第1話 どこで売ってるのかわからない素敵そうなパン
なに!?今の夢!?
わたしはゆっくりベッドから体を起こしながら、さっきまで見ていた夢の光景をもう1度思い浮かべてみた。
お姫様みたいなドレスを着た女の人が、薄暗い部屋の中で、泣きながらわたしに助けを求めていた。そんな鮮明な夢だった。そしてその生々しいまでの鮮明さが、妙に胸に引っかかった――。
なにか意味があるのだろうか?ホントに誰かがわたしに助けを求めているのだろうか?しかしわたしには、どこの誰かも、どこの部屋かもわからず、まったく手がかりもない――って、それはそうと、今って何時なの?わたしは枕元に置いてたスマホを手に取って時間を見てみたんだよ。
げげげげ!!7時32分やんけ!!!!
ワピー!!8時に家を出ないと完全に遅刻してしまうっていうのに、7時32分ってなんなのよ!?なんで!?目覚ましはちゃんと鳴らなかったの!?ううう。しかし急いでスマホを確認したところ、ちゃんと鳴っていたようだ。わたし、どうして気付かなかったの?なんてことなの。ううう。
いやいやちょっと待て。こうなってしまった以上、もう嘆いたり後悔している場合じゃないよね、うん。とにかく支度しなくっちゃ!
急げ!急げ!服を着ろ!顔を洗え!化粧しろ!階段を駆け下りろ!ワオー!
あっ、そうそう。自己紹介がまだだったね、わたしの名前は中道理子23歳、大学を出て、高齢者介護の仕事を始めてから2年4ヶ月になる新人社会人で、神戸市は長田区にあるグループホームに勤めてるんだ。
さてわたしは、猛烈な勢いで着替えてから出勤用のリュックを背負い、2階の自分の部屋を飛び出し、勢いよく階段を駆け下りリビングに行った。すると、2歳上のお姉ちゃんが優雅に朝食を食べていたんだよね。
「りこちゃん、おはよう。なんか慌ただしいんだね」
「そだね」
慌ててるせいか、北海道の人みたいなヘンな返事になってしまった――。でもしょうがない、なんせタイムリミットの迫っているんだからね。わたしは洗面所に駆け込み、バッシャーンバッシャーンと顔を洗って髪のセットをして、パパパッと化粧する。
急げ!急げ!急げ!次はトイレに駆け込むぞ!おっ~!
ドタドタ駆け回ってるわたしをよそに、お姉ちゃんは相変わらずゆっくり優雅にパンを食べている。どこで売ってるのかわからない素敵そうなパンと、聞いたこともない素敵そうな紅茶だ。いつもそうなんだよ。これがいわゆる素敵女子とかいうやつなんだろう。仕事だってアパレル系だし、完全に世の中の流れに乗っている。職場で爺さん婆さんの糞尿にうずもれながら、流れをいつまでたっても見つけられないわたしとは大違いだよ――。
さらに言えば、わたしとお姉ちゃんでは、見るテレビや映画も、聞く音楽や読む本も全部まるで違う。お姉ちゃんは「ゴリパラ見聞録」とか「水曜どうでしょう?」なんて見ないし、「7歳の僕が大人になるまで」とか「キックアス」とかももちろん見ないだろう。「踊ってばかりの国」や「チャイ」なんて聞かないし、「宮崎夏次系」や「川上弘子」も読まないに決まってる。
姉妹なのにどうしてこんなに違うのかな?育ちで言えば、ほとんど一緒のはずなんだけれど、見た目も全然違うし、ホントに同じ両親から生まれてきたの?って疑いたくなっちゃう。特に思春期の頃よく思ったことは、クリクリ目玉で美人のお姉ちゃんに比べて、どうしてわたしの目はこんなにも細いのだろう?ということなんだよ(皮肉なことに、よく見開いたクリクリの視力が0.1以下なのに対し、あまり見開いてない細々の方は、今だに1.5をキープしている)。身長だけはわたしの方が7センチも高くって(163センチもあるんだよ)、それもどうかと思うのだけれど、1番納得がいかないのは、胸のことなんだよね。お姉ちゃんのは、そこはかとなくデカいんだよ。よく見てみないと、あるのかないのかよくわからないわたしとはまるで違う。しかも単に馬鹿デカイだけではない、そこはかとなくデカいんだよ。そこには、なにか控えめな由緒の正しいなにかが備わっている気がする。
まるで生まれてくる前、雲の上かどっかで、2人でカードをジャンケンして取り合った結果みたいだよ。目に関しては、お姉ちゃんはあんまり見えないけれど可愛い方を選び、わたしはよく見えるけど細い方を選んだ。体に関しては、お姉ちゃんは身長はちっちゃいけれど胸のデカイ方を選び、わたしは身長が高いけれど胸のない方を選んだ。
今こそわたしは、お姉ちゃんとカードを取り合ってる雲の上のわたしに言いたい。
どうして、そんな機能性ばっか重視してんのよ!
確かに体型の分だろう、わたしはお姉ちゃんと比べて随分と足が速い。小学校の頃の運動会では6年間ずっと1位で、お姉ちゃんはずっと最下位方面だったので、その時ばかりは鼻高々ではあったんだよ。でも今にして思えば、それが一体なんだって言うのよ?そりゃあサニブラウンくらい速いんだったら話しは違うんだろうけどさ、ちょっとくらい足が速くったって、そんなのなんの役にも立ちやしないんだよ。そんなことよりさ、足なんか遅くったって可愛いほうが、この世の中を生き抜くには遥かに重要じゃないのさ――。
しかし生まれて来る前のわたしは、『かけっこで1位になりたい!』だなんて、多分馬鹿みたいに思って、身長が高い方のカードを選んだのに違いないんだよ。で、生まれる前からどうすれば世の中で優位に生き抜いていけるかをすでに考えていたであろうお姉ちゃんは、迷いなく身長がちっちゃくて胸のデカイ方を『しめしめ』とか思って選んだに違いないんだよ――。
あ~あ、なんてことなの・・・。生まれる前から激しく差がついちゃってたとはね、トホホ・・・・。
わたしはそんなことを考えながらトイレを出た。そこにはお姉ちゃんがいて、相変わらずどこで売っているのかわからない素敵そうなパンを食べていたんだよ。そしてその姿は、なんだか妖精がまわりをふわふわ踊っているみたいに可愛くって、そのことがわたしを苛立たせた。
「いってきます!」
だからわたしはムスッと怒って言って、家を駆け出した――。