表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/81

第11話 水道の鍵とか来客用スリッパだとか

 わたしが呼びつけると、のそのそと山田さんはやって来た。


「松永さんがトイレで急に動かなくなってしまったんで、臥床を手伝ってもらっていいですか?」


 これ以上渡辺さんに、介護職員がもう1人いるっていうのに、介護がするべき仕事を手伝わすわけにはいかない。山田さんには、本来するべき介護の仕事をしてもらわないとね。


 わたしが車椅子を押すと、後ろからのそのそ山田さんはついて来た。2号室に着いてから、相変わらず力が入らずグラングランの松永さんを2人でベッドに移乗したんだけれど、さっきのトイレの時と違って随分軽かった。あれ?なんで?――と、一瞬クエスチョンマークが頭に浮かんだんだけれど、それも当然かとすぐに思い直した。だって山田と渡辺さんとでは、体の大きさもパワーも全然違うからね。きっと山田さんだったら、1人でも寝入っている状態の松永さんを移乗できるんじゃないかな?


 宝の持ち腐れとはまさにこのことだよ。せっかく男子並のパワーを持っていて、それは介護に凄く必要だっていうのにさ、全然生かそうとしないんだもんね――。


 松永さんの介助が終わった後、わたしはすかさず山田さんに指示を出し、山中さんと五十嵐さんのトイレ介助を手伝わせた。なにも言わないでいると、あっという間に大好きな台所に行ってしまうからね。


 しかし2つのトイレ誘導が終わると、やっぱり山田さんは――なんの用が残ってるんだか知らないんだけれど――さっさと台所に戻って行ってしまった。ホントは、まだ最後に黒山さんのトイレ誘導が残っているんだけどな・・・。まぁ、しょうがないか、あのバカに多くは求められないよ。


 トイレ誘導を終えてしばらくすると、時刻は13時になり、早出の森川さんが休憩から戻って来たので、日勤のわたしが休憩する番となった。


「休憩入ります」


 わたしはつまようじ3本とプラスチック手袋を携え、表の水道の蛇口を開く鍵を取りに行くために、事務所に向かった。いつもの休憩時間なら、速攻近所のローソンのイートインに向かうところなんだけれど、今日は靴掃除をしなくちゃいけないからね。それにしても、なんだってせっかくの休憩時間にまでウンコと格闘しなきゃいけないの?って思うんだけどさ、ウンコをつけたままの靴で帰り電車に乗るわけにもいかないもんね。


「お疲れ様です」


 わたしが事務所に入ると、福井さんがいてパソコンを操作していた。ちっ、誰もいないことを祈ってたんだけどな、そうはうまくいかないか――わたしはできれば誰にも知られずに水道の鍵を取りたかった。だってさ、ウンコのついた靴を掃除するなんてみっともないことをいちいち説明したくないもんね。


「今から休憩?ローソン?」


 福井さんがニッコリ微笑んで聞いて来た。


「はい。そうです」


 わたしは思わず即答してしまった。ローソンじゃなくて表の水道なのにね。


「いってらっしゃい」


 やっぱりニッコリ言ってくれた福井さん。わたしも笑顔で応えよう。


「いってきます」


 さて、どうしよう?わたしは、いろんな鍵がぶら下がっているタイムカードの前までやって来て思案する。「水道の鍵を借ります」って言う?でも、さっきローソンに行くと即答してしまったし、とりあえず、なんとかバレないように水道の鍵を取ってみるか――タイムレコーダーの隣りには職員のレターボックスがあるので、わたしは自分のところの引き出しを開け、まるでそこになにか用があるかのようなフリをしつつ、それとなく横目で福井さんの様子をうかがいながら、バレないように水道の鍵を素早くポケットに入れた。


 よし!いけた!はずなんだけれど、どうかな?まぁいいや、とっとと靴掃除を終わらせちゃいまいましょう。わたしは事務所を出て、自分の靴箱を開け、改めて靴の底を確認してみた。結構ウンコがビッシリと靴底にの溝に入り込んでしまっている。あれま~、知ってたはずなんだけれど、こりゃあ結構手間だぞ。


 しょうがない。わたしは靴を持ち外に出ることにした。そこで思い当たったんだけれど、外に出る時の靴はどうしたらいいの?靴下のまま出る?でも、それじゃあ濡れちゃうよね。


 困ったな――わたしが靴の代わりになるようなものはないか玄関辺りを見ていたら、来客用スリッパが目についた。どうやらそれしか靴の代用品はないようだ。しょうがない、これを借りちゃいましょう。もちろん来客用スリッパは外履きじゃないんだけどさ、今はこれしか方法がないもんね。わたしは、来客用スリッパを履いて玄関を出た。


 外に出てみると、相変わらずめちゃんこ暑くって、やっぱりセミたちがジャンジャカ鳴いていた。いい加減セミたちも、ちょっとは休憩したらどうなのよ?――ってまぁ、そう言うわたしも、セミ同様休憩なんてせずにこの暑い中、靴を掃除しなくちゃいけないんだけどさ。セミにも人間にもいろいろ事情というものがある。


 じゃあ、やるか。わたしはしゃがんで水道の蓋を開け、鍵を差し込んで回して水を出し、とりあえず靴底を流してみた。しかしウンコはちっとも流れ落ちやしない。


 あれま~、どうやらこれは、腰を据えてじっくり取り組んでいくしかないみたいだね。というわけでわたしはプラスチック手袋をはめ、水道の傍の日陰でベッタリ座って、つまようじで靴の底をほじり始めた。


 そうしてほじくっては流し、ほじっくては流しを繰り返していたら、突如、玄関のドアが開いた。わたしがビクッとなって見てみると、出て来たのはなんと福井さんだった。げ、やべえ。ローソンに行くって言ったのに、水道の鍵を黙って持ち出し、来客用スリッパを履いて、こんなところでなにをしているのかって話しだよ。これはちょっとまずいかも――どうする?


「あれ?中道さん、どないしたん?」


 案の定、福井さんが聞いて来た。どないしたもこないしたも、あなたが大嫌いなウンコを流してるんだけどさ、なんて言えばいいのかな?こうなってはホントのことを言うしかないか。


「はい。実は出勤する時にガムを踏んじゃいまして、それを取ってるんです」


 でも、わたしの口からは、またとっさに嘘が飛び出してしまっていた。どうしてもウンコの掃除とは言いたくなかったのだ。だって、もしこれが小学校時代だったらさ、靴の裏についたウンコを掃除してるなんて知れた日には、次の日から確実に「ウンコふみふみ掃除ババ子」なんてヘンテコなあだ名をつけられて、卒業まで毎日言われるはずだからね。まぁ福井さんは随分な大人だから、そんなアホみたいなことは言わないだろうけどさ、心の中で「ウンコふみふみ掃除ババ子」って、わたしのことを呼ばないとは限らないもんね――。


「え?そうなん?取れそう?」


 わたしがちょっと緊張していると、福井さんが聞いて来た。


「はい、なんとか」


 答えるわたし。


「じゃ、頑張ってね」


「はい」


 福井さんは去って行ったんだけれど、その後でこのガムの嘘は嘘でまずいかもしれないと思った。だって、たかだかガムを取るのにプラスチック手袋なんてする?もしかしたら、ウンコを掃除しているとバレたかもしれないよね。こりゃあヤバい。ローソンに行くとか、靴の裏についたガムを掃除してるだとか、とんでもない嘘つきだと思われたかもしれない。しかも水道の鍵は黙って持ち出してるし、来客用スリッパは履いて外に出てるしね、とんだ無法者として記憶に刻み込まれたかもしれない。


 その心配は、靴の掃除が終わってローソンですごしているうちにさらに増して行った。いつものようにipod touchで音楽を聞いていたんだけれど、音楽がまったく入って来ない。水道の鍵とか来客用スリッパとかウンコとかガムとかが、ぐるぐると頭の中を巡るばかりだ。


 そんなことで、ちっともリフレッシュできずにわたしは休憩から戻って来た。う~。


 そうして、2階入り口ドアを開けたその時のことだった――。


「お前さんの心も、靴のように綺麗に洗い流されればええんやけどな、あっ」


 またまた、例のオッサンの声が聞こえて来たのだ――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ