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第12話 完全やっつけ仕事スタイル

 またか・・・。


 わたしはちょっと慣れて来てて、もうあんまりビックリしなくなっていたんだけれど、それにしても一体なに?確か今、わたしの心が靴のように綺麗になればいいのにとか言ったよね?どういうこと?それがゼメシナールで起きてるっていう大変な事態とやらとどう関係があるって言うのよ?


 もう知らない。そんなヘンな声になんてかまってられない。だからもう気にしないでおこう。


 それから利用者と話したり、雑務をこなしたりしているうちに時刻は14時半となった。またまたトイレ誘導の時間だ。でも今回のパートナーは森川さんなので、イラつかなくて済みそうだよ――。


 しかし、トイレ誘導を始めてしばらくして気づいたんだけれど、森川さんが山中さんの部屋に行ったっきり出て来ない。どうしたのかな?5号室でなにか大変な事態でも起きているのかな?わたしは5号室に向かった。


 コンコン。


 わたしはドアを開けた。すると森川さんは、部屋の真ん中で特になにをするわけでもなく、奥の窓を見るようにしてただ突っ立っていた。この人は、一体なにをしているの?


「大丈夫ですか?」


 恐る恐るわたしは聞いてみた。

 

「中道さん、ドラゴンクエストってしたことありますか?」


 森川さんはわたしの質問には答えずに、真面目な顔して聞いて来た。え?なに?その質問?


「いや、ないです」


 わたしは正直に答えた。ドラゴンクエストもなにも、うちにゲーム機があったことなんてただの1度もないからね、やりようがないんだよ。


「そうですか――実は僕もなんです。それでドラゴンクエストって面白いのかなぁって考えてたんです。エヘヘ」


 会心の笑顔の森川さん。え?もしかして、この部屋に来てからなにもせずにずっと、そんな答えが出そうもないことを考えてたの?


 ――でもまぁ、森川さんらしいっちゃあらしいか。常日頃から森川さんは段取りのこととかまったく考えないし、状況判断なんてことも一切しないし、行動も意味不明だもんね。とは言え、今はトイレ誘導に行ってもらわないとね。


 その時だった!


 山中さんの頭の横で立つように置いてあった勇者のぬいぐるみが、また跳ねるように上がったのだ!


 うわ!


「どうしました?中道さん?」


 森川さんが聞いて来た。わたしがビックリしたのに気づいたんだろう。


「いや、別にどうもしませんよ。そんなことより森川さん、ドラゴンクエストもいいんですけど、とりあえず山中さんを起こしてもらっていいですか?」


 わたしは話しをそらすように、森川さんにお願いをした。


「そうですね。山中さ~ん起きて下さいよ~」 

 

 森川さんは山中さんに声をかけてくれた。森川さんは勇者のぬいぐるみが動いたことに気づいてないだろうか?


 それからのトイレ誘導の間、森川さんはなにも言って来なかった。どうやら森川さんは勇者のぬいぐるみが動いたことに気づいてないようだ――。


 トイレ誘導が終わるとおやつの時間だ。わたしと森川さんで、今日のおやつであるプッチンプリンと紅茶を配り終えると時刻は15時となり、山田さんが休憩から帰って来た。日勤はここで記録の時間となる。わたしは利用者9名の日中の様子を書き始めた。


「え?山根さんプリンいらんの?じゃあ私食べんで」


 その時フロアでは、山田さんが山根さんのプリンを今まさに食べようとしているところだった。それはまるで自分の家で、自分の婆さんからプリンをもらうような立ち振る舞いでだった――。


「ゼメシナール愛の家、それはとってもアットホームな職場です」


 求人広告を出すんだとしたら、このキャッチコピーで決まりだね――。


 さて、わたしが記録を終えると15時半となっていた。それからなんやかんやとしているうちに16時半となり、またもや山田さんとのトイレ誘導の時間になった。わたしは、今回も山田さんにバシバシ指示を出してトイレ誘導に行かせた。それにしても山田さんが後輩でよかったよ。先輩だったら指示を出しにくいもんね。トイレ誘導は特に問題もなく終わったんだけれど、ここでひとつ問題が発生したんだよね。


 黒山さんが「家にがえる」と言って、入口のドアの前から動かなくなってしまったのだ。大体いつもこの時間になると、黒山さんは落ち着きがなくなり、手さげカバンを持ってフロアをウロウロし始め、家に帰ると言って聞かなくなってしまう。


「黒山さん!もうすぐ晩ご飯を用意しますから、ここで食べませんか!?」


 わたしは大きな声でなんとか説得を試みる。


「あがんの。わだし、家がえってご飯づくらんと、おどうさんにおごられんの」


 黒山さんが家に帰りたい理由は、家に帰って晩ご飯を作らないと、夫に怒られると思っているからだ。夫はとっくの昔に亡くなってるんだけれど、黒山さんはまだ生きていると思っている。


「今日はね!旦那さん仕事で遠くに行って家にいないから!黒山さんは、ここで泊まってご飯食べといてって、頼まれたんです!」


 なのでわたしは、夫が生きているものとして、ここで泊まらなくてはいけない理由を説明した。もちろん夫が亡くなってるだなんて、ホントのことは言わない。大切なのは黒山さんがこの世界についてどう思っているか、その世界観に寄り添うことだからね。


「おどうさんどきょも行かへんよ。わだしが家に帰ってご飯づくらなあがんの」


 黒山さんはなかなか納得してくれない。黒山さんが「ゼメシナール愛の家」に入所して3ヶ月くらいになるんけれど、毎日がこれだ。どうやらその頭と体には、夫の晩ご飯を作らないといけないってことがよっぽど染みついているようだ。


 さて、どうしたものかな?――わたしが思案していたら、ガラガラガラと目の前のドアが開き、「お疲れ様です」と夜勤者である矢崎さんが出勤して来た。


 矢崎さんは60歳くらいの女の人なんだけれど、丸っこい体型で山下達郎に顔が似てるから、わたしは密かに「達郎」と呼んでいる。で、その達郎の仕事ぶりなんだけれど、山田さんと同様でちっともトイレ誘導に行こうとしないし、利用者と関わろうとしないし、っていう具合の介護職員にありがちななまくらババアで、最低限やらなきゃいけない業務だけを片づけていくだけの「完全やっつけ仕事スタイル」だ。まぁ、最低限やらなきゃいけないことですら、全然やっつけられてないんだけどね――。


 矢崎さんはさっさと机に行ってしまった。黒山さんがこんな状態なんだからさ、なんか一言くらいあってもいいんじゃないの?って思うのだけれど、なんせ「完全やっつけ仕事スタイル」なのでそんなのは無視、さっさと申し送りを済ませようって腹だろう。


 しょうがない、申し送りをするか――でも、黒山さんをここでこのまま放っておいたら外に出てしまう。しかし他の人に頼もうにも、山田さんはどこにもいないし、頼りの渡辺さんもいない。いるのは緒方さんの横に座ってテレビを見てる森川さんだけだ(出勤務の終了は15時半なんだけれど、いつも森川さんはどの勤務帯でもなかなか帰らず、緒方さんといる)。まさか、勤務時間をとっくに終了した人に、黒山さんを頼むわけにもいかないよね。


 え~い、もうしょうがない。したくはないけれど、ドアの鍵を締めちゃいましょう。入り口のドアはいつもは開放されてるんだけれど、こういう時には締めてもいいことになっている。わたしは、仕事を放棄しているみたいなので、できれば締めたくはないんだけれど、でも他にやりようがない。


 わたしはドアを締めてから申し送りを始めた。すると申し送りを始めて10分くらいした頃、ドンドンドンと入り口のドアを叩く音がした(鍵は外からは開けれないようになっている)。


 ん?山田さんが戻って来たのかな?わたしがドアを開けようかなと思ったら、森川さんが緒方さんと一緒に、ドアの方に近づいて来るのが見えた。あれ?もしかして鍵を開けてくれるのかな?「ドンドンドン」と外からは引き続き、誰かがドアを叩き続けている。


「今開けまーす!」


 森川さんが言った。やっぱりそうだ。そういうことなら任せちゃいましょう。緒方さんと一緒だからちっとも前に進んでないけれど、別にいいや。


 森川&緒方コンビが、よっこらよっこらドアに着いて開けると、山田さんが入って来た。多分タバコでも吸いに行ってたのだろう。休憩時間以外はタバコを吸っちゃいけないことになってるんだけれど、「駐輪所の裏でタバコを吸っている」と、これまでに多数報告されているからね。


「森川さん、わたし前から思とったんですけど、なんで帰らんと緒方さんとそんなにずっとおるんですか?」


 山田さんが帰って来るや否や言った。まぁそれは、わたしが聞きたいことでもあるんだけどさ。


「いや、だって緒方さんって他の利用者と話すこともないし、寂しいと思うんですよ。人って寂しかったらアカンでしょ」


 森川さんが言った。なんて物凄い思いやりなのだろう。それで勤務時間が終わってからずっと何時間も一緒にいるなんてさ、「完全やっつけ仕事スタイル」とはまったくの真逆じゃないのさ――。


「そりゃあ、まあそうですけど・・・」


 山田さんには返す言葉もないようだ。


「では僕は緒方さんとドライブに行って来ますんで、エヘヘ」


 森川さんは会心の笑顔でそう言って、緒方さんと外に出て行ってしまった――。


「いってらっしゃ~い」


 残された3人は、なんとなく白けた感じで見送った。


「おかしない?あの人?」


 森川さんが出て行った後、山田さんがわたしたちに言った。


「うん。信じられへんわ。わたしやったら絶対嫌やけどな」


 矢崎さんが答えた。確かにわたしだって、森川さんの真似なんて絶対できっこない――。


 それから山田さんは、ガチャッと入り口のドアを締めて、さっさと台所の方に行ってしまった――。


 あの~、入り口のドアの前では相変わらず黒山さんがたたずんでるんですけど、どうして放っとらかしにして行ってしまうんですか?そもそも森川さんにしたってさ、どうせドライブに連れて行くなら、緒方さんじゃなくって、気分転換とかそういうのが今こそ必要な黒山さんにしてくれたらいいんじゃないの?ホントこの人たちってなんなのよ?黒山さんが見えてないとでも言うの?


 森川さんにはなにも言えないにしてもさ、山田さんとか矢崎さんって、介護がなにをする仕事なのかがまったく全然わかってないんじゃないの?


 ホント嫌になっちゃうよ、あ~あ。


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