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魔女の箱庭  作者: 日向晴希
6/6

魔女と旧友

「ふむ、では勿体無いから代わりにもらってしまおうかな」

「もったいないとか、そんな事関係無しに飲むくせに」

「おや、ばれたかい?」

「当たり前でしょ」


 くすくすと笑いながら言葉を交わし合うリカさん達。

 僕にはあんな風に軽口を言い合う事が出来るくらいに仲の良い友人っていうのはまだいないから、なんだか羨ま……あー、うん、何でもない。

昨日にもまして熱く照りつけてくる夏の日差しに耐えながら住宅街の中を歩いていると、前方に見知った人影を見つけた。

あれは……クーさん?

日差しを遮るように目の上に手で覆いを作り、じっと少し離れたところにいる人影を見つめる。

何かを確かめるように辺りをきょろきょろと見回しているその人は、記憶にある髪型と少し違うけれど、間違いなく僕の知っている人だった。

あの綺麗な銀糸の髪は見間違うはずがない。


「お久しぶりでーす、クーさーん」


僕よりも拳一つ分ほど背の高いその人の背中に、びっくりさせない程度の声量で声をかけつつ近付いていく。


「やぁ、君はたしか……」


振り返ったクーさんが海のように深い青色の瞳を見開いて言葉を返してくるけれど、すぐに綺麗に整った眉をひそめて固まってしまう。


「伊澄ですよ、一之瀬伊澄。リカさんのお店で何度かお会いした事があったと思うんですけど、思い出してくれましたか?」

「あぁ、そうだ。思い出した。伊澄君だ、伊澄君。久しぶり、元気にしていたかい?」


喉元まで出かかっていたと思われる答えを教えてあげると、クーさんは顔に満面の笑みを浮かべて僕の頭に手を置いてきた。


「いやー、ここしばらく色んな所を回っていたからね。思い出すのに少し時間がかかってしまったよ。申し訳ない」


裾長のコートを羽織っているにもかかわらず、うだるような暑さをものともしていない様子でクーさんが笑っているけれど、髪の毛をぐしゃぐしゃと撫で回されている僕としては一刻も早く涼しい屋内に入って、ほっと一息つくと同時に乱れてしまった髪の毛を整えてしまいたい。

そんな僕の思いを感じ取ったのか、乱暴に僕の頭を揺らしていた手がすっと離れていった。


「ところで君はこれからアルフの所に行くんだろう? 悪いけど案内してもらっても良いかな? うっかり道を忘れてしまって……」


頬をうっすらと朱色に染めたクーさんが、バツが悪そうに細い指で耳の裏をかく。

ちなみに、アルフというのはリカさんの事。

リカさんの本当の名前はアルフデリカというのだけれど、僕や弐栞達はそれだと長くて呼びにくいので、本人の了解を得てリカさんと呼ばせてもらっている。

しかし、たった一ヶ月くらい来ていなかっただけで道筋を忘れてしまうなんて、クーさんも意外にかわいいところがあるんだなぁ。


「えぇ、良いですよ。と言っても、リカさんのお店はここからすぐそこなんですけどね」


ふふっ、と小さく笑みを浮かべてみせると、一、二度瞬きをした後にクーさんも同じように小さく口元を歪めた。


「なんだ、そうだったのか。だったらもう少しだけ粘ってみれば良かったかな?」


まるでクーさんの笑みに合わせるかのように、コンクリートの塀で挟まれた道の中を風が吹き抜け、溜まっていた熱気を運び去っていった。





「こんにちはー」

「いらっしゃい。そろそろ来る頃だと思ってたわよ、伊澄君」


ドアを開け、いつものようにひんやりとした空気を肌で感じつつ店内を覗きこむと、普段の丸テーブルよりも一回り大きい、それでもやっぱり木製である事に変わりはないテーブルの脇に立つリカさんが笑いかけてきた。

テーブルの上には既に三人分の食器とコーヒーのカップが置かれていた。

そして、リカさんの手には蒸気で曇ったガラス製のポットがあり、中でたっぷりの珈琲がゆらゆらと揺れている。

あぁ、本当にたった今準備終わりましたって感じだなぁ。

まさに、ナイスタイミングってヤツだろうか。


「久しぶりだね、アルフ」


ひょいっと戸口に立ったままの僕の頭の上からクーさんが顔を覗かせる。


「あら、メルじゃない。何の連絡も入れずに来るのは止めてちょうだいっていつも言っているのに」


まったくもう、と不満げにぼやくリカさんだったけれど、その表情には言葉ほどの棘はない。

なんだかんだでリカさんとクーさんはとっても仲良しなのだ。


「あら? 弐栞君はどうしたのかしら、伊澄君?」


つま先を伸ばして僕と、僕の頭の上に顎を乗せたクーさんの向こう側を覗いたリカさんが疑問の声を上げる。


「あぁ、弐栞は遅れて来ます。なんでも、急な用事が入ってしまったとかで。それが片付き次第こっちに来るつもりみたいですけど」


放課後弐栞自身の口から聞かされた言葉の内容を簡単に要約してリカさんに伝える。

というか、いい加減重くなってきたからクーさんに頭の上からどいてほしいんだけど……。


「あら、そうなの。折角伊澄君達が来る頃を見計らって珈琲を淹れておいたのに、残念ね」


大の珈琲好きであるリカさんにしてみれば淹れ立ての珈琲というのは非常に美味しいものなのかもしれないけれど、豆の種類や原産地にまでこだわる程の愛好家ではない僕からしてみれば、舌を火傷しそうで淹れ立て熱々の珈琲なんて好んで飲みたいものではないんだよなぁ。

あんなにもソーサー片手にカップを口に運ぶ所作が様になっているのに、弐栞のヤツもたしか猫舌だったはずだし。


「ふむ、では勿体無いから代わりにもらってしまおうかな」


ようやく頭の上から顎をどけてくれたクーさんが上機嫌で、何事もなければ弐栞が座っていたはずのイスに腰掛ける。


「もったいないとか、そんな事関係無しに飲むくせに」

「おや、ばれたかい?」

「当たり前でしょ」


くすくすと笑いながら言葉を交わし合うリカさん達。

僕にはあんな風に軽口を言い合う事が出来るくらいに仲の良い友人っていうのはまだいないから、なんだか羨ま……あー、うん、何でもない。


「ほら、伊澄君もいつまでもドアのところにいないでこっちにきて一緒にお茶しましょう?」

「あ、はい。では、お言葉に甘えて」


僕の気持ちを察したのかは分からないけれど、なんともナイスなタイミングでお誘いがかかったので、僕はまとわりつこうとしてきていた湿っぽい空気をドアの外に投げ捨てて、ずっと開けっ放しにしていたドアをぱたんと閉じた。





ひんやりとした空気が優しく肌をなでる中で、僕はリカさんの淹れてくれた熱々の珈琲をほんのわずかに口に含む。

これまでの道中でうだるような暑さにやられ、本当なら一気にカップの中のものを飲み干してしまいたいくらいに喉が渇いているのだけれど、そんなことをすれば黒々と揺れるこの液体で口の中を盛大に火傷してしまうので、仕方なくちょびちょびと渇いた喉を潤している。

隣同士に座った、と言っても三人しかいないわけだからどう足掻いてもそういった並びになってしまうわけなのだけれど、リカさんとクーさんは最初に少し言葉を交わしてからまったく喋らずに静寂に満ちた空気を作り出している。

まぁ、別に居心地の悪い雰囲気じゃないから構わないんだけど、クーさんはリカさんに何か用があってここに来たんじゃないんだろうか。なんか、ずっと目の前の珈琲カップの淵を指でなぞっているけど。

リカさんに至っては背もたれに深く体を預け、目を閉じたまま微動だにしない。


……もしかして、寝てる?


「あのー、リカさん?」


とりあえず真偽の確認のために恐る恐る声をかけてみる。


「何かしら、伊澄君」


凛と響くような声と共にリカさんのエメラルド色の瞳が開かれた。

よかった、起きてた。


「いえ、特に用事があったわけじゃないんですけど、目を閉じたまま動かないからもしかして寝てるんじゃないだろうかと思いまして」

「ははは、そんな事はないよ。それに、アルフはとびきり寝相が悪いからね、もし居眠りをしていたとしたらすぐに分かるよ。数分と経たずに椅子から転げ落ちるから」


僕の質問に笑いながら答えたのは、リカさんではなくてクーさんの方だった。


「もう、メルったら。性質の悪い冗談はやめてよ。伊澄君が本気にしたら困るじゃない」

「え、事実じゃないんですか?」

「えー、ひどーい。私はそんなはしたない女じゃありませんー!」


しまった。

つい思ったことがそのまま口に出てしまった。


きっと固く口を引き結んで、リカさんがそっぽを向いてしまう。

これは完全に怒っているぞ。

こうなるとしばらくは口もきいてくれなくて、機嫌を直すのに苦労するんだよなぁ。

はぁ、と知らず知らずのうちにため息が口をついて出る。


「ほら、アルフ。そんな風にへそを曲げないでくれよ。久しぶりに会ったというのにさ」


さすがにリカさんとは長い付き合いだという話のクーさんは、リカさんがむくれてしまっても慌てず騒がずいつもどおりに接している。


「冷蔵庫に入っている三種類のケーキ、あれでも食べて機嫌を直したらどうだい? いつまでもそんな風にされていると、出来る話も出来なくなってしまう」


そう言ってクーさんがカウンターの奥にある小型の冷蔵庫を指さすけれど、どうしてリカさんが今日ケーキの準備をしてあると知ってるんだろう。

僕もリカさんも、今までのやり取りの中でそのことには一切触れていなかったのに。


「不思議そうな顔をしているね。ぼくが冷蔵庫の中身を知っていることがそんなにも不思議かい?」


怪訝そうに眉をひそめる僕の様子を見たクーさんが、かすかに口角を釣り上げて聞いてくる。

純粋に疑問に思っていたことだったので、是非もなくすぐさま頷いた。


「簡単なことだよ。道端で君と出くわすよりも前に、ぼくは一度みなとに寄っていたのさ。アルフへの手土産でも買っていこうと思ってね。そうしたら、丁度今日当の彼女が店にやってきていて、新作ケーキを全種類買っていったという話を店員さんから聞いたのさ。そして、この店でケーキを保存しておけるような場所はカウンター奥の冷蔵庫しかない。買っていった量からして君や、君の友人の分もあるだろうと判断も出来たから、君が来るよりも先に彼女が食べてしまうとは考えにくいしね」


にやり、とクーさんが悪戯っぽく笑って見せた。


「……それ、ずるくないですか? 人から答えを聞いていたんだったら、推理も何もないですし」


もしかするとクーさんには情人を遥かにしのぐ洞察力でも備わっているのだろうかと一瞬でも感心してしまった僕の感動を返してほしい。


「それは心外だなぁ。ぼくは別に推理しただなんて一言も言っていないよ? ただ、事前に店員さんから話を聞いていたことを、会話の最初に言わなかっただけのことさ」


何も問題はない、とにやにや笑いを浮かべたままのクーさんがこれみよがしに両手を広げてくる。

なんだろう、確かにクーさんの言う通りなんだけど、どうにも納得がいかない。

というか、ちょっとむかつく。


「という訳でだ、アルフ。伊澄君によれば今日は弐栞君は来るのが遅れるという話だからあの子の分のケーキを貰っちゃってもいいかい?」


いや、なんでそうなるんですか。

この図々し過ぎる提案にはご立腹中のリカさんもさすがにちょっと驚いたようで、眉間に刻んでいたしわを引っこませてじっとクーさんの顔を見つめる。


「そんな事をしたら、弐栞君の分がなくなってしまうじゃない。駄目よ、そんな仲間外れみたいなこと」

「だけれどさ、そうすると今度はぼくの分のケーキがないことになるぜ? 仲間はずれはダメだと言うくせに、ぼくには君達が楽しくお茶をしているところを横で物欲しげに見つめていろっていうのかい?」

「そ、それは……」


クーさんの言葉にリカさんが返答に詰まってしまう。

たぶん、この流れからいってクーさんは次にこう言うだろう。


「じゃあさ、こうしよう。伊澄君や弐栞君の分はそのまま残しておいて、君の分のケーキを貰おう。一応ぼくはお客様なわけだから、ぼくにももてなしを受ける権利はあるだろうしね」


やっぱり。

こんな風に言われてしまえば、もてなしに人一倍こだわるリカさんは何も言い返せなくなってしまう。

でも、普通ならここでこの会話はクーさんの勝ちで終わるんだろうけど、今回はそうはいかないだろうな。

だって、今日リカさんが用意してあるのはケーキだけじゃないんだから。


「悪いけど、その提案は受けられないわ」

「何故だい? ぼくの主張に何か矛盾でもあったかい?」


ほらきた。

ここからはリカさんの反撃タイムだ。


「確かにケーキは三人分しかないわ。でもね、今日は伊澄君達のためにケーキの他に私特製のクッキーを用意してあるの。残ったら後で食べようと思って少し多めに焼いてあるから、メルにはそれをあげるわ」


凛と背筋を伸ばしてリカさんがすらすらと言葉を連ねていく。

こんな反論があるなんて予想していなかっただろうから、クーさんもすぐには言い返せないはずだ。


「むむむ、そんな返し手があるとは予想していなかったな。ケーキだけじゃなくクッキーも用意してあったなんて……どうやらこれはぼくの逆転負けみたいだ」


顎に手を当ててしばらく考え込んでいたクーさんだったけど、参ったとでも言うように両手を顔の横に挙げた。


それを見たリカさんは満足そうに微笑んで、

「それじゃ、クッキー取って来るわね」

と、席を立ちカウンターの奥へと消えていった。

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