家族愛の形と婚約者の悲哀について
鬼の形相とはこんな顔かしら。私はゆっくりとミルクティーを飲みながら、目の前の少女を眺めました。
「なんであんたはそんなところでのんびりお茶を飲んでるのよ!!」
「なんでと言われましても……」
「あんたは私を虐めないといけないでしょ! そうしないとイヴァーノ君が私のことを好きになってくれないじゃない……! 私が見たことないイヴァーノ君は絶対に隠しキャラなんだから!」
「はあ……」
フレイヤ様が目の前のテーブルを乱暴に叩くので、ソーサーとスプーンがカチャカチャと音を立てました。私は首を傾げてフレイヤを見つめます。
可愛らしい顔が台無しになっているのは私と対峙しているときはいつものこと。ですが、こんなに切羽詰まった様子でかつ意味がわからないのは初めてです。
それにしても、虐めてほしいなんて奇特な人ですね。そんなことを言われても私にはフレイヤ様を虐める理由が見当たりませんし、どうやって虐めたらいいかもわからないから困ってしまいます。
あ、でも。
「そうだわ、フレイヤ様」
「な、なに!?」
身構えたフレイヤ様に私は顔を近付け、低音の声で囁きました。
「イヴァーノに手を出したら……殺します」
「ひっ……!!」
淑女らしからぬことを言ってしまいましたわね。反省いたしましょう。
でも私の大事な大事な弟にあんな毒を撒かれたら、病弱なイヴァーノはショックで死んでしまうかもしれないですもの。釘を刺しておいて損はありません。
私は呆然と立ち竦むフレイヤ様を置いてレストランを後にしました。
「あ、姉さん!」
「イヴァーノ」
線の細い少年が私に駆け寄ってきます。血の繋がった可愛い弟です。
転入生のフレイヤ様がどういうわけか転入直後から学園の権力者たちを虜にしているという噂も、なぜかやたらと私に突っかかってくるのも、私は全く意に介しません。
でも、イヴァーノに危害があるのなら話は別ですね。
「ねえイヴァーノ」
「なんでしょう?」
「あなた、転校する気はない?」
「えっ! ね、姉さんもですか?」
私が尋ねるとイヴァーノは顔を輝かせました。あら、そんなにこの学園が嫌だったのかしら。気がつかなくてかわいそうなことをしました。
「いえ、私はここに残るけれど」
「……ならいいです」
「そう?」
「姉さんがこの学園に残るのでは意味がないですから」
「ふふ、イヴァーノったら寂しがりやなのね」
口を尖らせるイヴァーノに私は嬉しくなりました。私と離れたくないなんて、いつまで経っても子どもなんだから。だけど私もイヴァーノと離れるのは寂しいから人のことは言えないですね。
弟の焦茶色の髪を撫でると、イヴァーノは顔を赤くしてもごもごと口ごもります。
「いや、それだけではないんですけどね……」
「なあに?」
「なんでもありません」
「ローレンシア!」
背後から私を呼ぶ声が聞こえました。途端にイヴァーノの顔が歪んだのを不思議に思いながら振り返ると、そこには肩書きだけの婚約者様がいました。
「あら、ラルフ様」
「ローレンシア、フレイヤに嫌がらせをしたというのは事実か?」
「嫌がらせ、ですか?」
私は頬に手を添え考えます。先程の脅しが嫌がらせというなら、
「しましたわね」
「そ、そうなのか! どうしてだ?」
フレイヤ様に嫌がらせをしたと告白した瞬間に、ラルフ様がそわそわし始めました。ラルフ様は最近とみにフレイヤ様と仲がよろしいはずなのに、どこか嬉しそうなのはどうしてでしょう。
にじり寄ったラルフ様から私を守るようにイヴァーノが前へ出ます。イヴァーノ……いつの間にあなたはそんなに頼もしくなっていたの。姉さまは嬉しいです。
私の感動をよそに、ラルフ様はイヴァーノを煩わしそうに一瞥して、すぐに私に視線を戻しました。
「それで、なぜなんだ?」
「フレイヤ様はイヴァーノによい影響を与えると思えませんでしたから」
「……は?」
「あまり具体的には言いませんけれど、フレイヤ様にはイヴァーノに近付いてほしくなくて少し脅したのですよ」
「……フレイヤに嫉妬したとかそういうわけではなかったのか」
「なぜ私がフレイヤ様に嫉妬を?」
私が不思議そうに問うと、ラルフ様はうなだれ、反対にイヴァーノは勝ち誇った顔をしました。
「殿下、残念ですがあなたは眼中にないのですよ」
「イヴァーノ、貴様……」
ラルフ様がイヴァーノを睨みます。何やら険悪な空気が漂っているけれど、そうだ、こうしてはいられません。
「ラルフ様、あなたフレイヤ様がお好きならちゃんと捕まえておいてくださらないと」
「なに?」
「フレイヤ様がイヴァーノに近付いては困りますから。ラルフ様はフレイヤ様がお好きなんでしょう?」
「違う、誤解だ!」
あら、誤解なのですか? フレイヤ様が学園内の権力者を次々に虜にしているという噂の中にラルフ様もいらっしゃったものだから、てっきり勘違いしていました。
慌てるラルフ様にイヴァーノは冷たい目を向けました。
「自業自得ですね」
「イヴァーノ、貴様はどこかへ行け!」
「嫌ですよ。姉と害虫を2人きりで残すなど」
「お前、俺が皇太子だってことを忘れてないか?」
「イヴァーノ、虫なんてどこにいるの?」
「姉さん、あなたの目の前にいるので早くここを離れましょう」
「そうね、私も虫と一緒にはいたくないわ」
「ローレンシア、わざとか? わざとなのか?」
意味のわからないことを言っているラルフ様は置いて、私とイヴァーノはその場を離れました。
おしまい