第29話 敵の思う壺
そうは言うけどさ、こんな体たらくな有様を見たら、いろいろ文句も湧いて出て来るってもんだよ。
「でも文句が湧いてきてもやな、なにが解決されるわけでもないんやで。それどころか、モンスターは生まれるし、お前さんはイライラして丸焦げ同然の状態になるだけでやな、なんにもええことないんやで。あっ」
そりゃあ、まぁ、そうかもしれないんだけどさ――。
「それと、そんなにこの夜勤明けの状態が気に入らんねやったら、なんでこんな状態なんか、段田さんに直接聞いてみたらどないや?サボりと決めつける前にな。あっ」
え?マジっすか?でも、そんなの聞けないよ。
「そうかいな。でもやな、それが聞けんのやったら、状況がどうであれ、今やっとる行為を呟きながら、ただ目の前にあることを淡々とこなして行くしかあらへんな。とにかくやな、人を自分の価値基準に押し込めて、推測でアレコレ決めつけて文句ばっかり言いよったら、ドラクエ世界がますますモンスターまみれになって、黒い塔攻略もクソもなくなっててまうからな。あっ」
う~、それを言われてしまうと辛いね――。
「ほんじゃあな。頑張りなはれや。あっ」
旦那さんの声は消えた――。
そっか~、まぁ確かに、この惨状にイライラしてみても、誰の得にもならないばかりか、黒い塔攻略が遠ざかるばかりだもんね。しょうがない。あきらめて、今やってることを呟きながら淡々と働くことにしよう。
まずは、山中さんに起きてもらうとするか。わたしは「歩いている歩いている」と呟きながら5号室に行った。山中さんの枕元には、勇者のぬいぐるみが立つようにして置いてある。今は動く様子はないようだ。
「山中さん、おはようございます」
わたしは山中さんに挨拶をした。
「え・・・誰よ?」
山中さんが目を細めて睨んで来た。げ、機嫌悪そ~。
「中道です。もうすぐ朝ご飯なんで起きませんか?」
「らかみしって誰よ、知らん」
不機嫌そうに山中さんが言った。主任の夜勤明けの時もそうだけれど、段田さんの夜勤明けの時もいっつも機嫌が悪いのだ。
それでもなんとかわたしは、山中さんをトイレに連れて行って介助することができた。そしてトイレから出た時のことだった。
「アンタ、みっちゃんやろ?こんな夜遅うにどないしたんな?」
山中さんがわたしに聞いて来たのだ。どうやら機嫌は少しは回復したようだ。ところでわたしは、山中さんにみっちゃんとよく呼ばれるんだけれど、それが誰なのかがいまいちわからないだよ。
「山中さんに会いたかったから来たんです」
わたしは答えた。わたしはみっちゃんではないけれど、山中さんがそう呼ぶ時はそのように振舞うことにしている。
「郡家の家は心配しとるやろ?」
山中さんが言った。「郡家の家」これも山中さんからよく出てくるワードで、どうやら淡路島の郡家というところに実家があるらしくて、山中さんはその近所に住んでいると思っているみたいなのだ。
「いや、もう朝だから大丈夫ですよ。ほら」
わたしが窓の方を指差すと、山中さんがその方を見た。
「え?もう朝なんかいな。そうか。自転車で来たんか?」
「自転車」これも山中さんからよく出るワードだ。どうやら、山中さんが今住んでいると思っている家は、自転車屋のようなのだ。
「はい」
わたしは返事した。これまでの山中さんとの会話から、みっちゃんとやらは、山中さん一家が営んでいる自転車屋で、最近自転車を買ったみたいなので、自転車に乗って来たと言わないと「なんで乗って来てないんや」と言われるハメになっちゃうのだ。
「そうか」
そんな問答をしながら、わたしは山中さんにテーブル席に座ってもらった。
それからわたしは、山根さんに起きてもらってから(もちろんこの人も暴れて大変だった)、松永さんの起床介助をした。
それにしても、どうして本来夜勤者がやるべき起床介助を、わたしが3人もやらなくちゃいけないのよ?でも、段田さんが一向に五十嵐さんの起床介助を終えないのだからしょうがない。わたしまでモタモタして、現場が整っていない状態で主任が出勤してしまうと、地獄の言葉を吐かれてしまうからね。
それから、いろいろ文句は湧いてきそうにはなったんだけれど、なんとかグッとこらえて、ともかく目の前のことに集中して、やるべきことを呟きながら行った結果、なんとか主任が来る頃には、ある程度現場を整えることができた。
しかしそれでも主任は、地獄の声でわたしに聞いて来た。
「松永さんと山中さんの8時半のトイレ誘導には、なんで行ってないんですか?」
「松永さんは、わたしが来た時にはまだ寝てて、トイレに行ったのが7時半だったからです」
「山中さんは?」
「山中さんも7時すぎだったんで、お風呂を1番にして、その時行くつもりだったんです」
「わかりました」
主任は、地獄の声でそう吐き捨てるように返事してからどっかに行った。感じワッル~。
それにしてもなに?さっきのまるで刑事の取り調べのような尋問は?わたしがサボってるとでも思ってるの?主任は、決められた時間に決められたことをしてないと気に入らないみたいなんだけどさ、そんなのさ、段田さんが松永さんも山中さんも起こしてないんだからどうしようもないじゃない!
「また随分と威勢のええこっちゃな。あっ」
わたしがムカムカしながら主任の背中を睨んでいたら、旦那さんの声が聞こえて来た。威勢?まぁ確かに今わたしは、アホ主任にムカムカしていろいろ思ってるところだね――。
「それがいかんのや。そんなふうにいろいろ思ってもうたら敵の思う壺なんやで。それはモンスターを多量に生んで、敗北を意味することになるんやからな。あっ」
げ、敗北――それは嫌だね――。
「そやろ。それに、そうやって松井のことをゴチャゴチャ考えるっちゅうことはやな、松井の奴隷に成り下がるっていうことでもあるんやで。松井に頭と心を支配されて、自由を奪われとるわけやからな」
げ!主任の奴隷ですって!?――それは絶対に勘弁してもらいたいよ!
「そやろ。だからやな、松井にムカムカした時はやな、客観的に自分を見るために、なんで怒っているかを言葉にしてみるこっちゃ。あっ」
旦那さんの声は消えた。なるほど。そう言えば、怒りの種を抽出する方法があったね、忘れてたよ。しかし、実際主任を前にして、その方法は効果あるだろうか?かなり難しいように思うんだけれど――でも、主任の奴隷なんて間違ってもごめんだからね、気を引きしめないといけないよ。
――だけれど、それからも主任は、もちろん地獄のようなことをバシバシ繰り出して来た。
まず一つ目は、わたしが入浴1番目の山中さんの髪を乾かし終え、山中さんとフロアに戻ろうと思って、浴場のドアを開けた時のことだった。なぜかそこには主任と松永さんが立っていた。
「山中さんは連れて行きますから、松永さんの入浴をお願いします」
主任は山中さんを連れて行き、わたしには松永さんを渡した。ん?なんで?わたし、まだ松永さんの着替えの用意とかしてないんだけどな、なにをそんなに急いでんの?と思いつつ、松永さんに椅子に座ってもらっていたら、ドアが開き、主任が衣服一式とリハビリパンツとパットをわたしに渡してからすぐに出て行った。
どういうこと?意味がわからない――しばし首を傾げながら考えるわたし。もしかしたら、わたしが松永さんの8時半のトイレ誘導に行ってなかったから、主任がトイレ誘導間隔である2時間が経った9時半になったのを見て、トイレに連れて行き、そのままお風呂に連れて来たのかもしれない。
げ。だとしてもだよ、そんなのちょっとくらい遅れたってどってことないじゃないのさ、2時間経ったらきっちりオシッコが出るわけじゃないんだからさ。
それともアレか、8時半にトイレ誘導に行ってなかったことに対するあてつけなの?――って、こういうふうにいろいろ思っちゃうのががいけないんだよね。さすが主任だよ、確実にいろいろ思いたくなることをして来る。主任が、本当はなにを考えてこんなことをしたのかなんてわからないし、それがどういう意図であろうとも知ったこっちゃない。よし、右から左へ受け流そう。
そうして、一つ目の主任地獄はクリアできたわたしだったんだけれど、二つ目はそうはいかず、完全にやられてしまった――。




