もっているもの【自分のもっているものを、過小評価も過大評価もしないこと、それがあなたがあなたのなりたい私になれるきっと一番の近道だと】
Soupbox - Perception
を 聴きながら
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【自分のもっているものを、過小評価も過大評価もしないこと、それがあなたがあなたのなりたいあなたになれるきっと一番の近道だと】
人は、コンプレックスを持っているものなのだろうと思います。多かれ少なかれ、あるものだとそう思っています。……けれど、どうでしょう、その思考は、’本当にコンプレックスであるとあなたは認識しているのか’私は、疑問だと考えています。
何故なら、あなたが、それを本当に、’あなたのコンプレックスだとあなたが感じているのなら’あなたは、
それをコンプレックスだとそもそも認識していないだろうと私は考えるからです。
いえ、言い方を間違えました。’問題を問題だと認識していない’から、コンプレックスと認識できるのだろう、という言葉に変えようと思います。
突然ですが、あなたは、あなた自身をどのような人間だと認識し、他者にあなたを説明できるでしょうか……?
少し、時間を置きましょう。もし、少し考えたいと思われた場合は、ほんの少し他者にあなたを客観的に説明するときどのような人間だと伝えようとするのか考えてみてくださいね。
では、思考されたでしょうか……?
続きを失礼しますね。
私は、目の前のあなたがあなた自身のことを他者にどのように説明されているのかを知りませんが、大体このような傾向があるのではないだろうかと、考えたことを下記に書きますね。
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例えば、すこしお腹の出てきた60代ほどの男性、精神疾患を抱えており、いつも怒っている方
が、どのようにご自身のことを説明されたのか、一例をあげてみます。
「私は、少し怒りっぽいところもあるが、根はやさしいところもあると自分は認識しております。妻と子には一生懸命よき夫、よき父親を演じようといつも無理をしているところがありますが、私は、難しい部分も多いです。かっとして妻や子供に暴力を与えてしまうこともあります。歳のせいか……運動を全くしなくなりましたね……。若いころはもっとやせていたのですが……わっはっは」
少し意地悪なことを言ってみますが、私には、この男性は自らのコンプレックスをきちんと認識されていないのだろうな……と、理解します。
【……心理学でもなんでもない、私のただの考えなので、何の参考にもなりませんが、この先を読まれる方はそこを踏まえた上で読まれてくださいませ】
それは、’問題を解決しようとする意志が見えない’から、です。
人は、問題を解決しようとするとき、何を考えるだろうと私が思考するとき、そこには、必ず、何故そうなるのか、という視点が必要になると私は思います。
……たとえば、本当に自分が太っていることがコンプレックスで問題だと感じているのならば、その方は太ってしまうのは何故なのか、という思考から問題解決のプロセスを踏もうとするでしょうし、
……たとえば、本当に自分が暴力をふるうことをコンプレックスで問題だと感じているのならば、その方は、暴力をふるってしまうのは何故なのか、という思考から問題解決のプロセスを踏もうとするだろうと考えるからです。
´’……そのようなプロセスを何故、思考の上で踏もうとしないのか、表面上では男性はそれが問題だと口に出し、認識しているらしく見えるのに´’
私はそこを、その男性が本当の問題と自らが考える事柄を’考えないように意識をそらす為に’あまり自分が問題だとは思ってはいないが、見た目上には問題だと思われる問題をコンプレックスだと掲げ、偽装することで、自らの精神を安定させようとする無意識が働いているからではないかと考えます。
……つまり、この男性は、本当の自らのコンプレックスを認識出来ておらず、無意識に問題をすり替えることで自らの心をだましているからこそ、
’表面上で問題としている仮のコンプレックス’をいつまでも解決しようと積極的に働きかけることが出来ず、いつまでも、表面上の問題は問題としてあるままなのだろう。と、私は、その男性の言葉を聞いたとき思います。
……人は、その問題を本気で解決しようと思うのならば、ごまかしや笑いで逃げようとせず、なにか具体的なことを口にするものだと私はそう思っています。
たとえば、『若いころはよく気を使って走ったりしていたんだ。けれど最近はそれも出来ていなくてね……少しでも食事に気を遣おうと取り組んでいるところなんだよ』。
とか、
たとえば、『妻や子供には私が暴力を振るわないように、次私がそのようなことを行いそうになった場合は、距離を置いてくれと頼んでいるんだ。私はもう、そのような過ちはしたくはないからね。やりなおしたいんだよ』。
など。
この男性は、きっとなにか自らの中に抱えているものから目を背ける為に、必死に息をしているのかもしれませんね、
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さて、コンプレックスは、ネガティブな部分に焦点を合わせるような聞き方となってしまいましたが、この聞き方はあまりよくありませんね。
私は、ここにポジティブなことを書きたくなりこのテーマを書き始めたのです。
その部分をこれから話していきましょう。前置きが長くなってしまい申し訳ない。
私たちは、ほぼ無意識に、自らが持っているものをまるで無いものとして扱う傾向が強いように思います。
(なぜそのような偉そうなことを行き成り言おうとしたのかというとほかならぬ私がそうであるからです)
人は、もう手にしているものには目もくれず、自らが持っていないものにばかりに目を向けてしまいがちなものです。
……たとえば、そうですね……、こんな感じに。
a『bは、良いわね……、スタイルが良いし、とても活発で……あーあ。私なんて……』
b『あら。私は、aがうらやましいわ。小さくてかわいらしくて女の子らしい性格で……。私なんて、もうだめっ』
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と。こんな風に。
本気がどうか、は、さておいても……、私たちは、自らのもっているものを、ネガティブな面、ポジティブ面、そのどちらも、きちんと認識しているとはいいがたいと私は思います。
そう。恵まれた面という一面と劣っていると見えるという一面です。
例えば、あまりにも栄養が行き過ぎるものを食べすぎると、スタイル維持は難しいですよね。
そういう一面です。つまり、物事には悪いことばかりではなく、必ず良い一面も含まれている。
自らの特徴を、自らで認識しなおすということはだからこそ大きな意味を持ちます。
※ここで重要なのは、他者が自らをどう思うのか、という点にとらわれすぎないということです。’飽くまでも自分が自分をどうとらえるか’という部分が大事です。
その自らがとらえた部分が自分の理想とそぐわないのであれば、その理想に沿うために自らが問題解決のプロセスを踏めばよいだけです。そこに他者の介入は一切必要ないといってもよいでしょう。
……ちょっと自分でも言いたいことがうまくまとまっているのか自信がなくなってきたため、 この辺で切り上げますが……、
つまりは、私が言いたいのは、自分は自分の一番自分のことを思考しようとする一番の理解者である他人だ、ということですね。
どうも。失礼致しました。