(10) それは実に幸せな勘違いです
「皆さん――あっちです!」
黙っていても、煙の行く末を見ていれば知ることの出来たであろう彼女の居場所を。
ヒガンはそれでも、わざと声を上げて周囲に伝える。『試作品望遠鏡κ』の先端をアカネのいる方角へと向け、はるか遠くに存在する彼女を指差した。
この位置からでは何もしなければ、遠すぎて姿を確認することなど出来ない。
それでも天を貫くかのように高く、一直線に伸びた黒煙の名残がうっすらと消えていく下に。
モブたちが揃って走っていく、その先に。
何か凶悪なものが存在することには、彼らも気が付ける。
「キッカ」
短く、名前だけを呼んだロードは、アカネのいる方角を見据えたままキッカへと杖を投げる。
少女は目の前に飛んできた杖を必死で受け止めると、まだ恐怖が抜けないのかがたがたと全身を震わせながら、それでも、『光彩探知』を発動する。
光の玉は、今度は迷うことなく真っ直ぐと――『大犯罪者』のいる方向へと飛んでいく。
いや、キッカのものだけではない。
都市のありとあらゆるところから、誰かの発動した『光彩探知』が、皆一様に1点を目指して放たれている。
それが『大犯罪者』の顔を、居場所を確認するためになされているものだということは考えるまでも無かったが――ぬるい、とヒガンは思う。
――混乱していようと、なんだろうと。この状況で全員が一様な行動をとっていてどうするんですかね。
『試作品望遠鏡κ』を使って、アカネの様子を確認する。
彼女は相変わらずの無表情で、自分へと飛んでくる『光彩探知』をはじき返そうな度という気は、まるでなさそうだった。
まぁ、実際に考えてもいないのだろう。『大犯罪者』というスキルを持つモブキャラクターとして誤認されるように、カラスの変装系スキル『怪人の心得』を使用して完璧に無表情を作りこんできたのだから。顔を見られたほうが、やりやすいのだ。
彼の器用さと謎スキルが、こんな形で使いこなされるとは。
が、流石に――アカネの近くにいたプレイヤーの中には、即座に攻撃を試みた者もいたようだった。
彼女に光の玉が集まっていく速度に一つ飛びぬけて、風で出来たの刃のようなものが飛んできているのが、『試作品望遠鏡κ』に映る。
風属性の魔法か、武器による衝撃波系の攻撃か。
しかし、アカネは群青色の目でちらりとそれを一瞥し――その瞬間、その刃は霧散する。
何を使用したのかは分からないが、おそらくは魔法で攻撃を相殺したのだ。
無属性という、どんな相性をも受け付けない魔法を極めきっている彼女に。
中途半端な遠距離攻撃は、絶対に届かない。
アカネは『光彩探知』の光が集まるのを無視したまま――顔が映るように意識はしていたかもしれないが――その右手を開き、空へと伸ばす。
その手の先に、白く光り輝く何かが現れたかと思うと、一気に横へと広がり、『ヂャッジスト』の空を覆った。
そしてぐにゃりとその形を変形させ――具現化したのは、無数の白い槍。
それを視界に認めるが早いか、ロードは刀剣を鞘から引き抜いて叫ぶ。
「――アーベル、『永久の遑』だ!」
アーベルはその声に即座に反応し、右腕の防具を左手ではたく。
すると防具は即座に変形し、数人単位で覆い隠せそうな巨大な盾に変形し、彼とキッカを守るように宙に浮いた。
兜の正面をヒガンのほうに向けたかと思うと、
「来い!」
と、若干不本意そうに叫ぶ。
どうやら守ってくれるつもりらしい。他プレイヤーがいる手前、どうやってこの状況を乗り切ろうかというのはちょっとした課題だったのだが、そういうことなら甘えようとヒガンは盾の下へと駆け足で移動する。
この盾が突き破られない保証は無いが。加減はしているだろうが、彼女の攻撃の火力は尋常じゃない。
この世界の魔法攻撃と武器などを使った攻撃の最大の違いは、巻き込み事故の有無だ。
素手で殴る、武器で切るなどの動きは、プレイヤーが対象であれば戦闘しているという扱いにしない限り体力を奪うことは無いのだが。魔法攻撃は不注意で掠るだけでもダメージを受けてしまう。
相当な腕が無い限り、味方へのダメージをゼロにしたり無効化できるスキルは必須だ。その面倒くさ故にこの世界はスキル文化ばかりが発達し、魔法を極めるものが少なかったのだが。
しかし、少なくともアカネのこの攻撃で――モブにしろプレイヤーにしろ、ロストは無い。
元々誰も死なせないための作戦なのだから当たり前だ。
だが、そんなことを知っているのはこの場ではヒガンしかいない。
「クソッ、『永久の遑』だと!? キッカ、あれは対象を選ばないと発動できないんじゃないのか!?」
「そ、そのはず……です」
「どういうことだ――俺達はまだ、戦闘を仕掛けられていないぞ!?」
盾の下にもぐりこんだヒガンが聞いたのは、アーベルの怒鳴るような声とキッカのおびえた返事だ。
ロードはこちらへやってこようとせず、この2人も彼にこちらへ来るように促す気配は無い。
『永久の遑』もまた無属性魔法であり、対象を選んで自動追尾する大量の槍を飛ばすような攻撃だ。
ただし、攻撃相手として選ぶことができるのは戦闘状態に入っている相手に限った話なのだが――彼らのウィンドウにも、勿論ヒガンのものにも。アカネから戦闘を仕掛けられている、と言う表示は無い。
にもかかわらず、都市全体に広がった光の槍は、地上めがけて放たれんとしている。
こんなことは通常出来ないはず。彼らは、そう思っているのだ。
そしてその考えを――ヒガンはさらに後押しする。
「――彼女が、プレイヤーでないとしたら、可能なのでは」
「何!? 何を言って――」
「運営の組み込んだ新しい敵キャラクターであるとしたら、プレイヤーでは解明されていないスキルを持っているのではないか、と言っているんです!」
わざと、焦っているかのように腹から声を出す。
できる限り、彼らには勘違いをしてもらいたい。そして、『大犯罪者』をどう対処するかに頭を働かせてもらわなければ。
イベントにもモブにもダンジョンにも、目を向けさせるわけには行かない。
――彼らの命を守るためにも。
「新しいスキルでそういった行動が可能なものを実装すれば、簡単にできてしまうでしょう! モブにシステムとして組み込むだけなら、取得条件を無理に突破させる必要も無いですしね!」
ちゃんと理由を知っていてそんな事を言う自分を、少し滑稽に感じたが。
「そんなものが存在するようになったら――これが、対象を選ばすに単体撃破用の魔法を打てるようになったスキルの効果だとしたら。全ての魔法攻撃が範囲攻撃と同じになるぞ、ゲームバランスの崩壊なんて話じゃ済まない!」
「なっ――」
事実とは全く異なる可能性に対する、アーベルのその返答に。
未だに普通のゲームをしているかのような彼の答えに――ヒガンは思わず絶句した。
――ゲームバランス、だって?
――こんな閉じ込められた状況で今更何を言っているんだ、貴方達は!
まだこの『ラスト・カノン』を通常のゲームと同じように――ログアウトできるゲームのように、ロストすることのない現実のように。考えているというのか?
ログアウトできない、ロストの可能性がある、そんな理不尽に覆われた世界で。それ以上の理不尽など起こりえないと。そう思っているというのか?
この5年間、このまま生きていけると本気で思いながら生活していたんですか、貴方達は――そんな心の底の叫びが喉をついて出そうになる。
思いを音にせずにすんだのは、冷静に演技を続けなければならないという抑制の感情が仕事をしたのと。
光の玉を飛ばし続けていたらしいキッカが、ようやく『大犯罪者』の顔を確認できたらしく。
「……アカネ、さん」
そう呟く声を聞いて、ほんの少しだけ冷静になれたからだ。
「――来るぞ!!」
盾の外から、ロードの声がする。
相変わらずこちらへ来る気配は無い。彼も色々なスキルを持っているようだし、腕も確かなのはこの間見たから知っている。
隠れなくともなんとかできると判断しているのか、この『永久の遑』がどうしてこんな形の発動が出来るのかを見極めるつもりなのか。
ただ、それは彼らの想像力が『攻撃対象に都市を選ぶことが出来る』というところに到達しない限り――見抜くことは出来ない問題だ。
覗きなおした『試作品望遠鏡κ』の先、『大犯罪者』は。
右手を何のためらいも無く振り下ろし。
それと同時に無数の槍が――『ヂャッジスト』目掛けて落ちていく。




