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魔女の箱庭  作者: 日向晴希
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魔女と悪戯

「じゃあ、リカさん。クッキーの他にもう一つ、リクエストしても良いですか?」


 我ながら意地の悪い笑みを浮かべているなあと思いつつ、リカさんのエメラルドの瞳をしかと見つめた。

「こんにちは、リカさん」


 屋外では陽光が容赦なく降り注ぎ体感温度を引き上げてくる中、僕はまるで外界から隔絶されているかのようにひんやりとした空気で満たされた空間へと足を踏み入れた。


「お久しぶりですね、リカさん」


 後ろにいた弐栞も、カウンター奥の椅子に座りのんびりと珈琲で満たされているのであろうカップを口に運んでいたリカさんへと声をかけた。


「あら、伊澄君に弐栞君。いらっしゃい。二人揃ってここに来るなんて珍しいわね」


 突然の来訪にも大して慌てた様子もなく、リカさんは椅子から立ち上がり背後にある戸棚から二人分のカップを取り出した。


「二人とも良い時に来たわね。丁度お得意様から良い豆をたっぷり貰ったばかりなのよ」


 無類の珈琲好きであるリカさんにとっては非常にうれしい事なのだろう、僕達に背を向けた状態のリカさんの声からは隠しきれない喜色が溢れている。


「あのですね、リカさん。今日はゆっくりお話をしに来た訳ではないんですよ」


 カウンターの上に置かれていたガラス製の容器からカップに珈琲を注いでいるリカさんに声をかける。

 容器を元の位置に置き直したリカさんは、眉間にしわを寄せ僅かに考え込んでいたようだったが、すぐに、あぁ、と声を漏らした。


「意外と長い間耐えたわね、伊澄君。ついうっかり忘れてしまっていたわ」


 にこやかに微笑むリカさんとは対照的に、僕の頭の上には疑問符が浮かぶ。


「あら、この間伊澄君にあげた羽根の事で来たんじゃないの?」


 僕の反応が期待していたものとは違ったのか、リカさんが助け舟を出してくれた。


「……えぇ、確かに今日はその事で相談があって来たんですが、なんで分かったんですか?」


 弐栞が事前に連絡でも入れていたのかと思い、ちらっと背後に目をやったが、弐栞は綺麗な栗色の髪を揺らして小さく肩をすくめるだけだった。

 どうやら弐栞が連絡を入れておいたわけではないようだけど、ならどうしてリカさんは僕の悩みを事前に知っていたのだろう。


「簡単よ、そんな事。だって私はあの羽根が夜な夜な暴れる事を事前に知っていたんですもの」


 僕の表情から疑問の色を読み取ったのだろう、リカさんが意地の悪い笑みを浮かべながら説明してくれる。

 ……って、ちょっと待って。

 じゃあ、リカさんは毎晩毎晩ガタガタと暴れ回る羽根に睡眠が妨害される事を知っていながら、僕にあの羽根をくれたという事なのか。


「ちょっとした悪戯のつもりだったのだけれど、伊澄君が予想外に粘るから危うく忘れちゃうところだったわ」


 リカさんが笑みの中に僅かな照れを混ぜ、恥ずかしげに緑色の瞳を細める。


「いやいやいや、ちょっとした悪戯のつもりだったじゃないですよ。リカさんはこの事を知らないと思って、この一週間睡眠不足と戦ってきたんですからね……!」


 ついつい口調が強いものになってしまうのを感じながらリカさんの方へと歩み寄る。


「予想では、二、三日で伊澄君が泣き付いてくるはずだったのよぉ」


 詰め寄ってくる僕に対し、リカさんは両手を上げて謝罪の意を示した。


「……はぁ、これ以上過ぎた事に文句を言っても仕方ないですからとりあえずここで終わりにしておきますけど、何か解決策ってあるんですか?」


 明らかに不自然に目線を逸らされ、僕の口元が引きつる。


「……リカさん?」

「冗談よ。ちゃんと解決策はあるわ」


 少し語気を強めたところでリカさんが白状した。


「羽根を水に浮かべて一晩月光に当てていれば良いわ。それで残留魔力は昇華されるらしいの」

「本当ですか?」

「本当よ。だって、これ以上伊澄君を困らせる理由が無いもの」


 どうやら嘘は言っていないみたいだ。

 教えてくれた理由に少し釈然としないものがあるけれど、ここはあえて何も言わないでおこう。


「ところで、リカさんはどうやって例の羽根を手に入れたんですか?」


 それまで後ろで成り行きを見守っていた弐栞がいきなり口を開いた。

 何やらリカさんに聞きたい事があるという話で僕と一緒に来たのだけれど、どうやら今の質問がそれらしい。


「どうやってって、普通に友人から貰ったのよ?」


 当然でしょう、とリカさんが小さく首をかしげる。


「質問の仕方を間違えましたね。『どうやって』ではなく『誰から』の方が分かりやすいか」


 言いながら弐栞は僕達の方に近づいてくる。

 とりあえず僕は、弐栞の邪魔にならないようにとカウンター前を占領していた自分の身体を脇にどけた。


「まぁ、正直に言ってしまうと、ボクが訊きたいのは例の羽根を貴方に贈って来た人物は朽葉ではないか、という事なんです」


 髪の毛と同色の、弐栞の栗色の瞳に強い期待の色が揺れた。


「そういう事。それだったら残念ね。伊澄君にあげたアリスティフェルの羽根、あれを私にくれたのは朽葉さんではないわ」


 透き通る緑色の瞳を伏せ、本当に残念そうにリカさんが左右に首を振る。

 なるほど、僕にも何故弐栞がこんなにも羽根の贈り手に執着しているのかが分かった。


 弐栞は、一ヶ月ほど前にちょっと旅に出てくると言ったまま音信不通になってしまった自分の恋人、立樹朽葉(たつき くちは)さんが羽根の贈り主なのではないか、そう考えているのだ。

 どうやら当てが外れたようだったけれど。


「そう、ですか。では、何かあれの行方について情報が入ったら教えて下さい」


 肩を落とし、明らかに気落ちしている弐栞に向かってリカさんが声をかけた。


「ねぇ、弐栞君。ちょっと珈琲でも飲んで元気出して」


 綺麗な緑色の瞳を今度は優しげに細めて、少し冷めてしまった珈琲を弐栞に差し出す。


「ちょっと苦いかもしれないけれど、気分は落ち着くと思うわ」


「ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ。あれに放浪癖があるのは知っていますし、便りが無いのは元気な証拠だと思っていますから」


 カップを受け取りつつ弐栞が微笑む。

 その様子を見ていた僕は、さりげなく左手で横にある木製の丸テーブルからイスを一つ引いた。

 弐栞は音でそれに気付き、横目で僕を見ながら

「ありがとう」

 と口角を釣り上げた。

 心臓がドキリと跳ねたのは、まぁ、ただの偶然という事にしておこうと思う。


 リカさんがカウンター奥から自分の椅子を運んでくる間に、僕もカウンターの上に置かれたカップを手に取り弐栞と向かい合うようにもう一つの椅子へと腰掛けた。


「そういえば伊澄君、羽根が暴れるという以外には何の問題もないのよね?」

「え? あぁ、はい。そうですね」


 椅子に腰掛けると同時にリカさんが質問してきたものだから、一瞬返答に詰まってしまった。


「そう、なら良かったわ。どうやら羽根に残っていた魔力はそこまで多くはなかったようね」


 僕の答えを聞いてほっと胸を撫で下ろすリカさん。


「ちょっと待って下さい? リカさんはあの羽根がどういった事態を引き起こすのか知っていたんですよね?」

「えぇ、まぁ。それがどの程度の規模のものになるのかまでは、あの羽根にどの程度魔力が残されているのかを調べてみなければ正確には分からないけれど――」


 そこまで言ったところで僕の質問の意図に気付いたのだろう、慌てて言葉を付け足した。


「あ、でもね、ちゃんと伊澄君自身に被害が出ない程度のものである事は把握していたのよ? でなければ何の説明も無しに伊澄君に手渡したりなんてしないわ」


 僕は眉間にしわを寄せて、無言でリカさんの白磁のような肌に覆われた顔を睨みつける。


「もうそこら辺にしておいたらどうだい? 君だってリカさんを困らせるのが目的という訳ではないのだろう?」


 弐栞の細い指とすべらかな手の平が僕の視界を覆った。

 そのまま目の前で手の形が変わり、少し力の込められた中指が僕の額を弾いた。


「謝罪が欲しいのならばきちんと口に出して伝えるべきだね。黙っていたところで君の気持がリカさんに伝わる訳ではないよ」


 少し椅子から身を乗り出した弐栞のほっそりとした指が、弾かれた衝撃で僅かに赤くなっているだろう僕の額を軽く撫で、そしてあっさりと離れていった。


「……はぁ、分かったよ。確かに君の言うとおり少し子供っぽくて意地の悪いやり方だったね」


 ため息とともに了解の意を表す言葉を吐き出し、今度は出来るだけ非難の色を取り除いた視線で左横に座るリカさんを見る。

 既に僕が彼女に何を望んでいるのかははっきりしているため、空中で二人の視線がぶつかると同時にリカさんが口を開いた。


「伊澄君、嫌な思いをさせてしまって本当にごめんなさい。少し悪ふざけが過ぎたわ」

「いえ、こうやって謝ってくれたのでそれで良いです。何かが壊されたとかそういう事はなかったんですし」


 一口珈琲を口に含んだ後、でも、と一言付け加える。


「もうこんな事はしないで下さいね。リカさんがこの事を知らないと思っていたから、この一週間迷惑をかけまいと睡眠不足と戦ったんですから」

「えぇ、本当にごめんなさい。それで、明日また来てもらっても良いかしら。お詫びといってはなんなのだけれど、渡したい物があるの。あっ、今度は変な物なんかじゃないわよ?」


 再び僕から疑惑の眼差しを向けられたリカさんは、すぐさま言葉を付け足した。


「私特製の疲労回復クッキーよ。弐栞君はどんなものか知っているわよね?」


 それでもまだ疑いの念が晴れない事を感じ取った彼女は、救いを求めるように弐栞へと視線を向けた。

 いきなり話を振られた弐栞は少し驚いたように栗色の瞳をしばたかせたが

「あのクッキーですか? あの、ジンジャークッキーのような形をした……?」

 と、記憶を探る様に小さく首をかしげる。


「そう、それよ。ちゃんと効果のあるものだという事を弐栞君なら知っているわよね?」


 望んでいた返答を得られたのだろう、リカさんは天使か何かを見るように弐栞を見つめる。


「えぇ、まぁ。味も良かったですし、ボクは好きですよ、あのクッキー」

「ほら、伊澄君。弐栞君もこう言っているでしょう。別に怪しい物なんかではないのよ」


 柔らかく微笑む弐栞の様子に、リカさんがまた僕に悪戯をしかけようとしているのではない事が分かった。

 でも、どうせなら何かもう一つくらい欲しいと思う。

 何か良いものあったかな。

 そう思い、記憶を漁ろうとしたところで頭の中で一筋の光が閃く。


「じゃあ、リカさん。クッキーの他にもう一つ、リクエストしても良いですか?」


 我ながら意地の悪い笑みを浮かべているなあと思いつつ、リカさんのエメラルドの瞳をしかと見つめた。

 柔らかい物腰ではあるものの、どことなく有無を言わせない圧力を感じ取ったリカさんが、少し不安の色をにじませながら頷く。


 意地の悪い笑みがさらに大きく広がっていく中、すっと三本の指を立てる。


「『みなと』の新作ケーキ三種類を僕――」


 まずは薬指を折る。


「弐栞――」


 続いて中指を。


「リカさん――」


 そして最後に人差し指を折り


「――の三人分買ってきて下さい。明日は学校休みですからいつもより長くお話し出来ると思いますし、お茶菓子は沢山あっても困らないでしょう?」


 そう二人に笑いかける。


「それは……考えたね」

 と弐栞が苦笑し

「そんなぁ……」

 とリカさんが涙目になったのを見て、僕は内心でグッと拳を握りしめた。

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