童は、相撲取りが勝ち名乗りの受けた時のように、再び大股開きで座って右手を斜め上方に上げている。わたしたちはみんな、緒方さんと松永さんの元にかけ寄った。
「緒方さん大丈夫ですか!緒方さん!緒方さん!」
投げ飛ばされた松永さんが、四つんばいになって、仰向けで倒れている緒方さんの体を揺すっている。ホント大丈夫!緒方さん!
「コラ行司!なにをボサッと突っ立っとんねん!早よ、河童様~!って勝ち名乗りをあげんかい!そんな一般常識も知らんのか!非常識アホ男が!」
大股開きで座っている河童が言った。旦那さんは河童に背を向け、緒方さんの方を見てたんだけれど、両手を胸の前で合わせてぶつぶつ呟いている。よく聞いてみると「五蘊皆空」と言っているようだ。旦那さんは、わたしたちを見てうなづいた。もしかして、わたしたちにも五蘊皆空と唱えろってことなのかな?よ~し、そういうことなら――。
「ご~うんかいくう~」
わたしも手を合わせて五蘊皆空と唱え始めた。それを見た山中さんと黒山さんと山根さんも、同じく手を合わせて「五蘊皆空」と唱え始めた。
「なんや前ら!?なにをわけのわからんこと言うとんねん!」
河童が立ち上がってこっちを睨んで言った。旦那さんは河童の方に向き直り、一層大きな声で呪文を唱え始める。
「ご~うんかいくう~!」
「カパパパ!止めろ!ぐるし~!カパパパ~!」
河童は膝まづき、両手で顔を抑えて苦しそうにしている。
「俺は一般常識を完璧に身につけた立派な大人やで~!!」
河童はそう叫んで消えた――。え?なに?今のが主任の妄想が生んだモンスターってこと?
「そういうこっちゃな、ここは松井の生霊の内部やから、もはやドラクエ世界というより松井世界なんや」
旦那さんが言った。松井世界?ジャングルといいゴキブリといい今の河童といい最悪な世界だね。
「そやな、まったくもって最悪な河童やったな。河童にとって相撲を取るんは、一般常識なんかも知らんけど、そんな勝手な価値観を押し付けられても知らんっちゅうねん」
旦那さんが緒方さんの元に着くと、静かに右手を緒方さんの方に差し出して言った。
「あっベホマ!」
倒れていた緒方さんが、ようやく目を覚ました。
「大丈夫かいな緒方さん!」
松永さんが言った。
「ああ。もう大丈夫や、すんまへんな松永さん、山中さん」
緒方さんは立ち上がりながら言った。
「緒方さん気をつけて下さい。今後、どんな化け物が出て来るかはわかりませんけど、今みたいに敵の土俵で相撲を取らんことですわ。わざわざ敵の得意なスタイルで戦う必要なんかありませんからな」
旦那さんが言った。
「そやな、わかった――それにしても、まさかあんなちっこい河童が、あないに相撲が強いなんて思わなんだわ」
「見た目に騙されたらあきませんわ。いくらちっこくても河童ですからね、そりゃあ相撲は強いでしょ。後、敵の挑発に乗ったらあきませんで。敵の土俵に引きづりこまれてまいますからな、感情はグッと抑えて下さい」
「すまんかった――これからは気をつけるわ」
緒方さんは頭を下げた。
「それから、今後今みたいな化け物が現れたら、五蘊皆空か色即是空、どちらがふさわしいかワイが判断しますんで、どちらかの呪文を唱えるようにお願いします」
旦那さんも軽く頭を下げた。
「おう。そうするわ」
緒方さんは、何度も小さくうなづきながら言った。
「ほな、行きますか!みなさん!とりあえずこの橋を渡りましょう!」
「はい!」
旦那さんは、みんなに言ってから歩き始めた。みんながそれに続き、わたしも最後に歩き始める。そしてアーチ状の白い橋の目前で、白い木で作った看板があるのを見つけた。
「※注意※このはし渡るべからず」
看板にはそう書いてあった。なにこれ?渡ったらいけないのかな?
「山中さん、なんやわかりやすいとんちが書いてありまっせ。わざわざ『橋』を『はし』とご丁寧に書いてくれとるところを見ると、端やのうて真ん中を渡って行ったらええっちゅうことでしょ?こんな簡単なとんち、問題にもなりまへんな」
緒方さんが半笑いで旦那さんに言った。
「いや、そんな簡単なとんちやないと思いますけど――」
旦那さんが右手を顎のあて、なにかを考えるように言った。
「でも、この橋を渡らんことには向こう岸に行けそうもありまへんで。どないしまんねんな?」
「まあ、そうですな。確かにこの橋は渡らなあきません。とりあえず緒方さんの言うとおり、橋の真ん中を通って慎重に行きましょう」
旦那さんは、みんなに注意を促してから橋を渡り始めた。緒方さんを筆頭にして、みんなもそれに続く。一番最後のわたしも、緒方さんの言ってたとおり一応真ん中を歩く。いつまたさっきみたいな化け物が出て来るかわからないから、ゆっくり慎重に注意深く湖を見ながらだ。湖は、こうして近くで見てみるととっても澄んだダークブルーで、所々に浮かぶ大きな蓮の花が幻想的な感じを醸し出しており、湖の中では大小様々な魚が泳いでいた。
その時、橋の右側の少し向こうから、とんでもなく大きな魚影が近づいて来るのが見えた――。
げ!なにアレ!?ヤバいんじゃないの!




