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第13話 カレーに珍しいものを入れるお祭り

 申し送りが終わってから、わたしは黒山さんと散歩に出かけることにした。本来日勤は、食事の準備をする時間なんだけれど、そんなのは例によって必要以上に早くから山田さんがやっているので、手伝う必要なんかない。


 わたしは黒山さんと外に出た。17時半近くともなると、さすがに夜の気配が少しばかり染み出し薄暗くなって来ており、どこかの家の風鈴を揺らす風が、少しは涼しく感じられるようになっている。


 わたしは黒山さんと手をつないで歩く。そうしないとこけちゃうかもしれないからね。なんせ90歳だしさ。


「どきょいぐの?」


 ゆっくり歩いていたら、黒山さんが聞いて来た。


「ちょっと散歩しながら、よその家の晩ご飯を研究をします」


 わたしは、黒山さんの耳元に顔を寄せて言った。


「研究しゅんの。感心やねぇ」


 黒山さんがニッコリ微笑んだ。その微笑み方はとってもチャーングだ。わたしは、適当に通りかかった家を指差して黒山さんに聞いた。


「ここの家はカレーですねぇ。黒山さんはカレーは好きですか?」

 

「しゅきよ。子供もしゅきやからね、ようちゅくるんよ」 


 黒山さんはニッコリ微笑んで言った。かわいい。


「そうですか。なにカレーですか?」


「ん?」


 黒山さんはよく聞こえなかったらしく、もう1度聞き返して来た。


「どんなカレーを作るんですか!?」


 わたしは黒山さんの耳元で、さっきより大きな声で聞いた。


「ゴールデンキャレーの甘口」


 黒山さんが答えた。なんだか随分と具体的なんだね。


「そうですか。ところで、どうやらさっきの家ではカレーにレンコンを入れてるみたいですよ」


 カレーにレンコンを入れるのは、さっきの家じゃなくってわたしの家のカレーなんだけどね。


「え~、レンコン?めじゅらしいね」


 ちょっとビックリした感じの黒山さん。家のカレーにレンコンが入っていると言うと、大抵珍しがられる。


「確かに珍しいですね。ところで、黒山さんとこのカレーにはなにを入れるんですか?」


「しょうやね~、バナナ」

 

 え?バナナ?黒山さん・・・アンタの家のカレーの方が、随分と珍しい物が入ってるじゃないのさ――。


「バナナ入りのカレーはおいしいですか?」


「おいじいよ、秘伝の味やからね、ひゃひゃひゃ」


 黒山さんは笑った。でも、秘伝の味の割に、使ってるのはゴールデンカレーの甘口なんだよね?


「そうですか。ところで黒山さん、カレーの話しをしてたら、なんだかカレーが食べたくなって来ましたね~」


「しょうやね」


「じゃあ、カレーを食べに行きましょっか」


「どきょに?」


「ほらここです。ここのカレーがオススメなんですよ」


 わたしは目の前にある「ゼメシナール愛の家」を指差した。そう、今日の晩ご飯のメニューはカレーなのだ。カーテンがしてあって見えないんだけれど、きっと晩ご飯の準備が終わっている頃だろう。


「しょうなん?」


「はい。じゃあ早速いきましょう」


 わたしたちがフロアに戻ってみると、すでに晩ご飯の用意ができており、ほとんどの利用者が食べ始めていた。わたしは黒山さんに手を洗ってもらってから、席へと誘導した。するとすぐに山田さんがカレーを持って来てくれた。


「どうぞ~、今日はなんとビックリ、キュウリカレーやで~」


「ありゃ、おいししょうやね」


 黒山さんがニッコリ微笑んだ。それにしてもキュウリカレーってなに?おいしいのそれ?まぁでも、利用者がガツガツ食べてるところを見ると、きっとおいしいんだろう。


 ふぅ。これで黒山さんも落ち着いたね――わたしが時計を見ると17時50分になっていた。そろそろ帰る時間だ。


 それにしても今日は、ホントにいろんなことがあったけれど、なんと言っても勇者のぬいぐるみだよ。まさかヘンなオッサンにとり憑かれてるなんてビックリだよ。ところであの声ってさ、わたしだけに聞こえてるのかな?他の職員にはどうなんだろう?今度森川さんにでも聞いてみようかな――。


 わたしがそんなことを考えながらフロアを見てみると、達郎が申し送りをする机で1人でカレーを食べているのが見えた。食事は利用者と一緒にすることになってるってのにさ、なにやってんのよ?


 達郎がそうやって1人で晩ご飯を食べるのはいつものことなんだけどさ、見てるいるとムカッ腹が立って来る。とにかく達郎とか山田さんとかその他諸々の職員は、全然ちっとも利用者と関わろうとしないのだ。そんなに利用者と関わりたくないんだったらさ、別にこの仕事をしなくたっていいんじゃないの?つくづくそう思うよ――。


「お疲れ様です」


 18時となり、わたしはさっさと帰ろうと思い、事務所に行ってタイムカードを押した。


「お疲れ様です~。あ、ちょっと待ってくれへ~ん。私も一緒に出るわ~」


 事務所にいた渡辺さんが言ったので、わたしはしょうがなく待つことにした。一体なに?


「ごめ~ん、お待たせ~」


 わたしが玄関で待っていると、渡辺さんはベージュのパンツと白のスヌーピーのTシャツという簡素な格好でやって来た。


「いやな~、これから兵藤医院に行くんよ~」


 ん?兵藤医院?それは理事長のいるところなんだけどさ、またまた澤村さんの文句でも言いに行くつもりなの?


 それから駅までの道すがら、渡辺さんは澤村さんの文句ばかり言い続けた。現場に人手が足りなくてバタバタしてるのに、澤村さんがひたすらケアマネージャーと悠長に意味のない話しばかりしていたとか、昼ご飯はそのケアマネージャーと2人で焼肉を食いに行ったとかそんな話しだ。


 そんなの知らないよ!!

 

 介護職員がなまくらなんてことはさ、今日も現場でたっぷり思い知らされて来たばっかりだよ!なのに、他の部署の職員のなまくら振りまで叩き込まれるなんてさ、これは一体どういう種類の拷問なのよ!?しかも朝と夕方の2回もさ!それとも、わたしを不愉快にさせると、もれなくポイントがついてくる制度でもあるの!?もしそんな制度があるんならさ、今すぐ止めてよね!


 はぁ~、まったく――しかしわたしの心の叫びも虚しく、渡辺さんの話しはそれから30分も続いた。駅に着いて、やっと開放されると思ってからの20分がホント長くって、それこそ真の拷問だった。なんちゅうこっちゃ、こんなことならタイムカードなんて押さずに、更衣室から直行で帰ればよかったよ、トホホ――。


 疲れた・・・ともかく疲れた・・・。わたしは電車に乗り、つり革にしがみつくようにして、なんとなく流れ行く景色を見みていた。ipod touchからはゲーリー・ルイス&プレイボーイズの「カウント・ミー・イン」に続いて、山下達郎の「土曜日の夜」が流れる。光る波のような黄金色の曲の流れなんだけれど、ちっとも耳に入って来ない。どうしても「ゼメシナール愛の家」の方の達郎が頭にチラついてしまって、本物の達郎の声が心に響かない。大好きな曲だっていうのになんてことだろう――。


 それにしてもだ――なんだって達郎は、よりによって山下達郎に似ているのだろう?達郎がストレートの髪で、なんか山下達郎に寄せている感じなのも腹が立つ。せめてパーマかなんかあててさ、遠ざかれって言うんだよ。大体達郎は、山下達郎のファンでもなんでもなくって、福山雅治のファンなのだ。だったらさ、福山雅治のファンにもっとふさしい髪型があるんじゃないの?まぁ、それがどんなだかは、福山雅治のファンでもなんでもないわたしには、検討もつかないんだけどさ――。


 わたしは家に着くまでの間、『達郎め、アホみたいに1人でキュウリカレーなんか食いやがってクソが』とか、そんな考えしか思いつけず、音楽どころではなかった。


「たただいま~」


「おかえり~」


 家に着くと、お母さんだけがいて、晩ご飯を作っていた。匂いからしてカレーだろう。それにしてもカレーだなんてさ、なんとも絶妙なタイミングじゃないの。きっと今日もレンコンが入ってるんだろうな――。


「なに?今日はカレー?」


 わたしはお母さんに聞いた。


「そう。今日はレンコンじゃなくってさ、オクラとなめ茸と山芋入りだからね~ふっふ~ん」


 なんか知らないけれど、お母さんは妙にご機嫌だった。それはそうと、なに?オクラとなめ茸と山芋入り?急にどうしたっていうのよ?わたしはお母さんに聞いてみた。


「なんで急にそんなネバネバし始めたの?」


「女の勘よ~」


 は?女の勘?全然答えになってない――それにしてもさ、施設でもキュウリカレーだったし、今日はカレーに珍しいものを入れるお祭りの日かなんかなの?


 まぁいいよ、オクラでもなめ茸でも山芋でもバナナでもレンコンでもキュウリでもなんでもカレーに入れればいいよ、お祭りなんだからさ――。


 わたしはとにかく疲れた――。とりあえずお風呂に入ろう――。

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