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魔女の箱庭  作者: 日向晴希
2/6

魔女とケーキ2

 僕はここが好きなんです。

 夏休みの間中オギとハギと遊ぶ事がないとしても、ここに来ないなんて事はありえませんよ。


 そう言って僕は彼女に笑いかけた。

「ところで、伊澄君はどんなケーキを買って来てくれたのかしら?」


 丸テーブルの向かい側に座るリカさんが、期待に瞳を輝かせて訊ねてくる。


「どんなって、みなとの新作ケーキですよ?」


 藤巻市の丁度中央に位置する藤巻駅、街一番の繁華街とも言えるその駅前通りに店を構えるのが、リカさん御用達のケーキ屋さん「みなと」。

 僕は、先日ここに来た際にみなとの新作ケーキを買って来るとリカさんに約束していたのだった。


「それは知っているわ。私が聞きたいのは、みなとの新作ケーキ三種類の内、伊澄君はどれを買って来たのかという事なのよ」


 ティーカップを両手で持ち、ふぅふぅと吹き冷ましながらリカさんは、視線を僕からケーキの入った箱へと移した。

 あぁ、なるほど。

 つまり、その三種類の中にリカさんが一際心惹かれたものがあったという事か。


「残念ながら、二種類しか買って来られませんでした。その中にリカさんの食べたかったものがあれば良いんですが……」


 ミルクと砂糖を入れた珈琲をスプーンでカチャカチャとかき混ぜながら、僕は首を小さく左右に振る。


「まぁ、二種類も!? 私はてっきり一種類しか買って来ていないものだとばかり思っていたわ。伊澄君って気前が良いのね」


 翠色の瞳を真ん丸に見開いて、リカさんがカップをテーブルの上に戻す。

 あ、折角冷ましたのに飲まないんだ。

 と言うか、猫舌でもないのに何故わざわざ冷ましたのだろう。

 ……まぁ、良いか。


「僕は別に気前が良いという訳ではありませんよ。弐栞の方が遥かに気前が良いです。この間、誕生日にiPodくれましたからね」


 しかも最新のを、と珈琲に口付けながら言葉を返す。

 ん、まだ苦い。

 僕は、一掬いの砂糖をまだ僅かに渦をなす焦げ茶色の中に沈める。


「まぁ、それは凄いわね」


 一応右手を口元にかざして驚いた姿勢を見せてはいるが、その視線はテーブルの真ん中に置かれた真っ白な箱に向けられたままだ。


「じゃあ、珈琲が冷めない内にケーキを食べてしまいましょう」


 このまま話半分で聞かれていても仕方がないので、僕はケーキの箱へと手を伸ばした。


「今日買って来たのは、白桃のシャルロットと、マンゴーのレアチーズムースの二つです」


 その言葉を聞いた瞬間、リカさんの顔がほころぶのが見えた。

 どうやら僕は無事当たりを引いたらしい。


「白桃のシャルロット! やっぱり伊澄君は見る目があるわね!」


 満面の笑みを浮かべてリカさんが箱の中を覗き込む。

 しかし、すぐに眉間に皺を寄せて顔を上げた。


「暗くて箱の中がよく見えないわ」

「まぁ、電気点いてないですからね」


 僕の指摘に、リカさんはハッと口元に手を当てる。


「確かにそうね。点けるのを忘れていたわ」


 パタパタとスリッパの音を響かせながら、カウンターの裏に駆けていく。

 ……わざと消していた訳じゃなかったんだ。

 パッと天井に明かりが灯り、店の中に漂っていた闇を追い散らす。

 入口に背を向けた状態で椅子に座っている僕は、突然の明るさに少し目を細めながら店内に視線を巡らせる。

 すぐ右横の壁には天井に届く程の巨大な戸棚。

 手を伸ばせば届く程の距離にあるそれは、磨りガラスになっている為、中に何が入っているかは外からでは分からない。

 カウンターは正面からやや左寄りにある。

 カウンターにレジスターは無く、代わりに色とりどりの小瓶が列をなして並べられている。

 その左後方にはティーセットや珈琲豆などが入った戸棚がある。

 こちらは僕と同じくらいの高さだ。

 左の壁には小さな窓が二つ並んでおり、これのおかげで真っ暗闇にならずにすんでいた。

 入口側、つまり僕の背後へと顔を回そうとしたところでリカさんの声が耳に届いた。


「もう! 伊澄君も人が悪いわね! 気付いていたなら言って欲しかったわ」


 頬を膨らませるという、とてもお約束で使い古された怒りの表現をしながら席に戻って来る。


「いえ、てっきり何か意図があって消しているものだと思っていましたから……」


 珈琲を入れている間もずっと消したままだったし。


「まぁ、いいわ。そんな事より、今はケーキよ!」


 再び箱の中を覗き込み、その中へと手を差し入れる。


 最初に取り出されたのはマンゴーのレアチーズムース。

 申し訳程度に敷かれた薄いスポンジの上は、マンゴーソースが練り込まれ黄色がかった色合いのムースと白い通常のレアチーズムースとで二色に彩られている。

 その上には、厚めに切られたマンゴーが二切れほど、冷えて固まったたっぷりのマンゴーソースの中に沈んでいた。

 柑橘類の甘酸っぱい味が好きな僕としては、ここまでふんだんにマンゴーが使われているのは嬉しい限りだ。


 続いてリカさんが取り出したのは、お目当ての白桃のシャルロット。

 外は厚めのスポンジで覆われていて、内側はババロアと白桃のピューレの二層構造になっている。

 どうやらピューレの中には、小さく切られた白桃の欠片が入っているようだ。

 パッと見スポンジの塊のようで、非常に不思議な外見をしたケーキだが、ホールの状態では名前の由来となったシャルロットという帽子の形に見えるらしい。

 二種類とも、ホールを八つにカットしたショートケーキタイプのものだ。


「それじゃあ、いただきましょう」


 リカさんは顔に満面の笑みをたたえてフォークを手に取った。

 合わせて僕も、ずっと握ったままだったティースプーンをカップの脇に置き、デザート用の小振りのフォークを手に取る。


「では、いただきます」


 まずはリカさんお目当てのシャルロットから。

 最初に外側のスポンジだけをフォークで削り、口へと運ぶ。

 何か仕込んであるのでは、と思ったけれど、残念ながら何の変哲もない普通のスポンジだった。

 少し残念に思いながらも、スポンジの下から現れた白桃のピューレへと手をつける。

 なるべくババロアが付かないようにして掬い上げたピューレを口に入れた瞬間、僕は驚きに目を見開いた。

 まるでついさっきまで冷蔵庫に入っていたかのように、冷たく、滑らかな舌触り。

 スポンジだけの時には気付かなかったけれど、とても長時間テーブルの上で放置されていたとは思えない冷たさだ。

 明らかに多めに入れてもらった保冷剤だけによるものじゃない。


「あの、リカさん。これって……」


 僕は僅かに顔を上げて、視線を目の前のケーキからリカさんへと移す。


「あら、伊澄君てばシャルロットから先に食べちゃったのね。残念」


 一瞬だけ目線を下げて僕が食べているケーキの種類を確認したリカさんは、左手を頬に当ててとても残念そうにため息を吐いた。


「そっちから先に食べちゃうと、白桃よりも甘さが控え目なマンゴーの酸っぱさが際立ってしまうわよ?」


 見れば、リカさんが先に手をつけていたのはレアチーズの方だった。


「それは僕だって知っていますよ。ただ、僕はシャルロットというものがどんなものか気になったんです」


 小さなため息と共に、僕はリカさんに言葉を返す。


「……そうではなくてですね、僕が聞きたいのは、なんでこんなにもケーキが冷えているのかという事です。この真夏日に保冷剤だけではここまで冷えませんよ?」

「あら?そんな事?」


 何故そんな事を訊くのか、と言いたげな表情でリカさんがフォークを置いて、湯気がゆらゆらと立ち上るティーカップを手に取った。

 ……あれ?

 確かにさっき吹き冷ましたはずなのに……。

 僕の疑問を横に、リカさんは口元に小さく笑みを浮かべながら言葉を続ける。


「そんなもの簡単じゃない。私は魔女よ?熱気で温くなってしまったケーキを冷ましたり、吹き冷ましたはずの珈琲を温めたりするのなんて……伊澄君」


 彼女はそこで一旦言葉を切り、一口熱い珈琲を口に含んだ。

 僕は、リカさんに自分の心の中を見透かされたような気がして、無意識の内に生唾を飲んでいた。


「そんなの、私にとっては貴方と一緒にお茶の準備をするよりも簡単な事なのよ」


 僕は、自信に満ちたその声に一瞬呆けてしまっていたが、陶器と陶器が触れ合う硬質的な音にハッと我に返った。

 どうしても見とれてしまう。

 これじゃ話が進まないよ。

 気持ちを落ち着かせるために、一度目を閉じてゆっくりと息を吐いた。


「また……またそれですか、リカさん」


 声に少しばかりの呆れを混ぜながら、僕は小さくぼやく。


「いい加減そうやってはぐらかすのも辞めにして下さいよ。この一年で僕が何回同じ質問をしたと思っているんです?」


 そろそろまともに答えて欲しい、と態度で主張する。


「でもねぇ、伊澄君。貴方に他人に知られたくない秘密があるように、私にだってそういうものはあるのよ?」


 少し困ったように笑いながら、リカさんは小さく首をかしげた。

 くっ、その表情は反則ですよ、リカさん。


「……はぁ。こうやってまた結局はぐらかされてしまう訳ですか……」


 八つ当たりではないけれど。

 そう、けして八つ当たりではないけれど、少し普通よりも多めに力を込めてケーキを削ぎ落としたので、フォークと皿がぶつかって甲高い耳障りな音を立てた。

 あぁ、ピューレが僅かばかり飛び散ってしまったな。

 白磁の皿の上に垂れた薄いベージュ色の雫を見て、ついさっき喉を通り抜けた筈のため息が再び込み上げてきた。


「あらあら、勿体無いわね」


 そう言うと、リカさんはフォークを持っていない左手を僕の方へと伸ばして、皿の上のピューレを掬い取った。

 そして、その指がなんの躊躇いもなく口元へと運ばれて行き、あと少しで舌に触れるという所で僕は慌ててリカさんの腕を掴んだ。


「何しているんですか。マナーが悪いですよ」


 わざと少しきつめの口調で彼女を咎めてみた。


「だって、残すのは勿体無いんですもの……」

「だってじゃありません。もういい大人なんですから、マナーぐらいきちんと守って下さい」


 僕は、ケーキの入っていた箱からペーパータオルを取り出して、優しくリカさんの指を拭いた。


「まったく。甘いものに関する事となると、途端に子供に戻ってしまうんですから」


 僕の愚痴を聞きながら、リカさんは申し訳なさそうに眉尻を下げていた。


「そんなにも食べたいのでしたら、半分も残っていないですけど、僕の分をあげましょうか?」


 流石に少し可哀想になった僕は、なるべく優しい声色でリカさんの前に皿を押し出した。

 正直な話、みなとのケーキは値段の割にサイズが大きく、さして甘党という訳ではない僕にとって、それを二つも食べるのは少しばかり苦しい仕事なのだった。


「そんな! まだ自分の分も残っているのに他人から貰うなんて、伊澄君に悪いわ。それに、自分が手をつけたものを他人に勧めるのはお行儀の悪い事なんじゃないかしら?」


 む、これは一本取られたな。

 ついさっき言ったばかりの言葉をそのまま返されてしまった。


「そうですね。すみませんでした」


 一言謝りを入れて、皿を自分の元へと引き戻す。

 ……リカさんから口惜しげな視線を感じたけれども、これは気にしない事にしておこう。


「ところで、もうすぐ夏休みよね? 今年は何か予定があるのかしら?」


 気まずい沈黙を破るようにリカさんが話題を切り替えた。


「えぇまぁ、それなりには。今年はこっちにも友達がいますし」


 もうすぐ、とは言ってもまだまだ七月の第一週。

 夏休みまではあと二週間近くある。


「やっぱりお相手は弐栞さんなのかしら?」


 翠色の瞳を輝かせ、興味津々といった様子で訊いてくるリカさんに、僕は小さなため息を返した。


「違いますよ。確かに弐栞とは出かける約束をしてありますけど、主な相手は多分オギとハギですよ」


 シャルロットの最後の欠片を口に押し込み、珈琲とともに喉の奥へと流し込んだ。


「えーっと、確か、荻彦君と萩彦君……だったかしら? あの少し背の低い双子君の事よね?」


 記憶を辿るように、右の人差し指を顎に当て、僅かに視線を上に反らしたリカさんが聞き返してくる。


「そうです。その五月蝿い双子の事です」


 一応形だけはレアチーズを手元に引き寄せておいて、僕はリカさんの言葉に頷いた。


「うるさいっていうのは少し言い過ぎなんじゃないかしら。あの子達がいると場が賑やかになるから、私は結構好きよ?」


 小さく笑みを浮かべたリカさんが、待望のシャルロットへと手をつけた。

 はたして、今の笑顔はオギとハギに向けられたものだったのか、それともシャルロットに向けられたものだったのか……。

 間違いなく後者だろうなぁ。

 いつまでもフォークを遊ばせている訳にもいかないので、僕も覚悟を決めてレアチーズを削ぎ落とし、口へと運ぶ。

 ん、これはなかなか。

 マンゴーの甘酸っぱさにレアチーズの酸味がプラスされていて、かなり僕好みの味だ。

 恐らく先に甘味たっぷりのシャルロットを口にしていたせいもあるのだろうが、マンゴーの中に潜む酸味が僕の舌を心地よく刺激する。

 ケーキを二つも食べるのはきついだろうと思っていたけれど、これなら意外といけるかもしれない。

 そう思うと、自然とフォークを動かす手も速くなった。


「……ねぇ、伊澄君」


 先程までとは違い、ペース良く食べ進めていく僕の耳に少し遠慮がちな声が届いた。


「何ですか、リカさん?」


 それに合わせて、僕も出来るだけ穏やかな声で聞き返す。


「伊澄君は夏休みの間も此処に来てくれるのかしら?」


 おずおずと切り出されたその質問に、僕は二、三度瞬きをした。


「何を言ってるんですか? そんなの当たり前ですよ。去年もそうだったじゃないですか」

「それは……去年はあまり親しいお友達がいなかったからじゃない。今年は沢山お友達もいるし、夏休みが終わるまで会えなくなるのかしらと思って……」


 もじもじと身じろぎする様子を見て、一瞬呆気に取られた後、思わず噴き出してしまった。


「そんな事ある訳ないじゃないですか。僕はここが好きなんです。夏休みの間中オギとハギと遊ぶ事がないとしても、ここに来ないなんて事はありえませんよ」


 その言葉を聞いた瞬間、リカさんの顔に大輪の花が咲いた。


「まぁ! そう言ってもらえるなんて嬉しいわ! これは気合いを入れないといけないわね」


 満面の笑みを浮かべるリカさんを眺めながら、僕はケーキの最後の一口を飲み込んだ。

 さて、リカさんはいったい何に気合いを入れようと言うのだろうか。

 それは見てのお楽しみという事だろう。




 この後、三十分ほど他愛のない話をして時間を潰した僕は、あまり遅くならないうちにリカさんに別れを告げた。

 帰るまでの間、終始リカさんはご機嫌だったという事を付け足しておこう。

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