第45話 ウイスキー
幸い、その後すぐにわたしは目覚めたので、牛と激突するようなことはなかったんだけどさ、問題はどうして旦那さんがわたしの夢の中で、よりによって牛なんかわざわざ出したかってことだよ。夢の中にまで牛が出て来るんじゃ、気の落ち着く暇もありゃしないからね。
というわけでわたしは、夜勤入りで出会った旦那さんにそのことを伝えた。すると旦那さんは、「備えあれば憂いなしやからそうしたんや」と言った。でも、今後夢にも牛が出て来るかもしれないと思うことが、わたしにとっては憂いなので、もう牛は出さないようにお願いしておいた。
ところでわたしは今、すでにドラクエ世界に来ている。いつものように例の小屋にいるんだけれど、小屋に来たばかりだっていうのに、すでに疲れきっていた。
それはなぜか?その理由は、わたしの横に並んで立っている人たちに原因がある。順番に松永さん、緒方さん、黒山さん、そして山中さん――そう、ゼメシナールにいる爺さん婆さんのうち4人もが、今ドラクエ世界に来ているのだ!つまり、その4人を連れて来る道中で、わたしはすっかり疲れきってしまったってわけ。なんせみんな、なかなか四つんばいになんかなってくれやしないし、黒い渦にも入ってくれないんだからね。そもそも、山中さんはいいとして、どうして他に3人もドラクエ世界に連れて来なくっちゃいけなかったのよ?
「それはやな、サイクロプスを倒して黒い塔までたどつくためやないかい。前言うとった秘策とは、ゼメシナールの爺さん婆さんたち精鋭3人に応援を頼むことやったんやで」
旦那さんが言った。でもさ、精鋭3人かなんか知らないけどさ、こんなわけのわからないところに連れて来ちゃってさ、虐待とかにならないの?
「虐待になんかなるかいや。めちゃめちゃおもろいレクリエーションをしようっていうだけやからな。それに見てみい、3人共若返って楽しそうやないかい」
確かに3人共若返っている。劇的なまでに若返っており、緒方さん以外は誰だかわからないくらいだ。その30歳くらいに若返って、髪の毛がフサフサしてて、痩せてシュッとしてて、精悍な顔つきをしている松永さんが言った
「ところで山中さん、僕が今夢を見とるようなもんで、これからコンピュータゲームを楽しむように冒険を楽しめばええっちゅうことはわかったんやけど、僕らは、まずなにをしたらええんやろか?」
3人はドラクエ世界に来てすぐに、この世界がどんな世界なのかを旦那さんから説明を受けていた。
「この小屋の外にですな、サイクロプスっていう巨人がおりますんで、そいつを倒すのに協力して欲しいんですわ」
「なんや、そんなもんがおるんかいな~、でも僕、なんの格闘技もしたことあれへんし、喧嘩もしたことないんやで~。こんなんで役に立つんやろか?」
不安そうな顔をした松永さんが旦那さんに聞いた。
「ワシも松永さんと同感や、巨人を倒すなんちゅうことが、ワシに向いとるとは思われへんねんけどな~」
ちょっと芥川龍之介に似ている40歳くらいに若返った緒方さんが言った。
「大丈夫です。武器やなんやかやはこちらで用意しますんで、ワイがやるのを真似してもうてですな、思い存分武器を巨人に叩きつけてくれれば、それで巨人は攻略できると思います」
旦那さんが言うと、続けて松永さんが言った。
「ホンマかいな~、でも、そんな武器なんちゅうもん、僕扱ったことないんやけどな~」
どうやら松永さんはかなり疑心暗鬼のようだ。そりゃあそうだよね、いきなりこんなわけのわからないところに連れて来られて、一緒に巨人を倒してくれと頼まれて、誰が納得できるというのだろう?
「大丈夫です。さっきも言うたようにゲームを楽しむつもりで、スパっと剣を振ってくれたらそれでいいですから」
「そうかいな~。なんか心配やなぁ」
松永さんが言った。腕を組み、眉間にはしわを寄せて目を細めている。
「それにですな、いきなり巨人を倒すんやなくって、まずは弱いモンスターで練習しますから安心して下さい」
ねえねえ旦那さん、その弱いっていうモンスターの中にはさ、もしかして牛も含まれてるのかな?わたしはすご~く気になったので、旦那さんに聞いてみた。
「・・・・・」
しかし旦那さんが、わたしその疑問に答えることはなかった。代わりに松永さんが、相変わらず不安そうな様子で旦那さんに言った。
「そうなんかいな。それやったらええんやけどやな、ちゃんと教えてや~」
「もちろんです。まかしといて下さい」
旦那さんは自身に満ち溢れた笑顔で言った。なんだか嘘臭くて怪しい笑顔だ――。
松永さんとは対照的に、楽しそうに目を輝かせている黒山さんが旦那さんに聞いた。
「おもしろそ~。それでわたしはどうしたらいいの~?」
ところで黒山さんは、小学校3年生くらいの子供になっており、もはや誰だかさっぱりわからなくなっている。
「そうやな~、黒山さんは、勇者と戦士と魔法使いのどれになりたい?」
旦那さんが、黒山さんの身長に合わせるようにかがんで、ニッコリ微笑んで聞いた。
「魔法使い~!」
黒山さんは、右腕を突き上げてハツラツとして答えた。さすが、80何年か後に魔法使いの婆さんみたいな風貌になるだけのことはある答えだよ。
「よし!じゃあ黒山さんは、今から魔法使いのフローラや!」
あ~あ、また勝手な名前つけられてるよ――。
「うん!わたしフローラ!」
しかし黒山さんは、またもや右腕を突き上げて楽しそうに言った。
「誰かさんと違って、子供っちゅうのは素直なもんやで」
旦那さんがわたしの方を見て小声で言った。悪かったね、素直じゃなくってさ――。
「よし、そしたらそろそろ準備を始めましょか。まずは男連中から着替えましょう」
旦那さんが言って、松永さんと緒方さんを奥にあるタンスのところに連れて行った。なんとなく2人の足取りは重そうだ。
「ところで山中さん、酒っちゅうもんはないんかいな?」
着替えながら、緒方さんが旦那さんに聞いた。そう言えば、緒方さんは酒屋の3代目なんだけれど、無類の酒好きだったって聞いたことがある。
「酒、ですか?」
「うん、そうやがな。せっかく遊びに行くんやったら、酒でもあった方が盛り上がりまっしゃろ?」
「まぁ、それもそうですな。ところで酒はどういった酒がよろしいですか?」
「そやな、ウイスキーなんかええけどな――ありまっか?」
「ウイスキーですか・・・お~い、ミレーユ、ちょっとウイスキー頼むわ」
旦那さんが、いきなりわたしに言ったのでハッとした。え?なに?ウイスキー?そんなのをどうしてわたしに頼むのよ?意味がわからないよ。
「どうしてって、お前さんには召喚魔法があるやないかい。それで平敦盛さんにウイスキーを頼んで欲しいんや」
え?マジっすか?でも敦盛さんって池の中の物しか送れないんじゃなかったっけ?
「池の中からしか物を送られへんっていうだけでやな、池の中の物しか送られへんっちゅうわけではないと思うねや。だからやな、近所の酒屋に行ってウイスキーを召喚してやな、それを池の中に持って行ったらいけると思うねや」
ホントにそうなの?よくわかんないけどさ――。
「だから、召喚魔法を試してみてくれへんか?」
「お嬢ちゃん、ワシからもひとつ頼むわ。そのなんちゃらっていう奴でウイスキーが調達できるんやったら、なんとかしてみてくれへんか?」
緒方さんが両手を顔の前で組み合わせ懇願して来た。よっぽどお酒が飲みたいみたいだね。
「わかりました。でもわたしも初めてのことですし、うまくいくかわからないですよ」
「頼むわな」
緒方さんはそう言って、まだわたしを拝むようなポーズをしている。ところでさ、召喚魔法ってどうすればいいんだっけ?
「ウイスキーを思い浮かべながら『どこで売ってるのかわからない素敵そうなパンを食べた中道理子です!』って威勢よく唱えるんやないかい」
そうだった――それにしても、なんとみっともない呪文だろう。
「みっともないことなんてあるかいな、立派な呪文やで」
どこがよ?あ~あ、できることなら唱えたくないんだけれど、まぁしょうがないか――。ところでさ、ウイスキーを思い浮かべるはいいんだけどさ、どんなのを思い浮かべたらいいのかな?ウイスキーなんか飲まないからわかんないよ。
「ウイスキーのボトルをなんとなくイメージできひんか?コマーシャルとかでもやっとるやろ?」
ウイスキーのボトル?う~ん、それだったらなんとなくならイメージできるかも――。
「よっしゃ、じゃあ早速呪文を唱えてみてくれ」
はいはい、わかりましたよ。え~と、ウイスキーのボトルをイメージしてと――。
「どこで売ってるのかわからない素敵そうなパンを食べた中道理子です」
わたしは小っ恥ずかしさ満点で呪文を唱えた。すると旦那さんのダメ出しが飛んで来た。
「それじゃあ、アカンわ。平敦盛さんは須磨寺の池の底におんねやで。もっと大きな声を出して、もっと強く念じなアカンわ。それに、そんな棒立ちやのうてやな、もっと手を合わせて、願うような姿勢を取った方がええんとちゃうか?」
え~、マジっすか?嫌だな~。
「頼むわ、緒方さんのためやないかい」
「頼んます」
相変わらず緒方さんは、両手をしっかり組み合わせ、願うような姿勢を取っている――もう、しょうがないな、ウイスキーのボトルをイメージしながら大きな声で呪文を唱えて、今緒方さんがやってるみたいに真剣に願えばいいんだね。
「どこで売ってるのかわからない素敵そうなパンを食べた中道理子です!!」
わたしは両手を組み合わせ、半分やけっぱちになりながら呪文を唱えた。すると一瞬、部屋の明かりが消えて暗くなってから、またすぐに明るくなった。
え?なになに?もしかしたら呪文が効いたのかな?一体どうなるの?




