(4) 勢いで生きるとどうしてもこうなる
目覚めたカラスはぐるぐると首を回した。気持ちのよい夜だな、と寝起きのストレッチをしながら考える。
現在時刻は夜の9時半過ぎ。とりあえずスタミナ全回復のために寝たのは良いが、この時間から特にやりたいことはない。
『ルエンタ』の施設を満喫することも考えたが、どこを使うにも基本的に追加料金がかかる。悲しいかな、今のカラスにはほとんど手持ちの金がない。そのためにぶっ倒れながらも一番安い部屋を頼んだのだから。
起きて一番に開いたウィンドウにも、やはり新規のメッセージはない。
そこそこ時間が経っているわけだし、アカネに伝言も頼んだ。それなりに怒りが静まっていれば、出会ってもでこピンぐらいで済まされるかもしれない。
ユウヒだってきっと生まれたてのバンビを愛おしいと思う気持ちぐらいは持っているはずだ。いや、冗談だけど。
「……逃げたことで余計に怒らせてなけりゃあいいんだけどなぁ」
正直そこまで頭回ってなかったぜ、と独り言を呟きながら、ぐっと背筋を伸ばした。
結局ここでやりたいことも思い浮かばず、カラスはホテル『ルエンタ』をチェックアウトすることにした。
二度寝するには全回復したスタミナも、1日に必要な睡眠時間の累計的にももったいない。こういうところで無駄と言う名前の娯楽を選べないあたり、カラスもそこそこの効率厨なのである。『クレィジィ』のメンバーの中では比較的ましなほうなのだが。
寝る以外の事を特にしないままのチェックアウトも、モブ達は特に不審に思うことなく受け入れてくれる。ただし料金は一律だ。
「リーダーが称号『ルエンタ常連』取れば10分の1に料金へるっつってたけど、正直そうなるまでにつぎ込む金のほうが勿体なくねえかこれ……確かにすげえ性能良いけどさ、ここ」
「あら。お客様、称号『ルエンタ常連』についてご存知なのですか?」
メニュー画面からなけなしのお金が支払われるのを眺めながら思わず愚痴ると、普段はニコニコ笑うだけで余計な口を挟まないモブ受付嬢が、驚いたような表情を見せた。
「その言葉を知っていらっしゃるお客様の宿泊料金は、一割引とさせていただいております。大変失礼いたしました。代金をお戻しします」
「おおう、マジで?」
驚いて目を丸くする間もなく、ステータス画面の所持金の欄の数値がくるくると回転して、一気に減った残高が少し回復する。へえ、と感嘆の声を漏らして、カラスは今目の前で起こった事象をそのままメモ欄に記入した。
モブキャラクターに話しかけることで得られる特権などがあるのは知っていたが、『ルエンタ』の料金については初耳だった。案外リーダーや同盟『クレィジィ』のメンバーも知らなかったりするかもしれない。今度の会議のときにでも教えてやろう。
同じ角度でそろえられたお辞儀を背に受け、ホテルを後にした。
都市『ユートピア』はどんな時間も騒がしい。
『ラスト・カノン』がちゃんと現実に戻ることの出来るゲームだった頃から、この都市はプレイヤーの集まる場所だった。入れ替わり立ち代り、常に誰かがログインとログアウトを繰り返しており、都市の中の施設から電気が消えることは絶えずなかった。
その傾向は、この世界に閉じ込められてから5年間でさらに強くなっている。
モブは夜になると自分の家に帰ってしまう者が多い。従ってこの時間になってくると外を出歩いているのはほとんどがプレイヤーだ。
「随分と、変わったよなぁ……」
不安に駆られたプレイヤー達が『ラスト・カノン』に存在するもの全てを敵視するかのように、目をぎょろぎょろと光らせていた時の事を思い出す。月に2,3度は、星が出てからこの都市を歩き回っているが、改めて見るとあの頃との違いを強く感じた。
そこかしこで酒盛りをしているのか、すれ違う人の多くが状態異常『酔いどれ』を発症し、顔を真っ赤にしている。のんきに肩を組み合いながらふらふらと道を横断し、中には
「恍惚たる鎮魂、サイコーォォォ!!」
などと叫んでいるはた迷惑なやつもいる。その全員に共通しているのは、右腕に赤いスカーフを巻いていること。
その目印が、ギルド『恍惚たる鎮魂』の一員であることをこちらに知らせている。
『恍惚たる鎮魂』。
それは今現在の『ラスト・カノン』において最も人数の多いギルドであり、ゲーム内の累計ポイント第1位を誇る集団でもある。その数値がいくつかは公表されていないが――おそらく、死という単語からは程遠い数値をしているに違いなかった。
この世界のギルド制度の最大の特徴は、同ギルドのプレイヤー全員のポイントを合計した値が、そのまま自分の保有しているポイントになるという部分にある。
『ラスト・カノン』でのプレイヤーの体力は、所持しているポイントの数値とイコールである。30ポイントを有しているのならば、HPが30であることと同義。どんなにステータスが高く優れたスキルを持っていても、ポイントがなければちょっとしたミスで命を落とす可能性がある。
しかし、ギルド制度を使えばその不安を解消することが出来る。
例えばポイントを30保持している人間が3人集まってギルドを組めば、戦闘になった際そのプレイヤー達は全員体力値90と言う状態で戦うことが可能だ。
つまり沢山の人間が集まって同じギルドに所属すれば、それだけで有利となる。
――このこともあって。閉じ込められた初期の『ラスト・カノン』には滅茶苦茶な数のギルドが乱立し、それぞれいがみ合っていた。
何時までたっても現実に戻れない焦りと混乱のせいか、プレイヤー対プレイヤーでの戦いが一番激しかったのもこの頃だ。現在残っているプレイヤー数は当時の半分程度だといわれているが、人と人との争いでロストしたプレイヤーは、悲しいことにかなり多い。
そして、5年間という月日の中で。他の追いつくことの出来ない一大組織として完成したのが、『恍惚たる鎮魂』である。閉じ込められて1年が過ぎた頃に発足したギルドで、他に比べて入会の規定はそこそこ厳しかったと聞く。
だが、まことしやかに囁かれた噂が人を呼び、みるみるうちに膨れ上がったのである。
一度ギルドに入ってしまえば、ロストはない。
――そんな、夢のような噂が。
今現在どれくらいのプレイヤーが『恍惚たる鎮魂』に所属しているのかは知らないが、百、千、下手したらもう一つ桁が違うぐらいの人数はいるらしい。
――と、これもまた、噂である。
それだけの数プレイヤーが5年間もの間生き延びてくれているというのは、喜ばしいことだ。
だけど、とカラスは周囲の浮かれた人々を見て思う。
――実際、いつ強制的にこの暮らしが終わるかも分からねえって、こいつら覚えてんのかよ?
「……何時からこんな、明日が来んのが当たり前みたいな考え方、浸透しちまったのかな」
周りの喧騒にかき消されそうな小さな声を一つ、カラスは歩きながら落とした。
実際、唯の独り言である。返事か返ってくることなど少しも期待していないし、そもそも誰かに向けた問いかけですらない。
だというのに、
「……慣れだろ」
ぼそり、と。
カラスのものよりもさらに小さく低い、すぐ横の酔いどれ男の笑い声に飲み込まれてもおかしくないような、そんな声が。耳に突き刺さるように聞こえる。
ぴたり、とカラスは足を止める。あのメッセージを見たときと同じ、口はしがひくひくとゆれるのを感じた。
誰の声かなんて、考えるまでもない。
スタミナ切れで睡眠をとる前まで、一番聞きたくなかった人物のものだ。
、
「…………『隠密』『闇夜のバッドガイ』『お忍びの達人』……他は何だ? こんなに見つけられないとは思わなかった」
「……きぎょーひみつでーす」
ギギギ、とさびた蛇口を無理やり回すときの音が鳴りそうな固い動きで、カラスはゆっくりと顔を後ろに向けた。
この距離まで来たら逃げるのは無理だ。もう間違いなく『影踏み』を使われている。
――『影踏み』は本来モンスターとの戦闘用のスキルで、戦闘に突入した相手の逃走を不可能にするというのが一般的に知られているものなのだが。
今、カラスの後ろに立っている彼は、さらにそれに加えて隠しスキルである『鬼の子孫』というものを持っている。
それは日本で生きていれば誰もが一度は聞いたことがありそうな「鬼」にまつわる遊び――鬼ごっこ、隠れ鬼、色鬼といったものにかかわりのある単語を用いたスキルを、対人においても常に発動できるようになるというもの。
「影踏み鬼」と言う遊びを考え付いた、顔も知らない誰かのことを勝手に恨む。誰だか知らんお前のせいで、俺、死ぬかもしれないんだけど。
振り返った先にいた男は、先刻アカネから聞いていた通り、何時も通りの無表情だった。
その名前を体現するかのような、夕暮れ時のような薄暗い橙の髪。
涼しげだが鋭い黄色の瞳の中には、昼間の猫の目を連想させるような黒目がある。
袖なしタートルネックにポンチョともマントともいえない物を重ね、足元は動きやすそうなカーゴパンツ。機動力重視な服装をしているのは、戦闘に際しても耐久ではなく素早く動くことに全力をかけているからなのだろう。
そこにいたのは、同盟『クレィジィ』のメンバーにして、ソロでありながら『ラスト・カノン』における保有ポイント数第2位の人物――ユウヒ、だった。