(5) 残念なのは俺の頭ですか?
「ええと、それでユウヒさん、どういったご用件でしょうか…………?」
肩越しに相手の顔を見る状態をキープしつつ、おそるおそるカラスは話しかけた。
こっそり足を先に進めることが出来ないかをを試してみるが、半歩ずらそうとした時点で右足が前に動かなくなる。やはり『影踏み』を使われているらしい。
ユウヒは何も言わず腕組みをしたまま、じっとこちらを見ている。その視線からも表情からも感情は読み取れない。
しかしそうであるからこそ、この状況に恐怖しか感じない。ここでユウヒに戦闘を宣言されたら、逃走できないカラスは受けるしかないのだ。そうなったら、戦闘に勝利して相手のスキルを強制的に解除させるしか、生き延びる方法はない。
だが、そんな事をこの男相手にできるわけがない。足の速さだけで何とかできるほど、戦いというやつは甘くないのだ。
――アァァァ俺の判断間違ってたパターンなんですか!? 畜生ヤシャマルの野郎絶対にゆるさねえぞゴラァ!!
どうにもならないと思いつつも、この場にいない第三者の名前を頭の中で絶叫する。
戦闘になったらほぼ確実にロスト。かといって殴られるのはいやだ。本音を言えばでこピンだって食らいたくない。寧ろ何もされたくない。
――もうなんだっていい、とにかくここで何とかして生き延びねえと!
さながら自力では倒せないレアモンスターを引き当ててしまったときのような心情だが、嘘偽りない本音だ。
カラスは勢いよく回れ右をして正面から向き合うと、
「――ほんっとうにマジでごめんなさいいいいい許してくださいいいいいい!!!」
精一杯、自分の出せる限界まで声を張り上げ。両足を綺麗にそろえて地面を蹴り、さながら水泳の飛び込みのように身体をユウヒの方へと動かす。
その宙に浮いた僅かな間に足を折りたたみ正座の状態を作ると、飛んだときの勢いのまま両手から地面につく。ズン、という鈍い音とともに、地面に接触した部分に痛みが走る。それでも顔は絶対にあげない。上げてはならない。誠意を見せようとしているところなのだ、今ヘタレている場合ではない。
――これこそがカラス流必殺、飛び込み土下座である。
周囲の人間がどう思っているかなんて関係ない。正直『ユートピア』の人間全員に馬鹿にされるよりも、ユウヒ一人の許しがもらえるほうがメリットがでかいのだ。
この都市で生きている連中ならどうにでも撒けるが、この男をどうにかすることは不可能なのだから。
「…………!!!」
「…………」
「…………!!!!!」
脳内で必死の命乞いをし、全身から許してくれオーラを発しながら、ひたすら無言で頭を下げ続ける。周囲の人間の声がやけにうるさく耳に響く中、頭上から感じるのはやはり感情の読み取れない視線だけだ。
「…………!!!」
「…………」
「…………!!!!!」
「……あー…………」
何時までこの状態が続くのだろうと言う思いが頭を掠めた、まさにそのとき。
ぼそ、とユウヒの喋る声が聞こえた。
「……なんでお前の足、バンビじゃないんだ?」
「それ今全然関係ねえからああああああああああああ!!」
***
「……なんだ、足がバンビになる新スキルが見つかったわけじゃないのか」
「何でそんなスキルがあると思ったんだよ……」
何時もと変わらない声のトーンでそう返されて、思わず肩の力が抜けてしまう。
どうやらアカネに頼んだ伝言は彼の中で別ベクトルの解釈を遂げていたらしい。あった瞬間にまずそんなことについて気にするなんて、もしかしてこの男、本当にバンビが好きだったりするのだろうか。
顔に似合わずかわいい物好きなのか? などと口に出したら今度こそ首が飛びそうなので黙っているが。
「……正直、この世界ならどんなスキルが転がっていても驚かない」
「気持ちは分かるけどさぁ……っつーか、何? もしかしてバンビ見たくてここまで来たのか?」
「……半分ぐらいはそれだが」
思ったよりも怒っていなさそうだと軽く冗談交じりにバンビの話を引っ張れば、存外真面目な返事が戻ってくる。
半分もバンビってどんだけだよ。
そう心の中で突っ込みを入れると同時に、
「もう半分はこれだ」
そんな声が聞こえると同時に、ぼすん、と土下座しっぱなしだった頭の前に布袋に入った何かが落とされた。
「……何コレ?」
「…………ヒガンから聞いてないのか?」
「は? 何を?」
「……とりあえず、開けたらどうだ?」
意味が分からず首を傾げるも、無言のまま促され、カラスは布袋へと手を伸ばす。袋、といっても巨大な布の四方を一箇所に集めて安っぽい紐で括っただけのものだ。蝶々結びになっていたそれの両端を引っ張ると、すぐに中身が目の前へ開かれた。
そこにあったのは。
「……え、これスニーカー?」
「……」
中から出てきたのは、何の変哲もない群青色のスニーカー。なんだこれ、と思うも、すぐにスニーカーの横にウィンドウが表示される。そこに現れたのは、『装備アイテム:試作品スニーカーγ』という名前と、それを身につけたときのステータス上昇率。そして、
『装備アイテム:スニーカーの最新型が出来ました。以前のものより諸々の機能が改良されたのに加え、装備時の素早さの大幅な向上に成功したので、素早さに特化しているカラス君のステータスには合うのではないかと思います。ぜひお使いください』
という、ヒガンからのメモである。
――意味が分からない。
「――えぇと、これはつまり、ヒガンからのプレゼントみたいな?」
何とか状況を整理しようと、目の前のスニーカーを手に取り事実をそのまま口にしてみる。なるほど、持った感覚も確かに軽い。今現在カラスが装備しているものはこれまたヒガンに作ってもらったデザートブーツなのだが、平均的に能力値が上がるこちらよりも最新作のほうが確かに合いそうだ。
早速履き替えよう、と装備の変更をしているところへ、
「……今日のキラー討伐前にヤシャマルに頼まれた」
本日の元凶の名前が聞こえて、びしり、と画面をタップする指の動きが止まる。
「……何でヤシャマルとお前が出会ってんの?」
「……あいつらキラーのいるところに転送してもらうために、アカネのところに来るだろ。俺もそのとき一緒にいたから」
「……もしかして、朝のメッセージ、それで?」
「……討伐している間とかはお前も忙しいかもしれないから、終わったら連絡するって言われたんでな」
そう言いながら、ユウヒは自分のウィンドウを開く。何度か画面をタップした後、これ、といって、カラスにそこに残っているログを見せた。
【ヤシャマル:終わった 今すぐカラスにメッセージ送ってくれ】
【ヤシャマル:おいユウヒ】
【ヤシャマル:急げ】
【ユウヒ:何】
【ヤシャマル:今なら多分面白いことになるから早く】
【ヤシャマル:頼むから】
【ユウヒ:謝られた】
【ヤシャマル:最高だ】
【ユウヒ:は?】
「…………」
「……昼に言った返事が来ない、はヤシャマルに対してだ」
「…………」
「……正直俺は何で謝られたのかわからなかった。今もだが」
「天に誓って言う、これは全部あいつのせいだ」
「……そうか」
「ごめん、なんかマジでごめん、ヤシャマルぶん殴るから許して」
「……何をしたいのかはよく分からないが、お前のステータスじゃ厳しいんじゃないか」
「現実って何でこんなに非情なんだろうなあ!!」
ヤシャマルの野郎絶対にゆるさねえぞゴラァァァァァ!! という思いは今度こそ声となり、酔っ払いたちの歌声に混じって都市『ユートピア』の空へと響き渡った。
【カラス:おいヤシャマル】
【カラス:確信犯だよな?】
【ヤシャマル:『点と願いの望遠鏡』でお前の動きを見ているのは中々面白かった】
【カラス:ふざけんな】
【ヤシャマル:ついでにまだ勘違いをしているだろうから教えておくと】
【ヤシャマル:『地獄耳』のスキルを持っているのは俺だ、ユウヒは多分無い】
【カラス:テメェマジ-この言葉は運営によって規制されました-!!!】
【ヤシャマル:規制かかってるぞ】