(2) ハイセンス・ナンセンス
「――先に貴方が来ているなんて、珍しいわね」
ウィンドウに流れるワタナベの冗談交じりの叫び(文字)を眺めていたカラスに、そんな声が掛けられる。
唯の言葉の中にどこか妖艶さを感じるのは、彼女のキャラ造詣のせいなのか、本質からそういったタイプなのか。カラスは視線だけをウィンドウからずらし、女性の顔を確認しながら言う。
「呼び出しておいて時間通りに来ないそっちが大概なだけじゃねえの?」
「あらやだ、手厳しいのは相変わらずね。貴方のおかげでこっちも忙しいのよ」
大げさに肩をすくめるオーバーリアクション。忙しいときの彼女がよく使う動きだ。相変わらず楽しそうに騒いでいるチャットに、【ちょっと仕事してくるわばいびー】とだけ手早く打ち込むと、通知を切って画面を閉じる。
本当は、近づいてきていることには気が付いていた。だがまぁ、こういうのはいかに余裕を持っているように見せかけられるかが重要なのだ。特に、この手のタイプの女に対しては。
『ユートピア』の片隅にひっそりと佇んでいる、隠れ屋的なバー。営業時間は夜の9時から12時間きっかり。だが、モブマスターに金を積んで交渉系スキルである『えんもゆかりも無かりけり』を使用していれば、本来は入店不可能な空間を秘密の会合場とすることができる。
今回、そうしてこの場を用意したのはカラスではなく――声をかけてきた相手の女性、紫宴である。
軽いウェーブがかかったエメラルド色のワンレンヘアに、胸元のざっくりあいたロングドレス。足元のピンヒールが何センチあるか、なんてことはカラスには判別できないが、元々ある身長を更に押し上げていることは理解できる。
優雅な足取りでカラスの座るテーブルに近づいてきた彼女はなんの断りも無く隣に座り、グラスを拭いているモブマスターに笑顔で手を振った。飲み物は頼まない。頼めば出してくれるのだが、仕事のときは飲まない主義なのだと昔彼女は言っていた。
つまり、簡単に言うと。彼女は今、カラスと会話をすることを仕事だと思って来ているのである。
「『イェッサ!!』の売れ行き、過去最大なんですって? おめでとう」
「おかげさまでな。俺の懐が今までに無いぐらいあったけえよ、それこそ一生ここで暮らしていけるレベルで」
「ふふふ、こういうのを見ると人間は本当に不安に弱い生き物なんだということが分かるわね。何時だって何かの加護を求めて、安心を得るために時間と金を使う。今回の騒動で、また『恍惚たる鎮魂』への加入者が増えているみたいだけど? 貴方はそちらのギルドの幹部か何かなのかしら?」
「またか……なんでアンタの中で俺があのギルドの幹部になるかは知らねえけど、そうやって細かく情報取りに来るつもりなら俺はもう何もしゃべらねえぜ? 一方的に質問して金置いて帰る」
「あらやだ、それは困るわ、失礼。久しぶりにこんな風に情報屋としてまともに動いているからかしらね、どうにもお喋りが過ぎていけないわ。聞きたいことは他にあるのよ」
そういって、彼女は左手に持っていたクラッチバッグから何かを取り出す。バッグの中では縮小されていたそれは、外気を受けてすぐにもとの大きさに戻る。『イェッサ!!』の最新号、カラスの書いた『大犯罪者』に関する記事の載っているものだ。
何箇所かに付箋の付けられたそれを長い爪のついた両手でぱらぱらとめくり、彼女が手を止めたのはやはりその記事の場所。
「――この人物について、知っていることを教えて欲しいの」
その爪先でとん、と叩いた先には、スキルに精通するとあるプレイヤー、の文字。
――ふーん、ここの情報探りに来るのか。
その様子を見ながら、カラスは思案する。確かに彼女が持っていない情報の中で一番つかめない場所はそこだろうとは思っていたが、第一に指定してくるほど重要に考えているとは予想外だ。
いや、もしかしたらもう裏に依頼者がいるのかもしれない。そんな部分を気にしてくるような依頼人がいるとしたら、そこそこ大きくて、力に余裕があって、今回の攻略にも乗り気な連中ということになる。
まぁ心当たりのある軍団といわれたら、あそこぐらいしかないが。
さてどう答えたものか、とカラスは傍らに置きっぱなしだったグラスを取り、水を喉へと流し込む。
「俺、心を入れ替えてお客様のプライバシーを第一に守るスタイルで仕事しようかと思っててさあ」
「あら、そう。じゃあどのくらい札束のタワーを作れば、貴方のその口は軽くなるのかしら? 好きな数を教えてくれて構わないわ。――いいえ、それよりも好きな言葉をきいたほうが良いかしらね?」
その返答と余裕な笑顔は、仕事をしているときの彼女のものだ。
金や己の情報量にモノを言わせてネタを買い取り、またそれを法外な値段で有力者へと売り飛ばす。
このゲームに閉じ込められ、ネット社会的な情報収集が封じられてから、戦闘能力の無さを嘆いてそういった職に就いたものは少なくなかった。
だが、彼女はそういったポッと出ではなく、昔から活動していた筋金入りの情報屋だ。
ここ最近の平和な世界ではほとんど仕事も無かっただろうが、こういった手合いやりとりなんて慣れきっているだろう。
まぁ、だからなんだという話なのだが。情報のアドバンテージはこっちのほうが上なのだ。
大切なのは、焦らないこと、驕らないこと、――そして自分が優位であることを忘れないことだ。
「そうだな、好きな言葉は『大犯罪者』だな」
「随分と狂気的な趣味ね? 貴方のほうが詳しいんじゃないかしら」
「俺は何にもしらねえよ、記事で書いたこと以外はな。俗世を離れて山篭りをしているもんでね、世間の噂に疎いんだよなぁ。あと実際にどうなのか、とかさ」
「……そんな情報でいいのかしら。拍子抜けよ」
「おっと、俺は構わねえけど。今のうちに言っておくぜ、アンタの知りたいことについては俺は全く答えられない、ってな。――そいつに関する質問は3つまでなら聞いてやる、それ以上は無し」
「3つじゃ足りないわ。こっちの情報にも色を付けてあげるから、5つまで譲歩なさい」
「そういう交渉してくるんなら、話は無しだ。俺は帰るぜ」
「……困った人ね。分かった、それでいいわ。『大犯罪者』の噂、ね」
3回まで、という数字を出したのは、紫宴側が交渉を蹴ってこない最低のラインを考えてのことだ。流石に1つや2つの質問回数では無理があると思ってのこの回答だが、どうやら上手くいったらしい。
3つ。3つなら、まぁなんとかできるだろ――カラスはそう思いながら、無意味にグラスを回す。
正直、今回のことで久々に紫宴から会いたいというメッセージを受け――こうして場を設けるかどうかは、かなり迷った。
だが、『大犯罪者』を軸にしてイベントをかき回そうとしている現状、世間一般で流れている情報を入手しておくことは悪いことではない。
そんな考えの中、こちらの知る限り最も優秀で信頼できる情報屋が向こうからやってきてくれたのはありがたい話だった。だがそれは、真面目に情報交換をして交渉を成立させるつもりがあるのなら、なのだが。
――正直、こっちの情報渡すつもりなんざ、さらさら無えんだよな。
紫宴は軽く顔を上げ、考えるように口元に手を当てる。薄いピンクで彩られた唇に目が行くが、それだって彼女の作戦だ。いわゆるお色気戦法、というやつか。
「……そうね、『大犯罪者』についての情報は錯綜している、という表現が正しいのかしらね。運営が作り出したキラーを越えるモンスターだとか、サイボーグだとか、狂ってしまったプレイヤーだとか。色々言われているみたいよ」
「へぇ。まぁ妥当か」
「実際はどうなのか、についても聞かれると少し困るところね。確信をつけるような情報は無いわ。それだけ隠れていけているというのならば相当強いプレイヤーだし、そうでないなら運営側の配置した敵キャラじゃないかしら、ぐらいしか言えないわ。ただプレイヤーだとするなら、今になっていきなり奇怪な行動をとってきた理由は分からないのよね……」
そういいながら、横目でこっちを見てくる。ははぁ、とカラスは納得した。
プレイヤーだとしたら、俺と繋がってるんじゃないかと言いたいわけだ。まぁそういった推察をするならば、たどり着く答えではあるだろう。
ただ、彼女がその先にあるこちら側の思惑を見つけることが出来たとしても。その裏にある思いを読み取ることは、きっと不可能なのだろう。
この世界を、変えようと思わない限りは。
「ただまぁ、私としてはプレイヤー説を推すわ」
「ほーう、詳しく聞いてみてえな」
「『大犯罪者』として指名手配になっている彼女と似た人物を、ずっと昔に別の場所で見たことがあるという証言が複数あることよ」
「それだけだと些か薄くねえか?」
「そうね、私もそう思うわ。しかもその筋の情報だと回復特化型だったという話だし。今となっては役に立たないヒーラーなんて、ほとんどどこかのギルド所属なんだけど。その名鑑リストにはいないのよねえ。ここでもうロストしたんだろうと考えることは簡単よ――けれど、逆に生きているとしたら、どうやって命を繋いでいるのか、それがすごく気になるのよね。それこそ生きて『大犯罪者』になれるぐらいの何かを、持っていたっておかしくないとは思うわ」
――おおう、大正解。
名鑑リストってどんぐらい金積めば買えるんだろう、と思いつつ、心の中で拍手喝采する。そんなもんにまで全部目を通して『大犯罪者』を探したというのなら、紫宴自身はそれなりにこの情報にはご執着があるようだ。
だが、情報屋であっても推測は出来ても確定は出来ない――少なくともそのぐらいに、『大犯罪者』は上手く隠れられている。アカネが2年近く人前を避け続けていた効果は、それなりにあるようだ。
ふぅ、と彼女は両肘をテーブルに着き、両手を組んだ上に顎を乗せた。こてん、と軽く首をかたげるそれだけの動きがひどく魅了的に感じるのは、何かそういったスキルを使っているのかもしれない。
そう感じるだけで、効いてはいないのだが。
「私のできる話はこの程度なのだけれど――ご納得、いただけるかしら?」




