第6話 介護職員ホイホイ
いろいろあったものの、みんなはコーヒーを飲み終え、無事コーヒータイムを終えることができた。ふぅ。
しかし息つく暇なんてない。時間は10時20分、そろそろ遅出が出勤してくる頃だ。遅出が来たら、簡単に申し送りをした後、トイレ誘導が待っている。
ガラガラガラ。
「おはようございます」
出勤して来たのは、山田泉という入社して1年がすぎたくらいの30代前半の女性職員で、身長が高くって170センチ近くあると思うんだけれど(なぜかこの施設には、わたしも含めて高身長が多い)、目!、鼻!、口!って感じの大味な顔の作りで、金髪に近い茶髪でかなりケバく、いかにも元ヤンキーって感じだ。
早速、申し送りを済ませちゃいましょう。わたしは山田さんに声をかけた。
「おはようございます。申し送りいいですか」
「はい~」
山田さんがめちゃんこ眠そうに言った。軽く後ろでまとめた茶髪はボサボサチックで、化粧もしていない。まるでスナック勤めのママの朝って感じだ――ってまぁ、そんなママの朝なんて見たことないんだけどさ。
わたしが申し送ってる最中、山田さんはずっと眠そうだった。この人、聞いてんの?って感じなんだけれど、多分ろくすっぽ聞いてないんだろうな。そんな山田さんでムカつくのが、わたしの前ではそんな感じなのに、主任の前ではこんなダランとはしていないところだ。完全になめてるよね。
まぁ、いいや。確かに態度は悪いし、適当でなまくらで自分の都合しか考えてないかもしれないけれど、主任と働くよりは随分マシだからね。
軽く申し送りを終えたわたしは、早速トイレ誘導に取りかかることにした。トイレ誘導に行かなくてはいけないのは、松永さん、黒山さん、山中さん、五十嵐さんの4人で、行く時間は8時30分、10時30分、12時30分、14時30分、16時30分、18時30分の2時間おきになっている。
では行きますか。誰から行こうかな。順当に言って黒山さんからだろうな。すでにコロ便をぶちまけていたわけで、紙パンツが汚れてるかもしれないし、まだコロ便が潜んでいるかもしれないもんね。
「黒山さん!ちょっとこっちに来てもらっていいですか!?」
わたしは、テーブル席に座っている黒山さんに声をかけた。ところで「トイレに行こう」なんて声かけは、決してしてはいけない。他の人にトイレに行くなんてことが知れたら、恥ずかしい思いをするかもしれないのでそうしろと、主任に言われていたのだ。
「どきょ行ぐの?」
黒山さんは、「ん?」てな感じで、不思議なものを見るみたいな顔をして言った。「どきょ」ってそりゃあトイレに決まってるんだけどさ、それは言えない。
「ちょっとあっち!」
「あっちってどっぢ?」
そりゃまぁそうだよね。こっちやあっちって言われてもわからないよね。だからついにわたしは、ハッキリデカい声で言ってやることにした。
「トイレです!トイレ!」
「ドイレ?行ぎたないよ」
「さっきウンコしてたでしょ!だから行かないと!」
「じてへんよ」
嘘こけ!じゃあアンタがさっきわたしに渡してくれたアレはなんだって言うのよ!こりゃあ、ダメだ。強引に連れて行くしかないね。
「はい!来て下さいね~、はいはい~」
ニッコリ笑ってわたしはそう言い、黒山さんの左手を左手で握り、右手は腰に置いて立ってもらい、トイレに誘導することにした。すると黒山さんは観念したのか、なにも言わずトイレについて来てくれた。
そうしてトイレに行って紙パンツを下ろしてみると、別に紙パンツは汚れていなかったし、コロ便もなかった。そして黒山さんはと言えば、ニッコリ笑って便座に座り、ジョンジョロジョンジョロとおしっこをしている。
黒山さん・・アンタ、トイレに行きたくなかったんじゃないの?わたしは苦笑する。こんなことだから、多少強引でもトイレ誘導が必要ってわけ――。
トイレでの用を終え、わたしと黒山さんはフロアに戻った。わたしはパートナーである山田さんが、山中さんのトイレ誘導に行っておいてくれよと、祈るような気持ちでいたんだけれど、残念ながらその願いはまったくかなっていなかった。山田さんは台所にいて、昼ご飯の準備を始めていた。
はぁ?なにやってんの?昼ご飯の用意なんて11時から始めたってゆっくり間に合うでしょ~が。ムカつく~。確かにこんな感じで、福井さんを筆頭として、介護職員の中にはトイレ誘導に行こうとしない職員が多いんだけれど、山田さんもまさにその一味なんだよ。
そんなトイレ嫌いの介護職員たちなんだけれど、逆に台所は大好きだ。だからゴキブリがゴキブリホイホイに吸い寄せられるように、ホイサッホイサッと台所に吸い寄せられて行く。その方が楽だし、なんとなく仕事してるように見えるからね。なのでわたしは台所のことを『介護職員ホイホイ」と密かに名づけて呼んでいる。
まったく――わたしは、スタッフの机にある排泄チェック表に、黒山さんがトイレで排尿があったことを書いてからフロアに戻り、台所に向かってデカイ声で言ってやった。
「五十嵐さんのトイレ誘導お願いします!」
なんとしても、山田さんを台所(清潔)からトイレ(不潔)に引きずり出してやんなきゃいけない。だからわたしは、トイレ誘導を2人で行わなくてはならない五十嵐さんから行くことにしたのだ。
「はい~」
山田さんはダルそうな返事をして、のっそりとこっちに向かって歩いて来た。まったく、少しはチャキチャキしろっつうの!こっちまでダルくなっちゃうよ、アホ!
わたしは車椅子を押してトイレまで行った。山田さんはダルそうにドアを開け入って行った。わたしが車椅子を押して行ったので、山田さんは「前」を担当せざるをえない。
ところで「前」ってなに?って話しだよね。文字どおりで、「前」ってのは五十嵐さんを抱える方で、「後ろ」がズボンと紙パンツを下ろす方だ。当然「前」は重いので、できれば避けたいってわけ。だから山田さんは『チッ』とか心の中で舌打ちでもしてんじゃないのかな?でも知らないよ、トイレ誘導に行きもせず、早々に台所に行くからそうなるんだよ。そもそもアンタはそんなにデカい図体をしてるんだから、ずっと「前」でいいじゃないのさ。それにアンタは文化系のわたしと違って、喧嘩の明け暮れで筋肉を鍛えて来たんじゃないの?
わたしはトイレに入って車椅子を止め、ズボンと紙パンツを下ろしてからフロアに戻ることにした。「後ろ」担当者は五十嵐さんの用が終わるまではフロア待機なのだ。
わたしがトイレのドアを開けたその時だった――。
「山田さんは、喧嘩なんかしたこともないし、筋肉を鍛えたこともないんやで。あっ」
また例のオッサンの声が聞こえて来たのだ――。