第52話 色即是空1
「よっしゃ!ミレーユ!帰るぞ!」
旦那さんが高らかに言った。え?帰っちゃうの?わたしはその旦那さんの宣言に、戸惑いを隠せなかった。なぜなら、巨人を倒せそうな感じになっているこの状況だったら、旦那さんなら「よし、ミレーユ!倒すぞ!」とか言いそうでしょ?
「ワイらの目的は巨人を倒すことやなくて、黒い塔を攻略することやからな」
旦那さんが言った。まぁ、それはそうなんだけどさ、今回は巨人を倒すのが目的じゃなかったの?
「確かにそうやけどやな、それはサイクロプスが黒い塔にたどり着くための大きな障害やったからや。でも今となってはやな、黒い塔にたどり着くための材料がそろってもうたからな、もうサイクロプスを倒す必要はなくなったんや」
そうなんだ――ところでさ、その黒い塔にたどり着くための材料ってなんなの?
「見てのとおり、まずあの軽トラや。あれがあったら簡単に黒い塔までたどり着けるやろ?ちゃうか?」
なるほどね。確かにあんな乗り物があったらさ、簡単に黒い塔まで行けそうだね
。でもさ、アレってなんで急に現れたの?
「平敦盛さんが気を効かせてくれたんやろ。そのおかげで助かったやないかい。仮にモンスターが軽トラに押し寄せて来たとしてもやな、さっきみたいに黒山さんにうさぎの糞をバラまいてもうたら、モンスターなんて簡単に消滅しよるやろうしな」
え?さっき黒山さんがバラまいてたのって、うさぎの糞だったんだ――。
「そうや。後は緒方さんと松永さんにやな、荷台からオシッコをかましてもらえば一件落着やで、ハハハ!」
旦那さんが豪快に笑った。それにしても、なんだってうさぎの糞やらオシッコやらが、あんなに巨人に効くのよ?
「それはワイにようわからんけど、人はオシッコやらウンコやらを前にしたら、いらん妄想なんて吹き飛んでまうっちゅうことなんとちゃうか?」
なるほど――確かに、夜勤中とか緒方さんとか松永さんにオシッコをブリ散らかされた時には、その処理に必死でいらないことを考えてる場合じゃないもんね。
「ま、そういうこっちゃ。ようし、ミレーユ帰るで」
旦那さんが軽トラに向かって歩き出したので、わたしもついて行った。
軽トラに着くと、巨人の前であぐらをかいて寝ていた松永さんを連れて来て軽トラの助手席に乗せ、まだ巨人の右足に攻撃を続けていた山中さんを呼びに行き、わたしと一緒に軽トラの荷台に乗ってもらった。荷台の上では、緒方さんがあぐらをかいてまだウイスキーを飲んでおり、黒山さんは巨人に向かって火の玉を投げていて、その足元ではうさぎが丸くなってジッとしていた。巨人と言えば、今だに両手で頭を抱え、上半身を前後に動かして苦しんでおり、その足は膝から下がすっかり無くなってしまっていた。
みんなを乗せた軽トラは、旦那さんの運転で小屋に戻った。なんせ車なので、アッという間に着いたんだけれど、寝ている松永さんを小屋に入れるのが少し大変だった。
「今日はみんなご苦労様でした」
小屋に入ったみんなに、旦那さんが挨拶をした。
「今日は楽しかったわ山中さん、また連れて来てえな」
ベッドに座って、ウイスキーを飲み続けている緒方さんが言った。
「わかりました。また明日必ずお連れします」
旦那さんが言った。そう。わたしはまた明日夜勤なのだ。あ~あ。
「頼むわな。また酒用意しとってや」
「まかしといて下さい」
旦那さんが会心の笑顔で言った。まかしといて下さいってさ、きっとそのお酒を用意するのってさ、きっとわたしと敦盛さんなんだよね?
「ようわかっとるやないかい。そんなことよりミレーユ、お前さんには新しい呪文を教えなあかんねや」
あ、そう言えば、こないだドラクエ世界から帰る前にそんなことを言ってたね。
「ほんじゃあ時間もないし、サクサク教えんで。新しい呪文は『色即是空』や」
「しきそくぜくう?」
「そうや。どうや?どっかで聞いたことある気ぃせえへんか?」
そうだね、なんとなく聞いたことがあるような気もしなくはないね。
「わりと有名なフレーズやからな」
そうなんだ――ところでさ、どういう意味なの?
「よし、ほなら今回は、キャンプに持って行くテントに例えて説明しよか」
キャンプ?なんでキャンプなの?と、わたしが疑問に思ってたら、唐突に左後ろから山中さんの声がした。
「キャンプ?私も行く~!」
わたしが振り浮くと、ベッドに座って緒方さんと黒山さんとしゃべっていた山中さんが、扉の前でしゃべっていたわたしと旦那さんに、興味津津といった感じの眼差しを注いでいる。え?急にどうしたの?
「澄子ちゃうねや、キャンプに行くっちゅう話しやないねや~。キャンプで使うテントについての解説をミレーユにするだけやねや」
旦那さんが申しわけなさそうに言うと、山中さんがわたしに言った。
「なんやそれ?アンタ、テントも知らんのかいな~?」
「すいません。そうなんです」
わたしは言った。
「まぁ、よう教えてもらい、そのおっちゃんテントのこと詳しいからな」
山中さんはそう言うと、再び緒方さんの方に向き直り話しを再開させた。ところで旦那さんってさ、テントに詳しいの?
「別に詳しいっちゅう程でもないんやけどやな、毎年、みっちゃんも含めた家族みんなで夏休みにキャンプに行っとって、テントを建てるんはワイの仕事やったからな、一応一とおりのことは知っとるんや」
そうだったんだ――それで、山中さんがキャンプって言葉にあんなに食いついて来たんだ。よっぽど楽しみにしてたんだろうね。
「そやな。毎年はりきって、バーベキューの材料とかスイカとか花火をみっちゃんと買いに行っとったな――」
へ~、そっか~山中さんってキャンプ好きだったんだね。それにしても毎年スキーにも行ってるし、かなりのアウトドア派だったんだね。
「アウトドア派って言える程かどうかはわからんけど、毎年恒例のキャンプとスキーは楽しみにしとったな」
なるほどね~。
「――って、そんな話しはええねん。そんなことより空の解説をせんとやな、もうあんまり時間はないねや」
それもそうだね。確かに、ここに来てからもう1時間以上経ってしまってるもんね、のんびりしてる場合じゃないよ。
「そういうこっちゃ。ほな行くで。まずテントの部品にはやな、全体を覆うナイロン、骨組みとなるアルミのポール、テントが飛ばんように支える紐、その紐を支えるペグがあるわけやけど、それらを組み立てて始めてテントとなるんや。ここまではええな?」
うん。
「ほんでこの場合やねんけどやな、ナイロン、ポール、紐、ペグ、この4つの部品を「因」と呼んで、4つの部品を組み立てることを「縁」と呼ぶんや。ほんで因と縁2つ合わせて「因縁」と呼ぶんや。さすがに「因縁」は聞いたことあるやろ?」
うん。今、関係があるのは、前世でなにか因縁があったからとか、なんかそんなことだよね?
「そうや。一般的には因縁はそういうふうな関係のことを言うねんけどやな、仏教では「因」が原因で、「縁」がその原因が結果になるのを助けることを言うねや。すなわち、ナイロン、ポール、紐、ペグ、この4つの部品がテントが立つ原因になるねんけど、その部品があるだけではテントではないやろ?」
まぁ、そりゃそうだね。
「やろ?そやから、その部品をあるべき場所に配置して組み立てて、原因となる物を助ける働きをせなアカンわけやけど、その働きのことを「縁」って言うんや、そうやって「因」と「縁」がそろうことによってやな、始めてテントは完成するんや。ここまではええか?」
うん。わかるよ。
「ほんで、因縁がそろって完成したテントをやな、再び解体してもうたら、それはナイロン、ポール、紐、ペグの4つの部品でしかなくて、もうテントではなくなるわけや。ようするに因縁がそろっとる時だけテントとして存在しとるんやな。わかるか?」
うん。因縁がそろった時だけ、テントはテントとして存在してるんだね。
「そうや。そんで、そのことを『色即是空』って言うねや」
なるほど、これはわかったよ。あらゆる物は、因縁がそろった時だけ存在しているってことだね。
「よっしゃ上出来や。よし、じゃあ時間もないことやし、そろそろ着替えて帰るとするか。解説の続きはまた後にするわ」
旦那さんが言った。そしてすぐに、思い出したかのようにつけ加えた。
「あ、そうそうミレーユ、ワイらが着替えとる間にやな、やって欲しいことがあんねや」
え?やって欲しいこと?なにそれ?




