第37話 みっちゃん
「なあに、コツっちゅうても簡単なことやねん。『五蘊皆空』って呪文を唱える時に、現実世界の澄子のことを思い浮かべて欲しいねや」
え?山中さんを思い浮かべる?
「そや。別に松永さんでもええけどやな、お前さんは普段から澄子や松永さんと接しとるわけやから、その2人がどういうふうにこの世界を見とるかわかるやろ?」
いや~どうだろ?そんなことわかりっこないと思うんだけど――。
「そりゃあ、ホンマにどう見えとるんかなんてことはわからんわいな。でも想像はできるやろ?どういうふうに見えとるか想像してくれっちゅうこっちゃ」
想像か――う~ん。え~と、そうだね――まずは、とにかくいろいろわからないみたいだから、それでイライラすることが多いんじゃないのかな?わたしだって知らないところに来て道がわからなかったらイライラするし、山中さんにしてみたら、それがずっとなわけだからさ、相当なストレスなんじゃないかな?
「なるほどな。他には?」
そうだね――どうも2人共、自分の失われてない記憶からこの世界を再構築して見てる気がするんだよね。
「と言うと?」
なんて言うのかな――どうやら、山中さんはゼメシナールを淡路島の自転車屋の家、松永さんはかつて住んでた自分の家だと思ってるみたいなんだけどさ、そういうふうに、今も残っているかつて自分がいた記憶からこの世界を見てて、そこに人とか物事を当てはめて認識してるのかなって思うんだよ。わたし山中さんに、よくみっちゃんって呼ばれるしね。
「なるほどな。確かにワイら夫婦は、32年前までは淡路島の江井っちゅうとこに住んどって、自転車を営んどったんや。でもそれって、澄子にとっては結婚してからのたった8年間のことなんやけどやな、鮮烈に記憶に残っとるんか、その時のことばっかり言うねや。今、ああして若返っとる澄子もまさにその頃の澄子やからな、あの時が1番よかったんやろな」
なるほど、そうだったんだね――ところでさ、みっちゃんって誰なの?
「みっちゃんは、年の離れた澄子の妹や。淡路島の郡家っちゅうところにある実家に住んどったんやけど、よう遊びに来とったんや。結婚して山形に住んでからは、なかなか会えんようになったんやけどな」
そうだったんだ――山中さんはまさにその頃の記憶の中で生きてるんだね。
「そういうこっちゃな。ほんでやな、今話しとったことでわかるように、いかに五蘊がアテにならへんもんかっちゅうこっちゃ。澄子が認知症っやっちゅうことはあるけどやな、ワイらにしても、今見とる世界なんてもんはやな、自分の都合良く解釈しとるだけかもしれんわけや。まさに、今おるこのドラクエ世界のようにな」
なるほどね、例えば山中さんがわたしたちと同じコップを見たとしても、淡路島で使ってたコップって解釈してるのかもしれず、まったく違う見え方、とらえ方をしているってことだよね。
「そや。それこそまさに五蘊皆空や。そういうことで、澄子を思い浮かべながら五蘊皆空の呪文を唱えると効果抜群やと思うねや」
なるほどね――。
「ところで話しは変わるけど、この前ここに来た時、澄子はほとんど無傷やったやろ?その理由はわかるか?」
あ、そう言えばそうだったね、旦那さんはボロボロなのに、なんで山中さんは全然大丈夫なのか不思議にて思ってたんだよ。でも理由ってさ、なんか理由なんてあったの?ただ単に山中さんが強いのかって思ってたんだけどさ。
「まぁ、強いと言えば、そのとおりなんかもしれんな。答えは単純に、澄子はモンスターを認識しとらんから、澄子にとっては存在しとるモンスターが圧倒的に少ないってことやねん」
え?人によって、存在してるモンスターの数が違うの?
「いや、この世界はワイの視点を通して見とる世界やからやな、基本的には誰にとってもモンスターの数は一緒なんや。けどやな、澄子くらいになると、モンスターの数が圧倒的に減るんや」
そうだったんだ――。
「そうや。それで澄子をこの世界に連れて来たっちゅうんがホンマのところや。そやないと太刀打ちできひんからな」
でもさ、山中さんにとってはモンスターが少なくても、わたしたちにとってはめちゃんこ多いわけでしょ?それはどうすんのよ?
「それにはちゃんと秘策を用意しとるわいな。平敦盛さんも協力してくれることになったしな」
そっか、秘策があるんだね
「そや、それは次回楽しみにしといてくれや」
そう旦那さんが言った後、本棚の前にいた敦盛さんの声がした。
「山中さん、我々は用意ができたよ。現在の甲冑もなかなか格好いいじゃないか」
見れば、勇者の格好をした敦盛さんが、快心の笑顔を浮かべている。その隣りにいる彦左衛門さんもやっぱり勇者の格好をしている。なんでみんな勇者なのよ?
「おっ~よろしいな~、さすが戦国武将ともなると風格が違いますな~。彦左衛門さんもよう似合ってますわ」
旦那さんが大袈裟な身振りで2人を讃えた。ホントに似合ってる?最初の着物の方がよっぽど似合ってると思うんだけどさ――。
「よし、それじゃあ山中さん、早速、合戦に出向くとしようじゃないか。一の谷以来だからね、ワクワクするよ」
敦盛さんがホントに楽しそうな爽快な笑顔で言った。なんでみんな、あんなモンスターがウジャウジャいて、気色悪くておっかないところに行きたがるのだろう?
「じゃ、そうしますか。あの扉を開けたら、そりゃあいろんなモンスターがいますからね、気をつけて下さいよ」
「大丈夫だよ。どんな類の物の怪がいるのかは知らないけど、この敦盛が見事討ち取って見せるさ!」
剣を抜き、高々と天に向かって掲げ、敦盛さんが意気揚々と言った。
「さすがですな!よし!行きましょう!」
旦那さんは敦盛さんと彦左衛門さんと一緒に、扉に向かって歩き始めた。
「じゃあな、ミレーユ。ワイらは先行っとるから、前の衣装に着替えたら出て来るんやで」
「はい」
「澄子も着替えたら、ミレーユと一緒に来るんやで。ほんじゃ、いってきます」
「いってらっしゃ~い」
山中さんが手を振ったので、わたしも手を振った。3人も手を振ってから扉を開けた。
「ニククイタイ~ハンシンイキタイ~」
すると例の如く、モンスターの叫び声が聞こえて来た。げ、今のって、なんか山田さんの声っぽかったんだけどさ、確か「肉が食いたい、阪神行たい」って言ってたよね。阪神は、ゼメシナールの近くにある焼肉屋の名前だから、きっと山田さんが、そこで肉を食べたいって思ったのがモンスターになったんだね――まったく、あの人は肉を食べることしか考えてないの?
まぁなんでもいいよ。そんなしょうもないモンスターは、敦盛さんにでもぶった切られたらいいんだよ。そんなことを考えながら、3人が出て行くのを見ていたら、山中さんがわたしに言った。
「じゃあミレーユ、着替えよか」
そうだね。早く着替えないと、また旦那さんが呼びに来ちゃうかもしれないもんね。わたしは「はい」と返事して、服を脱ぐことにした。
「ところで山中さん、妹さんってどんな人なんですか?」
わたしは服を脱ぎ、ミレーユの服を手にしながら山中さんに聞いた
「ああ、みっちゃんかいな。みっちゃんは私の8つ年下の妹やねんけど、なにかと行動的な子でな、若い頃はやれスキューバーダイビングやスキーや言うて、ようどっかに行っとったわ」
「そうなんですか」
スキューバーにスキーか――わたしはどっちもしたことないな、どうやら全然わたしには似てないみたいだね。
「ほんで毎年1回は、長野の方まで泊りがけでスキーに一緒に行っとったんやけどな、そりゃあスキーうまかったで。私は全然やったけど」
「へ~、一緒にスキーに行ってたんですか~、いいですね~」
「うん、楽しかったな。ほんで、わたしが結婚して家出てからも、あの子はウチにしょっちゅう来とったな。子供の頃からお互い阪神ファンでな、一緒にテレビで応援するのが楽しいっ言うてな」
「そうなんですか。山中さん阪神ファンだったんですね」
「そうやねん。まぁそんな感じで、みっちゃんが結婚して山形に行くまでは、しょっちゅう会っとったんやけど、最近は全然会ってないな~、なにしとんねやろ」
そんなことを話しながら、わたしたちはそれぞれの服に着替えていたら、突然「ガチャッ」と音がして扉が開いた。わたしが、また旦那さんかと思って見てみたら、それは血まみれの敦盛さんで、ドアを開けて入るなり突然バタッと前向きに倒れてしまった!
大丈夫なの!敦盛さん!




