第15話 ベッド上でオシッコをブリ散らかす
お、ついに出たね!今日のわたしは、ヘンなオッサンからのメッセージを待っていたので、もう驚きはしなかった。
ところでさ、なに?今のセリフ?全然期待してたのと違うんですけど――。え~と、頭がゴチャゴチャしてて、かなり危ういだったっけ?なんかそんなだったよね?どういうこと?さっぱり意味がわかんないよ。なんかもっとこう具体的に、なにがどうなっているのかを教えて欲しいんだけどな――。でも、まぁアレか、今は主任もいるしね、わたしが1人になって仕事も落ち着いてから、なにかもっと具体的な声が聞こえるのかもしれない。とりあえず今は、トイレ掃除に専念することにしましょう。
わたしは、3つあるトイレを掃除して回った。その間主任は、テーブルや椅子を拭いたり杉浦さんと原さんとしゃべったりしていたようだ。もちろんわたしと主任の間に会話なんてものは一切ない。相変わらず空気は重いままだ。
そうして19時半に主任はさっさと帰って行き、20時45分には利用者みんなも自分の部屋に戻り、フロアには誰もいなくなった――。
シーンと静まり返るフロア――カチコチと時計の音だけが聞こえている。そうなると、なんだか緊張して怖くなって来た。いつもの夜勤の時は、別に怖くもなんともないんだけどさ、今夜は事情が随分と違うからね。
なんたって昨日から、ヘンなオッサンの幽霊が憑依しているらしき勇者のぬいぐるみの声が、聞こえて来ているわけだからね。
なんかドキドキするよ。いつまたヘンなオッサンの声が聞こえてくるのかわからないしね――。
「わ~れらじんせ~いろくじゅから~♫」
――しかし緊迫の静寂を破ったのは、ヘンなオッサンではなく松永さんの唄声だった。松永さんは夜になると、こんなふうに急に唄い出すことがよくある。そして1度唄い始めると、しばらく唄い続けている。
唄うこと自体は別に全然構わないんだけどさ、唄うってことは起きてるってことじゃない?問題はそこにあって、この人は夜起きてると、着てる物を全部脱いでしまうというクセを持っているのだ。もしかしたらすでにスッポンポンになっているかもしれないんだけれど、そうなったらデンジャーゾーンロックオンで、オシッコを直接布団にブリ散らかす準備が整ったってことになる。
だから布団にオシッコをブリ散らかされる前に、早めの対応を取ることが必要なわけ。シーツを取り替えるのは面倒だからね。というわけでわたしは、2号室に行ってドアを開けた。すると、掛け布団から見えている松永さんの上半身が、すでに裸なのに気がついた。
げ!すでにロックオンされてるじゃないのさ!やべえ!
わたしは急いで下半身にかかっている掛け布団をどけてみた。そしたら案の定なんにも履いておらず、見事にスッポンポンだった!
げ!やられたか!いきなりかまされちゃったの!?
別に脱いでるだけで、オシッコしてなきゃなんの問題もないわけよ。わたしはそうであってくれと祈るように、急いでシーツの上に敷いてある防水用の2枚のラバーシーツを確認してみた。すると、ラバーシーツ2枚にかけて円状のおしっこの跡ができていた。あっちゃ~、残念、手遅れだよ、交換するしかない。ところで、掛け布団の包布の方はどうだろう?触ってみるとこれまた湿っていたので、こちらも替えなきゃしょうがない。あ~あ。
でも、このまま松永さんが寝ていてはラバーシーツを交換できないので、どいてもらわないといけない。
「松永さん、ちょっと起きてもらっていいですか?」
わたしは、松永さんに声をかけた。
「なんやの!ビックリするやんか!ここワシの家やで!アンタ泥棒か!?」
松永さんが大きな声で言った。松永さんは、ゼメシナールをかつて住んでいた自分の家だと思っている。
「松永さん、わたしは泥棒じゃないから大丈夫です。とりあえずですね、パジャマを着ませんか?」
「なんでやの!?なんでそんなん着なアカンの!」
なんでやのって、こうやってラバーシーツとか、掛け布団の包布が、オシッコまみれになっちゃうからだよ。
それからわたしはなんやかやと作業を終えた。松永さん、もう脱がないでよ――。
時計を見てみると、21時を少し回っていた。やれやれ、定期巡回の時間をすぎちゃったじゃないのさ。では、なにか起きそうな山中さんの部屋は一番最後にして、緒方さんから行くことにするか――。
ところで夜間の定期巡回は、21時、23時、1時、3時、5時の5回行うことになっている。で、夜間のトイレ誘導の方は、特に時間は決まってないんだけれど、起きて来た時とか大体の感覚でやばそうだなという時に行っている。
わたしは1号室のドアを静かに開けた。部屋は常夜灯の明かりだけだけなので薄暗い。そんな中、緒方さんはグッスリ寝ているようだ。
ところで、緒方さんにも松永さんと似たような特徴があって、ポータブルトイレがベッド脇にセットされているのにも関わらず、ベッド上でオシッコをブリ散らかしちゃうことがある。そうなると面倒だからね、頼むよ緒方さん、ベッド上でおしっこしてないでよ。わたしは、祈るような気持ちでラバーシーツが濡れてないか、触って確認してみた。
――濡れていた。
あちゃ~、なんてこった~、いきなり松永さんとダブルでかまされちゃったよ~。なんかついてないなぁ、トホホ・・・。でも、もうやっちまったものはしょうがないよね、ラバーシーツを交換するとしよう。
「緒方さん!緒方さん!」
というわけでわたしは、耳のすぐ傍で緒方さんに呼びかけた。
「ん?」
すると眠そうに反応する緒方さん。
「緒方さん!オシッコはちゃんとポータブルトイレに移ってしないといけないじゃないですか!」
わたしは注意した。このことを緒方さんの脳裏にハッキリクッキリ植え付けなきゃいけないからね。
「しゃあないねや、起きられへんねや」
緒方さんは凄く困った感じで言った。
「しゃあないじゃないでしょ!シーツが濡れてて気色悪くないですか!?」
「いや、大丈夫や」
「とにかくシーツを変えますから起きて下さい!」
「起きられへんねや~これが~」
「起きれます!」
わたしは布団をどかして緒方さんに起きるよう促した。緒方さんは多少下半身の筋力が低下してるから、歩くのには若干の不安定さがあるんだけれど、起き上がるのやポータブルトイレに移乗するなんてことは難なくできるのだ。なのに面倒臭がってベッドでそのままオシッコしちゃうのだ。
「面倒やなぁ~」
面倒なのはこっちだよ。
「面倒とか言ってる場合じゃないでしょ!」
「このままでええんやけどな~」
「いけません!はい!起きてこっちの椅子に移って下さい!」
わたしは洗面所にある椅子に座ってもらうように促した。実は、わたしもそうは言いつつ、このままでいいんじゃないかって思わなくはない。というのも緒方さんは、こんなふうにベッドでオシッコを夜中何度もしちゃうからだ。この前は朝までに3回もラバーシーツを取り替えたからね。どうせまた汚れるんならさ、そのままでいいんじゃないかって思うでしょ?
しかし、見てしまったものはしょうがない。そのまま放置するなんて、介護職としてのプライドが許さない。
ようやく緒方さんが渋々椅子に移ってくれたので、わたしはパジャマと紙パンツが汚れていないかチェックしてみたんだけれど、これがちっとも汚れていないんだよ。ご丁寧なことに、ちゃんとオチンチンを出してオシッコをするからだ。やれやれ。
一連の作業を終え時計を見てみると、すでに9時15分を回っていた。なんかいきなりつまづいちゃったなぁ――でも、まぁしょうがないか、気を取り直して、次の部屋へと巡回に行くことにしましょう。
そして全部の部屋を回り、ついに山中さんの部屋を訪れるその時がやって来た――。