(3) 俺は『スタミナ』とお友達になりたい
【11月12日 21:37 6時間の睡眠を終えました、『スタミナ』が全回復します】
そんなメッセージがふわり、と頭の中に浮かぶ。
同時に急激に脳みそが覚醒し、起きなければ、と言う気分になる。
カラスはぱちり、と目を開く。すぐさま癖のようにウィンドウを開き、自分のステータスを確認した。先ほど脳内で流れたのと全く同じメッセージが載っているのを見て、安堵の息を吐く。
――結局、午後の3時を迎え、この『ルエンタ』という最高級ホテルへのチェックインが出来るようになるまでの間。
カラスは少しの休みも取らず、商業都市『ユートピア』の道という道を走り続けた。
出来る限り同じ道は通らず、行き止まりのないルートを選択し。
唯ひたすら、全速力で走り続けた。
現実世界であればぶっ倒れているところだが、ここはスキルに溢れたゲームの世界。
可能にする方法はいくらでもある。
カラスが使用したスキルは、『猫の道』と『スーパーマラソンランナー』。それらをフル活用し、自分のステータスの中で飛びぬけて優れている素早さを、遺憾なく発揮しただけだ。
『猫の道』は到着予定時刻と目的地を指定すれば、その時間丁度にたどり着くことの出来るルートを提示してくるスキル。『スーパーマラソンランナー』は指定した時間までに自分のスタミナを全て使い切るような配分で、使用者の移動速度を上げるものである。
従って彼は『猫の道』によって示される道に沿ってがむしゃらに移動を続け、午後3時になると同時に『ルエンタ』のロビーに飛び込めるよう、『スーパーマラソンランナー』を設定したのだ。
全ては、ユウヒという人物の感知系スキルによって、その居場所を悟られないために。
ホテル『ルエンタ』は『ラスト・カノン』に存在する宿泊施設の中ではかなり高級な部類に入る。だがそれだけにサービスは――プレイヤーに対するサポートは、厚い。
全ステータスが底上げされる夕食、魔力成長速度が上がる入浴施設、そして一晩眠れば次の日にはもらえるポイントが倍になるベッド。
ここでの楽しみ方に慣れたプレイヤーが、更なる高みへと効率よく進むために宿泊を目指すホテル。それが『ルエンタ』である。
しかしカラスがここを選んだのは、それらとはまったく別の理由で。
〈『ルエンタ』内部に存在するプレイヤーの情報は察知できなくなる〉
〈『ルエンタ』宿泊中のプレイヤーに対して戦闘を仕掛けることはできなくなる〉
という機能が存在しているからである。
本来ならばプレイヤー対プレイヤーでの戦闘で役立てることを想定し、設定されたものなのだろう。
この機能がちゃんと仕事をすることは昨今滅多になくなっていたが、今日のカラスにとってはまさしく救世主だった。
――あそこじゃないとスタミナ切れても安心して眠れねえ! もしユウヒにマジ切れして戦闘仕掛けられでもしたら、俺のポイント一瞬で蒸発しちまう!
必死になって走りながら――とはいっても完璧なペース配分な上にほとんどオートで動いているようなものだから、基本的には足を動かしているだけの単純作業状態なのだが――カラスはユウヒという同盟『クレィジィ』の仲間のことを考える。
ここまで全力で逃げておいてなんだが、別に悪い人間ではない。基本的に無口でろくに通信の返答もしない男だが、『クレィジィ』になくてはならない戦力だ。実際に助けられたこともある。こうして逃げるのは逆に失礼かもしれない、だが殴られたら冗談抜きで消し飛んでしまう。
もし。もし、さっきの会話でユウヒの逆鱗に触れていたとして。彼の持つ高すぎる戦闘能力の矛先が、自分に向けられたときのことを考えると、なんと言うか――ロストする未来しか見えないのだ。
ユウヒはそんなことをするようなヤツじゃない。――多分。
そう思っても、考えるよりも先に逃げることを選んでしまう。
かつて目の前で見てしまった、プレイヤー同士での戦いで。片方がロストしたその瞬間の光景が――何時までたっても、忘れられないからだ。
扉を開けたモブのホテルマンを跳ね飛ばすような勢いで突進し、フロントにいるモブのお姉さんに話しかけようとしたところで。
「…………、あら?」
唐突に膝の力が抜け、足が前に進まなくなる。
カラスは糸の切れた操り人形のように、へなへなとその場へと崩れ落ちた。
スタミナ切れ、である。
――あ、失敗した。ホテルに入ってから部屋のベッドに入るまでで、スタミナ計算しとかなきゃいけなかったな……。
冷たい床に右頬をくっつけながら、疲労状態になった身体でぼんやりとそんなことを考えた。
慌てて駆け寄ってきたホテルマンに一番安い部屋への宿泊をお願いし、そのまま肩を貸してもらってベッドまで運んでもらう。
『スタミナ』がなくなると、基本的にその場から動くことは不可能だ。
かろうじて腕は動くためアイテムの使用などはできる。が、通常の3倍ぐらいは時間がかかるし、どう頑張っても足は微動だにしない。
モンスターの戦闘中にこんな状態になったら生死にかかわるので、プレイヤーの大多数は栄養ドリンクなどのスタミナ回復アイテムを常に保持している。
大丈夫ですか、と心配そうな顔をしたホテルマンにひらひらと手を振り部屋から退出してもらうと、カラスは大きく息を吐いて部屋の天井を仰いだ。一番安い部屋なので唯の高級ベットだが、これが最高クラスの部屋になると天蓋付きのものになる。
ここまで来たら、あとは眠るだけで良いな。
そう思いながら仰向けに倒れこみ、力の入らない右手の人差し指を懸命に持ち上げ、空中を叩いた。もうこの世界で何度繰り返した動作か分からない。すぐに見慣れたウィンドウが目の前に広がる。
走っている最中に表示されなかったから分かってはいたが、追加のメッセージは届いていない。通知機能はオンのままになっているため、もし何か来ていたら即座にウィンドウが開いていたはずだ。
目を閉じて眠ろうと考えることでも自動的に睡眠状態になれるが、カラスはメニューから選択して行動を選ぶほうが好みである。そうすると、ここがゲームの世界であることを忘れずに済むからだ。
すでに睡眠の牡丹は目の前にあった。このまま選択してようか、それとも。
「……んー」
少し考えて、カラスはメッセージの欄を開く。送り先はユウヒではない。
『クレィジィ』の紅一点、アカネである。
【カラス:アカネちゃーん、今ユウヒの近くにいたりしない?】
時と場合が違えばストーカーまがいの何かでしかないようなメッセージを送信する。今のカラスには、文面の体裁を取り繕うほどの体力的余裕がなかった。これがヤシャマルだったらくっそ馬鹿にされてんだろうなぁ、と思っている間に戻ってきたメッセージは、
【アカネ:いるよ、どうかした?】
と言う文面だ。
アカネとユウヒは同盟『クレィジィ』を組む前からの知り合いであったようで、今もよく一緒に行動しているのだ。ビンゴ、と心の中で呟いて、続きを送る。
【カラス:どうかしたって程じゃないんだけどさ、ユウヒ今どんな感じ?】
【アカネ:何時もどおりな感じだよ】
【カラス:何かを追いかけに行きたそうな動作とかしてない?】
【アカネ:カラス君なんかやらかしたの?】
【カラス:神に誓って言う、あれは不可抗力だ】
【アカネ:そっか。まあ特に変なそぶりとかはないよ】
【カラス:おー、そりゃよかった】
【アカネ:あぁ、けど】
【アカネ:お昼ご飯のとき。「返事こねえ」っては言ってたかな】
【アカネ:関係ありそう?】
連続で並ぶ【アカネ】の名前と文字に、安堵の微笑を浮かべようとした口端がひくひくとゆれる。
ユウヒ、俺は返事をした。確かにしたぞ! そう訴えてみても、ユウヒ側がそう受け取ってくれているかどうかなんて分からない。
【カラス:俺の足はもう生まれたてのバンビなので勘弁してください】
【アカネ:うん?】
【カラス:そのメッセージが俺に関係あるかどうかはさっぱり全く見当もつきませんがとりあえずそう伝えておいていただけますか】
【カラス:俺はスタミナ回復のために寝ます】
【アカネ:なんかよく分からないけどわかったよ、おやすみ】
泣きたくなりながら力の入らない手でメッセージを送り、アカネのおやすみを確認する。
仲のよい彼女の言葉が何らかの効力を発揮してくれることを祈るばかりだ。
そのまま画面の右上に存在する睡眠というメニューをクリックし、迷わず6時間を選ぶ。スタミナ全快のために必要な睡眠時間だ。
その選択肢に指が触れた瞬間。
自然と瞼が重くなり、カラスは目を閉じる。
――その眠りは、抗うことの出来ない強制的な力。何時もこの瞬間にこの世界はやはりゲームなのだ、ということを実感する。
【11月12日 15:37 6時間の睡眠を開始します】
そして、意識は闇の底へと落ちる。
次に気が付いた時には、スタミナ回復のメッセージが表示されるのだ。
この世界における睡眠は、スタミナ回復という役割が大きい。ログアウトが出来なくなったときに導入された『ポイント制度』に統合されて体力というパロメーターが消え去って以来、睡眠をとる第一の目的はそちらへと変わった。
1日を24時間と換算して、そのうち4時間以上を睡眠に使っていれば日常生活には支障は出ない。
それ以下になってくるとスキル『睡眠障害』が発動し、全ステータスにかなりの下方修正がかかる。
『ラスト・カノン』はプレイすればするほどにスキルを取得することができ、それによってゲームをよりやりやすく、より有利に進めることが出来るようになる。一人いくつまでしか発動できないなどといった条件は特になく、『スキルを制するものがゲームを制す』なんて言葉があるぐらいだ。
だが、その中身は全部プラス要素のものというわけではない。メリットとデメリットがあるもの、悪化しかしないものも多く存在する。一定回同じ事をすることで使えるようになるもの、装備品に付随していて自動発動できるものなど、習得条件は多岐にわたる。
一応ほとんどのスキルは専門店で解除が可能なのだが、中には永遠に取り外すことのできないものもある。
つまり、『ラスト・カノン』で生き抜くには、スキルの活用が非常に重要なのだ。
如何にスキルを組み合わせて利用していけるか――このゲームにおいてアドバンテージを取り続け、攻略していくために、なくてはならない存在なのである。