第33話 仁王立ち
時刻は11時45分、わたしと清家さんが昼ご飯を食べ終わっても、森川さんはまだ戻って来ない。
「森川さん全然戻って来ませんね~」
清家さんが言った。確かに、風呂掃除にしてはあまりにも長すぎる。
「ちょっと見て来ます」
わたしは、再び風呂場に行くことにした。また、マイスリッパが濡れてしまったとでも言うのかな?
コンコン
「失礼しま~す」
わたしがノックしてから脱衣場に入ってみると、そこには森川さんの姿はなかった。あれ?浴場の方を見てみると、森川さんが仁王立ちで外を見ていた。え?なにしてるの?
「中道さんですか・・・僕あれから考えてたんですよ。利用者のことを思って行動したらアカンのかな~ってね」
わたしに気づいた森川さんが、相変わらず遠くの方を見ながら言った。え?もしかして、ずっとそのことを考えてたから、全然風呂場から出て来なかったってことなの?
「利用者を思いやって行動するのは素晴らしいことだと思いますよ。ただそのやり方に問題があったんじゃないですかね?」
「でも、そのやり方ってのが難しくないですか?だって、利用者を思いやって行動するのをみんな嫌がるんでしょ?」
「それも時と場合によるんじゃないですかね?ちゃんと順序立てて行動していけば、そのうちみんなにも熱意が伝わるかもしれませんよ」
「そうですかね――」
森川さんは、やっぱり仁王立ちのまま遠くを見つめていた。どうやら、深い悩みの渦に落ちこんでしまったようだ。これはもうどうしようもない。これ以上わたしにできることはなにもなさそうなので、フロアに戻ることにした。
ホントに物事が前に進まない人だね。まぁでも今は、森川さんがいなくたってちっとも困らないので、別にいいんだけどさ――。
しかし、万事テキパキしている清家さんとっては、この状況がかなり気に入らないようで、疑心に満ちた顔つきで、フロアに戻ったわたしに聞いて来た。
「森川さんなにしてたんですか?」
「なんか丁寧に掃除してるみたいですね」
まさか、仁王立ちで外を眺めていたとは言えない。
「それにしたって、時間かかりすぎとちゃいます?ご飯もあの人が食べへんから片づかへんし、ホンマいい加減にして欲しいですよ」
清家さんはプリプリ怒っている。別に森川さんのご飯が片づかないくらいどうってことないとは思うのだけれど、物事が前に進まないのが気に入らないのだろう。
「まぁ、さすがに、もうすぐ戻って来るんじゃないですかね」
「ホンマですか?12時になっても戻って来んかったら、ご飯捨てたろかな」
清家さんがなかなか過激なことを言った。相当お怒りのようだ。でもわたしとしては、たかだかそんなことくらいで怒らないで欲しいと思う。なぜなら、ドラクエ世界的によろしくないに決まっているからだ。清家さんがチリチリ頭同然の状態になるのは一向に構わないんだけれど、そこから派生する様々な思考が、モンスターを多量に生んでいるに違いないからね――。
「まさしくその通りやで。今ドラクエ世界では大量のモンスターが生まれとるところなんやで。あっ」
わたしがドラクエ世界のことを心配してたら、旦那さんの声が聞こえて来た。やっぱりそうだったんだ――。
「清家は言わずもがなやな。テキパキ動くのがいいことやっていう自分の価値観に森川を当てはめて物事を見とるから、腹を立てていろんな妄想を巡らせとるわけや。まぁ、お前さんの月曜日の夜勤明けも、今の清家と似たようなもんやったわけやけどな。あっ」
でもあの時はさ、夜勤明けでわりかし忙しいっていうのにさ、森川さんってば、山根さんは起こせないし、五十嵐さんのご飯はちっとも食べてもらってないしで、なんの役にも立ってなかったんだよ。
「でもそれは、森川が相手のことを思いやった結果そうなったわけやからな。結局お前さんも、現場を回すことに価値を置いとるから腹を立てたんとちゃうんか?あっ」
うぐ。痛いとこをついてくるね。確かに、それはそうだよ――。
「でもまぁ、それはそれでしょうがないとこでもあんねや。実際問題、森川のように仕事しとったら時間がいくらあったって足らんわけやからな。結局大事なんは、誰も正しくはないってことを知ることなんやで。あっ」
なるほどね――。
「ところでやな、その森川は森川で、やっぱり今現在、もれなくモンスター大量生産中なんやで。あっ」
え?そうなの?
「そうやで。風呂場で仁王立ちして、まぁいろいろ妄想しまくってくれとるわ。あっ」
そっか~。確かに、深い悩みの渦に落ち込んでるみたいだったもんね~。
「そうやがな、それはそれは深く落ちこんでくれとるがな。でもやな、森川は森川で、お前さんも知ってのとおり、世の中とか会社でのルールを無視しすぎなんや。そやのに森川は、そういう客観的な事実を見ようともせずに、自分は相手のことを思いやって正しい行動をしとるのに、なんで否定されなアカンねんって、赤子同然に嘆いとるわけや。あっ」
まぁ、そういうことだよね――。
「とにかくまぁ、森川は物事がまったく見えとらんわ。常に自分がこだわっとる事柄ばっかり見て、妄想にゲドゲドにまみれとるからな。そやから物事が一向に前に進まへんねや。あっ」
ゲドゲドって――それじゃあ、モンスターも大量に生んでるんじゃないの?
「そりゃあ、生みまくっとるわいな。それこそ、モンスターナンバーワンやで。あっ」
げ、マジっすか?でもさ、そんな妄想でゲドゲドな人がいんのにさ、ホントに黒い塔を攻略なんてできるの?
「それはお前さん次第なんやで。まぁ、修行してモンスターを倒せれるようになれば攻略できるわいな。あっ」
ホントかな~、なんか心配になって来たよ――。
「大丈夫や、心配せんでええ。その辺のことは経験を積めばクリアできんねや。あっ」
旦那さんがそう言うんならさ、そうなんだろうけどさ――。
「とにかくやな、お前さんは清家や森川を反面教師にしてやな、しっかり修行するんやで。あっ」
なんか、ゼメシナールってさ、反面教師ばっかりいるね――。
「考えようによっちゃ、教師が一杯おってありがたいやないかい。あっ。
そうだね。劣悪な環境に感謝だね――。
「そうや。感謝するんやで。あっ」
そうして旦那さんの声は消えた――。
そのようにして、その日の日勤勤務はすぎて行った。森川さんや清家さんや渡辺さんは、お昼からも相変わらず好き放題してくれたんだけどさ、なんとかモンスターが増えてないことを祈るばかりだよ――。
しかし、次の日の夜勤入りの夜、わたしがドラクエ世界で見た光景は、驚愕すべきものだった――。




