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第62話 悪霊

「重要な話しってなんやの!?ハゲるんを防ぐ方法かいな!?」


「いや、ちゃいます。さっき言うた松永さんたちに『色即是空』の呪文を唱えてもらった方が、除霊の効果がある理由ですわ」


「なんや~」


 うつむきガッカリした様子の松永さん。そんな松永さんとは対照的に、近くにいた緒方さんが傍に寄って来て言った。


「ワシは、是非それを聞きたかったんですわ」

 

「そうですか。とりあえずこの絵をもう1度見て下さい」


 旦那さんが、主任と松永さんが輪投げをしている絵を指差した。


「この絵がどないしたんでっか?」


「実はですね、この爺さんの松永さんと一緒に輪投げしとるんが、ライバル店の店長なんですわ」


 旦那さんが、またホントのことを単刀直入に言ったんだけれど、その真相を聞いて、真っ先に反応したのは松永さんだった。


「えっ~!なんでやの!?なんで僕が、あんな口の悪い奴と楽しそうに輪投げしとるの!?」


 松永さんは目をひんむいてあんぐり口を開け、ホントにビックリしたという表情を浮かべている。


「それを説明するにはですね、順を追っていろいろ説明していかなアカンのですけど、一番大事な事実はですね、今我々がおるこの世界は夢のような世界で、現実の世界での松永さんは、この絵のとおり老人ホームで暮らしとるっちゅう事実なんですわ」


「え!?なんやそれ!ホンマかいな!?じゃあ僕、今夢見とるっちゅうことなんかいな!?」


「まぁ、そんなところですわ。なんとなく、そんな感じしませんでしたか?」


「全然せんかったわ!全部ホンマもんのように見えるもん!」


「そうでしたか――でも、今おる塔とか、途中で食べたデッカい魚とか、僕らの衣装とか、なんとなく現実離れしとると思いません?」


「そう言われたら、なんとなく現実離れしとるようにも思うな。普通、こんなけったいな格好せんもんな」


「でしょ?夢やからこその、その格好なんですわ。ほんで、現実の世界での松永さんは、さっき言うたように老人ホームで暮らしとるわけですけど、さっきの店長はその老人ホームで働いとるんですわ」


「え!?そうなんか!それで一緒に輪投げなんかしとるんかいな!」

 

 松永さんは腕を組み、しかめっ面をしながら食い入るように主任と輪投げをしている絵を見つめた。


「まぁ、そういうことですわ。それとですね・・・」


 そう言いながら旦那さんが、おもむろに右にむかって歩き出し始めた。そして少し歩いたところで立ち止まり、松永さんの方に手招きして言った。


「松永さん、次にこっちの絵を見てもらっていいですか?」


「え?なんやの?」


 松永さんが旦那さんの元にかけ寄って行ったので、わたしと緒方さんも一緒について行った。


「次に、この絵を見て下さい」


 旦那さんは、松永さんに絵を見るよう促すように、右手を絵に差し出して言った。わたしも絵を見てみた。そしたらその絵は、主任が松永さんを入浴介助している絵だった。


「なんやのこの絵!?なんで僕が店長と一緒に風呂に入っとんの!」


 絵を見た松永さんは、驚いたような顔をして言ってから、絵のすぐ傍まで近づいて絵を眺めた。


「老人ホームに住んどる多くの高齢者はですね、1人ではなにかとできひんこともあるし、溺れたりしたら危ないんで、こうして老人ホームの職員と一緒に風呂に入っとるんですわ」


「でも、どうせやったら僕、あんな口の悪い奴やなくて、かわいこちゃんと風呂に入りたいわ!」


「それは大丈夫です。ここにおるミレーユとも一緒にお風呂に入ってますから」


 旦那さんがわたしを紹介するかのように、わたしに向かって左手を差し出した。げ、なによそれ、勘違いするようなことを言わないでよ。


「やったぞ~!」


 松永さんは一瞬わたしを見てから、両腕を突き上げガッツポーズをした。もぅ~、なにが「やったぞ~」だよ、別に喜ぶようなことなんかなんにもしてないよ。


「でも、山中さん、それやったら、なんでこの娘と一緒に風呂に入っとる絵はないんや?ここにあるん、店長の絵ばっかりやん」


 腕を下ろした松永さんが、旦那さんに聞いた。


「それは、この塔全体が店長のギャラリーだからです。ここにはあるすべての絵は、松永さんが住んどる老人ホームで働く店長の姿が描かれとるんです」


「なんやそれは!この塔、寒いし、息苦しいし、暗いし、ヘンな絵は山ほど飾られとるし、めっちゃ嫌なところやんか!」


「そのとおり、めっちゃ嫌なところなんです。でも、めっちゃ嫌なのは当然で、さっき言った店長が取りつかれとる悪霊っちゅうんは、この塔そのもののことを言っとるんですわ」


「なんやて!?この塔そのものが悪霊!?じゃあ僕、今悪霊の中におるんかいな!?そんなん僕、悪霊の中におるなんてこと、今までに経験したことないんやで!」


 松永さんがが、眉毛がずり下がった嘆きに満ち溢れた表情を浮かべながら言った。


「大丈夫です。僕もありませんから」


 旦那さんが言った。


「山中さん!アンタはなかったらアカンやないの~!そやないと対策もクソもあれへんやんか~!」


 松永さんがこの世の終わりと言わんばかりに、さらに眉毛をずり下げて言った。すると、緒方さんが松永さんの傍に行き――松永さんを勇気づけようとしたのか――右腕を松永さんの首にかけた。あれ?そのポーズって、森川さんが松永さんによくするポーズじゃないのさ。


「大丈夫やがな松永さん、こうしてワシもおるがな」


 笑顔の緒方さんが、松永さんに言った。


「でも緒方さんには、悪霊の中におる経験はあるんかいな?」


 泣き出しそうな顔をして聞く松永さん。


「そんなもんありまっかいな。でも、みんなで『色即是空』っでっか?その呪文を唱えたら、悪霊であるこの塔を消せるっちゅう、そういう話しやったでっしゃろ?だから、きっと大丈夫でっせ」


「ホンマに大丈夫やろか?」

 

 相変わらず泣き出しそうな松永さん。


「ここはひとつ、山中さんを信頼してみようやないの!」


 緒方さんが、松永さんの右手で背中を叩いて言った。


「うん。僕、信頼する」


 ようやく松永さんに笑顔が生まれた。お、凄いじゃない緒方さん。それから緒方さんは、松永さんの元を離れ、旦那さんに聞いた。


「ところで山中さん、さっき言うとった僕らが『色即是空』の呪文を唱えた方がええ理由ってなんでんの?」


「そうでした。その理由を言わなアカンのです。で、その理由なんですけど、答えはこの膨大な絵にあるんです」


「どういうことでっか?」

 

「まず、この絵が飾られとる理由なんですけど、こうして何万もの絵を飾ることによって、店長が老人ホームで物凄く仕事ができる男であると、自分に証明して言い聞かせるとるんですわ」


「そう言えばさっきも、自分1人だけが物凄く仕事ができるとかほざいとったな」


「でしょう?ところがこの絵には大きな問題があって、この絵は店長が描いとるんですけど、自分の都合のええように、実際とはかなり違ったように描いとるんですわ。というわけで、この絵には自己正当化するためのごまかしと言い訳が凝縮されとるんです」


「なんやて!?じゃあ僕店長と風呂に入ってえらい楽しそうに笑っとるけど、これも嘘なんか!?」


 松永さんが言った。


「いや、それはホンマかもしれません。全部が全部嘘ってわけではないんですわ」


 旦那さんが言うと、肩透かしをくらったかのように、松永さんがズコッとちょっと左によろめくポーズをした。


「でも、これは嘘やな」


 ちょっと離れたところにいた緒方さんが、別の絵を指差しながら言った。わたしたちはその絵を見るために近づいた。その絵は、緒方さんがニコニコしながら、やっぱり主任と風呂に入っている絵だった。


「なんや、緒方さんも店長と楽しそうに風呂入っとるやないの!」


 その絵を見た松永さんが、楽しそうに緒方さんに言った。


「いや、だからこれが嘘でんねや。だってワシ、老人ホームのこと覚えとるけど、感じ悪いからコイツ嫌いやし、そやからこんなニコニコして風呂入るわけないもん」


「え!?緒方さん、老人ホームのこと覚えとんの!ええなぁ、僕なんてからっきしやもんな~」


「それがええんかどうかはわかりまへんけど、とにかく、コイツとおる時にワシはこんな笑顔しまへんわ」


 しかめっ面で緒方さんが言うと、旦那さんがうなづきながら言った。


「つまりはそういうことなんです。松井、店長の名前は松井って言うんですけど、この緒方さんの絵のように、多くの絵が松井の勝手な解釈で嘘っぱちが描かれとるんですわ。ほんで、そんなまがい物を自分が絶対正しいと思い込むための根拠にしとるんです」


「それはアカンな、こんなイカサマ絵飾られてワシ気分悪いで」


「でしょう。でも、そこなんです。みなさんが『色即是空』と唱えることによって絶大に効果がある理由は。いくらイカサマな絵で自分をごまかしとっても、本物の緒方さんにそんなもん嘘やからと、目の前でイカサマな絵を消し去るために本気で呪文を唱えられたら、大ダメージでしょう?」


「なるほど、そりゃそうでんな。でも呪文なんてまどろっこしいことせんでも、ワシ直接抗議したんで。お前なんか嫌いやのに、こんな気色悪い絵描きやがって、嘘ばっかりつくなって言うてな」


「是非ともお願いします。ただ、自分をごまかして正当化する術に長けとる奴ですからね、そう言うても、どんな言い訳を用意してくるんかわかんのですわ。例えば澄子もですな、現実の世界で松井に虐待されとるわけですけど、都合のええ言い訳を用意して、そんな事実はケムに巻かれとるわけですからな」


「そう言えばさっき、なんか虐待してもしゃあないとか言うて、なんやふざけた理由をほざいとったな。ホンマに腹の立つ奴でんな」


 緒方さんが苦虫をかみ潰したように言った。


「お父さ~ん!!」


 その時、階段の下辺りにいた山中さんが、旦那さんを呼んだ。見ると、山中さんが跳ねながら手招きしている。


 ん?一体、なにがあったんだろう――?


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