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第5話 舌の根の乾かぬうちに

 しかし、アホらしいからと言って、今すぐクーデターやボイコットを起こすわけにもいかない。管理者がずっと手を洗ってるから怒って帰ったなんて話し聞いたことないしね。


 しょうがない、部屋巡りの続きに行くとしますか。これが最後、6号室の五十嵐さんの部屋だ。


 五十嵐さんは85歳の婆さんなんだけれど、ほぼ寝たきりだ。この部屋で部屋巡りが最後となり、この後すぐコーヒータイムになるので、わたしは五十嵐さんを車椅子に移乗させてフロアに連れて行かなくてはならない。しかしこれが、重いし体はカチコチに硬いしで大変なのだ。


 では、頑張るとしますか――わたしは部屋の端に置いてあった車椅子をベッドの傍に持って来て、わたしは五十嵐さんを車椅子に移した。


 ふぅ~、重った~。五十嵐さんの移乗は、結構腰へ負担が来るんだけれど、ずんぐりむっくりしているわりには50キロもないんだよ、これが――。


 なんとか五十嵐さんを車椅子に移乗させたわたしは、車椅子を押してフロアに出てテーブルの前に連れて行った。さすがに福井さんはもういない。ま、そりゃそうだよね、いたらビックリだよ。

 

 それでは、もう10時10分を回ってるので、10時のコーヒータイムにすることにしましょう。


 ――あっ、そうそう。その前に、フロアにいる3人の利用者に洗濯物を畳んでもらうことにしましょう。朝洗濯して、乾燥機で回して乾かしたラバーシーツとタオル類だ。


「お願います」


 乾燥機から洗濯物を取り出したわたしは、3人の利用者がいるテーブルの上に広げた。


「うわ~、またようけ持って来たな~」


 杉浦さんという89歳の婆さんが言った。9号室の住人だ。この婆さんは、毎朝化粧をキッチリして、髪だって黒く染めてパーマもあてて、バッチリ決めている。かなりしっかりしているんだけれど、それはそれで厄介で、自分が正しいと寸分疑うことなく思っていて、ビシバシ人のことを指摘しまくるので、争いごとの火種となっている。

 

「そやな、うんうん。じゃ、たたもたたも」


 原さんという80歳の婆さんが言った。8号室の住人である。この婆さんもわりとしっかりしているんだけれど、今あった出来事をあった傍からすべて忘れちゃうっていう特徴を持っている(それは概ね全ての利用者の特徴でもあるんだけどね)。そして人が言ったことに対して、なんでも「そやな、うんうん」と肯定するという特徴も持っている。


「これ、たたんだらええねんな」


 井上さんという84歳の婆さんが言った。7号室の住人だ。井上さんもわりとしっかりしているんだけれど、さっきの2人に比べるとできないことが多い。例えば、ちゃんと服が着れないし、洗濯物もそんなに上手にはたためない。


 この3人は、入り口から見て右側奥のテーブル席にいつも陣取っている。テレビに1番近いテーブル席だ。杉浦さんが1番テレビに近い左奥に座り、その正面に井上さん、杉浦さんの隣りに中村さんが座っている。別に席は決まってないんだけれど、本人たちはそこがそれぞれ自分の席だと決めているみたいだ。


 で、その3人組なんだけれど、基本的に杉浦さんがずっとしゃべっていて、原さんがそれに同調して相づちを打ってる感じかな。井上さんは別に2人とそんなにしゃべることもないし、なんだったら杉浦さんにできないことを指摘されて怒ることが多いのに、なぜか2人の元に行っちゃうんだよ、これが。まぁ、他の人はもっとボケ散らかしているので、ここしか行き場もないんだろうけどさ――。


 わたしはコーヒーを入れるために台所に行った。


 その時だった――。


「アンタはたたまれへんねんから置いとき!」


「なんでよ!今たたんでるやん!」


 早速、杉浦さんと井上さんの言い争いが勃発してしまったのだ!


 あちゃ~、やっぱりダメだったか――あわよくば仲良くたたんでくれるかも、というわたしの見積もりはだいぶ甘かったみたい。このままではマズい。わたしは台所から出て、2人の間に入ることにした。


「杉浦さん!井上さんがせっかくたたんでくれてるんだから偉そうに言ったらダメじゃないですか!」


 わたしは大きな声で杉浦さんに言った。やっぱりこの人もかなり耳が悪いのだ。


「ちゃんとたためてないから言ってるんです!」


 しかし、杉浦さんにはちょっとやそっと注意したくらいでは効き目がない。やっぱり今回も、絶対に自分が正しいとばかりに主張して来た。


「なに言うてんのよ!ちゃんとたたんでるやん!」


 井上さんも負けていない。井上さんは怒って言い返した。


「できてません!ちゃんとたたむっていうのは、こういうことを言うんです!」


 自分の正しさを見せつけようとする杉浦さんは、井上さんに自分のたたんだタオルを見せつけた。


 ダメだこりゃ。このままでは争いがヒートアップするばかりだ。わたしは2人を引き離すことにした。井上さんには悪いんだけれど、杉浦さんは自分の席から絶対に移動しないから、井上さんに別の席に移動してもらうことにした。もちろん井上さんは「なんで私が行かなあかんのよ」と怒ってたんだけれど、こうする他しょうがない。


 わたしは、さっきのテーブルの左隣りにあるテーブル席に井上さんに座ってもらった。なるべく杉浦さんから離れるように、テーブル左側の1番入り口寄りの席だ。それから、近くに黒山さんが歩いていたので、ウンコを持ってないか確認してから、その隣りに座ってもらった。


「なんでこんなとこ座らなあかんのよ。私の席あっちやで」


 井上さんは納得できないのか、まだ怒っている。そりゃまぁそうなんだけどさ、ここはひとつ、なんとか納得してもらわなくっちゃね。


「すいません。でも、こっちの席が天国であっちが地獄なんですよ。ほら天使のような人も隣りにいるでしょ」


 わたしは黒山さんを紹介した。天使と言うより、どう見たって魔法使いの婆さんなんだけれど、まぁしょうがない。


「どうも、天使でしゅ」

 

 そしたら黒山さんが、ニコッと笑って井上さんに会釈した。黒山さん・・・アンタの耳って、こういう時だけは聞こえるんだね・・・。


「アンタ天使なん?ハハハハ」


 井上さんが笑ってくれた。ふぅ、なんとかこの席ですごしてくれそうだね。


「では、コーヒー入れて来ますんでお待ち下さい」


 わたしは台所に戻ろうとした。その時、また杉浦さんが、井上さんのことをブツクサ言っているのが聞こえて来た。


「ほんま井上さんはアカンな、女のクセに洗濯物のたたみ方も知らんねんで」


 ホンット、ひっつこいんだから!


「そやな、アカンな。ちゃんとたたまなアカンわ」


 その隣りのイエスマン――いや、この場合はイエス婆さんか――の原さんが、火に油を注ぐ感じで相づちを打っている。


 もぅ~、こりゃあ、かなりキツく注意しなくっちゃいけないな。わたしは、意気ごんで2人の元にズンズン行き、かなりデッカい声でおもいっきり言った。


「いい加減に人のことを言うのはやめて下さい!!」


 するとさすがの杉浦さんも、こりゃまずいと思ったのか、右手で口を締めるゼスチャーを見せて言った。 


「お口チャックチャック」


「そやな、チャックやな、チャックチャック」


 同調して同じゼスチャーをする原さん。よろしい。それではそのまま静かにコーヒーをお待ち下さい。わたしはたたみ終えた洗濯物を持って台所に行き、コーヒーを入れることにした。しかし――。


「ほんま井上さんはアカンな。若い頃洗濯物たたむ練習とかしてなかったんかいな」


「そやな、してなかったんやろな、うんうん」


 舌の根の乾かぬうちにっていうのは、きっとこういうことを言うんだろうね。あっという間に杉浦さんが、また井上さんのことを言い出していた――。


 はぁ~、もぅ、知らない!




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